とある宵闇、ある日の情交①
「祝! 院試合格!」
サークルでの温泉旅行から一週間程が経ったある日のこと。塾近くの馴染みの店で、俺と古宮さん、美咲の三人で祝杯をあげていた。古宮さんの院試の合格発表が出たらしく、これまでバイトを週一で抑えていた古宮さんが、この数ヶ月は来ない曜日に塾に来たので何事かと思ったら、塾の同僚に合格発表の報告をしに足を運んでいたのだった。古宮さんは早速、他の先生達と飲みの席を後日に取り付けた後、俺をいつもの店に誘ったので、俺も美咲にそのことを連絡し、美咲もついてきた形だ。茉莉綾さんも誘ってみたが都合がつかず、古宮さんにはメッセージでお祝いの言葉とクーポンギフトが送られて来たらしい。
「古宮さん、お疲れ様です。って言っても、まだ一安心ではないですか」
俺の言葉に「そうだねー」と古宮さんは首を小刻みに頷かせた。
「卒論あるからね。まー実際、院試勉強自体はそこまで力入れてたわけじゃなく、余裕だったから」
余裕だったんだ。古宮さんらしいと言えばそうか。
「でも一個肩の荷が降りたのは確かだからねー」
「古宮先輩はこのまま研究の道に?」
「人文科学の道に興味もあるけど、とりあえず臨床心理士の資格取りたいんだよね。国の指定した大学院の学位、修士取らないと資格試験受けらんないから」
院試の勉強をすると聞いた時も驚いた記憶してがあるが、この人結構しっかり大学の勉強やってたんだな、というのがまず驚きだ。
「わたしもそうだけど、二人もお付き合いすることになったんでしょ? おめでとう!」
古宮さんは一人で拍手をして、パチパチと手を鳴らした。それに対し、俺と美咲はお互いに顔を見合わせる。
「おめでとう、という感じでもないような」
「私と先輩の仲を詮索されるのが面倒くさい故の妥協みたいなもんですしね」
そんな風に首を傾げる俺と美咲の態度に、古宮さんは酒をあおり、溜息をついた。
「いいの、そういうのは! 世のカップルがみんなラブラブだと思ったら大間違いだから。みんなそれぞれ妥協の産物。だから、君らの選択自体におめでとうは言っていいの」
古宮さんは日本酒の酒瓶を持ち上げて、俺に示す。俺はそれを見て、お猪口を持ち上げた。
「そういうもんですかね」
古宮さんに酒を注がれながら、そうは言っても内心、自分自身にも他人にそのことを言及されると、多少の喜びを覚えることには気付いていた。あまり大きな声でそれを言うのも、美咲に悪いと思って態度に出していないだけである。なお、美咲は近くの駐車場に車を止めているので、この場ではお酒を飲んでいない。俺を家まで送ってくれるそうなので、代わりに帰りに俺の家に寄り、酒を奢ることでカタがついた。その話を古宮さんにもすると「二人の仲が良好でわたしは嬉しいよ」とホッと安堵の溜息をつかれた。
「もしかしたら皆に言われて聞き飽きてるかもしれないけど、二人の関係は二人のものなんだから、大切にしなよね。その分、わたしもちょこちょこ勝手にアドバイスはさせてもらうから」
「助かります」
古宮さんの言葉に、美咲がそう答えると、古宮さんは少しだけ困った顔で笑った。思ってたより素直な答えが返ってきて戸惑ったと見える。
「因みに古宮先輩は最近どうなのですか?」
「わたし? とりあえず佐々木先生とセフレ継続中」
「とりあえずって」
俺ら、その情報をまず知らないし。塾の同僚の佐々木先生とセックスはしたという話は聞いたけども。
「後は大学の後輩ともこないだヤったけど、そっちはガチ恋感あって切った。そういうのは今いらない」
「院試あろうが卒論控えてようが、そんな感じなんですね、古宮さん……」
古宮さんが性に奔放なのは今に始まったことではないが、改めて具体的にどうしているという話を聞くとこちらが少し戸惑う。
「あ、そうだ。例のストーカーいたでしょ」
「それって、先輩とハメ撮り写真撮って撃退した、あの?」
美咲が尋ねると、古宮さんは頷いた。
「そうそう。連絡が来た。僕も新しい恋を見つけました、もう連絡することもないでしょう、さようなら。って……いやいや、勝手に人に会おうとして連絡してんのはそっちなんだが!?」
言葉に怒気がこもっていた。古宮さんはまたお猪口を傾け、酒をあおる。
「因みにメッセージと一緒に、あっちもハメ撮り送ってきてさ。あ、これは本物の動画ね」
何その話。古宮さんから送った写真の仕返し、ということか。仕返しになっているのかわからないけど。
「お相手の顔は見えなかったけど、ブレッブレで見れたもんじゃなかったな。おかずにもならんわ」
「そうですか……」
「その点、結城くんに撮ってもらった写真はずっと保存してるからねー。たまに見て思い出してる」
だから、そういう答えに困ること言うのやめてほしい。
「私も先輩にラブホで撮ってもらった写真、保存してますよ」
古宮さんの発言に続いた美咲のその言葉に、古宮さんは目を丸めた。
「ん? あ、行ったんだ? あー、流石に深くは聞かないけど」
「あなたにそんな良識があることに今、俺は驚きましたよ」
美咲が何にも考えずにラブホで撮ってもらったとか言うから、絶対古宮さんは突ついてくると思ったのに。
「ほら、聞いてシャレにならないこともあるから」
「今は写真、待ち受けにしてるんですけど」
「何でだよ!」
俺の方が思わず美咲の発言に突っ込んだ。やめようよ、そういうの。多分、こいつの場合、知らない他人に見られたらどうしようとかそういうの考えてないんだとは思うけど。俺のそわそわした気持ちなど知らぬまま、待ち受け画像を古宮さんに見せる美咲。確かに、美咲のスマホの待ち受けには俺と美咲と茉莉綾さんが並んでいる写真が設定してある。古宮さんはその写真を見て、眉間に皺を寄せた。
「ねえ、これわたし本当にあまり深く突っ込まない方がいい奴、だったりする?」
古宮さんの声が本気で心配するトーンだった。
「違います。大丈夫です、違います。色々成り行きが面倒なので、説明は省きますが! 違います! 古宮さんが想像しているようなことはないです」
「茉莉綾ちゃん入れて3P……」
「してないです」
古宮さんの眉間の皺が緩み、ホッとした顔付きになる。
「そっか。そうだよね、もしその場合、わたしも入れて4Pになるのが先だもんね」
「何が先?」
「先輩さえ良ければ私は別に」
「美咲もいい加減、その言い方やめろ?」
決定権をこちらに全部委ねる言い方すんな。そんなこと言いながら、嫌な時は嫌なのを俺は知っているので、あくまで俺としては、そんな簡単に言わないでほしい。
こちとらこの間、本気で将来のこととかも考えたばっかなんだからさあ。
「良いじゃん。後のことは色々あるかもしれないけど、今を楽しむのも必要よ? わたしみたいにさ」
「だとしても古宮先輩は極端だと思います」
古宮さんに対し、そこのところは突っ込む美咲だった。その通りだよ。
そんな風にある程度忙しさもなくなってきたらしい古宮さんと近況報告をし合って、ある程度飲み食いをして解散した。古宮さんはいつも通り電車で、俺は美咲の車に乗っての帰宅だ。約束通り、途中美咲とコンビニに寄って、缶チューハイとつまみになりそうなお菓子を買う。俺の部屋に着くと、二人で飲み直しと興ずることにした。俺が最近買ったゲームの話をすると、美咲も少し興味を持った様子だったので、一緒に遊んだ。最初はあまり熱の入っていなかったにも関わらず、美咲も段々と熱中してきて、最後には寧ろ美咲の方が「もう一回。もう一回だけやりましょう!」と食い下がるようになっていて、結局その「もう一回」を五回ほど繰り返してから、交互にお風呂に入って、パジャマに着替え、同じ布団に入った。美咲の着替えも何着か、泊まりを繰り返すうちに自然と俺の部屋に溜まっている。旅行前から夏休み中にもう当たり前になった流れだが、この生活をいつまで続けるつもりなのかを、ふと考えた。俺にそのつもりはないが、美咲の言うように俺に他に好きな人ができたらとか、そんな不毛なことまで考える。古宮さんほど、または金元ほどに享楽的に生きることもできないが、想像するしかない未来を不安に思うくらいなら、今を楽しむことの方が大事なのも、その通りなのだろう。
「先輩、ところでなのですが」
俺の隣で、もう目を瞑ったと思っていた美咲がもぞもぞと動いて、こちらに顔を向けた。
「何?」
俺も首だけ動かして、顔を美咲の方に向ける。この距離感での会話も、もう慣れてしまった。
「実際、今先輩はセックス、したいですか?」
「いつも直球なんだよな、お前は」
ここ最近、そういう会話でそういう球の投げ方を美咲も控えているようには感じるので、たまにこうして聞かれると流石にドキッとする。
「したいことはしたい」
俺は曖昧な返事をする。ただ、そういう他ないように思った。美咲の隣でこうして横になるのも当たり前になってきて、以前のように燃えたぎるような情欲が湧き上がることもない。
「一人でしたりは?」
「それはするけど」
「毎日します?」
なんか久々にぐいぐい来るな。
「平均して週4くらい……?」
ちゃんと数えたことはないけど、多分そのくらいだと思う。バイトで忙しかったりするとそんなこと考える間もなくねたりするし。
「よく考えたらそこもセックスしたいかどうかとは別だよな」
「それは確かにそうですね。私もそう思います」
オナニーは週に何度かの頻度でするけれど、それは美咲がいない時に済ますし、それであまり問題も感じないようになった。
「美咲も相変わらず?」
「そうですね。セックスしたいという気持ちそのものがよくわからないと言った方がいいかもしれません」
「そっか」
「ただ、なのですが」
美咲は少しだけ言いにくそうに唸った。
「私、元々自分でしたりもしないんですよね」
「それは何か、聞いたな」
美咲に聞いたのではなく、金元が美咲からそう聞いた、という話を金元に聞かされたのだった。
「でも、先輩にはいつでも求められて良いようにと思っていたので、自分でどこが感じるかとか、そういうことはしてて」
「そうなんだ?」
何か、いけない話を聞いているような気もする。動機はさておき、美咲がそういうことをしている様子もあまり想像できない。もしかして、したくないのかもしれない。美咲に性的なものを感じたことと、NTR報告が変な形で俺の脳内で結びついている。そのことも、俺が美咲とそうした話をしない理由に全く関係がないとは言えないだろう。
「どのくらい?」
「月1くらいで。大体生理前くらいに」
ああ、女性の場合そういうのもあるのか。大変だな。
「すごい聞きにくいんだけど、感じたりするもんなの?」
「しますよ。ただ、身体刺激だけって感じな気はします。気持ちいいところはあるけど、痒くてたまらないところがあるというより、ふとマッサージしてみたら気持ち良い、くらいの感覚ですかね」
美咲の感覚は平均と違うのは確かだろうけれど、美咲に限らず、他人の性欲とか感じ方とか、多分人それぞれ違うんだろうな、なんてことを聞きながら考える。あまり同性でも話さないようなことだし、話したとしても何となく自分の感覚より周りの雰囲気に合わせた会話をしてしまうし。
「でも先週は旅行に行ってたじゃないですか? それもあって、今月はしてないんですよね」
俺はそれを無言で聞く。美咲の言いたいことがよくわからない。
「先輩、私とキスしたくなったりしません?」
「したいと思う時はある。でも、美咲の言葉を借りるなら、痒くてたまらない程ではない」
少なくとも今はそう。美咲と普通に隣にいられることの方が幸せだし、その辺りの欲望は二の次で良いと、俺は感じている。
「これでもですか?」
不意に、美咲は俺の首に手を回した。細くてひやりとした感触が俺の首筋に当たる。そのまま美咲は俺を引き寄せるように、その非力な腕で俺を彼女に向かい合わせた。
「お前さあ……」
美咲の顔は意地悪そうに歪んでいる。こいつ自身の性格の悪さは、恋愛感情があるとか性欲がどうとか関係ねえんだよな、とつくづく思う。
「いえ、古宮先輩と話してる時も、自分はいかにも興味ありません、みたいな顔しているのが気になったもので」
「そんな顔してねえだろ」
「先輩はヘタレでムッツリなだけだと言うのに」
「缶チューハイ一本しか飲んでねえよな?」
美咲の吐息が俺の鼻にかかる。当然、その息は別に酒臭くとも何ともない。俺も今日はそこまで飲んでないし、このまま「あまり人でふざけるなよ」と美咲を突き放しても構わない。
──美咲ちゃん、多分基本的にお前のことしか見えてないからさ。あんまり遠慮すんのもどうかと思う。
ムカつくことに、旅行中に金元に言われたそんなことが、脳裏をよぎった。ふざけやがって、あのクソ野郎。全く誰のせいで──。
俺は首に手を回したままの美咲を見つめ返す。その顔は、とても可愛くて、俺もこの胸に抱き締めたくて、自分には本当にその気もないのに俺を弄ぶこいつの性根込みで──。やっぱり好きなんだ、と思う。こいつが俺のことを好きでなくても構わない。そんなことは、問題じゃない。
問題なのは、俺がどうしたいか。美咲がどうしたいか。
「美咲」
「はい」
俺は美咲の顔に自分の顔を近付ける。そして俺は、美咲の唇に自分の唇を重ねた。軽く触れるようにだけして、一瞬で俺はまた美咲の顔を見つめ直す。美咲は自分の指で自分の唇に触れて、にやりと笑った。
「やっぱりしたいんじゃないですか」
「だから言ってんだろ」
美咲との初めてのキス。俺の心臓の鼓動が高まる。美咲の隣にいることには慣れたなんて大嘘だった。きっとこれからも、全てに慣れることなんてない。
俺はまた美咲に唇を重ねた。俺が唇を少しだけ開くと、美咲もそれに応えてくれる。美咲の舌先が俺の舌先に触れる。心臓がうるさい。あまりに強く弾み過ぎて、苦しいくらいだ。心臓はドクドクと脈打ち、血流が全身に流れる。俺は自分の理性をフルで働かせる。後悔はしたくない。美咲との関係は多分、俺の気持ち次第で、本当にいとも簡単に、今と全く変わってしまうだろうから。俺は唇を離す。もう一度、美咲の口に吸い付きたい。その気持ちをぐっと抑えて、俺は美咲に向き合い直す。
「どうでした?」
美咲は平然とした顔で俺に尋ねる。俺は平然を装える余裕はない。走ってもいないのに、みっともなく、はあはあと息を切らし始めている。
「良かった」
結果、そんな幼稚な答えをしてしまう自分を恥じる。何だよ、良かったって? アホか。
「そうですか」
美咲はそんな俺を見て、鼻で息を吐いて笑う。
「私はあんまり、好きじゃないですね、これ。多分キスが好きじゃないです」
「……そっか」
一人だけ興奮し切ってるのが馬鹿みたいだと思いつつ、そんなこと今に始まったことでもねえ、と俺は自分に言い聞かせた。正直なのは嬉しいから。──嬉しいということにしよう。俺が美咲の前だと間抜けなピエロになってしまうのは、美咲のせいじゃない。
「先輩って脱がせたい派ですか? 脱いで欲しい派ですか?」
美咲はそう言って、布団を剥がす。そして布団の上に座って、自分のパジャマに手をかけた。
──おう、上等だよちくしょう。
俺はそんな風に自分でもよくわからない言葉で自分を奮い立たせて起き上がると、美咲の服に手を伸ばした。美咲のボタン式の服がパチンパチンと外れていく。パジャマの下にあったスポーツブラは色気があるとは言い難かったが、この部屋では、写真撮影会以来に見る美咲の下着姿に俺は唾を飲んだ。俺は美咲の下着にも手をかける。美咲のブラを下に引きずるようにおろす。普段から日に焼けることもないせいで、白い美咲の柔肌がいっぺんに顕になった。
「先輩のヘンタイ」
美咲は意地悪そうな、愉快そうな顔で笑いかける。
「言ってろ」
俺は深呼吸をして、寝巻き用にしている自分のTシャツにも手をかけて、一息に脱ぎ捨てた。
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