夜道にて、あの日の遭遇②
俺も喉の乾きを癒す為に、自分のコップを持ち上げてストローを咥え、烏龍茶を飲む。
「それで?」
俺は金元の顔を見てじっと言った。
「正直なところ、ボクもダメ元で言ったんだよな。ふざけないでください、みたいなこと言われると思った。でも美咲ちゃんは、わかりましたって」
「なるほど」
俺は腕を組んで、目を瞑る。
あいつの言動は俺も予測できないが、それも美咲らしいと言えばらしい気もする。
「で? その後は?」
「あー、ここまで言っといてだけど、暴力沙汰になりそうなら外の方が良い」
「別に殴ったりしねえよ」
「殴られても構わないとは思ってるからさあ」
そんな軽い言い方で言われても本当にそう思っているとは思えないが。
「美咲からはもう聞いてるから、お前の口から詳細を聞きたい」
「あ、そうなんだ? そっか。それならわかった。でも、むかついたら遠慮なく殴ってくれていいから」
「殴んねえって」
それにムカつくムカつかないで言うなら、俺は既にだいぶムカつきが溜まっているんだから。
「そうだなあ。それで俺は美咲ちゃんをお持ち帰りして」
「あ?」
「……一緒にボクのウチに行ってさ。さっそくだけど、ってことでシャワー浴びてもらって」
俺は以前、あいつがどういう状況で金元とセックスしたのかを妄想してゲンナリした時のことを思い出す。正直今でも聞いていて気が滅入りそうな気持ちはあるが、美咲に初めてNTR報告を聞いた時程ではない。あの時に比べれば、多少は、本当に多少は心の整理はついている、はずだ。
「まずは何からする? ってボクの方から聞いて、それからベッドイン」
「具体的には?」
「ええ……それ聞く?」
「うるせえ、言え」
他人のセックスを無理矢理に、事細かに聞こうとするのは、かなりモラルに劣る行為だと自覚はしているが、この際だ。こいつから聞けることは、全部聞きたいというのが、今の俺の気持ちだった。
「やっぱり怒ってるじゃん」
「良いって。こんなことしたんだって、自慢するつもりで言えって」
結城がそう言うなら、と金元は話を続けた。
「まあ、セックスの練習がしたいって子は珍しいわけでもないんだよ。ある種の言い訳に使う子もいるけど、彼氏との性生活がマンネリ化してるとか、相性が合わないとかさ。そういう子に対してボクはとことん気持ちよくなってもらうことにしてるから」
そのことを語る金元の口調は、真剣なものに聞こえた。不特定多数の女性とのセックスについて、こいつにはこいつなりの矜持があるらしい。
「美咲ちゃんは男を気持ちよくできるテクをお望みのようだったから、上を脱いでもらって上半身裸にした。あの子のおっぱい綺麗でさ──」
「余計な感想は良いから」
「……だよな?」
金元はまた自分のドリンクに口をつけて、一口飲む。
「そっからはペッティング。まずは乳首責めしてあげた。自分で弄ったこともないって言うから、こんな感じで弄ると気持ち良いよ、つってレクチャーする感じ。途中途中、美咲ちゃんも確かに感じますねとか、変な感心の仕方してたよ」
「なるほど」
「これ大抵の男もやってあげたら喜ぶからさ、ってあの子にもボクの乳首も触らせて。弾くようにとか手の平とかで感じるポイント教えて。大体三十分くらいそうしてたかな。その後、美咲ちゃんの服を下着まで優しく剥いて素っ裸にした」
──あ。これ。
自分で聞いておいてなんだが、これだいぶキツいな。
顔から血の気が失せていくのを感じる。
組んでいる自分の腕が震え始めるのがわかる。けれど俺自身、どういう気持ちでそうなってるのか自分でもわからない。色々な感情があまりにない混ぜになっている。気持ちの整理はついてるなんて大嘘だ。
俺はそんな気持ちを外に出さないように、口の隙間から小さく息を吐く。
「それからあの子の耳元に息をかけたり囁いたりしたけど、そっちはあまり効果なかったみたいだから時間はかけなかった。でも乳首と一緒で感じさせるとするなら、ってレクチャーは一通り。首筋と背中はヒットしたみたいで、刺激するたびにゾクってしてたな。こっちはよく感じてた。最後に下腹部の湿りを確認して、そこも弄った。美咲ちゃん、そっちもあんまり自分では触ったことなかったみたい。まあこれも珍しくはないけど」
「そっか」
「こっちも美咲ちゃんの肌をペッティングしながら気持ち昂らせてたから、少し物足りなさはあるけど、あの子のお願いのことと最初だからってのも考えるとこんなもんかなあ、って思って」
「献身的だな」
皮肉のつもりで言ったが、金元は満更でもなさそうな顔をして笑った。
「ま、女の子に気持ちよくなってもらうのは男の本懐だと思ってるから、ボクは。たとえお願いがなくったってね」
「殊勝な心掛けだ」
「で、いざ挿れるって算段になったら、参考に録音したいっていうから、いいよいいよってボクも二つ返事して」
「それで良いのかよ」
金元はあっけらかんとした様子で頷く。
「全然? 写真も撮ってほしいって言うから、挿れながら撮った。そん時は多分頑張ってすごい声出してくれてた。あんまりハメ撮り写真みたいなの撮るのは慣れてなかったからブレブレだったけど」
「ゴムは?」
「するに決まってるでしょ。ボクをそんじょそこらのクズと一緒にしないで」
金元のその台詞に対して思った「お前も世間一般的にクズなのは間違いないんじゃねえかな」という言葉は飲み込む。俺は今余裕なんざなくて全く飲み込めないが、こいつにはこいつの矜持があるのだ。
「まあ、大体そんな感じだよ」
「ありがとう。割と聞いた通りだった」
ペッティングの件なんかは初耳だが、セックスを録音したというのも写真を撮ったというのも聞いていたし。
俺は耐えられる気がしなくてどちらも確認なんざしなかったが。
「どういたしまして。でさ。あー、差し支えなけりゃボクも聞きたいんだけど、結城はどうだった?」
「は?」
なんだその質問は? この流れで意味が全く汲み取れない。
「結城、美咲ちゃんとセックスしたんだろ?」
「なんで」
「え? だからこないだ連絡してきたんだと思ってたんだけど」
話が噛み合わないと思ったが、そうか。こいつ、美咲が金元に連絡してきたのは俺と美咲がヤったからだと思ってたのか。
「ヤってない」
「あれ?」
「俺は美咲とセックスしてない」
俺の質問に金元は首を傾げる。なんだそれは。
「マジ?」
「マジ」
「いや、だってあの子、ボクとのセックスが終わって言ったんだよ」
「何を?」
「これなら先輩も満足してくれるでしょうか、って」
「……それ、は」
俺にNTRを体験してもらうというのが目的だったからあいつは金元とセックスをしたわけで、そのことを言ってたんじゃないのか。
「それでボクは、ああこれダメだなと思ったんだもん。感じてはいたけど、この子ボクのこと全然見てなかったんだなって。ま、ボクは踏み台にされても構わないけどね。楽しんだし」
「確認なんだけどお前、あいつが処女なの知っててヤった?」
「……え? そうなの?」
──おい。
まさか、この反応は知らなかったな?
「そっか、わかんなかったな。さっきも言ったけどセックスの練習がしたいって感じだったし」
「出血とかは」
「なかった。だいぶ念入りにペッティングしてすごい濡れてたし、痛がってる感じもなかったし。美咲ちゃんが言ってた?」
「お前に処女を捧げたって言ってた」
金元は驚いた様子で少しだけ目を見開いた。
「そりゃ光栄だけど……いや、忘れて。知っててヤりたかったな。そしたらもうちょっとやれること違ったろうに」
「お前の後悔は知らねえけど、そっか。知らなかったのか」
それで俺の気が少し晴れたりはしないが、ある意味で金元も美咲の被害者だな、と思うとほんの少しだけは同情できた。
「ボクのこと見てないなってショックだったけど、そこで余裕を失うボクじゃないから、そうだね美咲ちゃんのテクで結城も喜ぶと思うよって、言っちゃった、んだけど……そっか、ヤってないのか」
「なんだよ?」
「あー、結城ってもしかして童貞?」
「違う」
いや、童貞じゃなくなったのはこないだだけど、それを言う義理も勿論ない。
「あ、わかった。美咲ちゃんとセックスする前に他に女できたんだろ」
的確な推測に、俺は思わずムカつきを通り越して感心した。
ずいぶん察しがいいな。
「まあ、そう……」
「いつから?」
「二ヶ月前」
金元は「あー、はいはい」と納得するように首を何度も縦に振った。
「そっか、そっちかー! あ。結城、カノジョおめでとう」
「……ありがとう?」
調子の狂うテンションだな。
「なんで美咲ちゃんじゃなかったの?」
「それは……タイミングとか」
言って自己嫌悪に苛まれたが、金元はそんな俺の気持ちなど知るよしもなく、立ち上がって俺の隣に座ると背中を叩いた。
「わかる。愛されるより愛したいみたいなのあるしなあ」
急に馴れ馴れしい。
──まさか、俺こいつに同類認定された? 嫌なんだが。
「せっかくだし歌うか」
「おい」
金元は流行りのポップスをカラオケリモコンから一曲入れて、歌い始めた。
俺はそれを止められず、金元が歌うのをただただ聴く。それなりにうまい。いちいち気に触るところのある奴だと思うが、歌のうまさもモテの為の一つか。
「結城は?」
金元は歌い終わると、俺にカラオケリモコンを渡した。
「俺は良い」
「あっそ。結城にカノジョができたんだとして、美咲ちゃんはどうするの? セフレ?」
「お前と一緒にすんな」
そんな節操のねえ関係性を俺は持たねえ。
「今まで通り、先輩後輩のままだよ……」
「じゃあボクがまた狙っても」
俺は金元を睨みつけた。金元は「冗談だよ」と肩を竦める。
「ま、そこに立ち入るのは野暮か。さっきも言ったけど、あの子ボクのこと見てくれないもん。お前しか見てないだろ」
「どうかな」
野々村先輩もこいつも、俺と美咲のことをニコイチと呼んだが、一緒にいる時間が長いのは確かでも、気持ちが通じ合っているとは今の俺には到底思えない。
結局、金元はそこでもう一曲続けて歌い、俺も渋々カラオケに付き合った。一時間いっぱいちゃんと歌いきり、カラオケを出て、次の講義に間に合わせる為に俺と金元は急いで大学に戻った。
「今日は話せて良かった。結城、悩みがあったらボクもいつでも聞くから」
と、何故だが俺に親近感を抱いたらしい金元は俺に笑顔を向けてスッキリした顔で自分の講義のある教室に去って行った。勝手にスッキリされても俺は困るだけなのだが、そんなことを言う暇すらなかった。
午後の最後の講義を終える頃に、ミサキに連絡を入れた。今日はどこで会うかをまだ決めていなかった。ミサキもその日は忙しかったようで、俺はとりあえず塾のバイトに向かう。
ミサキが塾の前で待ち伏せるようなことはなかったが、帰りに塾の前で事前の連絡ありきで合流することは未だにある。だから、というわけでもないが、俺が古宮さんと一緒に帰ることようなことはなくなっていた。バイトで必要最低限のことだけ話すくらいの距離感で、たまに古宮さんの方から「最近どう?」と話しかけてくれる時くらいだけ、他愛無い世間話なんかをしていた。
ミサキからの返信は、俺が塾のバイトを終える頃にようやく来た。
『返信遅れた! ごめん!』
『今日は自宅マンションが良い』
『ユウくんは大丈夫?』
ミサキの返信に『大丈夫』と送る。そういえば、今日はライブの日だ。その間、メッセージの確認もできなかったのだろう。
アパートもマンションも、俺は合鍵を作成して持っていたので、ミサキの仕事が遅くなったとしても、彼女の部屋で待つことも可能になっていた。とは言え、そんなことは遅くまであるライブの日を除いて殆どなく、基本的には俺の帰りを、いつもミサキは出迎えてくれる。
その日もマンションの入り口に立ち、中に入ろうとしていたところ──。
「あなたがユウくん、ですよね?」
後ろから不意に、声をかけられた。
聞き覚えのない声。けれど、若い女性のハスキーな声で、全く聞いたことがないかと言われるとそうでもない気がする、そんな呼び声だった。
俺は後ろを振り向き、俺を呼んだ人物を見た。夜中だが、マンションの明かりが漏れて、シルエットだけでなく、そこに立つ人物の格好もよく見える。
梅雨ごろにしては少し暑そうなジャッケット付きのカジュアルパーカーに、つば付きの帽子を被っている、俺よりも頭一つ分くらい背の小さな女性が立っていた。
これまた見覚えのない立ち姿だが、やはり妙に見たことがあるような気がする。俺は彼女の瞳をじっと見た。煌びやかに光るその瞳には、ちょっと覚えがあるような気がして、そこでハッとした。
「もしかして、アットシグマの?」
「……よくわかったね」
その返答に、俺の記憶の中の点と点が繋がる。確かにこのハスキーボイスには覚えがあって当然だ。何故なら、俺はこの声をミサキの仕事を横で見学したり、ライブを見に行ったりして何度も聞いているんだから。
今、目の前で俺を見上げている女の子。彼女は、ミサキが桔梗エリカとして所属する、配信者のメンバー三人組で構成される地下アイドルグループ「
私服姿の烏京すずめが、その煌びやかな瞳で俺のことを睨みつけていた。
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