脚本依頼、これからの参考④

 みわさんとの打ち合わせを終えて、俺は「ふう」と一息ついた。美咲の方は、ビデオ通話画面を閉じてから、ただじっと何も映らないパソコン画面を見ていた。


「あ」


 と、美咲は自分のスマホを開く。


「みわちゃんからです。お食事のお誘い」

「ああ。今日のお礼に何か奢るって言ってたよ。良かったな」

「先輩も来ます?」

「いいよ、そこは美咲へのお礼なんだから二人で行きなって」


 美咲は「確かに」と頷いて、スマホに文字を打ち込み始めた。俺はそんな美咲の様子を見て、自分のスマホでアロマンティックアセクシャルと検索を入れる。

 アロマンティックとは他者に恋愛感情を抱かない人、アセクシュアルとは他者に性的感情を抱かない人のこと。

 検索結果にそう説明が表示される。言葉自体は聞いたことがあったけれど、美咲が自分は恋愛感情がよくわからないと言った時に、特にその単語は頭に思い浮かばなかった。


「先輩、今度のお休みの日にみわちゃんと焼肉行くことになりました」


 俺がぼんやりと検索結果を眺めている間に、美咲はみわさんとの食事の日取りを決めたらしい。


「先輩、やっぱりその日、私先輩にお会いしたいです」


 美咲のためらいない要求に、俺はドキリとする。


「それは嬉しいけど、どうして?」

「みわちゃんからも色々と話を聞いて、それで少し自分の考えを見直してみようかと」

「そっか」


 みわさんは、自分は他人に恋愛感情を抱かないけれど、恋人を作ることに拒否感はないようだった。そこは美咲との違いだし、彼女の話を聞いて思うところがあったのだろうか。

 今このタイミングなら、美咲も色々と答えてくれるようか気がした。どうして美咲は俺と付き合いたくないのか。どうして初めてのセックスを金元としたのか。美咲にとって、俺は結局どういう存在なのか。


「なら、俺ももう一度考えてみるよ」


 聞きたいことは山ほどあったが、俺はそれらの疑問をグッと自分の中に押し込め我慢した。自分はどうしたいのか。みわさんが美咲と同じような感覚を持っているとしても、美咲もみわさんと同じように考えるわけではない。美咲が自分の考えを見直すというなら、俺も自分の感情と欲望を、もう一度考えておきたい。そう決意する。


「それじゃあ、当日はみわちゃんとの食事が終わり次第、先輩に連絡しますので」

「ああ、わかった」


 美咲との会話は一度そこで止め、俺は今打ち合わせで話し合ったことも念頭に置いて、脚本を書き始めることにした。

 導入は告白パートを短めに。最初のチャプターではヒロインとの恋人としてのいちゃいちゃを存分に描いた。そのいちゃいちゃパートを書きながら、俺はミサキとのことを思い出す。ミサキと過ごした恋人としての日々は、間違いなく大切なモノだ。そしてあの経験があるから想像できるものも確かにある気がした。

 ……美咲と恋人になってもそういう関係性を築くことはないんだろう。俺が美咲を好きでも、美咲は恋人らしいことをしたいわけではないのだろうから。美咲が俺をフった理由もそこにあるのだろうか、などと考えて、ふと手が止まった。

 俺は、ミサキが俺とこのまま一緒にいたら、彼女が本当にやりたいはずのアイドル活動や配信者の仕事を疎かにしてしまうと思った。だから俺は、ミサキと別れることを決めた。

 自分と一緒にいたら、できないことがある。

 もしかしたら、美咲もそう考えていたりしたのだろうか。

 あ、でも美咲、見学店で初めて俺を接客した時、マジでふざけてたからな。茉莉綾さんや他のキャストに比べれば、ぎこちなくはあったが、エロい格好をしてエロい仕草をして、マジックミラー越しに俺の反応を楽しんでいた。そういう意地の悪さはあるんだよ。


 ──何我慢してるんですか? 良いんですよ? ほら、ちゅーしましょう?


 ……ガラスに唇を押し付けて舌を這わせ、キスを要求する美咲の姿を思い出してしまった。そしたらもうダメだった。頭の中が美咲の情欲的な姿で支配される。俺のアパートで撮影会をした時も、美咲は撮影にのぞむ俺の様子にうんざりしながらも、楽しそうだったな、なんてことも思い出す。


「ああもう!」


 急に大きな声をあげる俺に、美咲がビクッと動いた。


「ど、どうしたんですか、先輩?」

「全部お前が悪い」

「……はあ?」


 美咲は納得がいかない、という顔で俺を睨みつけたが、無視する。

 さっきまでの我慢と決意はどこいったんだ。もはや脚本の執筆どころではないが、この際だ。この悶々とした気持ちを全部脚本にぶつける。


『ねえ、せっかく恋人になったんだし恋人らしいことしよう?』

『ちゅーしたいな?』

『ちゅーだけじゃ我慢できない。ねえ、こっちに来て?』

『わたし達、もうずっと一緒だね?』


 この後にこのヒロインが寝取られることも忘れ、俺は頭に浮かんでくるエロい描写を、うーうー唸りながら、書き殴って書き殴っていく。気付けばかなりの分量になって、明らかに規定枚数を超えた。俺は息を整えながら、文字数を削っていく。まだ台詞を書いただけで、脚本のテイにはなっていないが、ひとまずはまとまった形になったのを確認して、俺は立ち上がった。


「あ、あの? 先輩? 大丈夫ですか?」


 先程から、はたから見て挙動のおかしかったのであろう俺を心配するように、美咲が声をかけてくれた。


「ありがとう。大丈夫。ちょっと苦しかっただけ」

「寝取られを書くのが?」

「……それ以前?」


 俺は美咲の顔を見た。心配そうに俺の顔を見る美咲の顔が愛おしかった。この前の言い草だと美咲は多分、今俺がキスやハグを要求しても拒まないのかもしれない。俺の中で、告白前と後で変わってるのはそこだ。先日、無性にセックスをしたくなった時もそう。美咲はそんな俺の気持ちなど想像してないのかもしれないが、美咲にフられたとは言え、その後にセフレなら良いと言われたことがずっと尾を引いている。変な話だが、頭では違うとわかっていながら、気持ちの上では、俺は既に美咲と付き合っているような感覚でいるのだ。美咲が俺を拒絶するつもりではないことが今はしっかり分かっているのも大きい。

 俺はミサキとの生活を思い出す。そうだ。ミサキとの初セックスを終え、俺からもミサキのことを好きだと言って始まった恋人生活の始まりの時と、同じような精神状態でいる。

 ──は? 何だそれ、気持ち悪っ!

 我ながら自分の状態に吐き気を感じた。向こうは付き合うって言ってないのに勝手に気持ちが盛り上がってるとか、ストーカーでももっとマシな精神状態だろ。


「書けそうです?」

「書けることは書ける。なんなら、かなり筆が乗ってる」


 実際、台詞だけとは言え、これだけ速く文章を書けるのは絶好調と言えた。ただあれ、気持ちが高揚し過ぎてて頭がくらくらするだけ。ホントにそれだけ。


「美咲、ちょっと早いけど俺先に帰るわ」


 お酒に酔ってるのと同じ、とまでは言わないが、気分が上がりきっている今この状態で美咲と同じ部屋にいたら、ただでさえ鼓動の跳ね上がっている心臓が、ちょっともたない。


「え、ホントに大丈夫なんですか?」


 やめろ、優しい言葉をかけるな。キスしたくなるから。は? 何言ってんの、気持ち悪っ。


「ふ、ふふふ」


 自分の情緒がこれほどまでに安定しないことに、思わず笑いが溢れてきた。俺、こんなどうしようもない人間だったっけ? みわさんの話を聞いて、美咲も俺も少し自分の気持ちを考え直すって言ったばっかなんだよ。


「大丈夫。ホントに大丈夫。じゃあ、美咲。また明日」

「はい、また明日」


 俺は美咲に手を振って、部室から出た。そのまま悶々とした気持ちを抱えながら大学を出て、駅に向かう。今日がバイトのない日で助かった。駅について、俺は何日かぶりに桔梗エリカの動画配信ページを開いた。これからは一ファンとして応援するとミサキには言ったが、敢えて避けていた。ただ、みわさんが望むのが桔梗エリカのASMR配信と同じようなものだというなら、それを改めて確認する必要があると思う。違う。断じて俺が聴きたいわけじゃなくて。


「あ」


 動画配信ページを見て気付いた。ここ数日の配信に、桔梗エリカと烏京すずめとの共演が増えていた。別れた後に覗いた時も、烏京すずめとのコラボということにしていたけれど、それを期に深夜帯の配信でほぼ毎日のようにコラボしている。


「……やってんな」


 まさかここでも寝取られみたいな気持ちを味わうとは思わなかった。俺は溜息をつきながらも、桔梗エリカの配信アーカイブを再生する。耳に届く彼女の声には特に変わりはない。あれから彼女も烏京さんの助けがあって問題なく活動しているというならそれで良い。俺もそれを望んでいたのだし、喜ばしいことだ。ちょっとだけモヤモヤするのはこう、気のせい。


 家に帰って、俺は押入れにしまってあるダンボールを開けた。ミサキに言われて買ったアダルトグッズが幾つか放り込んであり、ローションや未使用のTENGAなんかも置いている。俺はオナホとローションを手に取って、敷きっ放しの布団に横になった。


「──何やってんだろうな、俺は」


 それで一度冷静になった俺はオナホを洗いに風呂場まで行き、ついでにシャワーを浴びた。

 俺はスマホを開き、さっき保存したばかりの脚本の続きを書き始めることにした。さっき物凄い勢いでいちゃいちゃ書いたけど、こっから寝取られパートに入るんだよな。


『受験勉強どう? うまくいってる?』

『あのさ、今度みんなで勉強会しない?』

『二人きりじゃないのかって? うん、そうだね。今は良いかな』


 とりあえず、こんな感じ。

 結局、美咲が提案したように、勉強会は他の友人達も呼んでやることにし、その最中にヒロインに呼び出されて、大学の先輩の話を聞く流れにした。


『あのね、実はさ。わたし今、志望校の先輩に勉強教えてもらってて』

『すごい分かりやすいんだ。一緒にいると気持ちも安らぐし……ううん、何でもない!』

『あ、勘違いしないでね? 別に先輩とはそういう仲じゃないから。うん、勉強教えてもらうだけ』

『そうだね。君には、教えておいた方が良いと思ったから』


 は? 何これつらっ。

 そういう仲じゃないとかふざんけんなよ、この後セックスするくせによお、などと自分で書いたものなのにツッコんで、気分が滅入った。ああでも、こうやって書いてるとわかる気がするな。俺もバッドエンドの映画や、下り坂を降り続けるブラックコメディなんかは嫌いじゃない。なんなら、自分から望んで観たり読みに行く。寝取られも、そういうジャンルと類似なわけだ。どうしようもない、失われてしまうモノを描くからこその美学というかなんというか。

 何言ってんだ俺は?


 俺は勉強会パートを書き終えると、脚本を閉じた。一度鎮まれば大丈夫と思っていたけれど、まだ情緒が安定しない。こういう時はもう、しっかり飯を食って寝るに限る。

 俺は冷蔵庫に作り置きしている野菜炒めや肉を温め直して夕食として、また桔梗エリカの配信ページを開いた。どうやら烏京すずめとのASMRコラボなんかもやってるらしいが、今はそれを聞く気分ではない。俺はいつもの就寝時刻になるまで桔梗エリカが新しく始めたらしいゲーム実況を観て、ミサキの元気な様子を想像した。安心するような、少しモヤモヤするような、そんな微妙な気持ちになる自分を自分で嘲笑う。それから一応、美咲の連絡先を開く。


『心配させてごめん。落ち着いた』

『やっぱりダメージはあるわ、この脚本』

『おやすみ』


 そんな風に美咲にメッセージを送り、俺は今度は本当にただ眠りにつく為だけに、布団に入った。

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