脚本依頼、これからの参考③
次の日、みわさんから本依頼の設定資料が送られてきた。トライアルに比べると多少ふわふわした資料だが、指示自体は変わらず的確で、みわさんによる仕事の出来の良さが見える。夕方までに脚本の資料を読み込み、一度細部をどうするかについてビデオ通話で話し合う約束をした。
指定された時間帯がいつもは部室にいる時刻だったので、その時刻はいつもサークルの部室にいることを流れで伝え、みわさんに『そういえば美咲がよろしくって言ってたよ』とメッセージを送った。
『ありさちゃん元気です?』
みわさんから、そう返信が届く。俺もそれにすぐに返信した。
『元気だよ』
『みわさんからシチュエーションボイスの脚本の仕事もらった話したら興味持ってた』
『部室でパソコン開くと思うし、何なら声聞く?』
ビデオ通話なら部室ではなく、別の場所で打ち合わせをしようかとも思ったが、全員知り合いなのだし、それも別に問題ないだろう。
『良いですね』
『というか、ありさちゃんも文芸サークルですよね?』
『それなら打ち合わせご一緒できません?』
『アイディア出しは人数いた方が良いと思うんで』
『ありさちゃんには今度、ご飯でも奢ります』
みわさんから、そんな風に提案があった。美咲も興味津々だったし、そういうことなら、と美咲にも、みわさんから打ち合わせを一緒にしないか誘われている旨をメッセージで送る。
『しますします』
美咲からもすぐにそう返事が返ってきた。話はスムーズに進んで、打ち合わせ時刻には俺と美咲は部室でそれぞれパソコンを開いて、みわさんとのリモート会議を始めることに決めた。
「先輩、お疲れ様です」
いつものように、一足先に部室に来ていた美咲がノリノリで敬礼ポーズを取った。わかりやすくテンション上がってんな。
「先輩とサークル誌以外でもお仕事ご一緒できるの、嬉しいです」
こういうことを言われると、こいつホントに俺のことフった自覚あんのか? という気になる。良くも悪くも、あまり距離感が変わらない。古宮さんは、あんなに他人に懐いている美咲は初めて見た、みたいなことを言ってくれたけれど、そんなことですら嬉しくなってしまうんだから、俺も難儀だ。
「見学店も一緒だったけどな」
「確かに。でもなんか、だいぶ前のような気がします」
「それなりに前なのは確かだし」
俺がミサキとの再会したのと同じくらいだから、約三ヶ月前だ。
俺はテンション高めにニコニコとしている美咲の顔をちらりと見る。それに、俺もその期間、部室に来ていなかったのだから、その分こいつも長く感じるということは、あったのかもしれない。
「シチュエーションボイス、どんな内容なんですか?」
「あー、それな……」
俺はみわさんから送られてきた資料を改めて確認した。
今回も描写はR15指定だ。主人公(リスナー)は男子高校生。中学の頃からの腐れ縁である女の子に告白し晴れて男女の仲に。しかし受験勉強の最中、塾なども忙しく二人は以前よりもあまり会えなくなった。ある日、勉強会として主人公の家に来たヒロイン。そこで彼女が志望する大学の先輩に勉強を教わっていることを聞かされる。そして合格発表。無事に志望校に合格した主人公は喜びの中、ヒロインに呼び出される。受験勉強の邪魔にならないよう黙っていたが、例の大学の先輩の家に、もう何度もお泊まりをしていること、彼との仲を深める為に主人公とはまた仲の良い友達に戻りたい、という話を切り出される。喜びと絶望が同時に押し寄せる主人公。最後は街中でたまたま、知らない男の腕に寄り添い、いちゃいちゃするヒロインを見かけて終わる。
「寝取られですね」
「寝取られだな」
R15だから生々しい描写を求められているわけではないが。付き合っていた彼女の心が主人公から完全に離れ、別の男の元へ行くという筋はNTRジャンルの内に入る。
そして流石の美咲も黙ってしまった。この間の謝罪の件があるから、迂闊に口を開けなくなっているものと見える。
「やりましたね先輩、これは先輩の経験を存分に活かす機会! ……とか言わねえの?」
「そ、それは言おうと思いましたが」
やっぱりかよ。
「でもそんなこと言ったらまた怒られそうで」
「大丈夫。もう滅多なことない限り俺はお前の言葉に怒んないから。お前がふざけたことしない限り」
「ふざけたこととは?」
「本気で聞いてる?」
「いえ、失礼しました」
俺は思わず苦笑した。見学店のキャストにいきなりなっていた時もそうだけど、文字通り自分の体を張って何かしでかさないなら、もう俺はこいつの奇行には本当に何も言わない気でいる。
だってキリないもん。
「書けそうですか?」
「あー、お陰さまでな?」
ちょっとイヤミな言い方になってしまった。良くない。
「そろそろ時間ですか?」
美咲が部室にかけてある時計を見て言う。
「そうだな」
俺と美咲はそれぞれ自身のパソコンでビデオ通話の画面を開く。時間になり、みわさんからの通話がかかってきた。俺も美咲も通話を開始して、画面に三人の顔が映し出された。
『お二人ともお疲れ様ですー』
「みわさんお疲れ。資料読んだよ」
『ありがとうございます。助かります』
みわさんは小さく頭を下げて、それから美咲に向けて話し出した。
『ありさちゃん──美咲ちゃんのが良いかな──お久しぶり』
「みわちゃん、お久しぶりです。あれ? みわちゃんで良いです?」
画面の向こうでみわさんが頷く。
「大丈夫です。創作の名義も
『そうでしたか。わかりました。じゃあ早速話し合いいきますかー』
見学店の仕事の時よりも、心なしか活き活きして見えるみわさんだった。こちらの方が性分にあっているのだろう。今はゆりあさんなんかと仲も良く楽しくやっているように見えるけれど、以前に写真撮影をした時のみわさんは「自分でもできそうだったから」と消極的な様子だったし。
みわさんが画面共有で、資料を表示する。俺に送られたものに加えて、パッケージ画像のラフ案なども載っていた。
『確認していただいたのでわかると思いますが、いわゆる寝取られ系です』
「だよね?」
最初に設定を読んだ時は少しビビったが、美咲も言っていた通り、今流行りのジャンルなのは間違いない。
『流行りもありますが、単純にぼくが好きなので』
「じゃなきゃ作ろうとは思わないか」
『んー、まあリクエストに応じて作るのもあるけどね。基本は自分の好きなのを出してます。その辺は結城さん達と一緒かと』
確かに。そしてみわさんのスタンスがそうであるならば、こちらも遥かにやりやすいと思う。基本的には、慣れ親しんだサークルでやることと活動内容は変わらない。
「俺が設定読んで思ったのは、ASMR的に映える耳元での囁きみたいなのは入れにくそうだな、みたいなところ」
俺がそういうと、みわさんが苦笑した。
『ですねえ。ぼくもそれはちょっと思いました。丸投げしちゃってごめんなさい』
「寝取られがメインなので、ヒロインの報告部分を耳元で言うようにしたら良くないですか?」
先に提案をしたのは美咲だった。
「まあ入れるならそこだよな」
『具体的にどうすると良いと思いますか?』
「ヒロインの家で勉強会してるなら、他に人がいる中、廊下で耳元で報告するとかは?」
美咲の案に、みわさんは「なるほど」と頷いた。
「家にはご両親がいて、聞こえないように耳打ちするとか」
お前もよくポンポンと出てくるな、そういうの。
「合格発表の時に、実はもう大学の先輩との仲が深まっていることを伝えるところも、学校や公園のベンチに座って横から小声で囁く形とかだと背徳感ありません?」
こいつ今回、打ち合わせに呼んで良かったな。俺まだほとんど喋ってねえのに、どんどん出てくるじゃんよ。
「でもそれなら書きやすそうだし、みわさん、その線でいっても良い?」
『そうですね。結城さんの脚本、すごい読みやすかったし、細かいところの直しはまた上がってからでもいけそうですし』
「さすがです、先輩」
そしてやはり鼻高々になる美咲だった。ホントにどういう気持ちなの?
そんな風に、細かいところの設定を三人で話し合いながら決めていき、とりあえず締切は今週中ということになった。トライアル脚本よりは長めの作品になるし、この長さだと俺も今日中に書き上げるのは無理そうだ。
『結城さん、ありがとうです。ホントに助かりました。美咲ちゃんもありがとう。すごく参考になったよ』
「お役に立てたようで何よりです」
打ち合わせ中、美咲もずっと楽しそうだったし、俺も良かったよ。
『結城さんの文章、ぼくの性癖ともバッチリあったので、良い作品ができそうです』
「こういうのって、みわさんも自分の経験を元にしたりするんですか?」
美咲らしい質問だった。何せ俺の作品のリアリティのために何でもしようとする奴である。
みわさんは「んー」と上を見て考えた後、口を開いた。
『音声作品に関しては全然かなあ。オール妄想の産物』
みわさんはそう言って、にまにまと笑う。
『結城さんには言ったけど、桔梗エリカがやってるようなのが作りたくて』
なるほど。あの時に桔梗エリカの名前を出した時には驚いたけれど、みわさんも普通にファンの一人なんだな。
『それでシチュエーションは思い浮かぶけど、自分の中で形にできないからこうして外注してるしね』
「自分の昔の経験とかも関係ないですか?」
『そうだね。というか、ぼく自身は恋愛感情わかんないから』
美咲と同じようなことを言うみわさんに、美咲も少し目を丸くした様子だった。
「そうなんですか?」
『うん。ぼく、アロマアセクだし』
「アセク?」
聞き返す俺の言葉に、みわさんは頷いた。
『アロマンティックアセクシャルです。恋愛感情とか、他人への性欲求とかないの』
俺は部室にいる美咲を直接見た。美咲もまた、俺の方を向いていた。
「でも、みわさんって恋人とかいたんじゃ?」
美咲がパソコン画面の方に向き直り、みわさんに尋ねた。みわさんは一瞬キョトンとした顔になって、笑った。
『うん、そう。Aの人は相手が自分を好きでも、自分が相手を好きになれないから恋人関係は嫌がる人もいるけど、ぼくはあんま気にしないかな。パートナーとか別の言い方する人もいるけど、そんなの単なる関係性の記号だし』
「恋人と別れて三日三晩泣き腫らしたとか言ってたね」
『あー、言いましたね。あの時は結城さん励ましたかったーってのもありますが、泣いたのは本当です』
みわさんは寂しそうな顔で遠くを見た。
『ぼくのことすごい理解してくれてた人で何年も一緒だったから、当時はすごいショックで。ぼく、好きな漫画のキャラが死んでも泣いちゃうから』
そういやそうだったな。みわさん、少年漫画のBL二次創作も嗜んでるし、それで一喜一憂する様子もお店で見たりするから、感受性はかなり豊かな方だと思う。
『だから、結城さんのカノジョ候補になりたいって言ったのも冗談じゃないですよ。エグいプレイも興味あるんで』
「その話は今は置いとけ」
それ今話すと、ややこしくなりそうだから。けれど、その話に思ったより美咲は食い付かず、静かにしている。
「そうなんですか」
美咲は俯きがちに何か考え事をするように自分の顎を手で触った。
「私もです」
美咲が画面を真っ直ぐに見て言った。
『美咲ちゃんも? エグいプレイ好き?』
「そっちじゃないです」
美咲は冷静に否定した後、少しだけ溜めて、言葉を続けた。
「私も人を好きになる感覚、よくわからないので」
俺が告白をしてから、頑なにその話をしようとしていなかった美咲が、みわさんにそう言った。みわさんは、美咲の言葉を聞いて、なんでもないように微笑む。
『そっか。じゃあお仲間だね、ぼくら』
「はい」
美咲もまた、そんなみわさんの笑顔を見て笑った。
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