喫茶店より、あの日の密会②

「では、結城さんもできることなら、エリちゃんにはアイドルを続けてほしいと?」


 烏京さんが俺に尋ねる。


「どうでしょう。俺は、アイドルになってからのエリのこと、ほとんど知りませんから」


 ただ、これまで続けて培ってきたものを簡単に手放すようなことは避けて欲しいと思う。そしてもし手放すのだとしても、俺と一緒にいたいということを理由にするだけじゃなく、自分を大事に決めてほしい。


「失礼します」


 個室の扉を開けて、店員がコーヒーを二杯運んできた。烏京さんが事前に頼んでいたものだろう。店員は俺と烏京さんの前にそれぞれコーヒーを置くと、丁寧に頭を下げて部屋から退室した。


「俺、あいつと再会したのはたまたまなんです」


 俺は店員が扉を閉める音が鳴ってすぐ、烏京さんにそのことを話した。


「俺の大学の先輩が地下アイドルオタクで。その先輩にたまたま連れて来られたライブで、桔梗エリカとアットシグマのことを知りました」

「私もそれはエリちゃんから聞きました。エリちゃんは、こんなの運命だよねと言っていましたが」


 ミサキ、烏京さんにはそんな風に言っているのか。運命か。そう言われるとこそばゆい物を感じる。と言うか、俺のことを他にどう話してるのかも気になってしまう。


「その時、俺はカメコとしてライブに来たんですが、その時の桔梗エリカの写真を見たら、あいつのことが少しわかるかと思って、今俺が撮った写真を大学の先輩に言って送ってもらうつもりです」

「なるほど」


 そこまで話して、それは「そうだ」と思い立った。


「烏京さんなら、以前のライブ映像持ってたりしますよね?」

「はい、そうですね。持ってます」

「あの、それ俺に送ってくれたりしませんか?」

「それは、エリちゃんに言えば見せてくれるんじゃないの?」


 烏京さんが訝しむ様子で首を傾げた。


「見せてくれるとは思います」


 きっとミサキは俺が言えば、喜んでライブの記録を見せてくれるとは思う。


「けど、俺あいつに隠しごとするの苦手みたいで……。どうして急にそんなこと言ったのか追及されたら、何か勘繰られそうだなって……」

「なるほど。確かにエリちゃん、勘がいいですからね」


 烏京さんは俺の説明で納得したらしい。流石にこの人も、ミサキとの付き合いが長いから、俺の感覚も共感できるところがあるのかもしれない。


「そういうことでしたら、協力したいのもやぶさかではありませんが、流石に外部の方にデータとして送るのは……」

「まあ、そうですよね」

「ただ、私の持っているものを一緒に観る形なら」

「良いですか?」


 烏京さんは控えめに、首を縦に振った。


「ちょっと待ってくださいね。クラウドストレージに、いくつか保存していたのが観れるはず」


 烏京さんが自分のスマホを操作して、動画を再生した。俺に見えるように、スマホを丸テーブルの真ん中に置いてくれた。

 個室スペースとは言え、喫茶店の店内ということもあってか、音声は少し控えめにしている。


「これは結成一周年記念の時ですね」


 スマホの小さな画面の中で、アットシグマの三人が歌って踊っている。記念ライブということもあってか、俺が行ったことのあるライブよりもかなり客席が盛り上がっているように感じる。


『今日はあたしたちの為にこんなにたくさん集まってくれてありがとうー!』


 ミサキ──桔梗エリカが声を張り上げて客席に呼び掛ける。時折ズームで映る彼女の目は、俺が大学やバイトを終えて彼女に会いに行った時と同じくらい、いや、それよりも全然輝いているように感じるのは、俺の錯覚でしかないのだろうか。


『今日は最高! あーしも本当、嬉しいよー!』


 桔梗エリカに続けて、烏京すずめも客席に向けて大きく手を振った。

 普段はダウナー口調のキャラで逆前に彼女も、この時ばかりはかなりテンションが高くなっている。


 烏京さんは少し気まずそうにコホン、と咳払いをした。


「すみません、お見苦しいものを」

「いえ」


 俺は画面に映るアットシグマの三人をじっと目で追い続ける。


「あいつも烏京さんも、アットシグマの三人ともすごく魅力的だと思います。俺もきっとこんなライブに参加したら、これからも応援したいって感じられると思う」

「そう言ってもらえると光栄です」


 これだけ観れば、ミサキは楽しんでアイドル活動をやっているように思える。当然、ファンに向けてはそういう面だけを見せるのもアイドルの重要な仕事のひとつなのはわかっているが、俺はその裏でミサキが歌や踊りを空き時間に練習していたりする様子も、この二カ月の間で何度か見ている。

 ミサキと付き合ってから行ったライブも、ライブの規模に関係なく、この記念ライブでのパフォーマンスと同じくらい熱を入れているように見えた。

 だから、やっぱりこうして改めてライブ映像を観て、俺の中でもミサキのアイドル活動を応援したい気持ちが勝っている。


「あいつ、これまでそういう弱音を吐いたりはしなかったんですか?」


 俺は流れているライブ映像を見続けながら烏京さんに尋ねた。烏京さんは「ええ」と肯定して、言葉を続ける。


「恥ずかしながら、三人の中じゃ私が一番弱音を吐くくらいで。もう疲れたーとか、レッスン辞めたいーとか。でも、エリちゃんは私がそんなこと言っても、必ず励ましてくれました。あたしたちが弱音吐いたら、応援してくれるお客さんに失礼だよ、あたしたちは求められてここにいるんだからって」


 昼の仕事がある他メンバーと違い、配信者とアイドルの仕事に集中できるミサキが実質アットシグマのリーダーのようになっているという話はミサキからも聞いていたが、立派にリーダーの役割を果たしてるじゃないか。

 俺に「自分を安売りしちゃダメ」と仕事についてアドバイスをするのだって、自分の価値を理解しているからこそ出てくる言葉なのだと改めて思う。


「頑張ってるんですね」

「はい。でも、今みたいになるまでは、みんな大変だったはずです」


 そう言う烏京さんが小さくため息をつく声が聞こえた。


「私、昔は正直地下アイドルが歌やダンスをどれだけ頑張ったところで、それが直接人気に繋がるわけじゃないと思っていました」

「そうなんですか?」

「だって、あそこは本当に何でもありの戦場です。崖っぷちのグループが、自分の個人情報を切り売りしたり、さっきまでライブで着てた衣装をすぐにオークションで売りに出したり。ファンの要求を際限なく叶える子たちだっている」


 際限なく、か。以前美咲が、地下アイドルの中にはファンにキスをしたりといった接触をするグループもいる話を聞いたと言った時に、野々村先輩が複雑な表情をしていたことを思い出す。


「俺はそういうのも、ある程度はありだと思います」


 確か野々村先輩にも同じことを言った。


「俺はそう思うけど……。でも、全部のファンがそう割り切れるわけじゃないし、そうなるとファンとの関係も変わって来てしまう。アイドルの方だって、疲弊する」


 この辺りは、その時に野々村先輩に言われたことだ。ギリギリのグレーゾーンで自分達を売り出すことの全てを否定することはない。でも、それを続けていけば待つのは破滅だ。それは見学店の方でも、俺が学んだことだ。

 茉莉綾さんだって、それで一度潰れそうになった。そして片桐さんは、そういう人間の際限ない欲望や要求といったモノからキャストを守りたくて、店のオーナーをしている。


 ミサキもそんな苦労を乗り越えて、今を手に入れたと言うなら、俺はそのことをしっかりと褒めてやりたい。


「望んでなくても業界の関係者にキャバ嬢の同伴みたいなことしたり次の仕事に繋げるために会社の接待に薄給でこき使われたり。胸を触られるくらいなら安いもん。……ま、それは昼の仕事でも女は同じようなもんだけど」


 烏京さんも、昼の仕事でもアイドルの仕事でも、色々と経験をしてきたのだろう。最後は吐き捨てるような乱暴な口調だった。


「エリちゃんだって、それは同じ。売れる為には本当に色々なことをしたって、業界の人からも聞いたし、たまにお酒を飲む時にエリちゃんが溢してたこともあった。あの子はあんまり、私には弱味見せてくれないけど……」


 仕事のことを俺に話していて、愚痴のトリガーがどこかで引かれてしまったのか、烏京さんのダウナー系の声が段々と目立ってきた。


「それでもエリちゃんは、私達とグループを組んでくれて、それで今ようやく三人でしっかり足を地につけて、舞台に立てるようになった。それも全部、私はエリちゃんのおかげだと思うから……」


 ずっと取り繕うような感じだった烏京さんの口調が、ミサキのことを語ることで、徐々に崩れてきているのを、彼女は今気づいているのだろうか。


「たとえエゴでしかないんだとしても。私は、エリちゃんとまだ一緒にアイドルやっていたい」


 けれど、だからこそ烏京さんのその言葉が偽らざる本音なのだろうということを、俺はしっかりと確信した。


「烏京さん、ありがとうございます」


 俺は烏京さんが見せてくれているライブ映像から目を離し、烏京さんの顔を改めて見る。

 彼女の俺を見る圧の強さは相変わらずだ。けれどもう、俺はそれにたじろいだりはしない。この人の気持ちも、俺はちゃんと聞けた。


「俺、もう一度エリと話してみます。これからの仕事のこと、どう考えてるのか」


 それに──。もしも俺が、あいつの仕事に対する情熱の邪魔をしているというのなら、そのことについても、俺はしっかり話し合う必要があるのだと思う。

 ──また逃げたりなんてせずに。


 スマホには、アットシグマとファンとが強く掛け合い続けるライブの映像が流れ続ける。今の俺が少し高揚しているのは、きっとこれが部屋の中に流れているからだというのと、無関係じゃない。


「こっちこそありがとう」


 烏京さんは少しだけ微笑んで、座りながら膝に手をついて、深く頭を下げた。彼女の俺に対する圧も、気のせいか少しだけ薄らいだように感じた。

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