二人の距離、これからの関係①

 9時前になると、美咲からの連絡が来た。


『みわちゃんとの焼肉、終わりました』

『今から向かいますね』


 俺は美咲のメッセージを確認して、『わかった。俺も行く』と返信すると、漫画喫茶から出て居酒屋に向かった。


「先輩、お待たせしました」

 予約の時間より少し前に居酒屋に向かっていたが、美咲はしっかり9時半には到着した。


「おう、焼肉どうだった?」

「美味しかったです。美味しい牛タンやホルモンも堪能しました」

「牛タン良いな」


 俺も昼に焼肉には言ったが、一番安いコースを頼んだので牛タンの注文はできなかった。


「先輩はもう何か食べました?」

「まだ。でも昼に結構食べたからそこまで腹減ってない。なんか適当につまみ頼むよ」

「了解です。あ、お酒注文するのでタブレットは貸してください」


 俺は唐揚げや枝豆などのつまみを注文して、美咲に注文タブレットを渡した。


「みわさんとは飲まなかったの?」

「飲まなかったです。みわちゃんはガンガン飲んでましたが」

「だろうな」


 ザルだもん、あの人。


「先輩はお昼、何を?」

「俺も焼肉。激安の食べ放題コースだけど」

「あ、先輩も結局行ったんですね」


 美咲はドリンクを頼み終わったのか、注文タブレットを元の場所に戻した。


「昨日も言ったけど、もうちょい遅れても良かったのに」

「いえ、みわちゃんとは充分お話できましたし。あ、そう言えば先輩。この間スルーしちゃいましたけど、みわちゃんにアプローチかけられてたなら言ってくださいよ」

「その話もしたのか」


 美咲は当然、という風に頷く。

 二人分のお酒が届けられたところで、俺と美咲はお互いのグラスをぶつけて乾杯をした。


「カノジョ候補立候補だそうで」

「だってな」

「先輩的に、みわちゃんはどうなんですか?」

「みわさんも当然魅力的な人だと思うよ」


 俺はキャストとして働くみわさんや、今現在シチュエーションボイスの脚本依頼主としてやり取りをする彼女の様子を頭に思い浮かべる。


「でも、みわさんのことは別に好きではないからな」

「でも、みわちゃんも先輩のことは好きじゃないですよ」


 そうだよな。俺は首を傾げた。


「それだと、たとえそういう関係になったとして、恋人って言うのか?」

「何で違うと思うんですか?」

「だって俺も相手もお互いに好きじゃないなら、それは恋人ではない何か別の関係だろ」

「たとえば?」

「たとえばって……」


 俺は告白した時の、美咲の発言を思い出す。俺は周りの目を気にしながら、少し小声で答えた。


「……セフレとか」

「そうなりますよね」


 美咲は自分のグラスをぐいと大きく傾けたてお酒を飲む。


「私もそう思ってました」


 俺は少し考え込む。美咲が恋人関係ではなく、セフレなら考えると言っていた言葉の意味が何となくわかった気がする。


「それでセフレなら良いとか言ってたの、お前?」

「そうですね。恋愛のない二人の関係は、恋人ではないじゃないですか」


 それはその通り、なのか。


「だから俺とは付き合えない……」

「そうです。そうでしたけど、みわちゃんは違ったので」

「カノジョ候補って言ってたしな」


 美咲はまた一口、グラスを傾けた。


「カレシカノジョの関係って、世の中そんなにピュアピュアなもんばっかじゃないでしょ、ってみわちゃんは言ってましたね」

「古宮さんとか見てるとな」


 俺も恋愛経験には乏しい。俺もミサキとだって、流れでそういう関係になったわけだし。


「恋人関係やカレシカノジョと呼ぶのも、パートナーと呼ぶのも、そう大した違いはないんだから、気にしててもしょうがない、というのなみわちゃんの考え方でした。」

「みわさんはそもそもそういう、あー、パートナー作りたいのかな」

「そう、ですねえ」


 まだ注文したカクテルを一杯飲み終わってなかったが、美咲の顔は既に赤らみはじめていた。

 俺は自分の分の水を美咲の席の近くに寄せた。


「水飲みなよ」

「ありがとうございます」


 美咲は俺から渡された水をくいっと飲み、一息ついた。


「いたらいたで良いし、いなかったらいなかったで良い、そうです」

「そうなんだ」

「他人に性的欲求を抱かないだけで、相手がいるならセックスはしたいらしいです」

「なるほどな」


 自分ではあまり、その感覚は想像しづらいが、言っていることは理解できる。


「私も、特にそういう欲求はありません」

「だったらしなくても」

「先輩はしたくないですか?」


 俺は美咲の質問にすぐ答えられなかった。俺はこの間も、美咲とセックスをしたいと悶えたばかりだった。


「したくないですか?」

「……したいよ」


 俺は美咲のことが好きだ。そして、当然のようにキスもしたいし、セックスもしたいと考えている。実際にミサキとそういう関係になった経験のある今は、余計具体的にそう思う。

 ──俺も自分の分のビールを飲み干した。タブレットを操作して、二杯目を注文する。


「あ、私ももう一杯」

「お前は無理すんな」

「飲みたいんです」

「……わかった」


 俺は美咲が今飲んでるのと同じカクテルも注文した。


「だから、先輩がしたいと言うなら私は拒まないって言ったんです」

「そんなの、嫌だろ」

「嫌じゃないです。私、別にエロいことに抵抗とかないんで」


 確かにそれは今までの美咲を見ていても、充分以上にわかる。


「先輩は私に構わず私をオナホみたいに使ってくれて構いません。お望みなら、エロ奴隷みたいに見て良いです」

「エロ漫画みたいな言い方すんのやめろ」


 後、居酒屋とは言え他にも客がいる公共の場であんまそういうこと口にすんな。


「それはなんか……」


 俺はモヤモヤとしたものを感じながら、そのまま自分の気持ちを言う。


「それはなんか、俺が嫌だ」

「何が嫌なんですか」


 美咲は面倒くさそうに俺を睨みつけた。

 美咲の顔が赤らんでいるのは酒のせいだけではなさそうだ。


「みわさんが言うみたいに、恋人とかカレシカノジョって言い方はダメなの?」

「それは、私が嫌です」


 ──こいつ。


「みわちゃんは許容する派かもしれませんが、私は嫌です。恋人では絶対ないし、カレシカノジョという言い方はちょっと、微妙なところではありますが、人に与える印象はそんな変わらないと思いますし……」

「みわさんと話して考え方が変わったみたいな話しようとしてなかったか?」

「そうですね。なるほど、そういう考え方もあるのだな、と参考になりました。ただ、それとこれとは別です。そんな急に考え方変わるわけないじゃないですか。先輩のばーか!」


 美咲は俺にそう言って、話をしている中で今届けられたばかりの二杯目のカクテルに口をつけた。


「違くて、私は今日、自分の気持ちをちゃんと先輩に全部伝えるつもりだっただけで」

「美咲の気持ち?」


 これまで聞こうとしても口を噤んだり、ゴニョゴニョと小声で何かつぶやくばかりだった美咲の気持ち。


「それは、俺も聞きたい」

「……ありがとうございます」

「とりあえずもう一杯水飲め」


 美咲は頷いて、俺の水をまたごくごくと飲む。


「セックスにも抵抗ないです。それは金元さんとのことでわかりました」

「……わかりましたってお前」


 急に出て来た金元の名前に少しドキリとしつつ、俺は頭を抱えた。


「え? まさか、それを確かめる為にあいつとヤったの?」

「違います! それは、あの人が交換条件で言ってきたのと、先輩に寝取られの気持ちを感じてもらう機会だと思っただけで!」

「あんま大声を出すな」


 やめろ。他の客も何人かこっちをチラチラ見てるんだよ。後、全然「だけ」じゃねえ。


「私は、先輩が私とセックスしたいのだとしても、私がしたいわけじゃないから、せめて私は先輩を悦ばせるくらいはできるように、と」

「は? それで、あいつに男の悦ばせ方とか聞いたってこと?」


 そんなのはめちゃくちゃだ。俺はまた頭を抱えた。でも、美咲は俺のことを考えてそんな、ふざけたことをしているというのは、最初からこいつの中では一貫してる、のか。

 俺も今、複雑な気持ちではあるが、そのことに少しだけ嬉しいと感じてしまう。


「後、金元さんとヤった成果ですが」


 その話まだ続くのか……。正直耳を塞ぎたくなる気持ちもあるが、美咲が腹を割って話そうとしているのはわかったから、そんな野暮なことは言わないようにする。


「あの人、本当に上手で」


 待て。おいこら。決意が揺らぐ。うっわ、聞きたくねえ!


「あの人のこと、微塵も良いとは思いませんでしたが。なんなら、手つきとか話し方とか気持ち悪かったのですが」


 少しだけ溜飲が下がった。ざまあみろ、金元。


「でも、攻め方とかすごい参考になったのは確かです。私、自分でいじってもあまり感じないというか、感じるのに時間がかかるのですが、あの人に攻められている時はちゃんと快感があったんですよね」


 ──心臓が苦しい。美咲の言葉ひとつひとつに翻弄させられている己の脆弱な精神が憎い。


「だから私、セックスには抵抗ないんです。あ、先輩とだと金元さんほど感じないかもしれませんが」

「お前な……」


 後半の奴はわざわざ言わなくてよかったろ。


「セックスには抵抗ないって、それは俺じゃなくても良いってことか?」

「それは違います。嫌ですよ、そんなの」

「金元とはヤった」

「実験と検証の為です」


 普通はそう割り切れないんだよ、と言おうとしたが、それはあまり言うべきじゃないように感じた。自分が普通ではないなんてこと、美咲自身がこれまでも感じて来たことだろうし、古宮さんのお説教もあった。謝罪も美咲の反省も済んだことだ。


「以前、私が先輩に怒られた時に金元さんに連絡した時もあの人に誘われましたが」


 おいこら金元の野郎。


「丁重にお断りさせていただきました。嫌だったんで」

「そっか。なら、良かった」


 良かったか? いや、少なくとも美咲が以前、何を考えていたのか少しはわかったのだ。それは、俺にとってはかなりの収穫だった。


「なあ、美咲」

「なんでしょう」

「少し場所変えないか?」


 さっきからチラチラとこちらを確認する他の客の視線が気になる。


「確かにその方が良いかもしれませんね」


 美咲はグラスに残っていた水をゴクリと飲み干した。


「先輩の家でも行きます?」

「俺は別に良いが」

「合意形成の話は以前もしましたが」


 したな。女性が男性の家に上がる、またはその反対はセックスOKの合意と見做されるという価値観の話。そんなものは化石だと、俺は吐き捨てた。


「先輩さえ良ければ」

「うるせえ、良くねえんだよ」


 少なくとも、今俺は美咲の感情や考え方を咀嚼している真っ最中だ。いずれそういうことがある可能性があるとしても、今じゃない。


「俺はお前の話を聞くまではそういうこと、する気ないから」


 俺はまた、ミサキとのことを思い出してた。最初に欲望に任せてミサキと初セックスをして童貞を卒業した時のこと。ミサキとの思い出は大切なものではあるが、あの時のどうしようもない後悔をまた味わうことも、俺は嫌だ。


「めんどくさい人ですね、先輩は」


 美咲は呆れたように溜息をついて、俺を一瞥して鼻で笑った。おい、その反応なんだよ。


「お前に言われたくねえ」

「先輩のヘタレ」

「言ってろ」


 俺と美咲は、残った酒とつまみをある程度腹の中にしまって、居酒屋を後にした。

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