二人の距離、これからの関係②

 俺のアパートに行く為に二人で電車に乗った。電車に乗って座席に座った美咲の目は、とろんと微睡んでおり、電車が発車するとすぐに寝てしまった。腹も満たし、だんだんと酔いも回ってきたせいだろう。いつものように人も少ない電車の中、眠る美咲は俺の肩に頭を寄せた。頭を寄せられたその一瞬ドキリとしたが、無防備に横で眠る美咲を見ると何故だか逆に落ち着いた。俺はそんな美咲を遠ざけることもできず、電車に乗っている間はそのままにして、最寄駅に着く頃に頭を支えて肩を叩いて起こした。


「すみません、先輩」

「焼肉も食べたし、いつもよりハイペースで飲んでたし、仕方ないだろ」

「ですね。おかげさまですっきりした気がします」


 俺はそうは言いながらも寝惚けて少しフラつく美咲を誘導しつつ、駅の自販機でペットボトル飲料をいくつか買っておいた。

 俺のアパートに向かう道中で良い感じに疲れも酔いも引いたのか、着いた頃には美咲の顔の赤らみもなくなっていた。


「先輩、トイレお借りしても?」

「どうぞ」


 玄関から部屋に入り、美咲がトイレに行く間に少しだけ部屋の中を片付ける。俺は来客用の座布団を引っ張り出して、お手洗いを済ませてリビングに来た美咲を座らせた。


「悪い。散らかってる」

「大丈夫です」


 俺も座布団に座り、さっき買ったペットボトル飲料を鞄から出す。


「好きなの飲んで」

「じゃあこれで」


 美咲はコーラを選んで飲んだので、俺は残った中から緑茶のペットボトルを取り、蓋を開けて少し飲んだ。


「どこまで話しましたっけ」

「……金元とヤったのは実験と検証って話は聞いた」


 言葉に出すとやはり多少苦しい。


「そうでした」


 美咲はさっきまでのことを思い出そうとするように目を瞑る。何秒か経って目を開けて、コーラをまた一口飲んだ。


「私のことはオナホとして使って良いという話をしたんでした」

「してたけどさ」


 何なんだよ、その言葉のチョイス。


「私からしたいと言うことはないと思うので」

「だとしてもその言葉の使い方はやめろ。自分を大切にしろ、バカ!」


 美咲は俺の言葉にムッとした顔をする。


「バカとはなんですか!」

「さっきお前も俺のことバカって言ったろ」

「先輩はバカです」

「そうか。だがお前もバカだ」


 違う。そんな小学生みたいな言い合いをしたいわけじゃない。

 俺は美咲の考え方が何故そうなっているのかをできるだけ想像した。しっかりしろ、想像するのは得意なはずだろう。


「俺にはお前に向ける性的欲求があるけど、お前にはないからってこと?」


 改めて言うとすごい恥ずかしさがある。実際には、好きだ付き合ってくれと言うのと、セックスがしたいと認めるのには、距離があるように思う。ただ同時に、今そこを有耶無耶にしていては美咲のことを理解できないとも思った。


「そうですね」


 美咲はぎこちなく頷く。


「お前が嫌なら俺はそれをしないよ」

「でもそれだと先輩が我慢するばかりになるじゃないですか」


 美咲は非難するようにそう言った。だが、美咲は気付いているのだろうか。そういう話をするということは、付き合うだとか恋人だとかという言葉がピッタリ来ないのだとしても、俺と美咲の仲を、彼女が何か特別なものに捉えているように聞こえるということに。


「私は、先輩の邪魔はしたくないです」

「どういうこと?」


 美咲は一種、またゴニョゴニョと小声で何かを言おうとした。だがすぐに口をつぐみ、黙ってコーラを飲んで、口に手を当ててケフッと喉から炭酸の抜く音を出す。


「先輩が私のこと好きになっても、私は先輩のこと好きになりません」

「そうだな」


 その話は何度か聞いた。ただ、それを何度も言うということは、そこに美咲にも引っ掛かりがあるようだ。


「だから、先輩は他の人を好きになった方が良いんです」

「なんでそうなる」


 俺は美咲に尋ねる言葉を探す。何と聞けば、美咲の気持ちを紐解ける?


「俺がお前のこと好きなのは、迷惑か」

「そんなことは、ないです。でも、申し訳ないです」

「申し訳ない?」


 美咲の方も、自分の発する言葉を探しているようで、ゆっくりと問答が続く。


「先輩の好意に私は同じ気持ちを返せない。そんなの、先輩の迷惑です」

「──あのな」


 美咲の今の言葉に、俺は少しだけイラっときた。


「お前が俺の気持ちを勝手に決めるなよ」

「でも」

「でも、じゃない。迷惑なんてことはない」


 後、そんなことを言うのだとするなら、美咲は根本的なところがわかってない。


「そもそも、俺はお前には、他のところで迷惑かけられっぱなしなんだよ」


 思い立ったらすぐに行動するし、勝手に自分でホイホイ決めようとして頭を抱えさせられる。


「でも、俺は別にそれで良いんだよ。そういうの含めて、俺は美咲と一緒にいるのが楽しいんだから」

「どうして」

「知るか。だから、お前はどうなんだって。俺と一緒にいるの嫌?」

「嫌じゃないです」

「だったら、俺は何も構わない」


 美咲が何をそんなにも悩んでいるのか俺は知らないが、美咲が俺といることを楽しいと思ってくれる。そればかりか、俺との関係や時間を特別に感じてくれることだけで、俺は嬉しい。

 美咲は納得のいかない面持ちだった。


「私は、先輩が私のこと好きなの知ってて他の男とヤったんですよ」

「そうだな」

「先輩が困ることをわかってて、いたずらもしました」

「そうだな」


 いたずらって言うような可愛いもんではないが。


「私は──私は、そしたら先輩は私には愛想を尽かすと思いました」

「尽かさねえよ」


 美咲は黙って首を横に振った。


「私のことなんか、好きになっても仕方ないんです」

「──美咲」

「私以外の人をさっさと好きになって、その人と幸せになって、それが良かったんです私は」


 美咲は呆れたような様子で、鼻息をつく。


「それなのに、エリカさんとも別れてしまって。そんな、私のせいで」

「美咲のせいじゃない」


 だって、どうしようもないんだこれは。美咲が俺を好きにならないとか、だから俺に返せる感情が美咲にないとか、そんなこと美咲が気にすることじゃない。


「俺が勝手に美咲のことを好きなだけだ。それにエリと別れた理由はそれだけじゃないし」


 ミサキのことを応援する為というのも本当だし、烏京すずめという頼れる人間が彼女のそばにいてくれたのもそうだし、最初に思ったよりもミサキの求めるものを俺が持っていなかったというのもある。


「後、あんまり自分なんかとか言うな」


 俺もそれは、他の人に言われたことだけれど、そう言う。


「そうですね。すみません」


 俺は「ふう」と一息ついた。ペットボトルの蓋を開け、乾いた口を潤す為、ごくごくと緑茶を飲む。それから改めて、美咲の方に向き直った。


「美咲は、俺が望むなら拒まないって言ったよな」

「はい」

「セフレなら良い」

「はい」

「それって、そういう関係なら恋愛感情関係ない仲だからってこと?」


 美咲は今度は即答はせず、ワンテンポ置いてから口を開いた。


「そうです。最初からそうなら、私が先輩に何も返せなくても問題ない」


 何となく、美咲が何に思い悩んでいたのかがわかってきた気がする。

 自分には恋愛感情がわからない。そんな自分ごとに、美咲は俺を巻き込みたくないんだ。

 美咲が古宮さんを俺にけしかけたり、他に良い人がいないかを気にしたりしたのも、俺を美咲の事情に巻き込むのが嫌だと感じていたから。

 それが多分、金元とヤったことの理由の一つでもあるんだ。成り行きだったのも、実験と検証というのも事実だろう。俺が美咲に愛想を尽かせるようなことをして、もしも俺が美咲を好きじゃなくなれば、美咲の事情に俺は巻き込まれない。美咲には、そういう思惑もあったんだ。


「確かにお前に俺の気持ちを告白した時は、付き合えたら良いと思ったよ」

「はい」

「でも、それからお前も俺に自分のことを色々、教えてくれた」

「はい」

「だから、俺の気持ちだってその時とは変わってるんだよ。わかるか?」

「はい。わかります」


 ──俺も美咲も、次の言葉を探していた。俺も美咲も何か考えながら、チラチラとお互いの顔を見ている。

 俺はどうしたいか。美咲がどうしたいかじゃない。そのことを考えるべきだと、この間思ったばかりだ。俺は少なくとも、今この状況は居心地が悪い。美咲が俺の告白を拒み、俺も美咲に何を望んでいるのかを言葉にしていない。

 ならせめて、俺はそのことだけでも少しは整理したい。


「──わかった。じゃあ美咲が言った通りで良いや」

「え?」

「美咲は俺と付き合わなくて良い」


 自分から言い出したことの癖に、美咲が困惑したような顔で俺を見た。俺は美咲のそんな様子に、少しだけ笑ってしまう。


「セフレが良いってわけでもない」


 それは俺が嫌だ。美咲をそう見たくはない。多分、美咲が俺を恋人と見たくないのと同じような理由で。


「恋人じゃなくて良い。さっきも言ったように、俺がお前を勝手に好きなだけ」

「でも」


 言葉を遮ろうとする美咲に手を伸ばし、俺はそれを制止した。


「勝手に好きなだけだからさ。俺はお前以外を好きになったら、遠慮なくそっちに行くから」


 ミサキとも別れた今、そんなことはあまりないように今の俺には思えるのだけれど、未来のことはわからない。


「お前とヤりたくなったらその時にもお前には言う」


 これは少し嘘だ。この間みたいに、美咲とセックスをしたいと欲望に突き動かされるかとはあるだろう。けれど、俺の都合だけで都合の良いようにセックスしたいとも思わない。もしするとしても、俺も美咲ももっと納得する形でだ。

 俺は告白する前に、美咲に言われたことを思い出していた。


 ──キープしていた相手の元に来るみたいなムーヴ。


 ああ、それで良いだろ。とてつもなくダサくて、美咲に言わせればヘタレな状態だとしても、美咲が恋人関係が嫌だと言うなら、それが俺の今には一番しっくりくる。


「俺は別にお前との関係に名前なんてなくて良い。友達でも恋人でも、友達以上恋人未満でも、セフレでもなくて良い。俺にとって美咲は美咲だし」

「私にとっても、先輩は先輩です」


 俺の言葉に続いてそう言った美咲に、俺は大きく首を縦に振る。


「お前は俺に何か返すとか考えなくて良い。俺とお前は、ハナからそんな仲じゃない」


 みわさんはパートナーとの関係を他人に何か聞かれた時に、面倒くさいから恋人と答えることにためらいがないようだけれど。人に関係を聞かれても、別に望む答えを用意しなくて良い。もし、そういうものが見つかればその時にまた考えたら良い。


「今まで通りってことですか?」

「いや、今まで通りではないな。ヤりたきゃ言うってのもそうだけど、俺もお前に遠慮しない」


 だけど、と少し間を置いて、俺は言葉を続ける。


「ちゃんと、今まで通りお互いに嫌なことは嫌って言おう。勝手なことはしない」


 それは、美咲がデリヘルのバイトを始めるのをやめた時も、美咲が俺に謝罪してくれた時にも、改めて確認したことだ。


「なるほど──」


 美咲は考え込むように、自分の顎に手を寄せた。


「──つまり、都合の良い女ですね」

「名前つけなくて良いって言ったろうが。そこを無理に言語化すんな」


 溜息をつく俺見て、美咲は笑った。美咲は今まで張っていた気が抜けたかのように肩を落とし、両手を後ろにして床に手をつく。


「良いですね。私にとっても先輩は、都合の良い男です」

「だから、名前をつけるな」


 当然ベストな答えとは思わないし、俺も自分の甲斐性のなさを誤魔化しているだけかもしれない。ハッキリしろと他人は言うかもしれない。けれど、俺も美咲も納得するなら、今はそれで良い。それが良い。


「いえ、ありがとうございます。先輩なりに色々考えてくれたんですね。ヘタレの先輩なりに」

「ヘタレは余計だ」


 急に元気になりおってからに。


「どうします? 今、セックスします?」

「お前はヤりたいの? 今?」

「特には」

「じゃあ良い」


 俺は一息つく。それから大きく伸びをしてから立ち上がった。


「どうしたんですか?」

「トイレ」


 居酒屋に行ってツマミも口にして酒もお茶も飲んででトイレに行ってなかったので、普通に尿と便が溜まっていた。


「了解です。ごゆっくり」

「ん、すぐ出る」

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