夏の終わり、これからの付合い方

 夏休みの間も美咲とはよくやり取りをした。夏休みは塾の夏期講習も忙しいので、毎日時間があるわけでもなかったが、そんな中でもバイトのない日に映画館に行くとか、SNSで話題になっていた新商品が気になるとか、そんな些細なことでも気になったことは連絡したし、それは向こうも同じだった。時間が合えば美咲が車で俺のアパートまで迎えに来て、カラオケでも映画でも、ほとんど毎週どこかには遊びに行った。そういえば古宮さんは院試まで後一カ月を切ったらしいので、流石にこれまでよりはバイトの頻度を減らしていたが、院試が終わればまたそれ以前と同じようにしていく予定らしい。見学店のバイトは相変わらずだった。片桐さんから事前に連絡が来て、その日が空いていれば行く。撮影は大抵夜なので、塾とも被らないから並行して続けた。

 お盆前には、教習所で実技教習も始めていて、俺も免許取得までは秒読みになった。俺が運転できるようになったら行き帰りで運転役変わるか、なんて話も美咲とした。

 俺達も二人ずっと一緒に行動するわけでもなく、俺が行きたいところがあった時、美咲もついてくることもあれば、美咲は美咲で好きなように行動することもあったし、その逆もそうだった。お互い自分の好きなように行動するのが当たり前。それが俺は逆に心地良かったし、美咲も同じようだった。茉莉綾さんとも話したように、茉莉綾さんと三人で飲みに行くこともあった。ストリップ劇場の観劇にも行った。本場のストリップダンスは確かに圧巻で、茉莉綾さんに覆されたストリップの俺の中のイメージも補強された。誰かと自分の好きなことを隠すことなく話ができることを茉莉綾さんはとても喜んでいて、俺も美咲もそんな茉莉綾さんと楽しく接した。

 俺と美咲も、それぞれお互いの家に泊まることも増えた。夜まで遊んだ後に、家でお酒を飲んだりすれば美咲も運転はできないし、そうなるとそのまま部屋に泊まる流れになる。セックスは全然しなかった。俺の方からもその話をしなければ、美咲の方も自分からその話題を出すことはなくなった。ミサキと別れた後の数週間は、セックスがしたくて堪らない日もあったのを思い出すけれど、今となっては美咲の横にいられれば、俺はそれでよくなっていた。美咲の部屋は狭いし、俺も布団を一つしか持ってないから、自然と同じ布団で寝ることは多かった。それが当たり前になってくると、俺も美咲と隣にいるとこれまでのように興奮するよりも、安堵と安心を得るようになってきたのは、自分でも驚く変化だった。当然、これからもずっとそうだとは限らないけれど。美咲の方も、気持ち程度かもしれないが、気を張り詰めたような雰囲気が徐々に薄れ穏やかな様子になった気がする。ただ、これは俺といる時間が長くなって、彼女の素が見えてきただけかもしれない。


 お盆には美咲は実家に帰省したので、俺も実家に寄って墓参りには行った。美咲が実家に行くと言った時、「一緒に来ますか?」と言われたが、流石にそれは美咲の家族も俺が何者なのかわかんねーだろ、と断った。こういう時、恋人やカレシというラベリングは確かに便利なんだな、とみわさんの気持ちもわかる。


 そんなみわさんの音声作品も、お盆明け頃には編集作業も終わったらしい。サンプルとして販売前の音声データがみわさんから送られてきたので聴いてみたが、自分が書いた物がプロの手で読まれるというのは少しこそばゆくて、それでいて高揚感があった。一応俺もサンプルを聴いて気になるところがないかをみわさんに確認され、特に問題がないことを伝えると、早速ダウンロード販売を始める手筈を整えると言っていた。


 一度だけ、アットシグマのライブにも足を運んだ。俺も変わらず彼女達を応援することは、ミサキにも烏京さんにも約束したことだし、美咲も今や普通に桔梗エリカのファンなので、桔梗エリカの配信を俺の家で美咲が観ていた時に、ライブに行こうと言う話になったのだった。彼女達のライブは益々盛り上がりを増して来て、以前来た時よりも会場は逆でいっぱいになっていた。そんな中でのライブ応援だったし、前列席にいたわけでもないから、ミサキが俺のことに気付いたとも思えない。けれど、ふとステージで歌い踊るミサキと目線があったような気がした時は、我ながら気持ち悪いなと思ってしまった。俺は特典会でのチェキには行かなかったけれど、美咲は桔梗エリカへのチェキ券を買って「生エリカちゃん!」と興奮していた。本当にもう、普通にファンだった。


「生エリカちゃん、初めて観ました。あんな可愛かったとは」


 帰りの車の中で、ライブの興奮冷めやらぬテンションで美咲が言った。


「そっか、美咲はアバターの桔梗エリカしか知らなかったのか」


 配信ではアバターで、ライブでは生身でのパフォーマンスをすると言うのは今も変わらないスタイルらしい。みわさんも桔梗エリカのファンらしかったから誘ってみたけれど、自分は配信者としての桔梗エリカのファンだし、人混み多いところは苦手、と断られてしまった。そういうこともあるか。


「先輩、嫌だったら答えなくて良いんですけど」

「おう、何?」


 美咲が何か話題を出す時、こんな風に切り出すことも増えた。好奇心や自分の感情が勝って、俺や他の人間を怒らせるようなことをするのは、あのラブホでの一件を境にして気をつけるようになったようだった。


「本当に何で、フっちゃったんですか?」

「……あー」


 ──その話はされるよな、とは思っていた。寧ろ、ライブに行くとなってから帰りの今の今まで、それを口にしなかった美咲に俺は驚いていた。


「先輩がエリカちゃんと別れたって聞いた時も言いましたけど、ホントにもったいないと思って……」

「あのまま付き合ってても、お互いの為に良くないと俺は思ったし」


 ミサキと俺が一緒にいることを選び、ミサキがアイドルを辞めていれば、今日観たようなライブの熱狂は失われていたんだろうし、俺もみわさんの音声作品への参加をしたり、こうして美咲と一緒にドライブをすることもなかったろうし。


「思ったし、何ですか?」


 口をつぐんだ俺に、美咲はその先を促した。その先の言葉を口にするのは、少し躊躇った。美咲が俺や他人の気持ちを気にするようになったのと同様、俺も美咲が困るようなことは口にするのは憚られた。


「俺は美咲のことも好きだから。このまま喧嘩別れってのが嫌だったんだよ、あの時は」

「……そうでしたか」


 案の定、美咲は少し困ったように口籠った。ラブホ宿泊の後の夏休みの間、美咲に対して「好きだ」と言うことは一度もなかったので、久しぶりに口にした俺のその言葉に戸惑う気持ちはわかる。


「先輩、私にゾッコンですからね」


 けれど美咲は、溜息をついた後にそう言った。そういや、初めて古宮さんの家に行った時も、こいつは俺のこと、そんな風に言ってたな。あの時と今までは、何もかもが違う。そう思うと、少しだけ笑いが口から溢れた。


「そうなんだよ」


 だから俺も、自分の気持ちを誤魔化さずに正直にそう返した。


「エリカちゃんも自分は同担拒否って言ってましたしね」

「そうだっけ?」

「自分が好きな友達とかキャラとかがいると、それを好きな人とか話す人とか見たら、何だお前ー、あたしのだぞーって思うって。配信で言ってました」

「そうなんだ……」


 それは知らん。本当に俺よりも普通にファンじゃん、お前。ああ、でも確かに似たようなことを言っていたような気もする


 ──あたしの好きなユウくんが、他の女にデレデレするのなんて、想像するだけで、嫌。隣にいるだけで吐き気がする。そういうとこ嫌い。


 ミサキに別れを切り出した時、あいつは俺にそう吐き捨てていた。チェキを撮った美咲が、俺が言っていた美咲だとはあいつは知らないだろうけど──。


「エリカちゃんとのチェキ終わった時、先輩にもよろしくね、とは言われましたよ」

「え」


 一瞬、思考が停止した。は? どういうこと? そうはならねえだろ。それはどういう流れで?


「チェキには、美咲ちゃんへ、って書いてもらったんですが」


 名前、書いてもらったんだ。いや、まあそれは別に普通か。でも名前だけなら美咲なんて名前、被ることはある。そもそもミサキと美咲だってそうだし。


「それ書いてもらった後に、一緒に来てた人とはどんな関係なの? って聞かれて」

「お前から誰かと一緒に来たってこと言ったの?」


 美咲はハンドルを握りながら、首を傾げた。


「いえ、言いませんでした」


 雲行きが怪しい。


「で、何て答えたの?」

「大学の先輩です、とだけ」

「……そっか」

「仲良いの? って聞かれたから、大事な人ですって言いました」


 それはお前。

 いや、──わからない。美咲が誰なのかをあいつが分かって聞いたかどうかは何にもわからないし。


「お前、そういうとこあるよな」


 美咲に他意がないことはわかる。聞かれたことに正直に答えただけではあるんだろう。たとえわかっていたのだとしても、嫌味みたいに思われなかったことだけ願う。ミサキはそんなこと思う方じゃないとは信じてるけど。


「お前、それ少し前だったら都合の良い人ですとか答えたりしなかったろうな」

「失敬な。流石にそれを人に言うのはヤバいなと思うくらいの常識はあります」


 ホントか?

 

「それで先輩にもよろしくね、か」


 なるほど、流れは理解した。今の話だと、ミサキが分かっていたのかどうかは判断しかねる。ミサキが俺や美咲のことに気付いていたのかどうか、ミサキや烏京さんに確認することもできなくはないが、そんなことで連絡するのもな。それに、そういう時に咄嗟にそういう返しを美咲がするんだということ自体は、悪い気がしないというか、正直すごく嬉しい。


「先輩がエリカちゃんと付き合ってたら私もお友達になれたかもしれなかったのに」

「紹介しようか」

「いえ、恐れ多い」

「どっちだよ」


 後、美咲も言ってたようにだし、それで友達になるってのは、とても難しいことな気がする。

 そんな話もして、その日はお互いの家にちゃんと帰った。俺は久々に桔梗エリカの配信ページを開く。一時期ペースの落ちていたこともなかったかのように、毎日配信を続けているようだった。チャンネル登録数も、俺が最後に見た時の倍くらいに膨れ上がっていて、変わらず頑張っているんだなと思うと、心がキュッと締め付けられるような、それでいて誇らしいような、自分でも形容し難い気持ちになった。


 八月も終わる頃に、俺も自動車免許を取得した。美咲に運転を任せてばかりいることもこれでなくなる。美咲はおめでとうございます、と免許取得を祝福してくれたが、その後少しだけ考え込んだ。


「あれ? でも、それだと先輩一人でも遠く行けちゃうじゃないですか」


 と、美咲は少しだけ不満気だった。


「でも俺、自分の車ねえし」

「じゃあ仕方ないですね」


 今度は途端に嬉しそうになる美咲だった。こういうところも、ちょっとずつこいつの反応の仕方が分かってきたような気がする。

 そんな風にして意外と忙しい夏の日々が過ぎ、吹く風も少しずつ涼しくなる。そして季節は秋を迎えた。

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