今日と明日、これからの未来②

 背部打撲と足関節捻挫による靭帯損傷、手首捻挫に中程度のむち打ち。入院一週間、全治二ヶ月を医者からは通告された。幸い、落ちた距離が低かったのもあり、骨折までには至らなかったものの、打撲と捻挫による後遺症の可能性もあるので検査も兼ねての入院期間だと言う。


「クリスマスには一応間に合うな」


 一番に見舞いに来てくれた美咲に俺がそう言うと、美咲は俺の頭頂部を軽くグーで殴った。お前、怪我人だぞ。


「ふざけないでください」


 美咲は俺を睨みつけながら、ブツブツと何か言ってから溜息をついた。


「先輩はまずお身体を治してください。話はそれから」


 と、美咲にはそう怒られた。うん、まあそうだな……。


『あの客は出禁だ』


 俺の入院が決まった翌日、片桐さんからは電話でそう連絡が来た。ななみさんからの報告も聞いた。古宮さんの元カレとななみさんのトラブルは、客による裏オプの強要だ。リフレのキャストはマッサージなどのオプションも込みで、客が疑似恋愛を楽しめるというのが売りではあるが、サービスとしてはヘルスとは違い、所謂「抜きなし」だ。その為、客の中には店を通さずにキャストに直接追加料金を払うことで、抜きのサービスを行う裏オプを要求する者もいる。キャスト側から提案することもあるが、ななみさんは自分から言ったわけではなく、あの元カレの方が抜いてもらうまで帰さないとゴネたらしく、押しに弱いななみさんはノーと言うこともできずにいたが、遂に意を決して部屋を飛び出したところに俺が鉢合わせた、というわけだ。裏オプを黙認している店も少なくないとのことだが、当然片桐さんの店では御法度である。


『それにあんたも判断が甘かった』


 片桐さんには電話口でそう叱られた。


『怪我をしたならまずは本部に連絡。その場で救急車と警察だ、まずは。キャストを守るのも大事だが、自分を蔑ろにする奴にそんなこと考えてほしくないね』

「はい、すみません」

『あんたを買い被ってたよ。咄嗟の判断を誤る奴に女の子達は任せられない。直接説教してやりたいが、まずはしっかり体を治すんだね』


 片桐さんから、美咲からされたのと似たような怒られ方をして、俺は萎縮してしまった。ただ、片桐さんが俺のことを心配して言ってくれたのは分かっている。暫くはリフレ送迎も見学店のバイトの方もなしになり、塾のバイトも休みをもらった。

 片桐さんの店のキャストからは、見学店の店長とみわさん、それにななみさんの三人がお見舞いに来てくれた。


「先輩さんん、ごめんねええ!」


 ななみさんは病院のベッドに横になる俺の顔を見た瞬間にドッと泣き出してしまい、みわさんに背中をさすって落ち着かされていた。


「わたしのせいで先輩さんにこんな怪我させて……」

「ななみさんのせいじゃないよ」


 どっちかと言うと、俺の自業自得というか。あの客が悪かったのは確かだが、それでも俺と古宮さんとのことがなければ、あの男もあそこまで激昂しなかった筈である。俺がリフレの待機所前で呻いている最中に片桐さんが警察にも連絡は入れてくれたので、俺と店、ななみさん、客の男のそれぞれから警察が事情聴取を行った結果、俺と客の男との接触は禁じられ、示談金が発生し、俺の入院費用は客の男が支払うという形でことをおさめることになった。話を漏れ聞くところによると、あの客は古宮さんに送って来た女性とも別れ、失意の中でリフレ店でななみさんに出会い、何度か指名するうちにななみさんと相思相愛だと勘違いするようになったらしい。……同情の余地を感じなくもないが、ななみさんの意思を無視して迫ったのは事実だし、俺も実際に怪我を負わされているので彼のことについて考えるのはやめておいた。


「みわさんもごめん。仕事あるのに」


 俺が謝ると、みわさんは首を横に振り、俺の頭を小突いた。何それ、流行ってんの。


「大丈夫。もうほとんど脚本は完成したし」


 それはその通りだった。後はみわさんからアットシグマ側に脚本を提出、その後そちら側でも脚本の手直しを行った後、一カ月後にスタジオでの収録予定となっている。流石に収録までには体もある程度動くようにはなっているだろうが、元々予定していたみわさんとの打ち合わせの数が減ったのは確かである。


「他人の心配よりまずは自分でしょ」

「それ、皆に言われたよ」

「他の皆も心配してた。けど、大勢で押しかけるのも迷惑だからって病院にも言われた」


 その辺のは片桐さんにも聞いた。病院側からは、お見舞いは一組三名までと言われているそうなので、それで責任者として店長と、仕事の話があるみわさん、当事者であるななみさんの三人が店の代表として来たのだった。茉莉綾さんは店ではなく、友人枠として見舞いに行くと言って聞かなかったらしい。店長からは片桐さんに持たされたという多めの見舞金をもらい、俺は店長に深々と頭を下げた。

 また、店の関係者以外にも一人、警察に事情を聞かされた人物がいる。当然、古宮さんである。


「ごめん……ホントにごめんなさい……」


 古宮さんは、美咲と茉莉綾さんと一緒に見舞いに来て早々、その場で手を合わせて深々と頭を下げた。


「まさかこんなことになるとは思わず……」

「あれは俺も乗っかったから……」

「刺したりするタイプじゃないって言ったのもごめんなさい」


 ──そういや言ってたな、そんなことも。実際刺されたわけではないし。今回は色々なことが重なった結果だ。古宮さんの元カレも、故意に俺を階段に突き飛ばしたのではなかったようだし、古宮さんの言葉を疑うわけでもない。


「お詫びに何でもするので。わたしの体好きに使って構いませんので」

「古宮先輩、それ以上ふざけると先輩に代わって私が怒りますよ」

「そうですよ、古宮先輩。あんまり変なこと言うと絶交です。ハルトくんもあんまりこの人甘やかさない!」


 頭を下げたままめちゃくちゃなことを言う古宮さんに、美咲と茉莉綾さんが同時に怒った。


「ごめんってぇ! こういう時、どうしたら良いかわからんからさぁ!」


 美咲が俺の告白を断ったことを聞いた時の比でない狼狽え方をする古宮さんと古宮さんを睨みつける二人を見て、俺は思わず吹き出した。そんな俺の頭を美咲と茉莉綾さんがまた小突いた。


「あんまり気にしないでください。あ、今度美味しいものでも奢ってもらえたら」

「わかった。ラブホ分以上は払うから」

「古宮先輩!」


 相変わらずの古宮さんはまた二人に怒られて頭を下げる。茉莉綾さんはそんな古宮さんに溜息をついて、俺のベッドの横にしゃがんだ。


「でもホントに良かった。一大事にならなくて」

「大袈裟だって」

「そんなことありません! 打ちどころ悪かったら死んでたかもでしょ! ハルトくんは甘く事態を見過ぎ」

「えっと、ごめん」


 茉莉綾さんは周りの迷惑にならない程度の声で改めて俺を叱る。それから鼻をすすって、目を擦った後、すぐに立ち上がる。


「早く元気になってね。一緒にお酒飲むんだから」

「そうだね」

「後、私、こないだハルトくんと行ったガールズバーの面接受かったから。そっちのお店も来てお金落としてね」

「お、おお。マジか」


 いつの間にかあの茉莉綾さんが外に飛び出していた。見学店の方は、すぐに辞める気はないものの、段々とフェードアウトしていく予定なのだとか。四人でそんな風に話していると、次の見舞客が病室を訪れた。


「悠斗」

「お母さん、お父さん」


 両親には病院から連絡がいっていた。俺の入院のことを知ると、直ぐに行くと言っていたけれど、俺が電話で大したことないから来れる時に来てくれれば良いと伝えていた。

 俺の両親を見て、美咲達三人はそれぞれの顔を見合わせる。それから、古宮さんと茉莉綾さんの二人は「バイバイ」と俺に手を振って、そそくさと病室から出た。美咲だけが俺のベッドの横で椅子に座りながら、俺の両親を見つめ、二人がベッドの近くまで来ると立ち上がってお辞儀をした。


「美咲、こちら俺の両親。二人とも、こちらは俺の大学の後輩で──」

「先輩──悠斗さんとお付き合いさせてもらっています。美咲です」


 俺が紹介をする前に、美咲が俺の言葉を遮る形で改めてお辞儀をした。俺も美咲も、遅かれ早かれ美咲のことをそれぞれの両親に紹介する気ではいる、という話をこの間したばかりだが、こんな形になってしまうとは、少し複雑な気持ちだ。俺の両親は二人互いに顔を見合わせた後、美咲にお辞儀をし返した。


「では、私はまた。重ね重ね言いますが、ホントに無理しないでくださいね」


 美咲はそう言って病室の出口まで向かい、また頭を下げてから外に出て行った。


「丁寧な子だね」


 お父さんがそう言って、美咲を見送る。


「ああ、うん」


 実際にはひどく破天荒だし、下手をすると二人には決して紹介できないような間柄になっていたかもしれないことは伏せておく。


「退院後、お手伝いが必要かと思ったけど、あんな可愛い子がいるなら私は不要かな?」

「あー、どうだろ。必要そうなら言うよ」


 くすくすと笑いながら言う母親に俺は美咲のことを考えながら答える。


「向こうのご両親にも挨拶は?」


 父親が突っ込んだ質問をしてきた。まあ、気にはなるんだろうけど。


「してない。あいつは──美咲は年末一緒にウチに来たらどうか、とは言ってるけど」

「だったら無理して帰って来なくても良いけど?」


 母親は相変わらずのほほんとした様子でそんなことを言う。


「いや、良いよ。今回のところは」

「看護師さんに、可愛い女の子ばかりお見舞いに来るって聞いた時は驚いたけど」

「あー」


 今回の件、両親は「喧嘩の末に階段から落ちた」とだけ聞かされているようだった。その辺りバイトの話なんかも絡んで来るので説明が長くなるが、その辺りも今無理に話すことではないか、と思う。美咲の件ともども、話す機会があれば話せば良い。両親の方も、それで納得してくれていた。両親との面会が終わった後、俺は改めて美咲に電話した。


「どうしてさっき、俺と付き合ってるって話、両親にしたの?」

『ただでさえ先輩がお怪我をして大変なのですから、先輩も別に遊び呆けているわけではないと先輩のご両親を安心させるのは、私の為にもなると思って』


 美咲はそれから少し間をあける。


『これで先輩がすぐご実家に帰られてしまうのも寂しいですし』

「そっか。まあ、休んだ間の大学のこともあるからすぐは帰れねえよ」


 突飛な行動も、事前に相談したことから外れない程度になってきた辺り、美咲の落ち着きをどうしても感じる俺だった。これで良い、と思う。俺と美咲の間だけじゃない。俺が面倒に思っても、他人の色々なしがらみもまとわりつくのは、生きている限り、仕方がないことだ。一人一人が、その中でも自分が思うように誠実に生きる他ないんだろう。


 そうして美咲との電話が終わった後、今度は予約のキャンセルの為に歯科医院に連絡した。最後の通院の予定だったが、入院期間中なので、どうしても行くのは無理だ。


『はい』


 電話にはちょうど泉さんが出た。


「結城です」

『おや、結城さん。どうしましたか』

「すみません、次の予約振替でお願いします」

『……この間の話、お忘れで?』


 泉さんの声に少しだけ怒気がこもっていた。


「バックれではないじゃないですか。いや、ちょっと怪我で入院することになりまして」

『は?』


 今度は泉さんに困惑の声が混じる。この人も打ち解けてみると割合、感情が声に乗りやすい人だ。


「なので仕方なしです」

『待ってください。いえ、医院としてはそこまで詳しく聞く必要はないんですが、個人的な友人としてちゃんと聞かせてください』


 泉さんが結構嬉しいことを言うので俺は驚く。ミサキとのことがあるから、とは言っても泉さんは泉さんで俺に親しみを感じてくれているのは、普通に嬉しい。俺はバイト中に客と揉めたこと、それで階段から落ちて一週間の入院をしなくてはならなくなったことを伝える。泉さんは大きく溜息をついた後、「わかりました」と電話の向こうから俺に言葉を返す。


「あー、因みにこのことエリには、内緒で」

『もし収録の時にあなたがまだ松葉杖で、しかも私はそのことを知ってたらエリはどう思いますかね』

「ごもっとも」


 ミサキに余計な心配をかけたくない、と思い何も考えずにそう言ってしまったが、確かに言われてみればそれはそうだ。


『良い機会です。今度、エリを連れてお見舞いに行きます』

「え」


 いや、それはちょっとやめておいた方が良くないか? ミサキは俺とニアミスすることをささやかに望んで引越し先を決めたり、仕事で俺と一緒になるかもしれないことを泉さんに黙っていたりした。ミサキ自身は俺に未練はないと泉さんに言っているそうだけれど、俺も正直、仕事以外の場で今ミサキと直接会って自分の気持ちがどう動くか分からない。


『いえ、連れて行きます。これは私の我儘です』

「泉さんの?」


 俺が聞き返すと、泉さんは電話の向こうで「はい」と頷いた。


『エリの煮え切らない態度はもううんざりです。私もこのまま結城さんと連絡をするにしても、もう一度会ってもう貴方がたは特別な関係ではない、ということを認識してください。私の為に』

「それは確かに……」


 だいぶ我儘だ。別に俺とミサキが今会う必要はない。けれど、ミサキも美咲ほどじゃないが、勝手に暴走するタイプだ。泉さんの方から先に「一緒にお見舞いに行きます」と先手を打って、勝手にこちらに来るのを封じるのはありなのかもしれない、なんてことも俺は思う。


『どうせ収録では皆、顔を合わせるんです。その時までに改めて気持ちをはっきりさせた方が結城さんとしても良いのでは』

「そう、かもしれない。わかった」

『私もエリも、今後仕事を共にする仕事仲間の様子が心配で見に行くってことです』

「ああ、それならまあ」

『貴方の我儘を聞いて立会人を務めた貸しもあります。それを、返してもらいます』


 あくまで仕事相手のお見舞い、というのであれば俺も少しだけ抵抗が薄れる。強引に押し切られるような形にはなったが、俺は泉さんに了承して、数日後の退院前に、二人でお見舞いに来ることを許可した。美咲にもそのことを伝え、同じ時間には面会に来ないように頼んだ。美咲は、自分も桔梗エリカと会いたいことに文句を言ったが、そこは少なくとも今はただのアイドルとファンの関係でいて欲しい。俺はミサキと泉さんが来るまでの間、二人の過去の配信をボーッと見直していた。アットシグマコラボの脚本を書く際に、俺はもう彼女達の動画を何度も見返している。最初動画を観ている間はミサキとの関係を思い出して心臓が昂ったが、何度も何度も観るうちに俺も気持ちを抑える術を学んで来た。元カレのお見舞いなんて、普通に考えれば本来行くべきようなもんじゃない。だとしても、俺とミサキ、泉さん、美咲の関係も、あれから随分と変わった。これから未来永劫関係しないというなら別だが、実際にはこれからも顔を合わせるのだ。ここらでもう一度だけ、話しておきたいと言う気持ちは俺にもある。


「失礼します」


 病室の入り口から泉さんの声がした。俺はそちらに顔を向ける。そこには帽子とマスクで顔を隠した泉さんと、ミサキの二人がいた。二人は俺の近くまで歩いてくると、帽子とマスクを外す。泉さんとはここ最近ずっと顔を合わせていたが、ライブを除いてミサキの顔をこんなにも近くで見るのは、実に半年ぶりだった。


「久しぶり、エリ」

「ユウくん、久しぶり。災難だったね」


 ミサキは張り付いたような笑顔を俺に向ける。こういうところ、流石アイドルだ、と思う。


「大事にならなくて良かった」

「皆に言われる」

「もしユウくんが死んだら、あたしも死んじゃうかも」


 そんなことをさらりと言うミサキの腕を泉さんが掴んだ。


「エリ」

「良いじゃん。アスカもあたしがこういう奴って知ってるでしょ」


 今度は口元だけを歪めた表情で、ミサキが泉さんに笑いかけた。その笑顔は、さっきと違って本当のものに思える。


「だからユウくんは自分を大切にしなきゃダメ」

「いきなり滅茶苦茶言うじゃん……」


 美咲は最近大人しくなったが、ミサキの方が少し見ないうちになんか凄みを増している。


「でも、わかった」

「よろしい!」


 俺が頷くと、ミサキはまたあの張り付いた笑顔で頷き返した。


「あれじゃない? 交際を恨んだあたしのファンに刺されるとかじゃなくて良かったじゃん」

「シャレにならねえよ……」


 それから俺はミサキの口からも改めて、今は泉さんと同じ家に住んでいることや、配信もライブも仕事がどんどん決まって順調だと言うことを聞いた。


「ユウくんのおかげだよ」

「どういたしまして」

「ユウくんが別れて良かったって思えるように、今まで以上にわたし、頑張った」

「……無理はするなよ」

「お互い様」


 そんな風に他愛無くもどこかぎこちないやり取り。何か深く話せたわけではない。けれど、俺とミサキの距離感なんて、今はそんなもんで充分だろう。ミサキはお見舞いの品として持ってきたのだというお菓子を俺に差し入れてくれた。俺がそれを受け取ったのを確認すると、二人で病室から出ようと俺のベッドに背を向けたその時だった。


「あ」


 ミサキが病室の入り口を見て、小さく驚きの声をあげた。俺もその声につられて、ミサキと同じ方向を見る。それから俺は頭を抱えた。

 そこには俺達の様子を密かに見つめている、美咲が立っていた。

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