近所にて、あの日の巡り合い②
「なんと、烏京すずめと……」
美咲の家に着いた俺は、さっきあったことを早速話した。美咲は驚きと羨望の眼差しが混じった目で俺を見る。
「先輩だけズルくありませんかね」
「何が」
「だって、アイドルの元カノがいて、プライベートでもそのメンバーと偶然顔を合わすなんて」
美咲がブツクサとそんな風に文句を言う。そっちの方に嫉妬すんのかよ、お前は。
「美咲には言っといた方が良いと思って言っただけだから、このこと他の誰にも言うなよ」
美咲には、俺が「桔梗エリカと付き合っていた」と茉莉綾さん達に話をした前科がある。普通に考えれば別にわざわざ言うことでもないのだが、一応これも釘を刺しておいた方がいいだろうと考えた。
「それは勿論」
「絶対だからな? それはそれとして治療費だな」
「結構高いんですか?」
美咲の問いに、俺は「ああ」と頷いた。
「割と痛い出費」
「二人での外食や飲酒なんかは控えた方が良さそうですね」
「悪いな」
「いえ、ないならないで問題ありませんし」
もしかしたら、美咲と部室外でもよく遊ぶようになってから外食や間食が以前より増えたことも虫歯の原因の一つかもしれない。弁当や自炊をすることも減ったし、生活リズムを整えるのにちょうど良い機会だったとでも割り切るか。
「今日、見学店でのバイトだし片桐さんにスタッフの仕事とか増やせないか聞いてみるか」
「なるほど。最近はそちらの方の仕事はどうなのですか?」
「特に変わらず。片桐さんから頼まれて、今はかなりスタッフの仕事も増えたけどな」
実際、お店の中のことやキャストのことも分かっている点でも片桐さんとしても店長としても助かるとお礼を言われる機会も増え、悪い気はしない。
「茉莉綾さんとみわさん以外に誰か良い人がいたりは?」
「お前はまたそんなこと言って」
「冗談です」
美咲はそう言って悪戯っぽい笑顔を見せる。
「とは言え何度も言うようですが」
「わかってるよ。その話はしないって決めたろ」
美咲としては、俺に美咲以外の好きな人ができて付き合いたいと思うようになれば、そちらに行っても構わない。その考え方は揺るがないそうだ。そんなことが未来永劫、絶対ないとは俺も言い切る予定はないが、俺としては今の美咲との仲を解消してまで、他の誰かと付き合う乃至、男女の仲と言えるような関係になる気は今のところ毛頭ない。
美咲の家で二人とも観たかったドラマの最新話を観ているうちに見学店のバイトの時間になり、俺は美咲の家から直接バイトに向かった。いつものように仕事に入る前に、俺は休憩室で煙草を吹かす片桐さんを見つけて話しかけた。
「片桐さん、何か俺に任せられる仕事ってあったりします?」
俺がそう聞くと、片桐さんは吸い始めたばかりの煙草の火を消して、嬉しそうな笑みを顔に浮かべた。
「なんだい。遂に店長やる気になったかい?」
「いや、そこまでは……」
俺は片桐さんに、今歯医者に行ってるので金が入用であることをそのまま正直に告げた。俺の話を聞いて、片桐さんは納得したように頷くとまた煙草に火をつけた。
「なるほどね。そうだ。そういや結城、免許取ったんだったね」
「ああ、はい」
片桐さんには確か免許を取得した頃に、閉店間際、茉莉綾さんやみわさんもいる中で、その話をした筈だった。
「おかげさまで、あたしが新しくリフレも立ち上げたことも知ってるね?」
「聞きました。ここのキャストからも何人か兼籍、移籍するとも」
俺の言葉に、片桐さんは煙草を吹かしながら頷く。片桐さんが新しく立ち上げたのは派遣型のリフレ店だ。先日、そちらの方でも仕事をしたいキャストを募る研修会を行うと言う話を片桐さんが店長としており、その時も各キャストにそのことを周知させたり、参加を促すような手伝いを俺もした。リフレはヘルスとは違い、性的なサービスはNGだ。キャストが客に施すマッサージを基本として、耳かきや添い寝、コスプレなどのオプションをつける。客としては女の子との触れ合いを目的とする為、マッサージの技能などは必要ではないが、客によってはそちらが上手ければリピート率が高いということもあり得る、などといったことを、その研修会の内容をキャストの皆に伝える時に、俺も店長から教わった。
「そこの女の子達の送迎を頼むよ」
「なるほど」
以前に、見学店だけでなくヘルスの方のキャストの撮影も頼めないかという話を聞かれた時も、もし免許があるなら送迎でも俺になんでも任せたい仕事はたくさんある、と片桐さんが言っていたことを思い出した。
「午後八時から始めて、次の朝三時くらいまで。仕事としては待機所に詰めてる女の子をホテルまで送って車で待機、時間になったら女の子を待機所に戻すか、家まで送る。時間になっても帰ってこなければ、こっちから連絡を入れて終わりだと促すのも仕事のうちかね」
「あの、俺、免許はあるんですが、車は持ってなくて」
「それは心配しなくていい。ヘルスの方で使ってる社用車があるからね」
そういうことなら、できなくはなさそうだ。大学も後期カリキュラムになってから、午前中には講義がない日や、朝から夕方の講義までの間があくことも増えた。時間的にもうまく調整すれば、塾のバイトとも被らないようにできる。
「あんたも知ってるように、こっちの店舗から移る子らもいる。見学店は大丈夫でも、実際に男に触れる仕事には慣れてない子らも、あんたが送迎するって聞いたら安心する子も多いだろ」
「車での送迎だけですか?」
俺が質問すると、片桐さんは煙草を深く吸いながら、少し考え込んだ。
「店としてやることは、性的なことを抜きにするとこっちの店と似てるんだよね」
「というと?」
「こっちでのコスプレ衣装をそのまま流用する気だから、客の要望するオプションによっては、その準備なんかも必要だ。それも頼めるなら助かる。勿論、その分も給与は上乗せするよ」
「なるほど。実際にやってみたいことにはわかりませんが」
「確かにそうだね。とりあえず最初は送迎だけ頼むよ」
俺は改めてよく考えてみた。片桐さんの言う通り、見学店から移籍したキャストが相手であれば正直な話、俺としてもやりやすい。
「わかりました。やります」
「よし!」
片桐さんは吸い終わった煙草の火を勢い良く灰皿に捻り押して消すと、俺の方に近付いて背中を強く叩いた。
「助かるよ。実のところ、この事業始めることにしたのは美咲や茉莉綾を見ててでさ」
「そうなんですか?」
「ああ、そうか」
片桐さんはそう言って、鼻から大きく息を吐いた。
「美咲にも茉莉綾にも、ヘルスの方にも在籍しないか聞いた時に断られてるからね。他の女の子に同じように頼むにも、その間になるような仕事があれば頼みやすいな、と思ってたんだよ」
なるほど。美咲に関しては俺が何となく嫌だと止めたから、茉莉綾さんは男性に直接触れることに抵抗がある為に片桐さんの申し出を断ったわけだが、似たような理由で見学店は良くてもヘルスの方は躊躇うというような話は当然、俺も他のキャストから聞いたことはある。
「実際、リフレの仕事内容であれば大丈夫、って言ってくれた子も少なくなかったしね。それに、こっちの仕事が終わってからそのままやってくれるって子もいるし、あたしとしてもそっちの方が助かるってわけさ」
「流石によく考えてますね」
「当たり前だろ? あたしを何だと思ってる」
片桐さんは俺の言葉を聞いて、誇らしげに胸を張った。新店舗を立ち上げるとなった時に、しっかり研修会を予定してキャストに理解してもらってから移籍を決めるというのも片桐さんらしい、と思っている。この辺り、ろくに説明もせずになし崩しにキャストを確保した方が店としては仕事がしやすいし、あまり仕事内容を理解することもないままに店舗のキャストになってしまう人も少なくないと聞いた。そういうことを少しでも減らしたい、というのが片桐さんの理念だし、それはこうして新店舗を立ち上げることになっても、変わらないところのようだ。
「いつからですか?」
「急だが、明日からってのは可能かい?」
俺はスマホでスケジュールを確認した。明日はちょうど大学の講義も午前は入っていない。三時まで送迎の仕事、それから大学に行く前に家で寝るか、大学に行ってから仮眠をすることもできる。とにかく、やってみないことにはわからないか。
「大丈夫です。よろしくお願いします」
「ああ、あたしの方こそ女の子達の世話、よろしく頼むよ」
俺は片桐さんからその日のうちに書類を渡され、正式にバイトの雇用を受けて、仕事内容を改めて確認することになった。美咲にも、片桐さんに新しい仕事をもらえたことを伝えると「流石です」と久々に鼻高々な様子だったのが少し面白かった。
その日の撮影を終えた俺は家に帰り、すぐに寝ることにした。明日、夜中も含めて長く動くのであれば、今のうちに充分寝ておいた方が多少はマシだろうと考えたが、どうだろう。結局、布団に入ってから眠りに入るまでに一時間以上はかかってしまった為、普段とあまり睡眠時間は変わらなかったが、横になっていただけでも疲労の回復度が違ったからか、気持ちいつもよりは気分が楽なように感じた。その日の大学の講義を終え、俺はすぐにリフレ店の待機所に向かった。待機所では片桐さんが待っており、そこで改めて店として用意しているオプションの説明を受け、各オプションの金額や内容をまとめた紙を渡された。出来るだけ早いうちに覚えて、金のやり取りも任せられるようになると助かる、と片桐さんは不敵に笑った。この人、キャストと違って俺に対してはなし崩し的に色々と仕事任せる気だろ。給料は払ってもらえるし、俺を信用しているからこその対応なのはわかっているが、少しだけたじろいでしまう。
「ホントに先輩さんだ!? よろしくー!」
「うん。よろしく」
俺が最初に送迎をすることになったのは、しょうこさんの送別会の時にも一緒にいた、あずささんだった。あずささんは俺を見て、わかりやすく安心した顔を見せたが、俺も見知った相手であることには安心する。店側が受けたオプション内容を俺もあずささんも確認して、片桐さんの用意してくれた社用車に二人乗り込む。一応のルールとして、キャストであるあずささんは後部座席に座る。
「あずささんは指名、何回目?」
送迎の仕事では、キャストとの会話は特にする必要はないとも聞いていたが、見学店の時と同様に、話自体の禁止はされなかった。寧ろ片桐さんは、あんたに送迎してもらうメリットはキャストの安心の為でもあるんだから、積極的に話して緊張をほぐしてもらえるなら助かるとも言っていたくらいである。
「四日目。これまでの送迎の人、ホントに事務的というか、行きと帰りくらいしか口を開かないし怖かったから、先輩さんが送迎っていうのホント助かる」
「こっちこそ、そう言ってくれると光栄だ」
あずささんを送る先は待機所から車で五分程の場所だったので、そのくらいの話しかできなかったが、ホテルに着くまでにこちらからも改めてオプション内容を確認する時間を取り、あずささんは適度な安心と緊張を持ってホテルの中に入っていった。俺は近くの駐車場に車を止めると、運転席のシートを後ろに倒した。あずささんの指名は一時間なので、このままここで待機。終わる時間頃になれば俺の方からあずささんにメッセージを送り、無事に仕事の終わったあずささんを拾ったら待機所に送り直す。待機の時間は自由にしていいらしいので、時間さえ気をつければこの時間を仮眠に使うことも可能だ。けれど特に今は眠気もなく、俺はスマホを取り出すと、みわさんからの脚本の仕事の方も続けることにした。
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