今日と明日、これからの未来④

 ミサキと泉さんが見舞いに来た同日、みわさんからもアットシグマが声をあてる音声作品収録日の予定も送られて来た。収録は池袋にあるというスタジオで行った。スタジオに集まったのは、俺とみわさん、アットシグマの三人とそのマネージャーの優子さん、音響監督とレコーディングスタッフの計八名だ。


「それでは皆さん、よろしくお願いします」

「よろしくー! 脚本がユウくんなのびっくり!」

「はい。今日はよろしくお願いします」


 収録前に泉さんからは、俺のことはミサキも泉さんと、ライブ常連のファンとして認知しているテイで通すことにすると言う話を聞いていた。アットシグマの四之宮かえでは「えー、そうなのー!? 今度わたしともチェキ録ってよー」とのほほんとしていたが、この人にはどこまで俺のことが伝わっているのか聞きそびれた。

 そうしてお互いの顔合わせを軽く済ませ、アットシグマの三人がそれぞれ代わる代わるレコーディングブースに入り、それぞれのパートを録音していった。いつも通り、ダミーヘッドマイクでの録音なので、三人全員でブースに入ると雑音の処理が大変だということで、三人分の音声を合成するそうだ。演技で気になるところがあれば、俺とみわさんを含めた全員で話し合い、録り直しを繰り返す。


「あたしはねー、ここの言い方もうちょっと変えたい」


 そんな風に、ミサキは自分のパートの収録にも全力で集中し、仕事中はずっと真剣で、収録についての話以外、あまりする余裕もなかった。


「あーしのパート、これで本当に大丈夫? 後で合わせた時に浮かない?」


 泉さんは、他のスタッフもいる手前、烏京すずめのキャラを崩さない形で収録にのぞんでいた。普段の彼女の様子を知っている俺が思わずニヤけてしまったのを見てカチンと来たらしい彼女にボソリと「後でしばく」と小声で咎められるなどしながら順調に収録は進み、途中の休憩を挟んで六時間で必要な音声を録り終わった。収録が終わり、スマホを確認すると美咲から連絡が来ていた。


『近くに来てます。東京観光したいです。終わったら連絡お願いします』

『今終わった。どこいる?』

『スタジオ前に車停めてます』


 一時間前のメッセージだったが、俺が返信を送ると、美咲からの返事もすぐに返って来た。


「美咲来てるみたいなんで、俺車で帰るよ」


 俺はみわさんにそう伝える。みわさんは、長い収録時間で指示や相談で声を出し過ぎてもうヘロヘロになっていたらしく、声は出さずに俺に親指を立てて送り出した。


「ユウくん」


 スタジオから出ていく俺を追いかけてきたらしいミサキが、俺に声をかけた。俺はその声に振り向く。泉さんと四之宮かえで、マネージャーの優子さんの三人もその後ろに立っていた。


「またね」


 ミサキはそう言って、俺に手を振った。


「ああ、また」


 俺も彼女に手を振り返す。それから、スタジオ前で待っていた美咲の車に乗り込んだ。


「先輩、お疲れ様です」

「ああ、お疲れ」

「今日の収録はどうでした?」

「みわさんもアットシグマの皆も白熱してたな」

「それ、おそらく先輩もですよ」

「まあ、そうだな」

「先輩、どこか行きたいところあります?」

「……スカイツリーとか?」

「遠すぎます。車でも三十分ですよ」

「じゃあ、とりあえず近場のレストラン。腹減った」

「フレンチのリベンジ行きます?」

「ああ、良いかも」


 その日はそんな風にして、美咲と東京観光をしてから美咲の運転で家に帰った。アットシグマとのコラボ作品は、年度が変わる前、三月の頭頃には完成した。売れ行きもしっかり好調で、この仕事を境に、泉さんには声優の仕事も増えたらしい。尚、俺と泉さんとの交流は未だに続いており、時折泉さんからミサキの愚痴や今後の活動についての他愛ない相談などについて話している。俺の方も代わりに、美咲がしでかした驚きの出来事や、自分の仕事の愚痴などを聞いてもらっている。故に俺の近況もミサキには筒抜けであり、この奇妙な関係性はまだまだ続いていきそうだ。四之宮かえでは、アットシグマの中では唯一、ライブ外での顔出しを解禁し、地元のテレビのナレーターなどにも起用され、異色のアイドルとしての認知度を上げていった。ミサキの方は、桔梗エリカの活動もどんどん大きくなり、配信や動画の視聴者数も膨れ上がっている最中だ。彼女達の活躍には目を見張るものがあっても、アットシグマというグループはいつかは萎んでいってしまうかもしれない。だとしても、まだまだ彼女達三人の勢いが収束するには時間がかかりそうだった。


 三年生の目まぐるしい毎日と同じくらいに忙しい四年生の日々も、気付けばあっという間に過ぎ去った。片桐さんのところのリフレ送迎のバイトは、結局卒業まで続けた。あれから、迷惑な客に遭遇しないではなかったが、古宮さんの元カレに突き飛ばされた程のトラブルは起こすことなく、何かあればすぐに店長や片桐さんに報告をして、それぞれのトラブルを対処していった。俺の就職先は旅行会社の写真や会社の紹介写真などの撮影をするプロのカメラマンの派遣事業をしている会社に決まった。俺自身はカメラマンとしての就職ではなく、あくまでそれらの管理や店舗の営業をするサラリーマンとしての就職だ。本業に就きながら、見学店のカメラマンのバイトも俺は副業として続けた。片桐さんは「今の仕事に飽きたらいつでも言いなよ」と、未だ俺を引き入れることを諦めてはいない。

 当然というか、小説や脚本もずっと書き続けていた。ありがたいことに、Webの小説コンテストに出した短編作品が受賞して、雑誌への掲載が決まったり、アットシグマコラボのことを知ってくれていた、みわさん以外の依頼主からも脚本を依頼されることもあったりと、大きな成果と言えるものはないながらも、細々と活動を続けている。

 茉莉綾さんは、俺の就職先が決まるのと同時期頃に、ガールズバーのバイトも続けながら、ストリッパーとしてのデビューも決まった。現役大学生ストリッパーとして華々しいデビューを飾った彼女の公演は多くの客に盛大な拍手を送られてた。茉莉綾さんの公演には、俺と美咲の二人で観に行き、ラブホで観た時以上に進化した彼女の刺激的で情欲的なパフォーマンスには圧巻された。大学最後の年は学生とストリッパーとしての生活を続け、就職活動にも余念はないという。「ハルトくんを見習って」というのは、ストリップ劇場の控室で応援の言葉を言いに行った俺達に向けて口にした茉莉綾さんの談だ。古宮さんも無事に卒論を仕上げ、大学院生として粛々と研究を続けている。ただ、男遊びはやめていないようで、研究室のメンバーとも懲りずにひと悶着起こしているらしいのが困りものだ。

 俺と美咲は、野々村先輩やミサキと泉さん達を倣って、というわけでもないが、美咲の卒業を待って二人で同居を始める予定だ。その前に、先延ばしにしていた美咲の実家への顔出しも未だ残っている。


「先輩、そんな緊張することはないですからね?」

「わかってるよ」


 美咲が四年生の時の春、美咲の従姉妹が結婚するというそのお祝いに俺はついて行くことになり、そこで初めて美咲の両親に会う。

 因みに、美咲と俺の母親はいつの間にか連絡先を交換していて、たまに一緒に食事に行ったりしている。俺抜きで。何でだよ、とそれを初めて知った時は美咲に大きめの声で突っ込んでしまった。どうやら二人して趣味が合うらしく、俺が就職活動をしている最中にいつの間にか仲良くなっていた。俺が伝える前に、美咲は自分が俺のことを好きで付き合うことにしたのではない、ということを既に自分で話していた。それを知っても俺の母親は「良いんじゃない? 一緒にいて楽しければ、何でも。それに私は美咲ちゃんのこと、好きよ」とあっけらかんとしている。俺も最初からこのぐらいだったらな、と嘆息した。


「先輩、一つ良いですか」

「何だよ」


 社会人としての仕事にもある程度慣れてきた初夏のある晩、俺の部屋で隣、同じ布団に入りながら眠りにつく前に美咲が俺に話しかけた。


「先輩はまだ他の人を好きになったり、しないですか?」

「したらこうしてないだろ」


 相変わらず愚問を投げ掛ける美咲に、俺は溜息をつく。


「私に内緒で、どこかの誰かと良い仲になったりは?」

「しないし、なりそうなら言うわ、アホか」


 俺の返事を聞いて、美咲はおかしそうに笑う。


「まあ、そうですね。でも」

「その話、聞き飽きたからもう良い」

「そうですか。私も先輩のこと、今も好きじゃないです」

「そっか、俺は今のまま幸せだよ」


 俺と美咲は互いに顔を見合わせる。それから美咲が、「あっ」と思い出したかのように、布団を蹴り上げた。同じ布団に入っていたので、当然俺の体からも布団が剥ぎ取られる。


「何?」

「私、先輩の押入れの中から見つけちゃったんですけど」

「何を」


 美咲は立ち上がると、俺の部屋の押入れを美咲は勢いよく開ける。その押入れの中にしまっているものに一瞬で心当たりがつき、俺も急いで立ち上がる。


「美咲、お前な……」

「これです、これ」


 美咲の手には、オナホや電マが握られていた。以前、ミサキの私物を整理していた時に、流石にこれを送りつけるのはよした方が良いだろうと、そのまま仕舞い込んだアダルトグッズの数々だった。


「見つけたとしてもそっとしとけよ」


 デリケートなプライバシーの部分だろ、それは。


「何でですか。こういうの持ってるなら持ってるって言ってくださいよ」

「美咲は結局、セックスには興味ないんだろうが」

「セックスに興味はなくとも、エロいことに抵抗があるわけではないと何度言えば」


 わかんねえよ、その辺の線引き。お前の匙加減だろ。俺は溜息をつく。美咲は楽しそうにアダルトグッズを漁っている。俺は美咲の隣に座り、彼女が手にしているのとは別のアダルトグッズを手に取った。


 ──夜はまだ長い。






ミサキ・モラル・クライシス第一部〜第三部〈完〉

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