今日と明日、これからの未来①

 美咲との話し合いの結果、イブの日はベタに近くにあるクリスマスイルミネーションを見に行くがてら、久しぶりに外で何か食事ということになった。


「先輩、クリスマス当日のご予定は?」

「バイトの後は特に決めてないが、可能そうなら家で誰かと酒飲むかな」

「茉莉綾さんとか呼んだら良いんじゃないですか?」

「茉莉綾さんが空いてるとも限らんだろ」


 美咲の提案に、俺は苦笑した。今はもう、美咲の方から茉莉綾さんと俺をくっ付けようなんて馬鹿なことを言うことはなくなったが、それでも俺と茉莉綾さんとは仲良くしていて欲しいと、美咲は自分の予定が俺と合わない時はよく茉莉綾さんの名前を出す。俺としては、茉莉綾さんとは普通に友達のつもりでいたいから、クリスマスだとかそういう特別な日に二人で会うことは避けたいと思う気持ちもあるのだけれど、美咲はその辺りのことを相変わらず何も気にしない。茉莉綾さんのことは軽く流し、せっかくなのでイブのディナーは洒落た店を何かしら予約してみるか、と美咲話すと「あ、私一回フレンチ食べてみたいです」などと抜かすので、二人でそこまで高くない、一人一万円弱くらいのレストランを予約した。なお、支払いは割り勘だ。


「もしくは先輩もウチに来ますか?」

「前も言ってたな、それ」


 美咲の実家の雰囲気も分からんし、あまり簡単にひょこひょこ顔を出すのも悪い気がするんだが、多分美咲は友達を家に呼ぶくらいの温度感でいる。


「俺のこと、何て紹介するんだよ」

「今はカレシって紹介できますよ?」

「あー、美咲はそれで良いの?」


 美咲は俺の問いに対して、渋い顔をした。


「私のことを両親がどう思おうと私は構いませんが、確かに面倒は増えそうですね。大事な友達、くらいにしておきましょうか」


 それもあんま変わんねえと思うけどな。けれど、何だか楽しそうな美咲の横顔を見ているのは俺も楽しかった。結局、塾のバイトも夜遅くまでだし、クリスマスの日に美咲の実家についていくというプランはなしになったが、実際遠くないうちに美咲の実家に顔を出したり、俺も美咲を自分の実家に連れて行くのも悪くない気はする。その時は、俺は自分の両親には時間がかかっても、今の関係のことをしっかり説明するつもりだ。

 送迎のバイトも、始めてから一カ月程が経ち、立ち振る舞い方や時間の使い方にと慣れて来て、送迎以外の待機時間がある時は送迎以外の裏方仕事にも手を回すようになった。


「結城、そろそろ就活だろ」

「そうですね」

「そんなことしなくても、あたしが面倒見るよ?」


 キャストの送迎準備をしている途中、片桐さんにまたそんなことを言われた。


「ありがたい話ではありますが」

「月三十万は最低ライン。そこに働きに応じてインセンティブ追加」


 すげぇ。新卒にしては高待遇だろ。めちゃくちゃ魅力的じゃん。流石に揺らぐ。


「あんまり俺を誘惑しないでください……」


 片桐さんの申し出は本当にありがたいし、今まで受けたどんな誘惑よりも心が揺らいだが、この時期に就活失敗しても大丈夫、みたいなモチベーションでいると、身を崩すような気もする。


「就活失敗したら雇わないよ。そんな、他が駄目だったからなんて奴はお断り」

「……そりゃそうですね」


 優しいようでシメるところはしっかりシメる片桐さんの言葉に、俺は苦笑した。一つの選択肢としては考えといて損はないだろ、という片桐さんに礼を言い、俺はキャストの送迎に向かった。みわさんからも、アットシグマとのコラボ企画となる脚本の執筆依頼は既に来ていて、もう何度かやり取りをしている。今回の脚本はアットシグマの三人が本人役であり、三人のキャラを俺もしっかり掴み直す必要があった。ただ、ある意味でこれはやりやすい仕事ではある。俺は桔梗エリカも烏京すずめも、その人柄をよく知っているし、今もしっかりアットシグマのファンの一人だ。

 その日は、ななみさんを見送った後の待機時間中にアラームをつけて仮眠をして、いつものように終了時刻近くになって、ななみさんに連絡をして返事を待った。


「……あれ?」


 しかし、五分待っても返事はない。キャストが気付いていないこともありうるし、客と一緒に入浴など、オプションによってはすぐに返事ができないこともあるので、帰りの迎えに行くまでにも、ある程度は待つようにしているのだが、既読にもならなかった。仕方なく俺は車を降り、派遣先の客の自宅玄関へと向かった。客がキャストに満足しなかったり、オプション外のことを要求したりと、客がゴネることも考えられるので、そういう時は部屋からキャストを車まで誘導するのも俺の仕事ということになっている。とは言え、これまでそこまで悪質な客はおらず、一度キャストに帰ってほしくないと泣き喚く客からキャストを引き剥がして帰らせたくらいだ。客の住んでいるアパートはそれなりに綺麗なマンションで、その三階の一部屋が客の自宅だった。すぐに俺は階段を登る。その間も、ななみさんからの連絡がないかを確認したが、やはり返事はない。

 俺が玄関インターホンを鳴らそうとしたところで、ガチャリと玄関の扉が開いた。


「あ、先輩さん!」


 玄関から、ななみさんが飛び出した。靴を手に持ったまま裸足なのを見ると、やはり何かあったらしい。ななみさんは俺の服の袖を掴み、背中に回った。


「ななみちゃん、今度はよろしくね?」


 玄関まで、元気のない様子の男が顔を出した。何があったかはわからないが、この様子だとこの客はもうななみさんの指名は禁止だ。片桐さんの裁定によるが、店の使用そのものをお断りさせてもらうこともあり得る。片桐さんはこういう客とのトラブルには滅法厳しい。少しでもキャストを傷付けた恐れがあれば烈火の如く怒るし、キャストが原因のトラブルであればそのキャストの仕事も大きく制限する。どちらにしても、次は来ないだろうな、と思いつつ、俺はその場でさっさと部屋から離れる為に、ななみさんに肩を貸して靴を履かせた。


「ご利用ありがとうございました。お時間になりましたので」


 俺は一言それだけ言って、玄関から離れようとしたが、男もまた靴を履かずに玄関の外に出た。


「先行ってて」


 俺はななみさんの肩を押す。様子を見ている限り、暴行を受けたわけではないらしいから一旦この男を足止めするなり、一度家に戻すなりしてから車を発進させようと、俺は男に向き直る。


「……ん?」


 男の顔に何故だか見覚えがある気がした。パッと見は身なりもガラも悪くない好青年。あくまで俺の偏見だが、キャストとトラブルを起こすような人間にも見えない。そんな雰囲気を、以前も感じた気がする。


「お客様、お時間は守っていただかないと──」

「お前──?」


 どうやら客の男の方も俺には見覚えがあったらしく、俺の顔を見て目を見開いた。それから俺の目と鼻の先まで顔を近付ける。


「お前、奏の!?」


 ──男にそう言われても、俺はまだピンと来なかった。男が俺の胸元をグッと掴む。その為、改めて男の顔がはっきりと俺の視界に入った。


「あ、あんた。古宮さんの?」


 そこで俺はようやく思い出した。こいつ、古宮さんに頼まれて撮った俺と古宮さんなハメ撮り風写真を送られた古宮さんの元カレだ。塾の前で古宮さんをストーカーみたいに張っていたのを見たことがあったから、それで見覚えがあったんだ。ただ、古宮さんからはこの元カレも新しいカノジョを作って、そのハメ撮り写真を古宮さんに送り返したと聞いていたけれど、そのカノジョとも別れたのか?


「やっぱりお前か」


 俺がうっかり古宮さんの名前を出してしまったせいで、男は俺が古宮さんの新しい相手だと確信してしまったらしい。男は俺の胸元を掴み続けるので、俺はそれを振り払う。泉さんに続いて変な奴と巡り会ったが、相手をしている暇はない。先に駐車場に向かったななみさんを拾って、待機所に送り届ける必要がある。

 俺は男から背を向けて、さっき上がってきたばかりの階段に向かう。さっさと降りてさっさとこいつのことを片桐さんにも報告しないといけない。


「お前、奏だけじゃなくて、ななみちゃんとも」


 背後で男がブツクサと言っているが、聞く価値はない。古宮さんにしてもななみさんにしても、相手と仲良くなりたいんならまずは相手のことを気にかけろよな。俺が男に掴まれて乱れた襟首のシャツのボタンを付け直そうと手をかけたその時だった。


 ──ドン、と俺の背中が押される。俺は足を崩し、くるりとその場で半回転した。男の驚いた顔が見える。階段の手前まで男が裸足で走り寄って来たらしい。故意に押したわけではないのか、男も俺を青褪めた目で見ている。いきなりのことで俺は何も対応ができない。俺はそのまま足を捻ってその勢いのまま階段を落ちた。


「痛ってぇ!」


 脚だけじゃなく、手首も捻った。俺は立ち上がって男を一瞥する。男は怯えた様子で俺の前から姿を消した。俺はそのまま手すりを掴んで階段を降りる。


「先輩さん!? 大丈夫ですか!?」


 駐車場のななみさんのもとに向かうと、ななみさんはアワアワと心配そうに俺な肩を触った。


「大丈夫。大丈夫じゃないけど……」


 俺は車の鍵を開け、運転席に座る。ななみさんが、本来なら後部座席に座るべきだが、俺を心配してか助手席に座った。それを咎める余裕もなく、俺は車を発進させる。痛めたのは右足と左手首だったので、運転する分には問題はなさそうだった。痛みよりも心臓の鼓動の昂りがひどい。多分、アドレナリンか何か出てる。これ切れたらヤバいかなあ。俺はそんなことを考えながら運転して、車を待機所の前に停めた。俺はブレーキをかけてエンジンを止める。そのまま運転席から降りようとしたが、脚を動かした瞬間に激痛が走った。


「ああああ! ったい!」

「オーナー! 片桐オーナー! 店長!」


 ななみさんが、普段は出さないような大声を出して助手席から降りた。俺は痛みで運転席から動くこともできず、ただただその場で一人、じっとしている他なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る