近所にて、あの日の巡り合い③

 指名時間終了間近のあずささんからの連絡も問題なく返ってきて、俺はあずささんを駐車場で待った。あずささんは無事にホテルから出てくると、車の後部座席に乗り込み「ふー」と一息ついた。


「あずささん、お疲れ様」


 俺は車のエンジンをつけて、駐車場から車を発進させた。


「ありがと。あはは、お仕事の後、先輩さんの顔見るとホッとするね」


 あずささんは後部座席から身を乗り出すように、運転席の後ろから顔を出した。


「シートベルト、ちゃんとしなよ」


 車ももう駐車場を出て、公道を走り始めているのだしと、俺はあずささんに注意した。


「はーい」


 あずささんは素直に顔を引っ込める。後ろから、カチャリとシートベルトをつける音がしっかりと聞こえた。


「問題なかった?」

「ばっちり。この間も指名してくれた人だったんだけど、やることもその時とあんま変わらずだったし」

「なら良かった」


 実際にホテルの中でどんなやり取りをしたのか、客とキャスト以外は知る由もない。けれど、注文オプションから逸脱した行為をしたかどうかはできれば確認するようにと、片桐さんからも強く言われていた。過激なオプションほど高く設定されているので、キャストにとっては正規にオプションを追加してくれた方が取り分も増えるし、報告しないデメリットの方が大きいが、それも絶対ではない、とも。ただ、あまり質問責めにするのもせっかく安心してくれているところに嫌な想いをさせることになるし、バランスが難しいとも思う。とは言え、それはどんな人を相手にしていても一緒か。


「ねえ、先輩さんってもう失恋からは立ち直ったの?」


 待機所に戻る途中、あずささんが俺にそんな風に尋ねた。


「一応、今は他の人とお付き合いさせてもらってる」


 俺は端的にそれだけ答えた。俺の言葉に、あずささんは俺にも聞こえるくらい大きく息を吸い込む。


「えっと。それって、すずかさんではない?」


 あずささんは少しだけ遠慮気味の声で俺に聞いた。


「違うよ」


 これもシンプルに答えた。今も茉莉綾さんとは一緒に帰ることもあるので、キャストの皆から見て、そう見られることは不思議ではないとも言えるが。


「違うんだ。そっか。でもお相手作るの早い。さては先輩さん、結構プレイボーイだったり?」


 俺はあずささんの言葉に苦笑した。プレイボーイとは、俺から程遠い単語だと思う。


「そんなわけないでしょ。女の子と付き合った経験だってそんなないんだから」

「そう言う割に女の子慣れしてるしー」

「あずささんが見てるのは仕事中の俺だけでしょ。普段はダメダメだよ」


 俺がもう少し器用で甲斐性でもあれば、今とは違ったことになっていた筈だ。


「そういうギャップが、先輩さんをモテさせている秘訣かも?」

「モテてないからね?」

「またまたー。ゆりあさんも、先輩さんと一緒にウォータースライダー乗って楽しかったって話してましたよ?」


 あったな、そんなことも。あずささんがどんな話題の流れでそれを聞いたのかは知らないけど。


「先輩さんは興味ないんですか? リフレとかは」

「……カノジョいるから」


 当たり前だが、全く興味がないわけではない。普段の見学店での仕事では、キャストの様子を観察こそすれ、指名してパフォーマンスを見るわけではないから、今でも茉莉綾さんや美咲がキャストとして披露したことを思い出すこともある。


「でも、他のお店で遊ぶのは良いんじゃないですか? 寧ろ、こういうお仕事してるからこそ、研究の為に他のお店の子を指名するのはありじゃない?」


 それは俺も何となく考えたことはあるが、単純にタイミングの問題かな……。さっきもあずささんに言ったように、今は少なくとも美咲との関係を続けることに俺は必死だ。少なくとも俺自身の中に、何となくの線引きはある。


「今は困ってないから」

「やはりプレイボーイの発言……」

「違うんだよなあ」

「じゃあ、先輩さんがあたしを指名するってのは?」

「何言ってんの」

「先輩さんさえ良ければ、あたしサービスしてあげるけど」

「そうなったら俺もあずささんもクビです」


 片桐さんのもとで仕事している以上、俺が店で遊ぶのは厳禁だ。


「後、さっきも言ったけど俺、カノジョいるから」


 美咲は俺が外で遊んでも文句言わないどころか、推奨すらしそうな雰囲気すらあるが、これは美咲のことが好きな、俺の気持ちの問題だ。しかし美咲の言い分じゃないけど、この断り方、ホントに便利だと思う。


「真面目だなー。そういうところかー」

「何がよ」


 あずささんがつまらなさそうに溜息をついて、座席に体を預けたのがバックミラー越しにも見えた。

 そんな話をするうちに待機所に着いたので、俺はあずささんと一緒に車を降りる。

 待機所の片桐さんと店長に簡単な報告をした後、すぐに別のキャストの送迎に向かった。今度は俺も初めて顔を合わせるキャストだったので、あずささんの時とは違い、オプション内容の確認だけさせてもらい、彼女の様子を確認しながらホテルへ見送る時の「頑張って」と帰って来た時の「お疲れ様」の労いの言葉だけをかけた。この辺り、やること自体はカメラマンの時とそう変わらないのかもしれない、とも思う。他にその日は、ななみさんの送迎もした。ななみさんは今日が初出勤だったそうで、見学店の時と同じように無口だったが、彼女自身が話しかけられることは嫌いではないことは知っているので、返事がないことは気にしないまま、俺が歯医者に行ったらたまたま知り合いが受付をやっていた話だったり、適当に他愛ない話をする。美咲と形だけでも付き合い始めた話をすると、あずささんと同じく「すず先輩じゃないんだ」と驚いたので、俺は複雑な気持ちになった。──茉莉綾さん、俺に対してはともかく、キャストの皆には気持ちが漏れていたのかもしれない。確かにかなこさんの送別会の時もお酒の席とは言え、だいぶ囃し立てられてはいた。茉莉綾さんとは、今も良い友達関係を続けさせてもらっている。つい先日も、リフレの仕事には抵抗はあるようだったけれど、以前言っていたガールズバーの仕事には興味を持っていて「ハルトくん、行ってくれるって約束したよね?」と、俺と茉莉綾さんの二人で茉莉綾さんが気になっているというガールズバーに一緒に飲みに行った。茉莉綾さんが俺のことを好きだと言ってくれたあの日の話は、あれから茉莉綾さんとも、美咲と話すこともしていない。当然、他の人に話すようなこともない。それでも、俺は茉莉綾さんの夢を応援するし、茉莉綾さんも俺と美咲のことを応援してくれている。それはとても幸福で、幸運なことと感じていた。

 他に俺の知っているキャストというと、あさのさんもいた。元々限定的な時間でしか働いていないキャストではあったが、プライベートや他の仕事との折り合いがつかなくなって見学店の方は一ヶ月前くらいに辞めていたのだが、片桐さんとの喫煙者仲間として付き合いが続いていたらしく、片桐さんから直々にオファーを受け、深夜帯であれば可能だと仕事を受けることにしたらしい。


「片桐さんにはそろそろ年齢も厳しいと思うって言ったんだけどね」

「そうですか? あさのさん、全然可愛いと思いますけれど」

「君はすぐそういうことを言うなあ。って言うかホントにドライバーもやってるんだね。驚いた」

「今日が初日ですけれど」

「ふーん、何か稼ぎたい理由でも?」

「稼ぎたい理由は色々ありますけども……」


 俺は美咲と付き合い始めたことと、歯医者の話をあさのさんにもした。あさのさんは美咲とのことを祝福してくれ、彼女自身も今頑張り時なのだという話をしてくれた。


「ウチの子がそろそろ中学生にあがるんだよね」

「お子さんいらっしゃったんですか」


 そこまで深い話は、見学店に在籍していた時ま聞いたことがなかったが、そういう理由があったのなら、見学店での仕事の時間も限定的だったのは頷ける。


「子供の為とは言え、こんな仕事してるって抵抗とか色々考えて辞めちゃったってのもあるんだけど、片桐さんにおまんま食わせられるなら、誰も文句言う筋合いはないんだよ、って言われてね」


 俺は思わず怒声を張る片桐さんを思い浮かべて、小さく吹き出した。


「あの人は言いそう」

「こっちの仕事の方が色々融通も効きそうだったし。あ、煙草吸っても?」

「後で俺が消臭しとくんで大丈夫です」


 片桐さんにも、キャストが車内で煙草を吸えるように灰皿を用意してもらっている。俺はあさのさんにその灰皿を手渡そうとしたが、電子タバコなので大丈夫と言われたので、それは引っ込める。


「それじゃあ」


 あさのさんは俺が灰皿をしまうと、一服を始めた。俺は車窓を開け、そのまま目的の家まで向かう。ちょうど一本吸い終わるくらいの時間で家につき、指名の30分きっかりであさのさんを迎えて待機所まで戻った。

 俺の送迎ドライバー初日最後の送迎は、最初と同じくあずささんになった。帰りは待機所ではなく、あずささんの自宅まで送ることになり、あずささんの案内で自宅まで向かった。


「あ、先輩さん待って!」


 あずささんを車から降ろして、窓越しに手を振って待機所に戻ろうとしたら、あずささんが俺を手で静止した。言われた通り、あずささんが家の中に入っても車を発進させずに待った。すぐにあずささんが手に何かを持って車の近くに戻って来たので、俺は窓を開けた。


「はい。お疲れの先輩さんに」


 俺はあずささんが持っていた紙袋を受け取る。中身を見ると、ケーキのようだった。ブランドはよく知らないが、それなりに高級なものに見える。


「良いの? ありがとう」

「どういたしまして。あたしから先輩さんを癒すのは無理みたいだからねー」


 あずささんはニヤニヤしながらそんなことを言う。


「でも、このくらいの労いは許されるでしょ?」

「そうだね」


 俺は苦笑した。変に気をつかわせてしまったらしい。あずささんも元々、人のことを気にする方ではなかろうに。

 俺は改めてあずささんに感謝を伝えてから、車の中を綺麗にもどしてから待機所の片桐さんに車を返した。初日の片桐さんからの評価は上々で、このまま週に三回、送迎のバイトを継続して続けることになった。電車で家に戻ると、午前四時を過ぎており、太陽こそ出ていないものの、お腹が空いたので早速あずささんからもらったケーキを開封した。中身はバナナチーズケーキらしい。消費期限は今日だったので、食べきれなければ美咲にもあげるかと思い口にする。


「あ、旨い」


 疲れた頭に染み渡る糖分が、体中に伝わる気分がした。俺はそのまま思わず三切れほどケーキを平らげて、そのまま布団の中に入ろうとしたが、何の為のバイトか、と気持ちを奮い立たせ、しっかり歯科医院で教わった通りの歯磨きをしてから、大学に遅れないよう、しっかりアラームをつけて横になった。

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