とある宵闇、ある日の情交②
「先輩、後ろ向いてください」
「後ろ?」
俺は美咲にいわれるがまま、美咲に背中を向けた。すると、美咲は俺の背中に覆い被さるように抱き付く。それだけで俺はドキリとして、勃起する。
「私も──勉強はしたので。先輩の為に」
美咲は俺の耳に、ふーっと優しく息を入れる。ぞくぞくとした感覚が、頭の先から爪先まで達した。俺の背中に美咲の生身の胸が触れたそのまま、美咲の両手の指が俺の胸の辺りを触った。少しずつ、肌を指が這うようにして動き、それだけでも快感を覚える。
「ゆっくり、ゆっくりで良いのだそうで」
美咲はそう言って、指先で俺の胸をさわさわと撫でる。快感と興奮が下半身にまで伝わるのを感じ、俺は思わず肩を震わせた。それを感じてか、俺の背後で美咲がくすりと笑う。
「どうですか、先輩?」
「うん、良い」
俺は美咲の問いに虚ろに返答する。暫くの間、美咲は俺の耳元に息を吹きかけたり「うりうり」と小声で囁きながら、胸を触った。まだ脱いでいなくても、自分の下着からツンとした匂いが届くのが自分でも分かった。あいつの名前を考えたくはないけれど、これが美咲にあいつが教えたものなのだと思うと、かなり複雑なものを感じて、少しだけ興奮が引いていく。
「そろそろこっちもいきます」
けれど、それとほぼ同時に美咲が俺のズボンと下着をずり下ろした。上半身のみならず、下半身まで生身の肌が露わになる。美咲は俺の下着まで丁寧に脚から抜いて、俺を素っ裸にした。
「ん」
美咲は俺の背後で立ち上がる。布ずれの音が聞こえたかと思うと、はらりと俺の頭に何かが落ちる。俺はそれをむんずと掴んだ。
「お前さあ」
「久々の、美咲ちゃんからのプレゼントです」
俺は頭の上に乗っていた美咲のショーツを布団の上に落とした。俺に内緒で見学店に入店していた美咲が、マジックミラー越しに俺に下着を落としたのが遥か昔のことのように思える。
俺は座ったまま後ろを振り向いた。俺と同じように、全てを脱ぎ去り、産まれたままの姿になった美咲がそこに立っている。
「先輩はまだそうしててください」
美咲は俺にそう言うと、さっきと同じように俺を背後から抱き締めた。それから、美咲は俺の脚の上に自分の脚を置くように脚を絡める。臀部の辺りに、美咲の陰毛と湿った股間の感覚が伝わるような気がしたが、実際にどうなっているのかは当然俺からは見えない。その間も俺の股の間にあるものはピクピクと動き続けている。
先ほどの続きとでも言うように、今度は俺の肩の辺りから腕を経由して俺の脇の下から手を通して、また胸の辺りを触る。俺は大きく息を吐いた。それを見計らったように、美咲の手が俺の股間に伸びる。美咲は俺の鼠径部を手のひらで触った。美咲の肌の感触が、性器に近いところで感じられたことに、俺の心臓はどきどきと速く脈打つ。
「先輩、こっち向いてもらっても?」
「ああ」
美咲に言われた通り、俺は体を捻って美咲を見た。お互いに素っ裸であることを改めて思い知らされて、顔から上に熱がこもっていくのを感じる。
「先輩も触って良いですよ。できれば、さっき私がしたみたいにお願いします」
「……わかった」
俺はさっき美咲がしたように、首筋辺りに指を這わせる。できるだけ強く圧迫しないように、それでいて点での触れ合いにならないように、ゆっくりゆっくりと美咲の身体を触る。美咲はその間も、特に何もリアクションを返さず、腕をだらんとおろし、ただじっと目を瞑り続けていた。
「美咲」
「あんまり、先輩は話しかけないで欲しいです」
「あ、ああ……」
少しだけ圧を感じた美咲の言葉に、俺は言われるがままに口をつぐんだ。少しずつ指の腹で美咲の体を這わせていき、そのまま流れるように美咲の胸を優しく包んだ。その時だけ、美咲はぴくりと瞼の辺りを震わせたのがわかった。俺は美咲の胸を揉んだりはせず、さっき美咲が俺にしたように優しく触る。それをしばらく続けていると、美咲がゆっくりと目を開いた
「先輩、そのまま」
美咲は俺の肩に手を置いた。そのまま倒れ込むように俺の肩に顎を重ねる。美咲の重みに俺は布団に上にとすんと倒れた。美咲の手がまた俺の股間に伸びた。今度は鼠径部から這うように俺の股の間にあるそれを、美咲が握った。ビクビクと動く俺の体の一部を押さえつけるようにして、美咲は腕を上下に動かした。それから美咲は、反対側の腕で俺の腕を掴む。そして自身の股間に手を近付けたので、俺も自分から美咲の股間に手を伸ばした。美咲の体の湿った感触が俺の指先に伝わる。このまま問題なく続きを行えそうだというところで、俺は「待った」と美咲に声をかけた。俺は急いで棚にしまっていたコンドームを取り出して、自分に装着した。美咲はその様子をただじっと見つめている。
「良いのか?」
「はい」
俺と美咲は、またお互いの体を愛撫しながら、さっきと同じ体勢になった。美咲の体と、俺の体が大きく近づく。勃起した俺の股間と、濡れた美咲の股間にただ注目していた俺はふと、美咲の顔を見た。見てしまった。
美咲はまた、目をギュッと瞑っている。俺を意地悪に誘った言葉とは裏腹に、美咲の目は俺を映していない。ただ、瞼の裏にある暗闇だけを見ている。
──俺はそれを見て、色々なことを思い出した。あの日、美咲が金元とセックスをしたと俺に報告した日のこと。美咲が俺を誘うような情欲的な仕草で、店の中で、そしてこの部屋の中で動いたこと。俺が美咲に告白した時、美咲は俺をフりながらもセフレなら良いと言ったこと。俺と茉莉綾さんをラブホに連れ込んで、三人でヤってしまおうなんて迫ったこと。そんなことをしながらも、肩を震えせていた美咲の姿。同じ布団で横になりながら、安らかな顔で俺を見ていた美咲の顔と、今の美咲の顔を頭の中で比べる。周りの目がめんどくさいなら、形だけでも付き合おうと妥協することを覚えた美咲の面倒臭そうな表情。けれど、それで本当に良かったのか? 付き合うということ、恋人になるということ、それを頑なにまで拒んでいた美咲は、何の為にそうしていたのか。そういえば、こいつ旅行中に一度も金元と話してなかったな、なんてことも思い出す。
そして改めて、俺は美咲の顔を見る。美咲は尚も、目を瞑っている。
「なあ、美咲」
「はい。先輩、いきますよ」
美咲はそう言って、俺の股間を握りながら、腰を俺の腰に重ねるよう落とそうとする。
──俺はそれを、美咲の肩を掴んで、止めた。
「──先輩?」
「なあ美咲、今日はここまでにしないか?」
俺の言葉に、美咲は目を開く。
「何でですか?」
美咲は悲しそうな顔で俺を見る。涙こそ浮かんでいないけれど、その悲壮感のある表情の向こう側、美咲の気持ちを俺は必死で考えた。
「大丈夫ですって。言ったじゃないですか。私、ちゃんと感じるんですよ。自分の乳首でもクリトリスでも、ちゃんと。だから、大丈夫なんですよ」
「大丈夫って、何が」
「私、先輩とセックス、できます。先輩は、他の人とするのは、嫌みたいだから、そしたらやっぱり、私がしないといけなくて」
俺は美咲を前にして、震えながら俺と茉莉綾さんに美咲が迫った時、茉莉綾さんが美咲に言ったことを考えていた。
──美咲ちゃん、もしかして昔なんかそれで嫌な思いでもした?
あの時、美咲は茉莉綾さんのその問いには答えなかったけれど。
「いや、ここまでしといて確かにあれなんだけど」
──相手焚き付けといていきなり顔を背けるとか、他の子には絶対しちゃ駄目だからね。
今度俺が思い出したのは、古宮さんがラブホで怒りながら口にした言葉だった。裸で男女、向き合っているというのに、他の人のことばかり思い出しているというのも考えものだな、と俺は心の中で自嘲した。確かに、焚き付けたなら焚き付けた側の責任というものがある。途中で終わらせることなんて以ての外だと、古宮さんは言うだろう。けれど美咲はやっぱり、焚き付けられてさえいない。
「お前さ、何度言ったらわかんの?」
俺は溜息を飲み込んで、美咲の目を見つめた。
「俺は美咲に、俺と同じように気持ちを返して欲しいなんて、思ってないんだって」
美咲が少しでも望むなら、それで良いと思った。今日だって、意地悪なことを口にして俺を誘って来たのは美咲の方だ。俺がこのままセックスを続けたところで、誰も悪くない。
けれど、それではずっとこのままだ。
美咲が自分の気持ちに蓋をして、俺のことばかり考えて。ああそうだな、金元。確かにこいつは俺のことしか見ていない。自分のことさえ、見ていない。
「茉莉綾さんだって言ってたろ。恋人だからって、付き合ってるからって、絶対にセックスしなきゃいけないわけじゃないんだから」
「でもでも。先輩はセックスがしたいし」
「美咲にそんな顔させてまでしたくねえ。鏡見ろ」
俺はそう言って、美咲から目を離して、天井を見た。心臓の鼓動はまだ強く脈打っている。性欲がズンズンと湧いてきていることに、間違いはない。けれど、だからって美咲とこのまま続けたいとも思わない。そうしていると何となく、俺のことを好きじゃないと言う美咲の気持ちも分かる気がした。自分の中に性欲が湧いてくることと、そのせいで勃起したものを鎮めたくなることと、その手段としてそれを誰かに挿入したくなることと、その行為を通じてその人と心を通わせたいと思うことと。どれもが地続きではあるけれど、それは必ずしも同じ枠の中に入れる必要はない。多分、そうした欲望がどれだけ繋がっているかなんて、それこそ人それぞれだ。
「美咲は、俺と一緒の布団で横になること自体は嫌じゃないと思ってんだよ」
「嫌じゃないです。むしろ、安心しますし……」
「けど美咲、その時の顔と今の顔、全然違うからな?」
嫌だ、というのとも違うのだろう。さっき最初はあまり興味のなさそうなゲームをやっているうちに興味を持って楽しんでいたように、美咲が愛撫で快感を感じるということも嘘ではないのだろうし。ただ、これからも俺に付き合い続けようと言うなら、俺も言いたいことがある。
「何でセックスのことだけ、無理矢理俺に合わせようとするんだよ。良いんだよ、それは。良いんだよ、激辛カレー食べてる奴に合わせて一緒に激辛カレー食べなくても」
「激辛カレー?」
美咲は首を傾げた。しまった。あまりにそのたとえで慣れていたから、そのまま伝えてしまった。
「とにかく!」
俺は無理矢理、話を切り上げた。
「俺は美咲とセックスなしでも、美咲から離れようとか、思わないから」
「先輩……」
美咲の目がまた潤む。かと思うと、深呼吸をして目を瞑ってから、美咲は目を開いた。その顔には彼女らしい笑みが浮かんでいて、服を脱ぐ前に俺を誘った意地悪なものに戻っている。
「ヘタレの先輩の癖に生意気です」
美咲はそう言って、コンドームがついたままの俺の股間に手を伸ばした。
「あ」
あまりに急だったので、俺は美咲の動きを止められない。俺は美咲に手を伸ばしたが、その手を美咲はパシッと振り払う。美咲の手が俺をものを握って、爪と指を使って触る。そのまま美咲は目を瞑って俺の股間に口を近づけた。美咲の舌が、コンドーム越しに俺の股間を刺激する。長い時間、愛撫をされてまだ鎮まりきっていない股間にいきなりこうも続けて強い刺激を加えられたことに俺の脳味噌と体は耐えられなかったらしい。
俺はコンドームをつけたまま、美咲に偉そうなことを言ったにも関わらず、間抜けにも程がある形で、射精した。
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