脚本依頼、これからの参考⑤

 美咲からの返信は朝起きて確認した。


『良かったです』

『あまり無理はなさらないよう』


 朝に返信を見た時には、昨日の高揚感は本当に何だったのかと、自分で自分に呆れた。

 その週は部室でも家でも、残りのチャプターを書き、脚本の形に整える作業を行った。ヒロインが主人公の合格発表に喜ぶシーンも入れ、ヒロインが別れを切り出すシーンは打ち合わせでも話したように、ベンチに座り真横から小声で伝えられる形にした。


『合格おめでとう! 頑張ってたもんね! わたしもすっごい嬉しい!』

『あのね、ずっと黙ってたんだけど、例の先輩いたでしょ?』

『わたしね、先輩のお家まで行ったんだ』

『ううん。言わなかったのはね? 君のこと、邪魔したくなかったから』

『先輩ね? わたしが辛い時、苦しい時、黙って抱きしめてくれたんだ』

『滑り止めのはずの受験校に落ちた時もね? うん、君にも言ったよね。励ましてくれて嬉しかったよ』

『先輩は家まで来てくれてさ。泣いてるわたしの背中から、優しく……』

『君のことを嫌いになったわけじゃないよ? でも、それ以上に今は、先輩が大切だから』


 何故だか、別れを切り出すシーンは比較的、冷静な気持ちで書くことができた。そうは言っても、心臓はバクバク鳴りっぱなしだったし、決して凪いだ心だったわけではない。

 ただ、そのシーンを書きながら、思ってしまった。俺はミサキに同じようなことをしたのだと。脚本の台詞を書きながら、改めて自分の身勝手さを思い知らされる気分で、その心境では「辛い」と言うことはもうできなかった。俺にはそんなことを言う資格がない、とまでは思わないが、それでも自分の行動を反省する機会にはなった。

 だからと言って、どうすれば良かったのかはわからない。ミサキを支える気持ちで、仕事もプライベートも応援することは、絶対に無理ではなかったのかと問われると、そんなことはないと思う。単純に、俺の意思が薄弱だっただけであることを再認識した。就職もしていない。彼女を俺の方から支えるだけの気持ちと金の余裕もない。最初にミサキを逃避先にして依存したのは俺の方だ。

 その点、烏京さんは一緒にいることを仕事にも繋げているし、うまくやっているのかもしれない。俺にはあれだけの甲斐性がない。そう思うと悔しかったが、別れてすぐのような辛さはなかった。

 木曜日、塾のバイトに向かう途中の電車でひとまず全てのチャプターを書き上げて、みわさんに送った。バイトの最中考えたのは、週末に会うという、みわさんと美咲の二人がどんなことを話すのかについてだった。

 美咲はまだ、金元とのことや自分の気持ちについて俺に全て言ってくれたわけではない。何なら、美咲だって自分で自分の気持ちを全部わかっているわけじゃないだろう。けれど、話を続けるうちに、俺も少しずつ美咲の気持ちが理解できたのは確かだ。


「結城くん、お疲れ様ー」


 バイトが終わる頃、古宮さんが俺にそう話しかけた。バイト中、古宮さんは俺のことを結城先生と呼ぶし、俺も古宮さんのことは古宮先生と呼ぶので、そうでない呼び方をされるのはこれからもうオフです、の合図だ。


「お疲れ様です、古宮さん。そういやあれから美咲と話したりしました?」


 古宮さんは俺の質問に首を横に振って答えた。


「話してないなあ。君はまだ部室で会ってるんでしょ?」

「そうですね」

「大丈夫? 気まずくなったりしない?」


 俺は少し首を傾げてから答えた。


「大丈夫かと言われると微妙ですが、一応美咲とは話がついたので」

「そっか。君らが良いならわたしがとやかく言う問題じゃないね」

「ご心配ありがとうございます」


 俺は古宮さんに頭を下げて、ふと思い立ったことを聞くことにした。


「その話とは変わるんですが、古宮さんってアロマアセクってわかります?」

「アロマ? ああ、AエーロマAエーセクか。当然わかるよ。卒論にも少し書いたな」

「あ、そうなんですか」


 なんだっけ。現代の若者におけるセックス事情とかそんな感じの題材だった気がする。


「一部の年代だと性嫌悪が顕著でさ。ある調査だと十代後半の男性のうちの約36パーセント、女性は約60パーセントくらいがセックスに関心がないって結果が出てて、そのうちの少なくない割合が性嫌悪って言うから、わたしの研究内容にドンピシャの話題」

「性嫌悪とアセクは違いますよね?」


 俺の問いに、古宮さんは頷いた。


「そうだねー。もちろん両立はするよ。Aセクシャルは性的欲求を抱かないスペクトラムのことだから、性欲もある人ない人色々。で、Aセクがどうしたって?」


 俺はまた少し考えた。美咲のことをここで話すのは、美咲から古宮さんにその話をしていない以上、言うべきではないだろう。みわさんのことも、見学店のキャストだし、直近でも体入キャストとして働いた古宮さんも知っている可能性があると考えると、そちらも漏らすのは得策ではないと思った。


「今、ここや片桐さんとことは別のとこでバイトもしてるんですが」

「おおう、手広いね」

「そのバイト仲間の人がアロマアセクって言ってて。でも恋人とかは作るそうで、そういうこともあるんだな、と興味を持つきっかけになりまして」


 知り合いとボカし過ぎるのも美咲が透けてしまうと嫌なので、その辺りの表現に留めることにした。


「なるほどねえ。人口の1パーセントはAセクみたいな話もあるし、普通にいるだろね。わたしも昔の相手にいたよ、Aロマ」

「古宮さんの相手は色々いそうですね……」


 ホントに経験豊富だよな、この人。


「女の子の相手も、女装男子の相手とかもしたしね」


 それも別に驚かない。


「わたしが相手した人は別に性嫌悪なくて、恋愛感情ないからこそ、ある人よりセフレを作りやすい、みたいな達観したこと言ってたな」

「それまた色々ですね」


 古宮さんの話を聞きながら、俺は「恋人は無理だがセフレなら良い」という美咲の発言を思い出す。美咲には美咲の考えがあるだろうから、古宮さんが言う人ともまた別だろうが。


「その人が言ってたので印象的だったのがね、AロマAセク特に恋愛感情がないAロマにとっては、恋愛は飲酒と一緒なんだって」

「それは、どういうことですか?」

「えっとねー」


 古宮さんは、その人のことを思い出そうとしてだろう、首を少し傾げて遠くの方を見るような視線になった。


「アルコールって、人によって楽しめる閾値が違うじゃない?」

「そうですね」


 たとえば俺や茉莉綾さんは平均よりお酒を飲める方。古宮さんはお酒は好きでも酔いやすいし、美咲はビール一杯でも限界を迎える。みわさんは酔ってはいたが、飲める量はなんかもうザルだった。


「恋愛やセックスもそれと一緒。多くの人が恋愛っていうアルコールに酔って楽しめるかもしれないけど、そうじゃない人もいる。アルコールを楽しめない人にお酒を強要するのはハラスメントだし、恋愛ならセクハラ。セックスは言うまでもない」


 納得できるような、そうでもないようなだ。


「古宮さんは俺にセックスを迫りますが」

「嫌じゃないでしょ?」


 答えにくい。いや、これは俺が言ったのが悪い。


「でも、お酒が苦手でも親しい人とならお酒の場を楽しむことはできることもある」

「なるほど」


 美咲も、自分はほとんど飲めなくても、俺や茉莉綾さんと飲みに行くこと自体を嫌っているわけではないように思う。それと同じで、自分は恋愛がわからなくても、その話題自体を避けている様子でもない。


「ま、お酒飲めないからお酒の場が嫌いな人もいるし? お酒で失敗した身内がいてお酒そのものを憎んでる人もいるし? そういうのも似てるのかもね」

「今回は激辛カレーにたとえませんでしたね」


 俺の言葉に古宮さんは笑った。


「わたしが言ったたとえじゃないから。そうね、わたしなら激辛カレーを楽しめる人が楽しめない人に無理に食べさせて強要するのはよくない。それと同じで、恋愛を楽しめる人が楽しめない人に強要するのはよくないって言うかも」


 古宮さんの話を聞きながら、俺は美咲に告白した時のことを思い出した。もしかしたら、俺は美咲にお酒や激辛カレーを強要しようとしていたのかもしれない。


「参考になった?」


 俺は古宮さんに深く頷いた。


「なりました。さすが古宮さん、経験豊富なだけありますね。ありがとうございます」

「ふふふ、そう言われると照れるな。でも、そういう話されるってことは、そこでも結城くんは信頼されてるんだね」

「そう、なんですかね?」

「信頼してない人に自分のプライベートな話そこまでしないでしょ」


 古宮さんの話を聞いて、また少し自分の中での考え方が整ってきたような気はする。わからないものはわからないので、気がするだけかもしれないが、やはり人と話すことで、自分の考えをまとめることに繋がっている部分は大きいだろう。


 古宮さんと話した次の日の夕方頃、みわさんから脚本チェックの連絡が来た。


『相変わらずお仕事お早い! さすがです!』

『全体の流れは完璧です。すごいですね。結城さんの情念みたいなものを感じます!』


 ──まあ、今回かなり唸りながら色々なことを考えて書いたのは確かだ。自分の経験してきた感情も、自分の好きな性癖も、書きたいと思えるシチュエーションも、全部載せたつもりだ。今回そうなったのは、他人が指定してくれた設定だったからこそ、というのもあるかもしれない。今のおれが自分からNTRを題材にして小説を書くことはなかっただろうし……。


『やはり変態カメラモンスターの結城さんに頼んで正解でした!』


 褒めてるか、それ? なんか昔、野々村先輩からも似た褒められ方したな。正直、素直に喜べないからやめてほしい。

 っていうか、ヘンタイカメラモンスターも久々に聞いたな。美咲の呼んだ悪い渾名がなんか浸透してる。みわさんがそれ言うってことは、もしかして俺、他のキャストからも同じこと言われてる?


『お褒めいただきありがとう』

『お役にたてて何より』


 とりあえず俺は穏当に、それだけ送った。みわさんからのメッセージはまだ続いているので、続きも読む。


『全体の流れはOKですので、後は実際の尺に合わせる形にしたり、細かい修正点を詰めていきましょう。修正点をまとめたファイルも添付しましたので、確認とリテイクをお願いします』


 俺は指示通り、添付ファイルを開いた。


「うおっ」


 俺は思わず、そう声に出した。誤字脱字な指摘も含めて、台詞として直した方が良い部分や、表現が一致していない部分の調整など、数十にわたるリテイク内容がチェックリストとしてまとめられている。みわさんだけで見たわけでなく、ダブルチェックもしたようではあるが、俺もこれにはみわさんの情念を感じた。まだ完成には時間がかかりそうである。


「ま、やるかあ」


 俺はみわさんのチェックリストを見ながら、一つ一つの修正箇所を確認していくことにした。先はまだ長い。

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