紅葉と温泉、これからの旅路③

 阿方先輩はその後、旅館内にいる部員に声をかけて行き、皆を連れ立って旅館の外に出た。金元と野々村先輩だけは見つからなかったが、それ以外の部員には阿方先輩が声をかけた。新島副部長とそれを手伝う二年生の一人は今後のスケジュールの確認などもあり、手が離せないそうだった。その為、俺と美咲、宇内部長、井上と鹿田さん、後は一年生三人とで紅葉する並木道を歩きながら、これからの文芸サークルのことを話した。俺や宇内部長は三年生なので、今年の阿方先輩や野々村先輩がそうだったように、卒論と就活で忙しくなるためにサークル活動に時間を使うのは厳しくなる。だから例年、このくらいの時期で次の幹部をある程度決めていくわけだ。正式に決めるのは、学園祭の後なのでまだ先のことになるが。


「部長は井上で決まりだな」


 宇内部長がそう言った。


「決まりなんですか」

「わたしの仕事を間近で見てた二年生はお前しかいないんだから、お前だよ」

「そうですか。頑張ります」


 井上は少し自信なさげに見えたが、それでも宇内部長に指名されて嬉しくはあったのか、グッと拳を握り、力強く言葉を口にした。


「後は副部長だが、鹿田は?」


 宇内部長が井上の隣にいた鹿田さんにそう声をかける。


「あたしっすか? 全然行けます。なんなら、飲み会の幹事あんまやれなくて寂しかったんで」


 こちらはかなり軽い感じで了承をしていた。


「飲み会は程々にしろよな」


 宇内部長が溜息を吐き、頭を抱えながらそう言った。確かに宇内部長はあまりそういうのは好きじゃないタイプだった。だから野々村先輩もそれとは別によく交流の場を作っていたわけだ。そんな風に集まったメンバーで何となく今後の活動の話をしたり、講義やゼミなど大学生活の話をしながら紅葉を楽しむ。美咲はあまり会話には参加せず、ただ紅葉を見上げている時間が多かったが、それでも特に不満はなさそうだった。それから旅館に戻ってくると一度、各々宿泊する部屋に戻ったりお手洗いにいったりした後、夕食の時間になる。こちらも鹿田さんが予定をおさえて、宴会室で全員が同じ部屋で夕食を楽しめるようにしていた。確かに副部長は鹿田さんで問題ないと思う。旅館で用意された料理は流石に美味で、ここでも皆でわいわい言いながら食事を楽しんだ。


「さて、今日は一日楽しんでもらえただろうか」


 夕食を始めてしばらくして、阿方部長がゆっくりと立ち上がった。その姿に、部員の皆が注目する。改めて思うが、すらりとした長身矮躯の阿方先輩がこうして立ち上がると貫禄がある。ただ、普段から書き物に夢中なせいか真っ直ぐ立っているようでも背中が少しまるまっているのは阿方先輩らしい立ち姿だった。


「四年生は軒並み就活も終え、卒論の中間発表も終わり、後は提出に向けラストスパートだ。僕も無事、コンサル業への内定が決まった」


 阿方先輩の言葉に、部員から拍手が送られた。阿方先輩は拍手を受けながら、頭を下げる。


「ありがとう。眞琴もイベント会社の内定が決まった。めでたく、元部長の僕、元副部長の眞琴も社会人の入り口に足を踏み入れるところ……と言いたいところだが、僕は自著の売れ行きも良いし、眞琴は眞琴で推し活の為にバイトでそれなりに稼いでいるからな。お互いあまり実感がないというのも本音だったりするが」


 俺は正直な物言いをする阿方先輩に苦笑した。阿方先輩らしくはある。野々村先輩のことまで言及したのに一瞬違和感を覚えたが、その答えはすぐに判明した。


「今、眞琴の話をしたのは僕達があることを決めたからでもある。その報告を今からしようと思う」


 そうだ。そうだよ。俺は阿方先輩と野々村先輩、二人ともが、今回の旅行では話したいことがあると言っていた。それがこれか。俺は改めて姿勢を正す。何を話したいのかはわからないが、二人してあんな言い方をするくらいだから、何か重大な話であることには違いないだろう、と思う。


「眞琴」


 阿方先輩に呼ばれ、野々村先輩も立ち上がった。それから阿方先輩の隣まで歩いて行き、何やらポケットの中から取り出したのが見えた。


「ああ。こいつが長々と前口上を済まないな。単刀直入に言おう」


 二人はすっと、左手の甲を自身の顔の前に出す。


「自分、野々村眞琴と阿方征嗣せいじはこの度、結婚することになった」


 ──今何て?

 野々村先輩のその言葉がすぐに入ってこなかったのは、俺だけではなかったらしい。数秒間の沈黙が宴会室に流れ、それから──。


「ええええ!?」

「今、結婚って言いました!?」

「え、それは野々村先輩特有の比喩ではなく!?」

「待って、びっくり!」


 阿方先輩と野々村先輩以外の部員全員が湧き上がった。誰も事前に知っていた部員はいなかったらしい。目を点にして、ざわざわと隣の部員と話し、驚きの声をあげる。


「結城、知ってたか?」


 俺の隣にいた新島も驚きで目を見開いていた。いや、聞いてない。当然、俺もびっくりだ。俺は反対側に座っていた金元の方もチラリと見る。金元には珍しく、二人の様子を間抜けにもあんぐりと大口を開けてただただ見つめている。美咲も隣に座っている鹿田さんにゆさゆさと肩を揺さぶられながら、パチクリと目を瞬かせている。


「驚かせたな。重畳重畳」


 阿方先輩は俺達部員の様子を見て、愉快そうに笑っていた。


「因みにもう僕ら二人では決めたことでな、婚姻届も役所に提出したし、大学の方も事務に苗字が変わることを申告済だ。結婚式はまだまだ先のちあとりだが、その時には皆も呼ぶからな」

「え? じゃあ野々村先輩は野々村じゃなくて阿方眞琴になるんですか!?」


 井上が野々村先輩に向けてそんなことを尋ねたが、野々村先輩は「いや」と首を横に振り、その質問には阿方先輩が代わりに答えた。


「苗字が変わるのは僕だな。僕は今、戸籍上は野々村征嗣だ。ふふ、中々響きは気に入っている」

「はい! はいはい!」


 美咲の肩から手を離した鹿田さんが、大きく手を挙げた。


「阿方先輩は野々村先輩のところに婿養子に入ったってこと、ですか?」


 野々村先輩は鹿田さんの質問にも首を横に振った。


「いや、そういうわけではない。婿養子を取るような立派な家系でもないしな」

「どちらでも良かったんだが、先に内定するだとか、小説の公募で選考を突破するだとか、幾つか競ってな。結果、負けた側が苗字を変えることにしたんだ」

「そ、そんな理由で?」

「今の日本では、結婚の際に男女どちらの姓を選ぶかは、当人達の自由だ」


 阿方先輩の答えに、聞いた鹿田さんの方が戸惑ってしまっていた。確かに、俺も二人が結婚すると聞いた時、特に何の疑問もなく、じゃあ野々村先輩はこれから野々村先輩ではなくなるのか、と自然に考えてしまっていたことに気づく。


「念の為に言っておくが、子供ができたからとかそういい理由ではない。自分と征嗣とでよく話し合って決めたんだ」

「将来設計のことを考えても、早期結婚をしない理由が特に思いつかなくてな。二人で同棲することは結婚より先に決めていたんだが、だったら籍を入れても問題ないのでは? という話になり、今に至る」


 今に至るって……。


「でもでも、ご両親は反対なされたのでは?」


 今度は美咲が恐る恐るといった風に尋ねた。確かに、内定が決まっても卒業したわけではない。在学中の結婚だ。しかも阿方先輩の方が姓を変えるというのもではない。普通に考えれば、周囲の反対は間違いなくあったはずだ。美咲の問いに、阿方先輩はしみじみと頷く。


「当然、どちらの両親にも驚きをもってして反対された。何なら、まだ僕の母は納得していない」

「そ、それなのに」

「結婚が家と家を繋ぐものという考え方もあるが、それは絶対ではない。少なくとも僕は興味ないな」


 阿方先輩は、にべもなくそう口にした。

 

「二人とも仕事が安定するまでに家庭不和になってもおかしくないとも言われたが、それは一般論だ。僕らは大丈夫まで言えば愚かかもしれないが、子供がいるわけでもないのだし、駄目なら離婚すれば良いだけだ」

「だけってそんな簡単に……」

「まあ」


 阿方先輩は隣にいる野々村先輩の顔を見て、また愉快そうに口元を歪めた。


「僕は眞琴を手放す気などないがな」

「全く、そういうことを恥ずかしげもなく」


 流石にこれには、野々村先輩も恥ずかしそうに顔を歪めたが、その口には笑みが広がっていた。


「自分も父母には最初、若い頃の結婚など浅慮だとも言われたが、長い目で見れば、二人で働いた上で同じ家に住み、家計を一つにすることで寧ろ支出も大きく減らせるしな」


 野々村先輩は他にもいくつか例を出して、実際に二人で話し合ったのだろうことを述べていった。まだ驚きが勝っているので話している内容全ては頭に入って来なかったが、二人の眼差しは真剣だった。


「将来設計も父母以上に二人で考えていたので、しっかりとプレゼンした。最後には母も、ここまでしっかりした人なら、と征嗣のことを気に入ってくれたよ。そうなれば父もなし崩し的に理解を示してくれた」


 凄いな。俺は思わず感嘆の息を吐く。そこでふと、僕を含めた皆は驚愕の事実に戸惑い、誰も二人に祝福の言葉を送っていなかったことに気づいた。


「阿方先輩、野々村先輩!」


 だから俺は二人の方を見て呼びかけた。


「二人とも改めて、ご結婚おめでとうございます」


 俺はそう祝福の言葉を口にする。今、ここにおいては二人とも何でもないような顔をしているが、実際には同棲を決め、結婚を決め、その報告をお互いの両親にし、婚姻届も提出した。ここに至るまで、二人して色々と悩んだことだろう。二人とも俺なんかよりはるかに強い心の持ち主だとも思うが、それでも周りから普通とは見られない選択をしようという時の、戸惑いや苦しみは俺もよくわかっているつもりだ。

 それに二人の決断には、俺に勇気がなくて背負うことを諦めた、自分ができなかったこともまた突きつけられる──。


「おめでとうございます!」


 俺の言葉に続いて皆でそうして二人を言祝ぐ。阿方先輩が内定の報告をした時以上の、大きな拍手を二人に送る。二人の門出を皆で祝福する。だが、俺の横にいる金元だけが何故だか一人だけ拍手をすることなく、まだ戸惑いの表情を浮かべたまま、野々村先輩のことをただじっと見つめていた。

 

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