ラブホで三人、これからの感情③

 美咲は手の支えを外し、トスンと俺の胸に頭を落とし、体重を乗せる。けれど美咲は軽くて、俺が押し出せばすぐにでも転がっていってしまうだろう。古宮さんみたいに男の俺を組み伏せるような力も、ミサキのように俺から抵抗を奪うような手管もない。それでも、俺は美咲を押しのけることはできなかった。俺の胸に耳を当てている美咲には、俺の鼓動が通じていると思う。


「そんなこと言われても、茉莉綾さんもいるんだけど」

「茉莉綾ちゃんもするんです!」

「わ、私も!?」


 いきなり俺と美咲の両名に名指しされた茉莉綾さんは、俺と俺の上に重なる美咲を前に、どうして良いかわからずまた困惑していた。


「私、ちゃんと勉強しましたから。先輩のこと、悦ばせますから」

「それはお前……」


 金元とのことを言ってるのか。美咲はあいつに、男を悦ばせる方法を教わりに行ったのだと、金元にも聞いた。金元は、自分が教えたテクを美咲が俺に披露したのか、気にしていたけれど。


「茉莉綾ちゃんも、先輩のことが好きなら先輩と良いことしたいですよね? 嫌なわけじゃないですよね?」

「それはその、美咲ちゃん? 私もそりゃ、できれば、その……」


 さっきまでお姉さん然として美咲を怒っていた茉莉綾さんの声が、段々と小さくなる。茉莉綾さんも、急なアクシデントには弱い。特にそれが異性の絡むことなら、尚更だ。

 ──ったくこいつは! そういうことちゃんと考えろって言われたばっかだろうが!


「先輩も、私とセックスしたいですよね?」

「したいよ」


 俺は美咲に正直に言う。


「でも、少なくともこういう状況でじゃねえ、バカ」


 こんなんで出来るわけねえだろ。そういうことも、実際こいつはわかっちゃいないのかもしれない。


「私は、できます。先輩となら、できます」


 言いながら、美咲が俺の胸に顔を埋めた。そのせいで、美咲の声が段々とくぐもったものになる。

 俺は少し悩んだ後、俺は自身の腕で美咲の頭を抱えた。


「こんだけ震えて何言ってんだバカ」


 美咲の体は、震えていた。金元との時がどうだったかなんか知ったこっちゃないが、少なくとも俺はこんな状態の美咲とヤろうとなんて思えない。


「バカバカ言わないでください」

「バカ」


 俺は美咲の後頭部を軽く小突く。


「じゃあ、私はサポートするので茉莉綾さんとしてください」

「尚更ダメだろ、バカ」


 俺は美咲の頭を抱えながら、体を起こした。美咲は依然として、俺の体から離れようとしない。俺は隣で美咲を心配そうに見つめる茉莉綾さんを見た。それで、さっきの告白のことを思い出す。茉莉綾さんに好きだと言われたことは、嬉しい。茉莉綾さん自身にも、美咲にも言っていることだが、俺は茉莉綾さんのことを魅力的な女性だと思う。セックスをしたいかしたくないかで言われれば、そりゃしたいというのが本音だ。


「美咲は俺と茉莉綾さんに付き合って欲しいんだっけ?」

「はい」


 俺の胸が美咲が声を出す度に振動する。正直これも悪い気はしないのだが、俺の方がそんなバカなことを言っている場合ではない。俺は「あー」と唸るように声を出した後、言葉を紡いだ。


「そういう関係もありだと俺は思うんだが」

「ちょ、ハルトくん!?」


 美咲を見つめていた茉莉綾さんが、目を丸くして俺を見た。俺は慌てて首を横に振った。


「いや、俺達がってことじゃなく! ほら、そういう話、桃子さんとしたばっかなんだよ。恋愛関係にどうしてもならないうちの一人が、合意の上で恋人やセックスパートナーを別に作ることは全然あることだって」


 多分、あれは桃子さん自身も悩んでいることなのではないかと俺は勝手に思うのだが、そういう話は今関係ない。


「でもさ、美咲。俺、思うんだけど」

「何ですか?」


 美咲はようやく顔をあげた。俺を睨みつけるように見上げる。そしてそんなことをされてもドキッとするのだから、俺も大概バカだと思う。


「俺、そんな器用なこと無理だよ」


 我ながら情け無い答えなのだが、それが本音だった。美咲のことが好きで、俺を好きでいてくれる茉莉綾さんとも付き合って?

 いや、無理だって。それが出来る奴なら良いよ。世の中には、広い愛を持って気が利く奴もいるんだと思うよ。もしくは、古宮さんみたいに割り切ってしまうのもありだ。けれど、俺は既に俺が好きだったミサキをフっている。それは、ミサキのことを受け止める度量が俺にはなかったからだ。後、そんなことしたら烏京さんにも殺されると思う。


「茉莉綾さんは正直どう思う?」


 俺は茉莉綾さんに尋ねた。茉莉綾さんは顔を真っ赤にして、目を泳がせていたが、遂に観念したように、自身の頬を叩いて、美咲をキリッと見つめ直した。


「私は正直、ハルトくんを好きってだけで満足!」

「お、おう」


 そう力強く言われると中々の圧を感じる。それはそれでこっちの気が引き締まる。


「美咲ちゃんはそういうとこ、幾つか勘違いしてると思う」

「勘違い?」


 自身の方に振り向く美咲に、茉莉綾さんは頷いた。


「そもそも恋人だからってセックスしなくちゃいけないわけじゃないでしょ」

「あー……」


 茉莉綾さんの言葉に、俺の方が頷いた。美咲があんまりにもセックスセックス連呼するから、俺の方が麻痺していたところもあったか。


「もしも。もしもだよ? もしも私とハルトくんが、その、つ、付き合ったとして」


 力強いことを言ったと思ったら、急にトーンが下がる茉莉綾さんだった。


「だとしても、その関係を美咲ちゃんにとやかく言われるのは筋違いじゃない?」


 それは俺もそう思う。美咲との関係が今まで通りで、俺と茉莉綾さんが恋人になったとして、その歩みを決めるのは二人の問題だ。恋人でないとしても同じこと。二人で今後どうしていくかを決めるのは、それぞれ俺と茉莉綾さん自身だ。


「私やハルトくんの気持ちを、美咲ちゃんが勝手に決めないで」

「……はい」


 美咲は俺の胸に両手を乗せて、ぎゅっと拳を握った。


「俺からも良いか?」


 俺は茉莉綾さんに目線を向ける。茉莉綾さんは無言で首肯した。


「お前、何度も俺に返せるものがないって話するけど、違うからな。俺は全然、良いんだよ。これは別に強がりとかじゃなく」


 美咲は、自分に好意を向けられたらそれと同じようなものを返さないとと思っている。それがセックスだったり、他の人との関係だったりする。けど、人と人との関係って、そんな単純なものなんかじゃないと思う。


「俺は今、割と幸せだよ」


 俺は美咲の肩に手を乗せる。美咲の体は、もう震えていなかった。


「美咲に想いを伝えて、お前がちゃんと俺に正直な気持ちを教えてくれて」


 美咲が俺のことを好きじゃないと言われた当初は本当にショックだったけれど、今はそれを正直に言ってくれた美咲に感謝していた。美咲の偽らざる気持ちを知れたのは、俺にとっては幸せなことだし、俺をフってそれでも尚、やり方はさておき美咲が俺との関係を考え抜いてくれていることも、正直かなり嬉しい。こんな状況でも、笑みが溢れそうになるくらいには。


「美咲ちゃん、もしかして昔なんかそれで嫌な思いでもした?」


 茉莉綾さんが、美咲にそう尋ねる。美咲はその問いに、ビクリと体を震わせる。俺もその問いに、かつての美咲のことを思い出す。美咲は俺の小説を読む前は引き篭もりだったという。それには何か理由があったのかもしれないし、さしたる理由もなく何となくそうなったのかもしれない。美咲はその頃の話を俺にはロクにしたことがない。


「いや、別に答えなくて良い」


 俺は茉莉綾さんの代わりに、美咲にそう言った。

 今あった、暫しの沈黙が答えだと思う。


「先輩は……」

「うん?」


 美咲は自分の肩に置かれた俺の手に、自分の手を重ねた。


「先輩は私が先輩のこと好きじゃなくても、嫌じゃないですか?」

「お前、今まで俺の何を見てたの?」


 俺は溜息をついた。


「だったらお前の我儘にこんな風に付き合ってねえよ、バカ」

「またバカって言った」

「バカ」


 一人で勝手に考え込んで暴走して、それで他人の気持ちもロクに想像せずにいる。それがバカでなくてなんだ、バカ。


「じゃあ、先輩はセックスはしたくない?」

「話が飛躍してる。さっきも言った。そういうことじゃない。ただ、今この状況ではしたくない」

「茉莉綾ちゃんも?」


 茉莉綾さんも、美咲に頷いた。


「そうだね。今、そういう雰囲気じゃ絶対ないよね。それはわかる?」

「でも、ラブホですよここ。せっかくのラブホです」


 美咲は小声でそう口にする。


「そりゃそうだけど、そうじゃなくて」


 茉莉綾さんが「うーん」と頭を抱えていた。茉莉綾さんが俺のことを好きどうこうより、美咲の傍若無人ぷりに俺と同じように悩む人がいることも、それはそれでだいぶ嬉しいかもしれない。


「今は女子会プランとか、男女でもカラオケの為に来たり、観光客とかも泊まるから」

「そう。そうだよ」


 俺の言葉に、茉莉綾さんが乗っかる。俺もこれ全部、古宮さんの受け売りだけど。


「そう、ですか」


 美咲が俺から離れて座り直した。俺も改めて脚を組み直し、茉莉綾さんも大きく息を吐く。

 ゆっくりとした時間が流れた。美咲の暴走で、滅茶苦茶になった感情を俺達三人ともが今各々昇華しているところなんだろう。美咲は俯いたまま動かなくなったし、茉莉綾さんはテレビの方をじっと見ている。俺もまた、そんな二人を見ながら静かに乱れた呼吸と鼓動を整えるところだった。


「でもそうだな……」


 沈黙を最初に破ったのは、茉莉綾さんだった。茉莉綾さんは何やら腕を組んで、考え込む。それからテーブルの上にあったワインをグラスに注いで、一気に一飲みする。


「茉莉綾さん?」

「ちょっとだけ待って」


 茉莉綾さんはグラスをテーブルの上に置いた後、立ち上がる。それからスタスタとベッドの前辺りまで歩いて行く。


「美咲ちゃんの言う通りかも」

「え?」


 背を向けたまま口にされた茉莉綾さんの言葉に、今度は美咲が首を傾げた。


「せっかくラブホだもんね」


 茉莉綾さんはくるりとこちらに向き直る。


「美咲ちゃんの我儘、私もハルトくんも聞いたんだし、ちょっとだけ私も我儘、良いかな?」

「そりゃ構わないけど」

「ありがとう」


 俺が答えると、茉莉綾さんはにっこりと笑った。それから何度か深呼吸をして、俺達の方を見る。


「美咲ちゃんの言う通り、せっかくこんなところにいるんだし。ねえ、ハルトくん?」

「何?」

「前に、私の裸見せたよね」

「ああ、うん」


 まだ茉莉綾さんの本名も知らなかった時、見学店のキャスト、すずかとして俺が茉莉綾さんを指名した時だ。結局それは、店的にはNGでオーナーの片桐さんにこっぴどく怒られた話も聞いた。


「今日、もう一度見てもらおうかな」

「え? ……へ?」


 美咲が茉莉綾さんに視線を向け、目をパチクリと瞬かせる。


「あの時みたいに、お客さんになったつもりでハルトくんには私を見てて欲しい。もちろん、美咲ちゃんにも」

「ど、どういうことですか?」


 美咲が目を丸くしている。今度は、美咲の仕込みではないらしい。茉莉綾さんが何をしたいのか、俺もよくはわからないけれども。


「……わかった」


 俺は茉莉綾さんに頷いた。美咲はそんな俺にも困惑して、おろおろと俺と茉莉綾さんを見比べる。


「ありがとう。美咲ちゃんも、良い?」

「えと。は、はい。」


 茉莉綾さんはまた俺達に笑いかけて、自分の荷物からスマホを取り出した。それからテレビの前にあったスピーカーにスマホを繋げる。茉莉綾さんが部屋の証明を薄暗く変更して、スマホを弄ると、スピーカーからクラシカルな音楽が鳴り響く。


「それじゃあ、お願いします」


 茉莉綾さんは見学店でそうする時のように、綺麗に立ってお辞儀をする。そして曲に合わせてバスローブ姿のまま、踊り出した。優雅な曲調に合わせて、茉莉綾さんは狭い部屋の中で柔らかい体を捻り、脚を頭上よりも高く上げる。

 茉莉綾さんがダンスに興味があることは俺も知っている。最初の撮影の時もその話をした。茉莉綾さんは待機室でよくダンスの動画を観ていたし、俺が地下アイドルのライブに行くと言った時も地下アイドルのダンスに興味を持っているようだった。ただ、本人がこうして踊る姿は初めて観る。茉莉綾さんは真剣な面持ちで、優雅に体をくねらせる。時折こちらの方を見てにこりと笑いかける。曲調が変わる。茉莉綾さんはそれを合図にしたかのように、ふっと大きく回転した。

 ──それと同時に、茉莉綾さんはバスローブを脱ぎ捨てる。


「あ」


 美咲が俺の隣で、息を飲んだ。茉莉綾さんが脱いだバスローブがベッドの上にストンと落ちる。下着姿になった茉莉綾さんは、なおも体をダイナミックに動かしていく。茉莉綾さんは脚を柔軟に開き、両手を持ち上げて脇を見せて、ダンスに集中していた。そしてまた一回転。今度はブラを外して、その場に落とす。見学店でのパフォーマンスの時は、手で胸を抑えていたけれど、今の茉莉綾さんはそんなことはせず、膨らんだ胸を揺らしながら腰を振り、天を仰ぐ。その妖艶な姿で、茉莉綾さんは俺達を表情を変えずに見下ろした。

 ──綺麗だ、と思った。店で茉莉綾さんのパフォーマンスを見た時ともまた違う、彼女の魅力が、彼女自身の剥き出しの体でぶつけられている。俺はそんな茉莉綾さんに、カメラを構えたくてうずうずした。

 それからまた、一回転。すっ、とその細長い右脚を下着から抜く。彼女がそのまま両脚を頭上高くに蹴り上げるようにして、下着がふわりと宙を舞う。茉莉綾さんはそれを手で受け止めると、ブラと同じように床に落とした。

 茉莉綾さんは一糸纏わぬ、裸の姿を堂々と晒して、大きく体を反らす。胸と下腹部がそれで大きく強調される。彼女は反らした顔で俺の方を見て、一瞬だけふと我に返ったみたいに、はにかむようにして笑った。

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