ラブホで三人、これからの感情①

「3人でって」

「先輩が嫌なら良いです。私と茉莉綾ちゃん2人で泊まるので。ね、茉莉綾ちゃん」

「あ、うん!? そうだね!」


 茉莉綾さんは急に自分に話を振られたのに驚いたのか、少し大きめの声で返事をした。


「俺どうすんだよ」

「歩いて帰れば良いんじゃないですか?」

「歩いてって……」


 俺はスマホのGPSで現在位置を調べた。まだ自宅までは車で1時間はかかる。最寄り駅までは歩いて40分、行けない距離ではないが。


「車は貸しませんよ。私の車です。勝手に車中泊は許しません。そもそもホテルに迷惑です」

「まだ何も言ってねえよ」


 家に帰るのは無理でも、二人を放っておいて近くの漫画喫茶にでも行く選択肢もある。後は、部屋は別にするとか。一人での宿泊が可能な場所なら、だけど。


「もう3人で予約しちゃったので、来てくれると無駄な出費が減って助かります」


 地味に外堀を埋めてくな。俺が断りづらいのわかってて全部言ってるだろ。

 俺は改めて隣にいる茉莉綾さんを見た。


「茉莉綾さんは知ってたの?」

「え!? あ、はい!」


 先ほどから上の空だが、美咲の問い掛けに返事をしたということは、帰りの途中でラブホによることは、茉莉綾さんも事前に美咲から聞いていたんだろう。

 ──ウォータースライダーの待機時間か。美咲と茉莉綾さんはペアだったし、他のメンバーもいなかったので、そこで何か二人で話したのだろう。


「まあ、美咲もラブホ行きたいって行ってたしな」

「うええ!? そうなんですか!?」


 茉莉綾さんが驚きの声をあげる。この場で一番混乱しているのが茉莉綾さんだ。何を話したのかは知らないが、茉莉綾さんも美咲の勢いに押し切られたのだろうし。俺もいい加減、美咲の暴走に付き合うのにも慣れてきた。……と思いたい。


「茉莉綾さん、嫌なら嫌って言って良いんだよ、こいつの暴走」


 俺は美咲を指差した。美咲もこちらの言い分を前よりは聞くようになった。古宮さんからのお叱りと俺への謝罪があったから、以前よりは大人しくなっているものと信じたい。


「あ、いや。私も興味はあるし……」

「私もです。先輩だけですからね、ラブホ経験者」

「ハルトくん、ラブホ行ったことあるんだ」

「古宮さんとな。前言ったろ」

「古宮先輩と!?」


 待った。やっぱり今先決なのって茉莉綾さんの混乱おさめることだってば。話がちゃんと通じてない。


「美咲」

「はい」

「お前何て言ってここに来たの」

「帰りに先輩と一緒にラブホに行きましょうと」


 それはわかってんだよ。いや、美咲の行動の意味はわからんけど。


「それは興味本位で?」

「後で話します」


 ここでああだこうだ言っても、埒があかなそうだった。一番無難な選択肢は、俺が車を降りてしまうことな気もするが、この状態の茉莉綾さんを置いてくことも気が引ける。美咲の目的がはっきりしない以上、誘いに乗るのも不誠実だと思う。

 ──茉莉綾さんには悪いけど、美咲と二人で来たかったな。そしたらギャアギャア文句言いながら、俺も躊躇いなく一緒に入ったろうし、その後のことも、俺はきっと美咲の思惑通りになんだかんだ行動してしまうんだから。ただ当然、ここで茉莉綾さんを降ろすという選択肢は存在しない。


「ああ、もう」


 毎度毎度、面倒なことを考えさせるんじゃねえよ。


「わかった。二人が行くなら、俺も行く」

「え、3人で……」


 ものすごい誤解が生じていると思うのだが、どう解していったものか。俺はボソリと呟く茉莉綾さんの肩に手を置こうとして、やめた。昼にプールでも話したけれど、茉莉綾さんの以前のトラウマは完全になくなったわけじゃないはずだ。


「先に言っとくけど、俺は手出さないからな」


 それだけはっきりさせておくことにした。口約束だとしても、言っておいた方が良い。正直、美咲にその気があるのなら、ここで手を出さないのは惜しいと思う。美咲とセックスしたいと言う気持ちは依然として存在する。けれど、茉莉綾さんがいるなら話は違う。家に行くことは合意形成にはならないだろうが、事前に何も言わずにラブホに行くことは、流石に合意形成と捉えられておかしくない。だから、俺にそのつもりはないことはちゃんと伝える必要がある。


「良いですよ。言ってるじゃないですか」

「うるせえ。前科が山ほどある人間の話を簡単に聞いてたまるか」


 俺は再び茉莉綾さんの様子を見る。俺と美咲が話しているのを見て、さっきよりは落ち着きを取り戻してきたか。


「茉莉綾さんは?」

「うん、ごめん。私も行きたい」

「美咲はああ言ってたけど、俺は車残っても良いし」

「ううん、ハルトくんも来て?」


 茉莉綾さんが、不安そうな眼差しで俺を見た。俺はその顔に、思わずドキリとさせられてしまう。


「決まりです。行きましょう」

「お前が多少、良識を持ってくれて良かったよ」


 以前の美咲なら、問答無用で車を降りて俺達に選択肢を与えなかったと思うし。俺と美咲、茉莉綾さんは3人で車を降り、建物の中に入った。部屋は予約していたというが、美咲がチェックインに手間取っていたので、以前古宮さんと来た時と同じようなシステムだったのを見て、俺が代わりに手続きを済ませた。


「経験者がいると助かりますね」

「うるせえ、言ってろ」


 美咲の予約した部屋は、古宮さんと行ったところよりも広々とした部屋で、テレビやカラオケ機材があるのは一緒だったが、ベッドがダブルとシングルのふたつが並んでいる。これなら、このまま宿泊するにしても俺がシングルの方に寝れるか、などと考えたりした。


「すみません、私お手洗い」


 部屋に入ると、美咲がそう言ってトイレに駆け込んだ。さっき、俺はトイレの為に車を停めたのかと勘違いしたが、それはそれで間違いではなかったらしい。俺はテレビの向かいにあるソファの端に座る。


「茉莉綾さんも座る?」


 俺は、部屋の入り口でボーッと立ったままだった茉莉綾さんに呼びかけた。


「さっきも言ったけど、俺はその気ないから大丈夫」

「うん、そうだね。ごめん」


 茉莉綾さんは肩を竦めながら、ソファに座った。俺の座るのと反対側の端で、そうは言っても警戒が見える。それで良いと思ったし、寧ろ古宮さんとかあの辺がおかしいんだよ、と逆に俺の方が安心するところもあった。


「こうして入ってみると思ってたより、普通だね」


 茉莉綾さんが部屋を見回して言った。


「ね。俺もこういうとこ、もっとイヤらしい感じかと思った。なんなら、片桐さんの店より内装普通だし」

「あ、それ私も思った。待機室とか真っピンクだもんね。あれも私、最初は慣れなかったなあ」

「最初か……」


 俺は初めて見学店に来た時のことを思い出した。ぎこちない接客とパフォーマンスをする茉莉綾さん。次に来た時には服を全て脱ぎ捨てて、俺に裸を晒して後で片桐さんにも怒られたという茉莉綾さん。


「ハルトくん、変なこと考えてませんか?」


 茉莉綾さんが少し怒った顔で俺を見た。


「いや、茉莉綾さんと最初に会った時のこと思い出して」

「やっぱり変なこと考えてた」

「いや、変ではないでしょ」


 俺の返答に、茉莉綾さんは口元を曲げて笑った。その後、自分も何か思い出してしまったのか吹き出して、手で口元を抑える。


「あの時はお見苦しいものを」

「何度も言うけど茉莉綾さんは魅力的だから。いや、こんなとこで言うことじゃないけど」


 ラブホの中でこういうこと言うと、それこそ変な文脈が乗ってしまう。


「よく考えたら、たかだか同じ部屋で泊まるくらい、今更だね」

「でも、いつか茉莉綾さんが言ってたみたいに線引きはしっかりした方がいいと思うよ」

「線引き……そうだね、線引きかあ」


 茉莉綾さんは腰を持ち上げて、テーブルの上に置いてあったドリンクのメニュー表を手に取った。それから少しだけソファの真ん中寄りに座り直したので、俺も腰を浮かせて、密着しない程度に少しだけ茉莉綾さんに近付く。


「ハルトくんは初めてじゃないんだ?」

「古宮さんとね。話長くなるけど、それも仕事みたいなもん」

「ふーん、みわちゃんからも聞いたけど色々やってるね」

「気付けばね」

「それもえっちなことばっか」

「いや、別にそういうわけじゃ……」


 俺は今までのことを振り返る。見学店でのバイトに、古宮さんからの写真の依頼、野々村先輩に頼まれたアイドルの写真撮影に、みわさんのNTRシチュエーションボイス脚本。

 ──いや、全然そういうわけもあるな。


「冗談冗談。そもそもが片桐さんのとこがそういうお店だしね」


 茉莉綾さんの言葉に思わず考え込んでしまった俺の肩を、茉莉綾さんがポンと叩いた。少しだけわざとらしかったが、茉莉綾さんは茉莉綾さんで緊張を解そうとしているらしい。


「ハルトくん、何か頼む?」


 茉莉綾さんはそう言って、俺にメニュー表を手渡した。夕飯は食べたし、お腹もそこまですいていない。ただせっかくだからお酒くらいは一、二杯飲もうか。

 

「今のお店のこともあるし、私自身性的なことに躊躇いがあるとかは元々ないの」


 俺がメニュー表を見ている間にも、茉莉綾さんは話を続けた。


「ガールズバーとか、片桐さんとこの系列店にも興味自体はあるんだっけ」


 以前、美咲も片桐さんにデリヘルに誘われていた時にそんな話を少しだけした。茉莉綾さんが在籍していないのは、茉莉綾さんが男性との接触に抵抗があるから、という話だったはずだ。


「そう、だね。うーん、どうだろう」

「まだ自分でもよくわからない?」


 茉莉綾さんは、俺の問いかけに頷いた。


「片桐オーナーからもたまに、その話されるんだ。もうだいぶ長くやってることだし、今後どうしていくかは考えた方が良いだろって」

「茉莉綾さんは何て答えてるの?」

「普通にお断りさせてもらった。片桐オーナーも私が以前のことで見学店の仕事以外には抵抗あること知ってるから、そこまで話してこない」


 その辺り、キャストのことを考えている片桐さんらしくてホッとした。


「まあね、何が違うんだって言われると困るけどね」

「その辺りは気持ちの問題だろうし」

「ありがとう。ハルトくんのそういうところさ──」


 茉莉綾さんが最後まで言い終わらないうちにガチャリ、とトイレの扉が開いた。


「お待たせしました。すみません、お話中でした?」


 俺はトイレから出てきた美咲に対して、首を横に振った。


「話はしてたけど別に大丈夫。茉莉綾さん、お前のせいで混乱してたから」

「うん、そう。美咲ちゃん、私はもう大丈夫だよ。落ち着いた、から」

「そうですか」


 美咲は俺達のそばに近付いてくると、俺と茉莉綾さんの間に無理矢理スポン、とおさまるようにして座った。猫か、お前は。


「じゃあ茉莉綾ちゃん、さっきの話も?」

「うーん、それはまだ、かな」


 美咲に聞かれ、茉莉綾さんが困ったように首筋を掻いた。


「もう少し、時間貰っても良い?」

「私はできれば今すぐにでも」


 美咲が腰をあげて茉莉綾さんの顔にぐいっと身を寄せたので、俺は美咲の腕を引いてソファに座らせ直した。


「やめろ。何か知らんが、無理強いすんな。今回のことはとりあえず仕方ないとして、ちゃんとその人の話を聞いてからにしろ。古宮さんにも言われたんだろうが」

「はい……」


 美咲は静かに頷いた。一応、こいつなりに反省はしてるのか。


「先輩、この後どうしたら良いですか」

「俺に聞くなよ……」


 お前もしかしてノープランか?

 俺は思わず溜息をついた。


「俺は普通に旅行先のホテルに泊まったくらいのつもりでいるから、二人が良ければ酒でも飲んで眠くなったら寝る。あ、シングルの方俺使って良いか?」

「あ、そうだ。お酒、私頼んで良い? カタログに気になるワインあったんだ」


 茉莉綾さんが少しだけ弾んだ声で言った。そう言えば、さっきメニュー表見てたな。そんなにメニュー自体は豊富じゃないと思うから俺はなんでも良いのだが、茉莉綾さんがそう言うなら俺は別に問題はない。


「良いよ。美咲は飲むなよ」

「え、何で!?」


 美咲が驚いたように叫んだので、俺は美咲の額をチョップした。


「お前、こないだ飲み過ぎで寝たろうが。介抱する側の気持ちにもなれ。そもそもお前が運転手なんだから明日に残るのは駄目」

「あ」


 美咲はそのことをすっかり忘れていたようで「なるほど、確かに」と頷いた。


「そういえば、そうでした」

「ビール一杯くらいだけな」


 俺は美咲を挟んで、改めて茉莉綾さんにメニュー表を渡す。茉莉綾さんは小さくお辞儀をして、それを受け取った。

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