喫茶店より、あの日の密会①
次の日、俺は大学に向かう道すがら、烏京すずめの配信や動画をスマホで確認していた。
烏京すずめ。ダウナーなギャル口調で人気を博している配信者で、一人称は「あーし」。今はASMRとゲーム実況配信が多い桔梗エリカとは違い、流行りとしては一昔前のリアクション系の動画が多い。ホラーゲーム実況なんかも人気だ。何度か自宅を撮った動画なども出してはいるが、動画の中での顔出しがないのは桔梗エリカと一緒で、それはアットシグマの共通方針らしい。
昨夜、俺に話していた時は随分と丁寧な口調だったけれど、キャラとしては基本的に砕けた口調だ。俺もライブで配信よりも少しだけ素が出る生の声を聞いていたからギリギリ彼女だとわかったけれど、それがなければ誰かわからなかったかもしれない。
また、野々村先輩にメールを送って、前に対バンで俺の撮ったアットシグマの写真を送ってもらうように連絡した。
あの対バンの後も俺も何度かライブには行っているけれど、カメコ席で写真を撮るにはスマホでは無理だし、それよりも後方からミサキの様子を観ていたいというのもあったので、写真は撮っていない。
それに、ミサキが俺と一緒にいたくてアイドル活動の継続に不安があると言うなら、俺と再会する前のミサキを知る必要があるとも思った。
野々村先輩からのメールの返信は、昼頃には返って来た。今は出先で手元にデータがないので家に帰ったら送ってくれると言う。
野々村先輩に「了解しました」の返事を送る。そして俺は昨日のミサキの様子を思い出していた。
アイドルを辞めようか悩んでいるというミサキ。俺が直接聞いた時は、軽い感じで言ってたけれど、烏京すずめに対してはどうだったのか。
ミサキに内緒で烏京すずめにコンタクトを取ることには、やはり負い目を感じなくもないが、一夜明けて、俺もミサキの本意が気になって来た。
俺と烏京すずめとで、ミサキのお互いの印象を出し合わせることで何か見えてくるものがあったりするだろうか。
俺はミサキから、彼女がどうして地下アイドルをしているのか、まだ聞いたことはない。だから、どういう想いで仕事をしているのか、どういう気持ちでファンと向き合っているのか、考えてみれば、俺は今の彼女のことを何も知らない。
俺が知っているのは、かつて仲が良かった頃のミサキと、今俺のことを好きだと言ってくれるミサキ。その間を、俺は埋められなかったし、知らない。
野々村先輩へのメールを送った後、俺は自分の財布の中に入れていた、烏京すずめの名刺を取り出した。
名刺に元から書かれている電話番号を検索すると、アットシグマの活動を運営している事務所の連絡先で、流石に直接彼女にアクセスできるわけではないらしいが、もう一枚、彼女自身が連絡先を書き込んだ名刺に書かれているのは、スマホの番号だ。
俺は何度か葛藤を繰り返して後、意を決してその番号をダイヤルした。
耳にスマホを当てる。コール音が五回ほど鳴ったところで、通話開始の音と相手の声が聞こえた。
「はい。私です」
「どうも。昨夜は失礼しました」
「ユウ……さんですね」
少し小声だ。電話の向こうからは、微かに人の声が聞こえている。
仕事用の番号と言っていたが、もしや昼の仕事で使っている方だったりするのか?
「すみません、掛け直した方が良いですか?」
「いえ、大丈夫です。できれば今日お会いしたいのですが、夕方頃お時間作れますか?」
「時間と場所によりますが……」
「いつもライブをしているライブハウスからそう遠くありません」
「それなら、多分大丈夫です」
今日は見学店での写真撮影のバイトが入っているのだが、大学が終わってから、バイトが始まるまでは時間がある。それに事前に連絡すれば、片桐さんは仕事の開始時刻を遅らせることを了承してくれるだろう。そもそも、撮影前のキャスト見学とスタッフ手伝いは俺の方から言い出した仕事だ。
「それでは、待ち合わせ場所を送りますので、問題なければお返事を」
「わかりました」
「ありがとうございます。それでは失礼します」
電話の向こうが無言になったのを確認し、俺は通話終了のボタンを押す。
すぐに、マップのデータと一緒にメッセージが送られて来た。
送られて来たのは喫茶店の住所で、個室商談スペースのある店なので、そこでじっくり話すことができるらしい。事前にウキョウで予約をするので、店に入る時にそう伝えれば個室スペースに案内してもらえると言う。
俺は「わかりました」の返事を送る。
それから片桐さんに電話をして、一時間ほど始業時刻を遅らせてもらうように連絡した。
「珍しいね。というか遅刻の連絡なんて、初めてじゃないかい?」
片桐さんは少しだけ驚いたような口調でそう言った。
「すみません、急用ができまして」
「問題ないよ。ウチの女の子に何人、遅刻癖のある子がいると思ってる? あんたみたいに連絡してこない子すらいるんだから」
「確かに……。それは大変ですよね」
「その場合、お説教になるわけだけど、あんたは問題ないよ。スタッフ手伝いに関しちゃ、こっちが甘えてる身分だからね。遅刻した分も給料出すから心配しないでゆっくり来な」
「何から何までありがとうございます」
前から思ってたけど片桐さん、スタッフとキャストの付き合いはNGと言いながら茉莉綾さん達との仲を許してくれてたり、俺も驚くくらい、割と俺のこと信頼してくれてるよな。流石に本人相手にそれを口にはしないけど。
それだけ非常識なキャストやスタッフに悩まされているということでもあるのかもしれない。
俺は午後の講義を終わらせてダッシュで駅に向かう。そのまま電車に飛び乗り、烏京すずめの待っている喫茶店を訪れた。
待ち合わせ場所の喫茶店は、ビルの一階分に広がるかなり広々とした店だった。看板には「貸し会議室」の文字も書いてあり、レンタルスペースも売りの一つらしい。俺は店に入り「烏京で予約している者ですが」と伝えると「お連れ様、既にいらしています」と店員に笑顔で対応されて、個室まで通された。
中は本当に、大学にもあるような小さな会議室といった風で、ホワイトボードなんかもある。その手前にある丸テーブルの前で、一人の女性が脚を組みながらコーヒーを啜っていた。
昨夜とも違う、レディーススーツに身を包んでいる彼女は、髪の毛を後ろで綺麗に束ねている。室内だからか、服装が違うからか、帽子は被っておらず、彼女の透き通るような、煌びやかな瞳が部屋に入った瞬間にもよく見えた。
「失礼します」
「ユウくん、さん。今日はありがとうございます」
俺が部屋に入って来たことを確認すると、彼女は椅子から立ち上がり、ペコリと俺に頭を下げた。
俺もそれに合わせて頭を下げる。
顔を上げた後に正面から見る彼女の顔は、ライブの時とも昨夜とも違う、ナチュラルメイクでまた印象が違ったが、確かに烏京すずめと同一人物だ、とその瞳を見ると思う。
「どうぞ」
烏京すずめは、テーブル手前にある椅子を引いて、俺に腰掛けるよう促す。俺はその椅子に座り、烏京すずめも元の椅子に戻った。
俺と彼女とが、丸テーブルを挟んで向かい合って座る形になる。
「改めまして、烏京すずめです」
「どうも。結城悠斗と言います」
「結城だから、ユウくん?」
「それもありますが、名前の方もユウトと読めるので」
烏京すずめは「なるほど」と首を縦に振る。
「それでは、結城さんとお呼びしても?」
「構いません。えっと、こっちは何とお呼びすれば? 烏京さん?」
「ええ。こちらもそれで構いません」
烏京すずめ──烏京さんは表情を変えることなくそう言う。昨夜も思ったが、ライブの時や配信とは全然違う雰囲気だ。
「昨夜は本当に申し訳ありませんでした」
烏京さんが改めて頭を下げた。
「軽はずみな行動でしたし、あなたにも不快感を与えることになってしまったかと思います」
「いや、大丈夫ですって。ミサキの……エリのこと、心配してのことなのは分かりましたし」
確かに驚きはしたけれど、それだけだ。
「今、こうしてエリちゃんや
「優子ちゃんって?」
「アットシグマのマネージャーです」
なるほど。やっぱり彼女の立場としては、アットシグマとしてというより、ミサキのことを心配する友人として、という面が大きそうだと感じる。そう思うと、俺の中の緊張も少しほぐれた。
「エリからは俺のこと、何て聞いてるんですか?」
「高校生の時のカレシさんで、家庭の事情で別れざるを得なかったところを、先日偶然にも再会されたのだとか」
「ちょっと盛ってるな、あいつ……」
「違うんですか?」
いや、どうなんだ? 俺が付き合ってないと思ってただけで、ミサキは当時から付き合ってるつもりでいたとか?
「いや、大体そんな感じです」
まあ、特に訂正するものでもないからそのまま通そう。
「それで、今日ご連絡いただけたということは、早速エリちゃんから、何か聞けたんですか?」
烏京さんが、早速本題を切り出して来た。
「何か聞けたと言うか、烏京さんの話を聞いて、俺もあいつにこれから仕事をどうしていきたいかそれとなく聞いてみて」
「それで、エリちゃんは何て?」
「アイドルを辞めようか、悩んでいると言っていました」
烏京さんは、俺の言葉を聞くと目に見えて肩を落として俯いた。
「やはり、言ってたんですか。それはどうして?」
「えっと」
こんな分かりやすくガッカリした様子を見せてる人に言うの、めっちゃ言い辛いな。
「あの、俺ともっと一緒にいたいから、と」
俯いていた烏京さんが、顔をあげてこちらをガンと睨み付けた。その眼力に圧倒されて、俺は椅子から転げ落ちそうに錯覚する。
昨夜も思ったけれど、やっぱりこの人、俺に対する眼差しに、ずっと圧がある。
「でも、俺もそれがあいつらしい選択だとは思ってないんです」
「と言うと?」
「あいつは、言ってしまえば俺に再会して、熱に浮かされてるみたいな状態だと思うので……」
烏京さんの圧を感じて、という理由もあるだろうが、そんな言葉が自分の口から出てきたことに、俺は少しだけ自分でも驚く。
俺もミサキと同じだ。あいつと再会して体を重ね合わせたあの日から、ずっと熱に浮かされていた。
けれど、実際にそう口にしてみると、その表現は妙にしっくりと来た。
あいつの顔をまた見れて、めちゃくちゃ嬉しかったのは確かだ。そこに嘘はない。そして、あの頃出来なかったことを無理矢理に埋め合わせようとしている。
──これまで一緒にいられなかったんだから、その分いっぱい一緒の時間作っても良いじゃん。
ミサキはそう言っていたけれど。二人で体を重ね、キスをして、毎日のように一緒にいるけれど。俺とミサキは、せっかく再会したにも関わらず。
逆に言えば俺たち二人の心の距離は、それを隠れ蓑にして──。
あの頃から、何にも進んじゃいないんだ。
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