紅葉と温泉、これからの旅路⑤
脱衣所から出て、スマホを確認すると鹿田さんから全体連絡が来ていた。旅館の卓球台を午後9時まで借りたので、希望者はいつでも参加して良いとの旨だった。
「金元、連絡見た?」
俺は一緒に脱衣所を出た金元に尋ねた。
「見た。卓球なあ。ボクは今回はパス。部屋でゆっくりする」
「女の子と卓球したいと思ってたが」
俺がそう言うと、金元は目を細めて俺を睨む。
「いつもはね。でも、野々村さんのこともあるし。さっきも言ったけど、ボクは鹿田さん中心にあまり良いように思われてないから」
「なるほどな」
別に無理強いすることでもない。別に全員参加というわけじゃないから、その気がなければ好きにすれば良いと思う。
「結城は?」
「俺はとりあえず行こうかな。せっかくだし」
「わかった。ボクは一足先に部屋戻ってる。じゃあ、また」
言って、金元は踵を返して歩き出す。俺もレンタルしたという卓球台に向かおうとしたら、金元がくるりと顔だけ振り向いた。
「なあ、結城。美咲ちゃんのことだけど」
「あ?」
思わず喧嘩腰の声になってしまった。俺は一度深呼吸をして気持ちを整える。
「美咲が何?」
「前も言ったけど、美咲ちゃん、多分基本的にお前のことしか見えてないからさ。あんまり遠慮すんのもどうかと思う」
金元は自分の首元に手を当てながら、そんなことを言う。金元は美咲のことをあまり知らない。だからそんなことを言うのだと思ってしまう。
「一度ヤったくらいで理解者気取りか?」
だから俺もそんな風に返す。気をつけてはいるが、こいつにはどうしてもこういう物言いになってしまう。けれど、金元の言うことにも一理あるとは感じた。
「そういうわけじゃないけど。ま、心配することないか。いきなりボクを平手打ちするくらいの奴だし」
「もっぺんやろうか? 今度は拳で」
俺は金元に向けて拳を握る。金元はブンブンと首を横に振った。
「いや、流石にもう勘弁。女の子にも叩かれ慣れてるけど、男に何度もやられるのはな。っていうか、待った。違うんだって。ボクは結城のこと、結構良い奴だなって思ったから、ちょっと助言したくなっただけ」
金元はそう言って、今度こそ俺から離れていった。なんだよ、ちょっと余裕戻ってきてるじゃんか。これで俺が突っかかるのも、俺が格好悪くなるだけだと思い、俺は金元を追いかけることはせず、卓球台に向かった。
卓球台には、阿方先輩と野々村先輩、鹿田さんと美咲、宇内部長がいた。卓球台では阿方先輩と野々村先輩の新婚夫婦がラリーを続けている。
「やあ、結城」
俺の姿に気付いた宇内部長が声をかけた。
「思ったより少ないですね」
「結城が遅かっただけ。わたしら以外にもいたんだが、皆疲れて部屋戻ったよ」
なるほど。確かに俺と金元とでだいぶ長い間、湯に浸かっていたし。
「金元は一緒じゃないのか?」
「風呂出るまでは一緒だったけど、部屋戻るって」
「ふーん、あいつなら参加しそうと思ったのに」
「今どういう状況?」
俺が聞くと、宇内部長はラリーを続けている新婚夫婦を指差した。
「勝ち抜き戦やって、あの二人が最後まで残ったんだけど、全然終わらねえの」
俺は改めて阿方先輩と野々村先輩を見る。二人とも真剣な面持ちでラケットを振り続けていた。確かに二人とも体力ある方だしな。と思っていたら、阿方先輩がど真ん中に打った球を、野々村先輩が、待っていたとばかりに強く打ち込んだ。スマッシュが決まり、球はコートの反対側で跳ね、阿方先輩の振るラケットを抜けた。
「よっし! 勝ち!!」
野々村先輩がガッツポーズをする。額と浴衣の下の首元には汗が垂れている。よほど本気で対戦していたらしい。阿方先輩はバタンとその場に座り込むと、近くに置いていたペットボトルに手を伸ばし、水を飲んだ。
「油断した」
ボソリと悔しそうに言う阿方先輩に、野々村先輩はビシッとラケットを突きつけた。
「自分の優勝だな。約束通り、今度スノーチェンバーのライブには一緒に来い」
「わかった」
二人してなんか賭け勝負をしていたらしい。それであんなに必死になっていたのか。
「おお、結城か。遅かったな」
阿方先輩との勝負を終えた野々村先輩も俺に気付き、そう声をかけた。
「野々村先輩、お疲れ様です」
「ああ、疲れた。来てくれて早々すまん、汗も流したし自分はもう一度体を流してくる」
野々村先輩がそう言うと、向こう側で座り込んだ阿方先輩が頷いた。
「僕もそうするか。まさかこれほど長試合になるとは思っていなかった」
阿方先輩達はそう言って立ち上がると、野々村先輩と一緒に荷物を持って、残ったメンバーに挨拶をしてから卓球台から離れていった。
「先輩、何してたんですか」
二人を見送っていると、美咲が俺の後ろから浴衣の裾を引っ張って話しかけた。
「長湯してた」
「のぼせちゃいますよ」
「大丈夫」
これは少し嘘で、実際には金元と一緒にのぼせかけたので、脱衣所に出る前にコーヒー牛乳も買ってしっかり水分補給をして体調を整えていた。
「結城先輩も卓球やります?」
鹿田さんが俺にラケットを見せる。俺は鹿田さんに頷いて、それを受け取った。
「せっかく来たしな。美咲は打ったの?」
「私は一回戦で負けたので、それからは見る専でした」
なるほどな。美咲の卓球の腕がどれほどのものかは知らないが、上手いか上手くないかで言えばそれほどでもなさそう。俺もさっきの二人ほどじゃないので、人のことは言えないが。
「わたしら四人でローテーションして打ち合うか。そのくらいの時間はまだあるだろ」
宇内部長が、野々村先輩が置いて行ったラケットを手にしてそう言った。
「良いじゃん! やりましょ、やりましょ」
鹿田さんは乗り気で賛成する。
「そうだな。そうしよう」
「じゃあ私もやります」
俺が参加を表明すると、美咲もすぐそれに続いた。宇内部長が言った通り全員で総当たり、六回戦分を打ち合うことにした。結果としては鹿田さんの圧勝で、鹿田さんが三勝して勝利をおさめた。宇内部長と美咲、二人の実力は五十歩百歩で、俺が少しだけ上手といった感じ。鹿田さんも宇内部長と美咲に対しては急なスマッシュは打たないなど手加減していた。宇内部長は俺にも美咲にも負けて一勝もできず「現部長の面目丸潰れじゃねえか」などと言っていたので「まあ、卓球サークルじゃないですから」と俺は返した。俺と美咲との対戦は、お互い球を取りこぼしてしまうせいで途中までは接戦していたが、最終的に俺の方が少しだけラリーを続ける体力があったのもあり、勝利した。全員の対戦を終え、負けた宇内部長が片付けをすることになり、俺と美咲、鹿田さんの三人は宇内部長に撤収を任せた。
「先輩、部屋戻る前に少し時間あります?」
「あるよ」
「あ、じゃああたしは先に部屋戻ってるっすね!」
俺と美咲の様子を見て、鹿田さんは気を利かせたつもりか、俺達二人に手を振ると早足で宿泊室に向かっていった。俺と美咲は旅館の売店で苺牛乳を買った後、それを片手に建物の外に出た。話ができる場所を探していると、夜に下からライトアップされる紅葉を見れるベンチを見つけたので、そこに二人で座った。
「先輩、卓球お上手でしたね」
「そこまでじゃない。阿方先輩達には絶対負けるし」
「あれはまた別なので」
「美咲は楽しめた?」
俺が美咲に尋ねると、美咲は少しだけ考える素振りをしてから、コクリと首を縦に振った。
「トーナメントで一回戦負けした時は何も楽しくなかったのですが」
「あー、そりゃあな。因みに誰とやったの?」
美咲は悔しそうな顔をして小さく唸った。
「一年の後輩です。全く手も出せず終わりでした」
「ドンマイ」
「でも、その後四人でやった試合は楽しかったです。私でも宇内部長には勝てたし、先輩とも惜しかったですし」
鹿田さんは強かったが、それ以外の三人は良い感じに実力が桔梗していたのが良い方向に働いたのだろう。美咲は楽しそうに、さっきの試合を思い出しているようだった。
「運動や勝負事はあまり得意ではないのですが、あんな感じならまたやりたいです。先輩もよろしくお願いします」
「ああ、よろしく。しかし、阿方先輩と野々村先輩には驚いたな」
「あ、それ。それ話したかったんですよ」
美咲はそう言って、自分の膝を叩いた。
「先輩は二人の仲、知ってました?」
「いや、全然」
「私も全く知りませんでした。まあ、今年に入ってから二人一緒にいる様子をあまり学内で見ることはなかったので、察する機会もなかったわけですけど」
確かに。野々村先輩はたまに部室にも顔を出していたが、阿方先輩に至っては飲み会にもあまり参加せず、就活と卒論に集中しているようだった。おそらく、その裏で小説の執筆もしていただろうし、単純に時間がなかったのだろう。
「結婚、おめでたいです」
「ああ、最初はびっくりしたけど、あの二人なら何とかやっていけそう」
二人とも聡明な人だし。その分、拘りと我の強いところもあるから、喧嘩もしないことはないのだろうが、あの二人ならそれ込みで仲良くやっていけそうな気がする。
「結婚ってもっと先の、私の人生には関係のないことだと思ってましたね」
「まだ大学生だしな、俺ら。俺も他人の結婚式とか出たことないや」
「私は去年、従姉妹の結婚式に家族で行ったことはあります」
「あー、家族のか。俺はそっちもない」
歳を経れば、もしかしたらそうした機会も増えるのだろう。二人の結婚式は生活が落ち着いてから、とは言っていたけれど、俺もその時の為にスーツを新調したりしておく必要もあったりするのだろうか。そういうことすらボンヤリしている。
「先輩はどうですか?」
「どうって?」
「結婚です。結婚したいとか思ったりします?」
「どう、だろな」
自分の結婚か。考えたこともなかった。今の俺達の世代は昔ほど、結婚に駆り立てられるような価値観がないと聞いたこともある。だから、俺みたいにあまり深く考えたことがない人は多いと思う。
「わかんないな。したいとかしたくないとか、そういうこと考えるような機会もなかったし」
ミサキと付き合っている時、このまま結婚して支え合うことも一つの選択肢なのかもしれないと、一瞬考えたことはある。けれど俺は、まだ大学生だしそんな力は自分にはないと、あの二人のようにそうした決断はしなかった。
「私も正直、これまで全く考えたことありませんでしたが、お二人を見ていて、こういう未来もありなのかとは思いましたね」
「そうなんだ?」
美咲は頷いて、苺牛乳をストローで飲む。
「はい。先輩と結婚する未来というのも、ありだなと」
「え」
美咲の言葉に、俺の心臓が跳ね上がる。え? あれ? そういう話だったのか? 恋人関係という形も嫌がるくらいだし、俺はてっきり、美咲にはそういう結婚願望みたいなものはないと思っていたのだけれど。
「お、俺と美咲が結婚、か」
俺は平常心を心掛けようとはしたが、少し上擦った声になってしまった。俺も自分の分の苺牛乳を、ズーッと大きく飲み込む。
「はい。先輩と一緒に生活して、一生を共にするというのも悪くはないな、と」
「俺もそれは、悪くない、と思う」
悪くないどころか、願ったり叶ったりだ。二人で形だけ付き合っていることにしている今とは違い、美咲とこれからも一緒にいられる、その大きな根拠を持てる。ああ、でもそうか。そういう選択肢も、あったのか。美咲は恋愛感情がないと言うけれど、言われてみれば結婚するかどうかとは必ずしも直接の関係はないのだ。ただ、これから先もその人と一緒にいれるかどうか。そしてそれを、二人で了承するかどうかの話。
「もちろん、今すぐとは行きませんが」
「そうか」
「野々村先輩達の決断はすごいですが、学生結婚が良い結果を結ぶとは限りませんからね」
動揺する俺とは違い、美咲は至って真剣な顔つきだった。本当に一つの選択肢として、真面目に考えているらしい。俺はそんな美咲の様子を見て、深呼吸をした。
「俺も、今すぐそういう答えは出せそうにないな」
「ですね。逆に今急に、じゃあ結婚しよう、とか言われても困ります」
ぐっ、勢いに任せてそう言ってしまうのもありかと思っていた自分を平手打ちしたい。
「来年就活だしな。俺もそういうこと、本気で考えないといけない時期なんだよな」
俺は自分にも言い聞かせる気持ちで、そう言葉を紡ぐ。
「なあ、美咲」
「なんでしょう先輩」
「しっかり就職して、美咲も卒業してさ? お互いの未来がもっと見えるようになったら、その時また考えても良いか?」
「それは、少なくとも先輩が私が卒業するまでは一緒にいるということですか?」
美咲の問いに、俺は頷いた。
「どういう形だとして、それを変える気は俺にはねえよ」
「そうですか。私は正直、今でも先輩には他に彼女を作ってほしいという気持ちも同じくらいあるのですが」
なんだよそれ、本当にめんどくさいなお前。
「でも、そうですね」
美咲は俺の顔を覗き込むようにして、にやりと笑みを顔に貼り付けた。
「ヘタレの先輩がどこまでしっかりしているのか、それを楽しむのもありかもしれませんね」
「うるっせえ。そう言うなら、勝手に楽しんでろ」
俺は暗闇の中、月明かりとライトに照らされて、はらはらと落ちていく紅葉を見上げる。美咲もまたその隣で、静かに同じ風景を見つめていた。
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