同人誌即売、これからの社会
九月に入ると、サークルとして参加する文学同人誌即売会の準備が始まった。美咲の任せられていた編集作業も夏の間には終わっていて、後は印刷班と会場設置班に任せる形。因みに俺は春先からこっち、ずっと全体総括を部長や副部長と一緒にやっている。俺は幹部とか幹事とかそういうのは柄じゃないと思っていたけれど、間違いなくサークルに一番顔を出しているのは俺と美咲であり、だったらお前が総括すんのが一番だろう、となったのだった。現サークルメンバーは一年生が五人、美咲と副部長一人を含めた二年生が三人、俺と金元、部長と副部長一人で三年生が四人、野々村先輩と元部長を含めた今も在籍を続ける四年生が四人の計十六人。学内のイベントは副部長を含めた二年生が請け合い、飲み会等を含めた学外での活動は四年生が音頭をかけることが多い。昨年は三年生の持ち回りだったが野々村先輩が就活中にも関わらず、それなりにサークルに顔を出すので今年はそのまま流れで、飲み会等では四年生が幹事をやることが多かった。なお、元部長の阿形先輩は野々村先輩同様就活もあるが、在学中に自身の小説が書籍化するなど多忙で、三年生の春の時点で現在の部長に幹部を譲ってり、既にサークル運営からは降りているので、飲み会の幹事は専ら野々村先輩の担当だった。
部誌作成は、全メンバー何らかの班に着くように総括の俺も指示を出していたが、部誌内の小説や小論文を書いたのは内十名。実のところ、あの金元も中々に面白い小説を書く。一年の頃は飲み会とイベントに参加するだけの男だったが、二年生の半ば頃に野々村先輩にせっつかれて書いた小説が耽美かつ丁寧に整っていたものだから、その時は俺も少し驚いた。
俺は同人誌即売会のブース設営班ではなかったのだけれど、どうせ即売会自体には足を運ぶので、俺もブース管理を少しの間は請け負うことにした。美咲も当然のように着いてくるそうなので、そのことも設営班に伝え、イベントに赴いた。来てすぐは俺も気になる本を買って、お昼過ぎから一時間くらい、設営班と交代して美咲と二人、ブースの管理と部誌の販売を行った。
「やあ、二人とも」
ブース管理をしていると、野々村先輩が顔を出した。一時期は就活の疲労の見えた野々村先輩だったが、今日は気持ち晴れやかに見える。
「野々村先輩、お疲れ様です」
「お疲れ様、結城。美咲もお疲れ」
「お疲れ様です。野々村先輩、今日はなんか、すごく元気に見えますね」
美咲がそう言うと、野々村先輩は大きく頷いた。
「せっかくの即売会だから、と言うのもあるがな。実は内定が決まった!」
「おお!」
野々村先輩の力強い報告に、美咲が感嘆の声をあげる。
「おめでとうございます!」
俺も一人拍手をして野々村先輩を讃える。美咲もそれに合わせて拍手をしてくれた。
「ありがとう、二人とも」
「どこに就職するんですか? 出版社とか?」
「それも当然何社か受けたが、自分はイベント会社への就職が決まった」
野々村先輩は誇らしげに胸を張る。
「イベント会社、ですか?」
「ああ。地下アイドルのイベンターなんかもやってる会社でな。面接の際にアイドルへの熱い想いを話したのが気に入られたらしい」
「すごいですね」
俺は素直にそう言った。めちゃくちゃ趣味が実益を兼ねている。すごい。
「実際、色々な企画を手掛けているからアイドルばかりというわけでもないがな」
「なるほど。野々村先輩らしいと言えばそうですね」
この人のアグレッシブさはイベンターにも中々向いてると思うし。
「内定も決まったし、去年も行った温泉旅館への旅行をするぞ、とさっきそこで会った他の部員を突いてきた」
「そんなんありましたね」
去年は確か11月の連休に一泊二日での旅行だった。俺は去年はバイトが重なったしまったからそちらを優先して参加していなかった。
「良いですね。私、去年は行けなかったので今年は参加したいです。ね、先輩?」
美咲が楽しそうな顔で俺の方を見た。これで俺もほぼ行くことが確定したな。
「あれ? でもサークルの皆とはそんな話してませんよ」
俺がそう言うと、野々村先輩が「そうなんだ」と呆れた様子で溜息をついた。
「だからさっき、他の部員も突ついて来たんだよ。まあ、今年は自分が色々やり過ぎたから、このまま旅行もお流れになりそうではあるかと思っていた」
「なるほど」
「君にも言ってるんだぞ? 君含めた三年生で音頭を取らないと、誰もそんなこと言い出さないんだから」
「それは、はい。すみません」
野々村先輩にそんな風に言われ、俺は頭を下げた。
「とりあえず、皆にさっき参加か不参加かを問うメールを学内アドレスに送ったから確認しておいてくれ」
俺はすぐにスマホを確認して、メールを開く。確かに、いつも学内イベントを取り仕切っている二年生の後輩から、全体メールが届いていた。
「まあ、それは良い。売り上げの方はどうだ?」
「用意したうちの半分ちょいくらい売れた感じですね。去年も昼過ぎから一気にはけたので、今年もそうなったら良いな、と」
「そうか。それは何より!」
野々村先輩は満足げに笑った。
「しかし今日も君たちはニコイチなんだな」
と、野々村先輩は俺と美咲を交互に見てそんなことを言った。あー、そう言えば野々村先輩の就活の邪魔になりたくないというのもあって、色々とプライベートなあれこれをこの人には話していない。今の美咲との関係は、特段わざわざ言うようなことでもないが、野々村先輩には色々とお世話になったし、なんか一言でも言っておいた方が良いか?
「そうですね。先輩とは、これまで以上に仲良くしてます」
俺が何か言うより先に、美咲の方がそんな風に言った。説明しているようなしていないような言い方だ。
「お、それはつまり?」
野々村先輩は愉快そうに、美咲を見る。
「……先輩、どうぞ」
こいつ、俺に丸投げしやがった。
「えーっとですね。実は、俺と美咲で交際をすること自体は相談しまして」
「ほう」
「ただ、それは何か違うなってことになり、今は彼氏彼女というわけでもないですが、お互いに了承して、そのくらいのつもりの距離感ではいます」
俺は美咲の方を見た。今の言い方で合ってるよな? 美咲の個人的なことなど細部は省いているが、説明するとしたらこれくらいがベターじゃないか? これも美咲との認識が食い違っているのだとしたら、俺はだいぶ困るぞ。
「はい。そんな感じです」
と、美咲が俺の言葉に続いてそう言ってくれたので、俺はホッとした。良かった。今すげぇ心臓バクバク言ってる。
野々村先輩はそんな説明にも怪訝な顔をすることなく、「なるほどなるほど」と相槌を打った。
「確かに、無理に関係性を何かに当て嵌める必要もないし、君たちにはそれが良いのかもな。自分にとっては、君たちは変わらずニコイチだよ」
「ニコイチ。悪くない響きですね」
美咲が腕を組んで考え込みはじめた。やめろよ、お前。悪い癖だってそれ。どっちにしても面倒くさいんだから、今の俺の説明で納得してくれたんならそれで良いんだって。
「ま、その辺の話もおいおい聞かせてくれたら自分は嬉しい。それじゃあ自分は他も見てくるから」
「はい。ありがとうございました」
今度は俺と美咲で二人、野々村先輩に頭を下げる。野々村先輩はそんな俺達に手を振って、他のブースへと立ち去って行った。
「みわちゃんの気持ちが少しわかって来ました」
「何?」
美咲は小さく鼻から息を吐く。
「私、今まで人とあまり関わって来なかったのですが」
「そうかな」
美咲は俺から見ると、かなり人と接している方だと思うのだが。
「先輩や先輩と関係する人以外とお話すること、ほとんどないので」
俺は少しだけ、美咲の交友関係を頭に思い浮かべた。サークルの人間は確かにそう。茉莉綾さんを初め、見学店のキャストの皆との交友は美咲からはじめたモノとは言え、こいつがあの店に入店したのは、元々は俺を驚かせる為だ。古宮さんは中学の先輩だったと言うから例外だが、確かにそれ以外に美咲の交友関係を俺は知らない。そういえば、学食でも一人だった。
「そういやそうなんだな」
「はい。先輩のこととなると体が動くのですが、それ以外はどうも」
「そっか」
それは良いのだが、流石にバランスというものがあるのでは? ただ、こいつが暴走しがちだった理由が、また少し垣間見えたかもしれない。
「だから、先輩との関係を他人に聞かれた時、こうして説明するというのがこんなに難しいとは思っていませんでした」
「今更?」
俺はてっきり、セフレだとか都合の良い女だとか、よく分からない呼び方もそれを承知で言っていたものと思っていたが。
「今のままが良いだろ」
どうやらこの件については、俺の方が余程悩んだようだから、俺は俺の考えを口にした。
「特に親しくない奴、たとえば特に交流のないサークル部員とかにまで説明する必要はない。聞かれたら大学の先輩後輩です、で通るし。実際そうだし」
美咲は俺の言葉を聞いて「うーん」と眉間に皺を寄せた。
「確かに先輩は先輩ですが、野々村先輩みたいに他人よりは近い人に対しては」
「さっきので良いじゃん」
「野々村先輩は納得してくださいましたが、そんな人ばかりではないです」
そりゃあな。恋人関係でもないのに、みたいな言い方をする人はいるだろ。
「だから私は、先輩に恋人なりカノジョなり作ってもらって、違いますカノジョじゃないんです、先輩には恋人がいるので、ふふ、って言いたかったんですよ!」
「知らねえ! そこまで行くと恋愛云々じゃなくて、単なるお前の性癖なんだよ!」
何が「ふふ」だよ。ほんっとにめんどくせぇな、こいつ!
「恋人はしっくり来ないんだろ」
「人にどうしても説明する時には、カレシカノジョならギリ……」
妥協を覚えはじめたな、こいつ。
「嫌なら無理して言わんでも良いんだけど」
「付き合っているって言おうが、友達や先輩後輩の関係って言おうが、どっちにしても説明しなくちゃ正しく認識されないし誤解されるんだったら、カレシカノジョで通した方が良い気がしてきました」
「美咲がすごい社会的なことを言ってる……」
「先輩? その言い方は失礼では?」
いや、だってこれまで他人のこと気にするようなことを美咲がしてるの、ほとんど見たことなかったし……。
「先輩」
「何?」
「握手」
美咲が俺に手を差し出した。よく分からないが、俺はその手を取って、言われた通り握手をする。
「先輩、私と付き合ってください」
「ちょっと待て」
ここで? 今、客待ち中なんだけど。
「多分、私から言わないと先輩は遠慮すると思ったので」
「そりゃな」
お前からフってるし、その後も色々と理屈つけて来たのは美咲の方だろうが。後、さっき野々村先輩にカレシカノジョってわけでもないって言ったばっかだし。
「一応言っておきますが」
「俺のことは好きじゃないし好きにはならないんだろ。わかってるよ」
「はい。ありがとうございます先輩。じゃあ」
「嫌だ」
「え」
俺の返答に、美咲が固まった。
「ど、どうして? 先輩は私と付き合いたかったんですよね?」
「告白した時はな? でもその後、美咲のこと色々知って、俺はもう考えを改めた後なの。だから」
俺は握手をした手を上下に動かす。
「俺は今のままが良い。でも、美咲がしっくり来る関係を見つけるまでは、そういうことにしといてやっても良い」
「え、めんどくさ」
「お前に言われたくねえー」
俺よりお前の方がめんどくせえと思うからな。そうだよな?
「わかりました。先輩には、私をカノジョと呼ぶことを許します」
「ありがとう。俺のこともカレシって呼んで良いよ」
俺と美咲は手を握り直した。結局のところ、人から勝手に貼り付けられるラベルなど、どうでも良い。俺が美咲のことを分かっていて、美咲も俺のことを受け入れてくれるなら、俺はそれで良い。
「すみません、一冊良いですか?」
一人、客がブースに訪れた。俺と美咲はにこりと笑う。俺は部誌を手に取り、客に渡した。
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