とある宵闇、ある日の情交③

 射精をした後、俺は大きく溜息をついた。コンドームをすぐに外してゴミ箱まで持って行った後、下着を拾う。


「先、トイレ行くわ」


 俺は美咲にそう言って、催した分を排出して性器のベタつきも全部拭き取った後、下着を履いてトイレから出る。布団に戻ると、美咲はまだ全裸のまま、大の字で仰向けになっていた。


「おいこら」


 美咲は俺に気付くと、首だけ俺の方を向く。


「先輩先輩、ひとつ気付いたのですが」

「何?」

「人の目線気にせずに裸になるの、気持ち良いです。家ではたまに裸で寝たりはしていたのですが」


 美咲、まさかの裸族だったか。知らん、その情報は。


「これから先輩のうちに泊まりに来た時も裸になって良いですかね?」


 こいつは何を言っているのか。


「アホか。ダメだろ。服着ろよ」


 俺は布団の上に散らばる美咲の服を一枚一枚拾い上げて、美咲の体の上に落とした。俺も自分の服を拾って、下着以外のものも一度着ていく。


「先輩には余韻とかないんですか」

「あっても良いが……」

「私の超絶テクにより、先輩をイカせることができることが証明されましたし」

「いやまあ、気持ちよかったよ」


 認めたくはないのだが、やはり美咲に教えた奴の教え方も良かったのだろうか。


「先輩の方はあれですね」

「あれ?」

「怒らないでくださいね」

「何となく想像はつくから怒らない」

「やはり金元さんは上手だったんだな、と」


 あーあー、あー! 聞こえないー!


「でも、下手くそというわけではなかったですね。特段、小さくもなかったですし」

「そうかよ」

「先輩が童貞のままであれば、もしかしたらもっとがっついていたのかもわかりませんが」

「まあ、その辺りは俺も多少は勉強したし……」


 口には出さないが、ミサキが奉仕されたいタイプだったから、どうすれば気持ちよく感じてくれるのか、そういうのは結構調べた。美咲はキスはあまり好きじゃないみたいだったし、俺のこれまでの相手が一人しかない経験では何もわからなかった。それは美咲も一緒だろうが。


「でも、最後までしたわけじゃないし」

「先輩が止めたんじゃないですか」

「だって明らかにノリ気じゃなかったもん、お前」


 俺のことを見ないように目を瞑って、しかも声もできる限り出さないようにさせて。


「あれは何? 相手が俺だって思いたくないからってこと?」

「そうなんですけど、そうじゃなくて」


 美咲は「うーん」と眉間に皺を寄せた。その間も美咲は全裸で腹の上に服の山を乗せて仰向けになったままだ。


「とりあえず服を着ろ」

「……はい」


 美咲は、渋々といった風に下着を身につけ、パジャマを着た。


「身体的に刺激されたら、マッサージされてるような感覚はあるので、自分でやる分には自分の感じるところを探せるんですよ」

「はーん、なるほど?」

「でも、それを先輩にやってもらうとやっぱり自分でやるのとは違って。ただ、痛みとか嫌な感覚はなかったので」

「そっか」

「何よりも」


 美咲は布団の上で脚を組んで座ると、俺を見てニヤリと意地悪そうな笑みを浮かべた。


「興奮で変になった先輩の醜態を見られる、というのは悪くなかったです」

「……こんにゃろう」


 俺は美咲の横で布団を被った。


「あ、ズルい」


 俺に続いて美咲も布団の中に入り、一緒に横になる。美咲の顔は何故だかいつもより楽しそうだ。


「私はあれで良かったですよ」

「何が?」

「確かに、私は先輩相手でもセックスそのものには興味なかったみたいです。でも、先輩の反応を見たり、逆に先輩からのタッチで自分の反応を確かめたりできたのは、良かったです」

「なるほど?」


 美咲自身、性的なことそのものに対する拒否感はないというのは、見学店でのキャストに自分から志願したり、金元と交換条件としてセックスしたのを見ても嫌と言うほどに分かっている。

 ──ただ、美咲としてはどちらも性的なものへの対価は、自分も性的な快楽を得ていることではない。それは見学店に勤務することでもらえる給与であったり、金元から得た男を悦ばせる方法という情報だったりする。美咲自身は、セックスそのものにさしたる価値を持っていないが、それと交換になる何かがあれば、躊躇いは少ないということ。嫌なことでも報酬があればできる。考えれば、当たり前のことだ。


「めんどくさっ!」

「え? 何かしました、私!?」


 頭の中でまとめた思考の結果、思わずまた美咲への感情が溢れてしまい、俺は「ふっ」と失笑した。


「いや、何でもない。美咲が良かったんなら良いや」

「はい」

「……またやりたくなったら言うから、そん時は代わりに俺が美咲の好きなことに付き合ってやる」


 美咲はそこで、目を見開く。それから安心しきった笑顔で大きく頷いた。さっきまで裸でセックスに励もうとしていた二人だが、こうしてまた何事もなかったかのように服を着直して、同じ布団に入っているというのが、何も変なところはないのに、どこか滑稽なもののように感じられて、俺はまた笑みを溢した。

 夜の静寂が部屋を支配した。耳を澄ませば、スマホを充電している電気器具の音や、腕時計の秒針が鳴る音が聞こえる。隣にいる美咲の吐息もだ。


「先輩、昔話をしても構わないでしょうか」


 そんな静寂を美咲が破る。美咲がもぞもぞと布団の中で動き、俺の方に向き直ったので、俺も美咲に向き合った。


「昔話?」

「はい」


 俺が聞くと、美咲は視線を俺の顔よりも下に下ろす。


「私が、不登校だったことは知ってますよね」

「自分で言ってたろ」


 俺としては、少し気恥ずかしい話だけれど、元々不登校だった美咲は、たまたまWebで見かけた俺の小説を読み、それに元気付けられて不登校を脱した、と聞いた。もちろん、俺の小説だけが理由じゃないんだろう。けれど、美咲が元気になった色々な理由の中の一つにでも俺の作品が介在していると言うのなら、こんなに嬉しいこともない。


「私、高校生の時、私に告白してきたクラスの子とお付き合いすることになったんです」

「……」


 初耳の話だ。俺はただ、黙って美咲が先の言葉を紡ぐのを待った。美咲はぎゅっと自分にかかっている布団を手で掴む。


「私としては、告白されたなんてそんなこと初めてでしたから、どうしていいかわからず最初はただびっくりして」


 美咲は顔を下に向けたまま、俺の顔を見上げるようにする。俺は、自分が部室で美咲に告白した日のことを思い出していた。あの日、俺の告白をバッサリと切ったのには、その時の経験があったからか。


「最初は断ろうかとも思いましたが、押しの強さに負け、良いよって言ってしまったんですよね。彼はすごく喜んでくれました」


 その経験そのものは、美咲としても特に嫌なものでもないのか、少しだけ口元に笑みが浮かんだ。


「私も、その人のことは嫌いじゃなかった。いえ、かなり仲良くしていたと思っていましたし、お付き合いしてから近所の喫茶店に行ったり、連休に奮発して遊園地に行ってみたり、高校生らしく楽しみました。ああ、なるほど、人と付き合うって初めてだけど、こうしてみるのも良いものだなあ、ってその時は思ったりして」


 俺にとってのミサキのようなもの、だったんだろうか。俺とミサキは当時、交際していたわけではないけれど、そんなことは関係なく、高校生の頃、あいつといる時間は好きかどうかを確認するまでもなく、楽しい一時だったと断言できる。


「ただ、いつでしたかね。それが外出中のことだったか、その人の部屋でだったか、もう忘れてしまいましたが」


 美咲はまた、ゆっくりと俯くように視線を落とす。


「その人は、私にキスを迫りました。乱暴というわけでもなかったです。あくまで優しく、そろそろ良いかななんて言って、私に顔を近付けました。その時、私はその人から遠ざかって」

「嫌だった?」


 美咲は眉間に皺を寄せ、複雑な表情になる。


「嫌、というわけでもなかったように思います。その人と、そんなことになる想像をしてなかったんです。でも、後からよくよく考えると付き合うってそういうことですもんね。恋人ってそういうことですもんね」


 ──美咲がどうして、恋人関係を頑なに拒んだのか、セフレなら良いなんて倒錯したことを言ったのか、ようやく分かった。俺の告白に応えて、また同じようなことになるのを、美咲は避けたんだ。


「それからも、ことある度に私の手を握ろうとしたり、私のことを後ろから抱きしめようとしたり。……でもでも、別にその人が嫌ってわけじゃなかったんですよ?」

「わかってる」


 美咲は俺の相槌を聞いて、自分の唇を噛んだ。


「それからも何度か似たようなことがあって。私はそれを軽く流したり……たまには受け入れたりしながら、お付き合いを続けました。でも、それが続いたある日のこと、でした」


 美咲の目が、少し潤んだ。俺はそれを見て、美咲を抱きしめようと思ったが、今の話を聞いて躊躇う自分に気付く。そして美咲は、そんな俺のことなど気にせずに話を続ける。


「クラスの他の子に、言われました。どうして相手してあげないの、って。お付き合いしていた人が、他の子に相談してたみたいです。良くなかったのは、私に告白してきた人がクラスの中でも好かれていた、ということで」


 美咲は鼻を啜るようにして、息を吸い込む。


「一人言ったら、他のもう一人も言い出して。いつの間にか、クラスの中で私は、クラスの人気者の男子にちょっかいをかけて、騙して遊んでいる女子ということになっていました」

「……辛いな」


 美咲の言葉に返す言葉を、俺は必死で探した。それから、俺は布団を掴む彼女の手を、その上から重ねた。それに対して美咲は全く自然に、ギュッと俺の手を握り返す。


「お付き合いしていた子も、そんなことになるとは思っていなかったようで、後で謝りに来ましたが、もう遅くて。こんな子に謝る必要なんかないよ、と。私が悪いんだからと。……皆の軽蔑の眼差しが嫌になり、私はその日から学校に行くのをやめました」

「そっか……そういうことなんだ」

「そのまま、彼とも縁は切れました。大学入学が決まった時、メールだけ送ってくれたので、どういたしましてと、それだけ返しましたけど。けど──」


 俺は迷うことをやめて、美咲の背中に腕を回した。美咲の背中をゆっくりと摩って、彼女の顔を見る。辛いことを吐露する時、何か慰めてほしいけれど自分にも罪悪感を覚える、そんな気持ちを俺も知ってる。そんな時、側にいてくれる誰かが特別な相手である必要もないんだ。俺がミサキとの別れに自分勝手に苦しんでいた時も、かなこさん──静音さんが俺に何も言わないでいてくれたように。


「だから私は先輩が私のことを好きだって気付いた時に、思いました。先輩ともし付き合ったら、ちゃんと先輩の為に何かしてあげられる人じゃないと駄目だと。同じようなことを、繰り返したくなくて」

「アホか。それは、美咲も──運がなかったんだと思うよ。けど、そんなもん──あーもう!」


 美咲とのセックスを受け入れるか迷った時、ごちゃごちゃと言っていた自分を馬鹿馬鹿しく思った。理屈なんざ、どうでもいいだろうが。


「俺はここにいるんだよ」

「はい」

「俺は美咲とこうして隣にいられるのを、幸せだって思う」


 俺は美咲の顔を見つめる。美咲もまた、俺の顔を見つめ返す。美咲が俺に好意を返してくれないとか、そんなことはどうでも良いとずっと言ってきた。そのことに、やっぱり嘘はない。


「……聞いてくれてありがとうございます」


 美咲は背中にある俺の腕を下ろして、体を捻り、仰向けになる。俺もそれに続けて同じように天井を見上げた。


「ちょっとだけ、すっきりしました」

「なら良かったよ」

「先輩、次のお休みどうします?」

「お休み? ああ、週末かあ」


 俺はさっきの美咲の話を思い出していた。そう言えば、遊園地って二人で行ったことないな。いや、別に二人出なくたって良い。茉莉綾さんや古宮さん、文芸サークルの誰かや、他の皆を呼んだって。


「今の話聞いて遊園地、行きたくなった」

「い、いきなりは混むのでは?」

「そうかもだけど、誰か誘って一緒に行けば待ち時間も気にならなくない? プールの時もそうだったし」


 美咲は「んー」と考え込むようにして唸る。それから口から笑みを溢して「はい」と応えた。


「良いですね。でも、誰も来なかったら?」

「その時は二人でも、何にも問題ないだろ」

「確かに。問題ないですね」


 俺は布団から手を伸ばして、スマホを触った。古宮さんはまた塾の同僚とも飲むみたいだったし、それが終わったらまだ卒論も忙しいだろうし、今日は茉莉綾さん来れなかったんだから次の休みは付き合ってくれるかもしれない。俺と美咲は悩みながらも、連絡する相手を決め、次の週末の予定を立て始めた。

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