紅葉と温泉、これからの旅路④

 その後は阿方先輩と野々村先輩の結婚祝いということで、大いに祝い盛り上がった。阿方先輩と野々村先輩とも、二十代後半まではお互いの仕事を頑張り、日々のサポートをしていくつもりらしい。二人の未来が明るいものであることを俺は願った。

 夕食が終わると、男女でそれぞれ別れて温泉に向かった。


「阿方先輩、すごいですね」


 脱衣所で脱いだ阿方先輩の体を見て、井上が言った。阿方先輩の腹筋はかなり鍛えられていて、長身な身長と合わせて理想的な身体だと思う。それだけで納得するわけではないが、鍛えられた体を見て、この人が野々村先輩を選んだということにも、野々村先輩もこの人と結婚を決めたのは自然な成り行きでもあったのかもしれないとすら思う。


「阿方先輩、ジムとか行ってるんですか?」


 俺が尋ねると、阿方先輩が頷いた。


「行ってる。やはり自分一人で管理するよりはプロの目線があった方がな。効率的だし、習慣もつく」

「俺は食事管理くらいです。筋トレとかは全然。だから羨ましいですね」


 俺の言葉を聞いて、新島副部長が小さく溜息をついた。


「そういう結城も悪くない体してるだろ。見ろよ俺のこれ」


 新島副部長はぷにぷにと自分の腹を手で掴む。


「運動とか食事制限とか、した方が良いとは思うけどなあ。どうしてもダラダラしちゃう」

「どうかな。僕は将来のことを考えた時に、今は節制することが重要だと判断しただけだ。今自分が楽しめることを優先すること自体が悪いわけではない」


 俺も阿方先輩に頷いた。


「俺も糖質制限してるけど、無理してるわけじゃないしな。ホントに効くのか試すのが面白いからってのもあるし、運動はしてないけど、週末にふとハイキングとかキャンプしてみるかって歩くこともあるし」

「くそー、それはできる奴だから言えるんだよ」


 悔しそうな顔をする新島副部長に、俺と阿方先輩は笑って、掛け湯をして体を流す。

 大浴場は、行きにも見た美しい紅葉を間近に見れる大きな露天風呂で、俺も皆も思わず感嘆を声をあげた。良い宿を見つけてきたものだ。他の客を避けながら、みんな適当に湯に浸かる。温かく、少し滑りのある湯室が疲れた体に染み入った。俺も思わず大きく溜息をつき、肩まで体を浸からせる。

 湯に浸かっていると、ふと金元が他の皆からは少し離れ、遠くで一人静かにしている姿が気になった。それを見ても、最初は別に話し掛ける気はなかったが、さっきの宴会室での様子を思い出す。他の部員が祝福の声をあげる中、あいつだけは複雑な表情で野々村先輩の方を見ているように見えた。

 ──まさかな。いや、でも気になってくると聞いてみたい気持ちになる。俺と美咲のことを聞いてきた皆も似たような気持ちだったのかもしれない。俺は浴場の中を歩き、ゆっくりと金元の方に近づいていった。


「よう、金元」

「ん、ああ。結城か」


 金元は魂が抜けたかのように気のない返事をした。そういや、金元も阿方先輩に負けず劣らずに、普段鍛えているのが分かるガッシリとした体付きだ。肩幅も広く、多分部員の男連中の中では一番、肌艶も良い。


「どうしたんだよ、こんなところで一人」

「ちょっとな」

「男に必要なのは余裕なんじゃなかったか?」


 俺は以前、金元が得意げに語っていたそのことを本人にぶつける。すると金元は嫌そうな顔をして俺を見た。あまり言及してほしくなかった話題のようだが、そうなると未だに余裕なく金元にムカついている俺としては逆に広げたくなってしまう。


「金元、もしかして野々村先輩のこと」

「そうだよ」


 俺が皆まで言う前に、金元は冷静を装った風な顔で言葉を返した。


「結城、お前だから言うけど」


 金元はそんな風に、俺を見つめる。何でだよ。何故だか、金元から俺への親近感はまだ継続中らしい。


「ボクさ、さっき夕食時間前の自由時間に野々村さんとこに行ったんだよ」

「そういや居なかったな」


 阿方先輩が外に散策しに行こうと部員に声をかけていた時、金元と野々村先輩だけ見当たらなかった。


「そこで野々村先輩に言ったんだ。今度こそヤらせてくださいって」

「うわ」


 心配して損した、と思った。何だ、結局そういうことか? けれど、金元は温泉の湯をバシャバシャと自分の顔にかけて、自分を誤魔化すかのように小さく息を吐く。


「何だろうな。他の女子の前だったら全然、もっと余裕持てるのに。あの人の前だとどうしても尻込みする。そんな自分を奮い立たせたのにな」

「その結果の出力がヤらせてくださいなのは、どうかと思う」

「分かってるよ。ただ――分かんねえんだ。ボクは女の子を悦ばせる方法は誰より知ってるとも思ってる。野々村さんの為にも、自分を使えると思う」


 金元はまた小さく息を吐く。あからさまな溜息をしないようにしているのは、自分に余裕を見せていたいという気持ちの表れか。


「このサークルもホントは、他のサークルと一緒で可愛い子を探す為に参加したはずだったんだけどなあ」

「それで美咲ともか」


 金元がしみじみとした雰囲気で語る姿が気に食わず、俺は今言わなくても良いことを思わず口にした。金元はどうだか知らないが、俺にはそこまでの余裕などない。金元は俺の言葉に、ビクリと肩を震わせる。


「いや、その。マジでごめんって」

「別に? 続けて」


 俺は続きを話すように金元を促す。金元はバツが悪そうにまた湯を顔にかけて、小さく咳払いをした。


「他の子に話すノリで野々村先輩のことも口説こうとしたのが去年のことかな。そしたら、自分が面白いと思えるような話が書ける奴からのアプローチなら、自分も靡くかもな、なんて言うんだあの人」

「体よくフラれてるだけだろ」

「そうだよ! わかってる。ボクも別にいつもなら、こいつめんどくせぇな、で他に行くところだ。でも、そうはできなかったんだよ。それで俺は必死に文芸サークルの活動にも熱を入れたよ」


 確かに、金元が飲み会の時だけに顔を出すだけの男ではなく、形の上でも部誌に寄稿する作品も書いたりと、それなりに活動に力を入れているのは少しだけ不思議ではあった。


「それまで小説なんて書いたことなかったから、どうしたら良いのかわからなくても、格好悪くならないようにと思いながら書いた。そのうち、野々村さんも俺のこと気にかけてくれるようになった」


 今の話を聞いて、ようやく金元が本気で野々村先輩を好きだったことを感じた。好きになってしまえば、後は理屈じゃない。どんな相手であろうと、その相手の為にできることを探してしまう。その気持ちは、俺もよく分かる。


「お前の小説、俺は結構好きだよ。良い文章を書く」

「ありがとうな。ま、阿方先輩だったらしょうがねえよ。勝てねえよ、あんなん」


 ザブン、と金元は頭ごと湯に浸かってから、ぷはあと大きな息を吐きながら浮上した。


「余裕はどうしたんだよ」

「知るか知るか。ボクはまた女の子漁りに行く」

「旅行中はやめろよ、お前」

「ここのサークルの子は、野々村さんもそうだけど元々身持ち固めが多くて、鹿田ちゃんに手出して以降、女子にはボクの本性バラされてるから無理」


 野々村さん好きって言いながら、鹿田さんにも手出してんのかよ。


「やっぱりお前クズだよ」

「違う。人より愛が大きいだけなの」


 この期に及んでそんなことを言う金元に、俺は溜息をついた。とは言え、まあそういう生き方もあるか。俺は、こいつが美咲にも手を出しているからムカつきを覚えているけれど、こいつはこいつで相手のいる女子には手を出さないとか、それなりの矜持はあるみたいだし。誰彼構わずに可愛い子なら無条件にヤりたがっているわけではない。


「いつか刺されても知らねえからな」

「あー、ボクはたとえば結城にはいつ刺されても良いと思いながら立ち回ってるよ」


 あっそ。そんな殊勝な奴だとはな。


「刺さねえよ。殴りもしねえし」

「寧ろ一回殴ってくれねえか?」


 金元が自分の頬を俺に差し出すように、首を捻り横顔を見せた。なるほどな、野々村先輩の結婚報告を受けて、傷心しているのも本当らしい。俺はそんな金元を見ながら、自分がミサキをフった時のことを思い出していた。あの時、俺はあーだこーだと言い訳じみた理由で別れ話を切り出したのを、烏京さんにズバリ「言いたいことはちゃんと言え」と言わんばかりに切られたんだった。


「金元」

「ん?」


 俺は金元の頬に平手打ちを食らわせた。バシーンという大きな音が浴場に響き、俺はしまったな、と後悔した。他の客や部員もその音に気づいたようで、ざわざわと少しばかりのざわめきが聞こえて来た。濡れた手で思い切り引っ叩いたものだから、叩いた俺の方も手がヒリヒリと痛い。金元は驚いた顔で目をパチクリさせた後、そのままの顔で俺を見て、それから吹き出した。


「何だよ、今の」

「ここで殴って足滑らせたら怪我じゃ済まないだろ」

「だからってお前」

「うるせえ。殴れって言ったのはお前の方だろうが。文句言われる筋合いはねえ」


 俺はそう言った後、金元がやったように頭ごと湯に浸かって、浮上した。髪ごと浸かるのは厳密にはマナー違反な気もするが、それを言ったら公共の場で他人を平手打ちしている方が余程ヤバいという自覚はある。


「さっきの話聞いたの俺だけか?」

「こんな格好悪い話、誰にでもは聞かせられないよ。今後、女の子口説く時に脚色して話す可能性はあるけど」


 ブレねえな。


「そっか。だったら、お前も言ってくれたみたいに、何かあったら俺にいつでも言え。答えるとは限らねえけど」

「結城……」


 金元は俺に叩かれて赤くなった頬を摩る。


「悪い。ありがとうな」

「感謝されるいわれはない」


 美咲は気にしてないにしても、あいつの初めての相手を金元がやりやがったことに俺が今後もふとした時にでも、ムカっ腹を立てることは変わらねえだろうし。


「お前ら何やってんだ」


 俺と金元がそうやって話していると俺達のところに、他の客をかき分けながら、湯の中を新島副部長が歩いて来た。


「他の客の迷惑になるようなこと、あんまりしてほしくないんだが」

「いや、大丈夫。戯れてただけだから」

「ああ、ボクも大丈夫。頼んだのボクだし。思ったより大きな音でびっくりしたけど」


 金元の言葉を聞いて、新島副部長が引き気味に笑ったが、金元は特にそれは気にしてしないようだった。その後、改めて新島副部長に注意を受けてから、俺と金元は温泉に黙って浸かり続けた。他の皆は先に上がっても、俺と金元は会話をすることもなくずっとそうしていたが、途中でお互いに「なあ」と声をかけた。声をかけるのは、ほとんど同時だった。


「そろそろ出ねえ?」


 俺が言うと、金元も頷いた。


「そうだな。ボクもそう思ってた」


 俺と金元はそこでようやく湯から出て、俺は少しだけのぼせ気味の体に冷たいシャワーを浴びせた後に脱衣所で体を拭き、宿が用意している浴衣に着替えた。

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