ラブホで三人、これからの感情②
茉莉綾さんが頼んだワインと、部屋の冷蔵庫にあった缶チューハイをテーブルに並べ、俺と美咲、茉莉綾さんの三人で乾杯をした。俺と茉莉綾さんはワインをグラスに注ぎ、美咲は缶チューハイでの乾杯だ。
「落ち着いたところで聞くけど、ハルトくん、美咲ちゃん」
茉莉綾さんがワイングラスを揺らしながら、俺と美咲を睨みつけた。
「行きの車での説明はふわふわしてたけど、結局二人はどういうことになってるわけ? 細かいとこまで聞かせてくれる約束、だよね?」
茉莉綾さんが美咲を横目で見た。どうやら、それを教えることが茉莉綾さんがラブホに来る交換条件の一つだったらしい。美咲は観念したように目を瞑る。
「私は先輩のセフレになろうとしまして」
「へ!?」
美咲のいきなりの発言に、茉莉綾さんはワイングラスを落とした。グラスが割れこそしなかったが、茉莉綾さんのスカート全体にワインがこぼれ、びちゃびちゃになる。俺はすぐに立ち上がって、シャワー室からタオルを持ってきて茉莉綾さんに渡した。
「あ、ありがとう」
茉莉綾さんはタオルを受け取り、スカートを押さえつける。だが、かなり濡れてしまっているし、スカートほどではないが上着の方も濡れてしまっている。
「ま、茉莉綾ちゃん着替えあります?」
「水着しかないかな……」
慌てる美咲と沈む茉莉綾さんを見て、俺は古宮さんとラブホに来た時のことを思い出す。ホテルによってはネグリジェなどがある場合もあるそうなので、部屋の中を探したが、アダルトグッズや美容品などのアメニティは見つかったものの、着替えになるものは見つからない。なりそうなものと言えば、と俺はまたシャワー室に向かった。
「茉莉綾さん、えっと。これは?」
俺はシャワー室から持ってきたバスローブを見せた。ガウン型なので、下着を下に着ていれば普通の服と同じように着れるはずではある。
「ありがとう。そうする……」
茉莉綾さんは俺からバスローブを受け取り、シャワー室に行ってカーテンを閉めた。水を出すために蛇口を捻る音や、シャワーの音やが部屋に響き、しばらくしてからカーテンが開く。白いバスローブを羽織った茉莉綾さんが溜息と共に俺達のもとに戻ってきた。
「すみません」
美咲が申し訳なさそうに頭を下げる。茉莉綾さんは美咲を見て失笑した。
「ううん、私が不注意だっただけだから。えーっと、なんだっけ」
「私が先輩のセフレに」
「ハルトくん、説明して」
茉莉綾さんが即座に俺の方を向いて聞いた。正しい判断だと思った。
「まず俺は美咲のことが好き」
「はい」
「美咲は俺のことは好きじゃない」
「はい」
「でも、俺は美咲と恋人みたいなことがしたい」
「はい」
茉莉綾さんは俺の説明に一つずつ相槌を打つ。問題はこの後なのだ。俺も納得がいっていない部分だから、どうまとめたものか悩む。
「美咲も別にそれ自体は良い」
「そうなの?」
そこで茉莉綾さんが美咲を見た。
「はい。私は特に忌避感はないです。セックスもです」
「補足ありがとう」
一応避けた言葉をしっかり言った美咲に、俺は礼を言う。
「でも恋人関係じゃないから、もしセックスするならセフレだって」
「それは、うーん? うーん?」
茉莉綾さんが首を傾げる。とてもよく気持ちがわかる。
「美咲ちゃんが言いたいことはわからないでもないけど」
茉莉綾さんは俺と美咲の顔を交互に見る。
「えっと、それで二人はその、したの?」
「してません」
先に答えた美咲に、俺も頷いた。
「したい時は言うみたいなことは言ったけど」
「だから、都合の良い女です」
美咲が相変わらず微妙に胸を張りながら言う。なんでそれで胸を張れるのかわからん。
「俺もそんなよくわかんない状態でしたくないし」
俺の脳裏に、古宮さんと金元の顔が浮かんだ。あの二人なら普通にヤるんだろうな。別にそれが悪いこととは思わない。俺が躊躇しているだけだ。
「そういう流れかあ」
茉莉綾さんは、どこかホッとした様子で息を吐いた。
「大体そういうこと。いや、俺も美咲の言い分全部納得したわけじゃないんだけど」
「何となく、わかった」
茉莉綾さんは改めてワイングラスを手に取ったので、俺がグラスにワインを注いだ。
「ありがとう。ハルトくんが、今のままが良いって言ってたのも、わかった」
「だとすると嬉しい」
こんな説明、誰にでもできるものじゃないから、理解者がいてくれるのは俺としては心強い。
「それを美咲ちゃんは、気に入らないんだね?」
茉莉綾さんは、今度こそワインをくいっと飲む。それから美咲を見つめた。
「だから、私にあんなこと言ったんだ」
「あんなこと?」
それは俺の知らない話だ。茉莉綾さんが美咲に何か言われて、混乱していたのはわかった。それも今の説明を聞いて、茉莉綾さんは何かを納得したらしい。
「あのね、ハルトくん」
茉莉綾さんは大きく息を吐く。それからワイングラスのワインを飲み干し、今度は自分でワインを注ぎ、それも飲んだ。茉莉綾さんはあまり酔える方ではないのだが、気休め程度の勇気が欲しい時、そうやってよく酒を次々に口にすることを、俺は何となくわかっている。
「美咲ちゃんは、私とハルトくんに付き合って欲しいって」
「は?」
俺は思わず美咲を見る。美咲は真剣に茉莉綾さんのことを見ていた。
「それを先に言うのは、ちょっとズルいです」
拗ねるように言う美咲に、茉莉綾さんは首を横に振った。
「ズルくない。美咲ちゃんに言われたのは本当なんだから」
「お前は一体茉莉綾さんに何を言ってんだよ」
俺は頭を抱えた。一体俺は美咲の前で何度頭を抱えたのか、一度ちゃんと数えてみたいと思った。
「前も言ったろ。茉莉綾さんは、そりゃ魅力的な人だよ」
俺の言葉に、茉莉綾さんはバツが悪そうに咳払いをしたが、別にそこで嘘を言う意味もない。
「でも、そういうんじゃないから」
「何が違うか、私にはわかりません」
美咲はそう言って、唇を噛む。
「私のことを好きだって言う先輩に、私は何も返せない」
それは前にも聞いたことだった。美咲の納得のいかないところが、そこにあるのも何となくわかっている。
──俺はそんなの全然構わないのに。それが美咲には伝わらない。
「それに、先輩は違っても、茉莉綾ちゃんもそうとは限らないです」
美咲は立ち上がって、茉莉奈さんを見下ろした。茉莉綾さんは、そんな美咲を黙って見ている。
「茉莉綾さんは先輩のこと──」
「美咲ちゃん、それはダメだよ」
茉莉綾さんは、諌めるような口調で美咲の言葉を遮った。その声には間違いなく、怒気がこもっている。
「すみません」
美咲もそれは感じ取ったのか、すぐにまた元の場所に座った。
「美咲ちゃんは、自分が恋愛感情わからないってこと、誰かに勝手に言われたい?」
「それは、ちょっと嫌です」
「でしょ?」
茉莉綾さんは、美咲に言い聞かせるような口調で言う。こういう茉莉綾さんは見学店で他のキャストを叱る時に俺は何度か見てきた。皆でカラオケに行った時もそうだった。美咲と茉莉綾さんの歳は変わらない筈だけれど、今この場では茉莉綾さんの方が、少しだけ美咲より上手だ。
「ハルトくんは、そのこと皆に言いふらしたりしなかったよ。みわちゃんに二人の関係を聞かれた時もそうだったでしょ?」
「はい、そうでした」
茉莉綾さんは、また俺の方を見る。
「ハルトくん、ちゃんと美咲ちゃん様子気にして話そうとしてたもんね?」
「まあ……。個人的なことあんまり他人にベラベラ言われたくないだろ」
二人は知らないけれど、ウォータースライダーで桃子さんに改めて美咲との関係を聞かれた時も、そのことはよく考えて話をした。あの後、夕飯の時に俺は古宮さん達に話したことを美咲に伝えたし、古宮さんも俺に話を聞いたことを美咲に伝えていた。そういうところは気をつけるべきだと思う。
「美咲ちゃんは、そういうハルトくんだから、ハルトくんのこと、人として尊敬してるんじゃないの?」
美咲は茉莉綾さんを見つめながら、チラリと俺を横目で見る。それから無言で大きく頷いた。茉莉綾さんはそんな美咲を見て満足そうに笑う。完全にお姉さんだな、こりゃ。
「でね、ハルトくん」
「あ、はい」
美咲に対してお姉さんじみた様子を見せる茉莉綾さんから急に呼びかけられて、俺は変な反応をしてしまった。
「それは、私も同じなんだよね」
「──同じ」
茉莉綾さんは改めて「ふーっ」と息を吐く。それから俺に対しても、にこりと笑いかけた。その顔に俺はドキリとする。
「私、ハルトくんのこと好きだよ」
「え──」
──それは不意打ち、だった。
「多分、ハルトくんが美咲ちゃんを好きなのと同じくらい」
「そんなこと、今まで」
「言わなかった。ハルトくんには美咲ちゃんがいると思ってたから。でも、美咲ちゃんと恋人関係にはならないわけでしょ?」
茉莉綾さんの頬が赤くなっていた。茉莉綾さんはほとんど中身の残っていないグラスに口をつける。お酒に酔いにくい茉莉綾さんが酔って顔を赤くすることはない。
「それに他の人と付き合ってた時も、この人はちゃんと自分が好きだと思ってる人に向き合う人なんだと思ったしね。そういうハルトくんだから、好きなんだし」
茉莉綾さんはまた深呼吸をする。部屋にはクーラーがついていて、暑くもないのに茉莉綾さんは顔を手でパタパタと仰いだ。それから大きく息を吐き、肩をおろす。
「うん、やっぱりちゃんと言うとすっきりはするね」
「茉莉綾さん」
俺が呼びかけると、茉莉綾さんは俺から顔を背けて、俺を手で制した。
「待って。答えにくいなら返事はいらない。ハルトくんも言ってたでしょ? 自分は勝手に美咲ちゃんのことが好きなだけだって。私も同じ」
茉莉綾さんは俺から顔を背けたまま、愉快そうに笑った。
「どうですか? 自分が好意を向けられる気分は?」
「そりゃ、それこそ答えづれえよ」
茉莉綾さんが俺のことを好きだと言ってから、俺の心臓はずっとバクバクいっている。茉莉綾さんがそうだったとは、ずっとわかっていなかったから。いや、気づかないフリをしていただけか。
これまで、桃子さんや他のキャストに囃し立てられた時、プールで俺と話している時、自分と俺との関係は「そういうんじゃない」と言っていた茉莉綾さん。思えば俺も、そんな茉莉綾さんの様子に甘えていたのかもしれない。
──ただ、俺が言う言葉はいつもと変わらない。
古宮さんにセックスを迫られた時も、みわさんに恋人候補を提案された時も。
──ミサキと別れることを決めた時も。
「ありがとう。正直、茉莉綾さんにそう思われてるのは嬉しかった」
多分、茉莉綾さんは俺にとって、今一番心を許している友人の一人だ。そんな人に好意を持たれて嬉しくない筈がない。俺はカラオケでのことを思い出す。
──あ、でも勘違いしないで。みわちゃんみたいに狙ってるとかじゃないから。
あの時に俺は、そんなことを言う茉莉綾さんに冗談めかして答えた。あの時は本気ではなかったけれど、それでも今回も俺は今度も同じ答え方をする。
「でもごめん、その気持ちには俺、答えられない」
俺の言葉に、茉莉綾さんは背けていた顔をくるりと振り向かせ、こちらに向ける。
「うん、知ってる」
そして茉莉綾さんは俺を見つめてそう言って、屈託なく笑った。
「どうしてですか!」
茉莉綾さんが俺の答えに笑顔で返した後──。大声を張り上げたのは茉莉綾さんではなく、美咲だった。美咲はまた立ち上がり、今度は茉莉綾さんではなく、俺を見下ろしている。
「どうして、先輩はそうなんですか!?」
「……美咲?」
いや、おかしいだろ。この流れで、何でお前が怒るんだよ。俺は美咲を見上げる。美咲の顔は今にも泣き出しそうで──。
美咲はテーブルを跨いで、俺に近づく。それから俺の上に馬乗りになる。俺は急なことにバランスを崩して、頭を床にぶつけた。そんな俺の顔の両側に、美咲は手をおろす。
「今、してください」
「は? 何言って」
「セックスです」
美咲はそう言って、俺に顔を近付ける。一瞬だけ、俺の唇に美咲の唇が重なる。それから美咲はすぐに顔を離した。
「私、先輩とセックスがしたいです」
そう言う美咲の額には皺が寄っている。当たり前だが、俺から見ても美咲には、とてもそんな気持ちがあるようには見えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます