喫茶店より、ある日の密会③

「また何かあったら、あの電話番号に連絡したら良いですか?」


 俺が聞くと、烏京さんは顔を上げて考え込んだ。


「そうですね。お察しいただいてると思いますが、あれは昼のお仕事用の電話番号なので」


 やっぱりそうか。となると、何度も何度も連絡するのも迷惑になる。


「今、メールアドレス送ります。プライベート用なのでこっちはいつでも大丈夫です」


 烏京さんはそう言ってスマホを操作する。俺のスマホが鳴り、烏京さんからメアドを添付したメッセージが送られてきた。


「良いんですか?」

「はい」


 烏京さんはゆっくりと頷いた。


「昨夜、私が失礼なことを言ったの覚えてますか?」

「えっと?」


 どれのことだろう。急な出来事だったので、驚きが勝り、あまり烏京さんの言った言葉を覚えていないかもしれない。


「私、エリちゃんがアイドルを辞めるって言い出したのは、交際相手に言われたからだと思ってたんですよね」

「あー」


 そういや、そんなこと言ってたな。俺が辞めるよう言ったわけじゃないですよね、とかなんとか。


「もしそうだとしたら、一言文句言ってやるつもりで。危ないことになっても、マンション前だったら最悪、大声を出せばと」

「そんなこと考えてたんですか」


 ちょっと思ってはいたことだけど、この人もミサキとは違うベクトルで危なかっかしいよな。そのくらいでないと、アイドル活動なんてやってられない、という面もあるのかもしれない。


「エリが心配なのはわかりますけど、あんまり危ないことするのはやめましょうよ」

「そうですね。少し先走りすぎました。反省してます」

「とりあえず俺もさっきのアドレスに返事送っときます」


 俺は烏京さんから送られたメアドに「結城です」とだけ本文を書いて送った。

 これで、俺と烏京さんはいつでもコンタクトを取れる。


「さっきの話ですが」


 烏京さんは俺からのメールを確認してスマホをしまうと、話を続けた。


「エリちゃんの相手が、結城さんみたいな人でホッとしました」

「……まだ会ったばかりですが」

「そうですが。エリちゃんの仕事のことも大事に思っている人で良かった。もし体目当てなんだとしたら、私が代わりになるくらいのことは言うつもりでしたから」


 なんか最近、その手の話されることが多いな……。


「冗談でもやめてくださいね、そういうこと」

「そういう返しができる時点で、結城さんは良い人です」


 そう言う烏京さんの目には、どこか憂いが混じっていた。その表情に、俺はどこか見覚えがあるような気がした。


 ──先輩のことを普通に好きで、セックスもする相手だったらそっちの方が良いですよね。


 烏京さんの憂いを含んだ表情を見て、俺の脳裏に美咲の顔が浮かんだ。もう今までのように部室には来れないと言った時の美咲の沈んだ顔と、烏京さんの今の表情は、よく似ている。あの時は、美咲のことが心底わからないと思ったけれど。


「烏京さん、アットシグマのメンバーとして心配ってのもあるけど、それよりもエリのこと本当に好きなんですね」


 俺の言葉に、烏京さんは少しだけ驚いた表情をした後に、困ったように眉を曲げながら、口をにっこりと歪めて笑った。


「はい。エリちゃんには幸せになってほしい。エリちゃんをずっと見てきて、私は誰よりもそう願っているんです」



☕︎


 ──喫茶店から出て烏京さんと別れ、俺は急いで見学店に向かった。思ったよりはあまり遅れずにすみそうだ。電車に乗る前に片桐さんに、こちらの用事が済んだことを伝えると「急がないで良いから気をつけな」と返してくれた。


 無事に見学店に到着し、片桐さんに遅刻してしまったことを詫びてから、いつものように撮影対象の様子を見学しつつ、スタッフの手伝いをする。今日の撮影も、新人キャストだ。ここ何件か、Web宣伝用の写真を見てすぐに撮影をお願いしたいという新人の撮影が続いている。片桐さん曰く、俺の撮影したキャストは漏れなく指名率が上がっているので、稼ぎたいと思って入ってくる新人であれば、積極的に撮影を望むのだとのこと。


「失礼します」


 閉店時間が近づいて、スタッフの手伝いも一通り終わり、スタッフルームで休んでいると、誰かが裏口の方に続くスタッフルーム入り口の扉をノックした。

 俺が扉の方を向くと、ガチャリと扉が開く。


「先輩さん、やっほー」


 扉から入って来たのは、業務時間の終わっている筈の店のキャスト、かなこさんだった。制服コスチュームから着替え、上はチューブトップでへそを出して、下は膝上丈のデニムスカートという、いつものかなこさんらしい私服だ。その後ろに、何人かキャストが控えている。全員、俺の撮影したことのあるキャストだった。中には茉莉綾さんもいて、俺と目が合うと手を振ってくれたので、俺も振り返した。


「かなこさん、それに他のみんなも。どうしたの?」

「先輩さん、これから撮影でしょ? そうなると、話す機会なくなっちゃうなーと思って」

「かなこさん、今週でもうお店辞めちゃうんですよ」


 かなこさんに続けて、扉の隙間から茉莉綾さんがひょこりと頭を出して言った。


「そうなんだ!? そっか、お疲れ様。寂しくなるね」


 かなこさんとはダーツバーで遊んだり、茉莉綾さんと飲みに行った時にも一緒になって、店の外でも何度か話したことがある。片桐さんも、店の子の出入りは激しいと言っていたし、俺も当然全てのキャストを把握しているわけじゃないけれど、俺が撮影したことのあるキャストが辞めるというのは初めてなので、ちょっとした寂しさを感じるのは本当のことだった。


「この後、みんながお別れ会してくれるって言うから、撮影終わったら一緒にどうかな? と思って」

「なるほど」


 嬉しいお誘いだけれど、仕事が終わったらすぐにミサキの待っているアパートに行くことを、もう彼女には連絡してしまっている。


「ごめん。行きたいのはやまやまなんだけど、カノジョが待ってるから……」

「え!? 先輩さん、カノジョいたの!?」


 かなこさんが大声を出して、扉の奥のみんなもガヤガヤとし出した。


「そうなの!?」

「えー、なんかちょっとショック!」

「そりゃ先輩さんならカノジョくらいいるでしょ」

「何それすっごい気になる」

「いいな。わたしも恋人ほしー!」


 ガヤガヤざわざわとキャストのみんなが俺の方を見ながらあれやこれやと話し始める。そういや、茉莉綾さん以外には特にミサキのことを話したことはない。


「あ、もしかして遂にありピに告った!?」


 ありピ、というのは美咲のことだ。


「いや、美咲じゃないんだ」

「マジかー、知らなかった。あ、すずか! あんた、さっき先輩さんは来れないと思うってボソっと言ってたの、先輩さんのカノジョのこと知ってたでしょ!?」


 かなこさんに詰められて、茉莉綾さんは目を瞑った。


「それはだって、勝手に言うのは良くないし」

「そうだね、ごめん。茉莉綾さん、ありがとう」


 俺は扉の隙間から顔を出している茉莉綾さんに向けて言う。


「じゃあ、先輩さんは撮影終えたらすぐカノジョさんのとこに?」


 かなこさんの問いに、俺は頷いた。


「そうですね。早く帰るって約束してるし」

「そっかー。じゃあしょうがないなー。先輩さんとはまた今度かな」

「それも、すみません。あんまり外で他の女の人と楽しくしてほしくないって、カノジョには言われてて」


 かなこさんは「ありゃ」と肩を落とした。


「ケッコー束縛強い系? 羨ましー。愛されてんね」


 かなこさんは大きくため息をつく。


「でもカノジョのこと優先してくれるの良いなー。ウチのカレシにも見習わせたいわ。あいつ、会社の同僚とキャバ行っても隠すし」


 かなこさんの言葉を皮切りにして、他のキャストのみんなも口々に男の愚痴を言い出した。


「ウチも夜全然返事なくて心配してたのに後で聞いたら麻雀してたってことあったわ」

「今度一緒に観に行こうって約束した映画勝手に観てたり」

「別に飲みに行くのは良いけど、合コンまで勝手に行って良いとは言ってないんだけど、とかね」

「えー、でもあたしはそれならそれで最後まで隠し通してほしいな」

「トイレの便座は下ろせって言っても全然下ろさないし」


 みんなの話を耳にしながら俺は苦笑した。後、最後のはちょっと違う。


「みなさん、苦労されてますね」


 口々に恋人に対する文句を言い合うキャストの話を聴きながら、俺も外で色々言われないようにしたいな、と少しだけ肝を冷やした。


「ま、そういうことなら仕方ないか。でも、できたらありピともまた飲みに行きたいしさ。考えといてー」

「わかりました」

「先輩さん、今までありがと! 先輩さんの写真のおかげでだいぶ助かったよ!」


 かなこさんはそう言って俺に手を振った。茉莉綾さん含め、後ろのみんなも同じように手を振るのが見えたので、俺はみんなに見えるように扉の前まで歩いて行って手を振り返す。


「じゃあ、今日も撮影頑張って! カノジョさんにもよろしく!」


 ガチャリ、とかなこさんが裏口の扉を閉めた。

 時計を見ると、もう後5分もすれば撮影の時間だったので、俺はスマホを手に取り、新人キャストが待っている待合室まで向かう。

 今回、撮影をするキャストは新人ながらもかなり元気の良い子で、まだ高校を卒業したばかりだと言う。楽して稼げる仕事を探して、水商売関連のバイトを探したが、以前に入ったキャバクラでは人間関係で疲れてやめ、それから片桐さんのところに流れて来たのだという。

 片桐さんの言う通り、店を選んだ決め手はそれぞれのキャストの魅力の見えるWeb宣伝用写真を見たからだと言い、だからこそ撮影にも抵抗はなかったのだそうだ。そう言われると、俺も悪い気はしない。

 重々承知していることだが、見学店は決して誰にでも誇れるようなバイトというわけではない。それでも俺は片桐さんの姿勢には共感もするし、俺を必要としてくれるからこのカメラマンのバイトを続けている。


 地下アイドルの仕事だってそうだ。烏京さんの言う通り、アットシグマや対バンのライブで見るような綺麗なばかりの世界ではないのだろう。人の欲望に手を突っ込んで仕事をする以上、そこにある汚泥に触れてしまうことはある。アイドルそのものだって、ミサキの配信活動だって、観る人によってはそういった汚泥と同じものだ。


 ミサキがそういうモノを嫌だと言うなら、俺はそれを否定しない。彼女の嫌がるようなことなら、やめてしまえと思う。だって、ミサキはもうあの頃に充分苦しんだと思うから。


 けれど、そんな苦しみがあっても、彼女が何かをそこに見出していたのだとしたら。


 俺は彼女がそれに手を伸ばす邪魔をしたくなんてない。

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