文芸サークル、あの日の嫉心

 家に帰ってからもミサキの配信を聞き、今日の疲れを取る為にスマホを風呂場に持ち込んでシャワーをし、寝る準備をし終わった頃には配信が終わった。

 配信が終わるや否や、ミサキからの着信が入る。俺はすぐにそれを取る。


「お疲れ様」

『お疲れ様ー! ユウくん聞いてた?』

「うん、聞いてたよ」


 今回は家に帰ってからはイヤホンで聞いていたわけではなかったけれど、別れ際の寂しげな様子も特には出さず、前回と同じような流れで配信をしきっていたのは流石だと思った。


『ユウくん、今からでもこっちこれない?』

「無茶言うな」


 既に時刻は夜中の1時を越えている。


『大学終わったらこっち帰ってきてよ?』

「わかった」

『終わるのって何時頃?』

「えっと」


 俺は明日の講義表を見る。講義自体が終わるのは午後6時くらいだが、その後に部室による約束を美咲としている。いつもは9時くらいまでそこにいて小説を書いたり部誌の編集作業をしたりするわけだが。


「8時くらいかなあ」


 俺はいつもより早めの時刻を申告した。実際のところ、美咲とどういう話をするか自分でも読めていないから、果たしていつもと同じ時間を部室で過ごす胆力が俺にあるのか怪しい。


『遅いー』

「ごめんて」


 俺はミサキの言葉に思わず謝る。


『あ、そうだ。バイトとかは?』

「明日はない」

『良かったー』


 約束してしまった手前、明日はミサキのアパートに行くとして、それからはどうしよう。そんなことすら、俺は何も決め切れていない。


『じゃあ明日ね』

「ああ、もう今日だけど」


 結局、それから二時間近くダラダラと喋って横になり、俺はほとんど寝落ちする形になった。

 朝になり、アラームになんとか叩き起こされて家を飛び出し、講義に出た。三限が空いていたので、寝れなかった分を休憩室で仮眠して、残りの講義を終え、俺はサークル棟に向かった。


「あ、ユウくん」

「……お前な」


 俺が部室に入ると、先に来ていた美咲が開口一番にからかって来た。想定内だ。

 俺はいつもの自分が座る椅子に座り、美咲の方を向く。

 さて、どこからどう話したものか。俺はぐるぐると思案する。美咲のことだから、色々な可能性を既に想像しているとは思うのだが、流石に部室に入って早々に核心に迫った話をするのはしんどい。


「課題は順調?」


 そんなだから、俺はまずは電話でも尋ねたのと同じことを聞く。


「おかげさまで。あ、でも後で先輩に添削してほしい奴があります」

「そうか」

「先輩の方は、色々と楽しんだ感じです?」

「何でそう思う?」

「投稿された小説の文章が生き生きしていましたので」


 そうか? その辺は自分でもよくわからない。


「さぞリアリティを感じる何かがあったこととお見受けしますが」


 美咲が目を輝かせて俺を見ている。古宮さんをけしかけてその仔細を聞こうとしていた時とか、見学店でいつの間にやらキャストになっていた時とか、AV鑑賞をしながら色々と語りあった時とか、そういう時と同じ顔。


 俺は美咲のこういう顔をあまりに見慣れている。


 リアリティか。

 ただ、こうして今ここで美咲と相対していると、そもそも現実で体験したからと言って、その体験が真にリアリティに寄与するものなのか疑問に思う。現に俺は、昨夜までのことが本当に現実だったのか問われた時に、確信を持ってイエスと答えられるのか。


「ああ、まあ」

「キスはしたんですよね? 古宮さんと比べてどうでした? 酔った勢いとかですか?」

「いや、ちょっと待て。いっぺんに聞くな……」


 美咲が質問を並べる。俺が緊張で口の中が乾いていることも知らず。


「──セックスしてきた」


 心の中に溜めていても仕方ないと、胸を押さえつけながら俺は言う。


「はい?」


 美咲が首を傾げる。

 俺は震える自分の腕を掴みながら、言葉を続けた。


「キスもした。酔ってなかった。素面だった。最初はゴムしなかったけど、その次はちゃんとした。後、俺嘘ついてた。実家帰ってねえんだ。その子の家に行ってた」


 俺は頭の中に浮かぶ事実を、とにかく矢継ぎ早に口にした。言葉にするたびに、昨日までの出来事が決して夢なんかではなく、本当にあったことなのだと記憶が補強されていくようだった。


「一夜明けて、それからもずっとその子の家にいた。昨日はカラオケ行って、それからまだ一緒にいたいって言われたけど、頭冷やしたくて帰ってきた」


 何故だか唇までもが震えていた。

 息をするのが苦しくて、俺は大きく溜息をついて、美咲を見る。

 美咲は俺の矢継ぎ早の応答に、少しの間だけポカンとした顔をしたが、俺の話した内容を飲み込んだのか、得心したような顔をして、パンと自身の両手を叩いた。


「つまり、先輩は童貞を卒業してきた?」

「そう、童貞卒業した」


 これもまた言葉にしてみると妙に間抜けだが、そのことでしっかりと事実として俺の脳みそに改めて刻まれる。現実のことを改めて言葉にすることで、リアリティを感じるのだと実感した。


「それはそれは──。おめでとうございます!」


 苦しみと震えをもって、俺は言葉を紡いだのに。

 対する美咲の顔は、相も変わらず輝いていた。


「私の知っている相手ではないのが残念ですが、なるほど。だからあんなにも先輩の文章が息づいていたわけですね」


 あまりに見慣れた美咲の表情。古宮さんとラブホで一夜を過ごした話や俺が見学店で仕事した内容を聞く時と変わらない、いつものような楽しげな顔。


「以前も言いましたが、童貞でなくなれば妄想が衰えるなどという言説もあり、少し懸念していたのですが、流石に眉唾でしたかね。やはり先輩は経験してこそ輝くものとお見受けします」

「あのな美咲、お前さ……」


 いや、分かっていた。多分こいつはこういう反応をするんだろうな、というのは分かっていたことだ。今回は実際にミサキとヤってしまったわけだけど、古宮さんや茉莉綾さんや、その他の時だって、実際はヤらなかったけど、こいつはセックスをしたのかどうか、嬉々として聞いて来てたんだから。


「して、お相手は?」

「桔梗エリカ」

「む? それって?」

「対バンに出てた」

「!? 先輩、アイドルとヤったんですか!?」


 流石の美咲も驚いて立ち上がる。美咲はぐいっと顔を俺に近づけたが、俺は下を向いた。


「それは、先輩の腕が見込まれてとかそういう?」


 どういうミラクルだ、それは。いや、実際にあったこともそれなりのミラクルではあるか。


「ねえよ。……昔の知り合いだったんだよ」

「ほうほう! 地下アイドルのライブに行ってみたら、それが知人でそれから身体の関係まで!? めちゃくちゃドラマチックじゃないですか!」


 下を向いていても、美咲の愉快げな息遣いが聞こえる。

 ──美咲のその様子に俺は、ムカついていた。


 俺は紡ぐ言葉を失った。

 思わず舌打ちをし、椅子から立ち上がる。


「あいたッ!」


 俺の頭が美咲の顎にぶつかった。ごめん、と一言謝ろうとして、その言葉を俺は無理矢理に飲み込んだ。


「悪い。帰る」


 それだけ言うので精一杯だった。それ以上口を開けば、自分でもわけのわからないことを口走りそうだった。

 そうだよな。そうだよ、わかってた。だってこいつは、俺が好きだってわかっていながら、他の男と嬉々としてセックスするような奴なんだから──。


「……馬鹿がッ」


 俺は罵倒の言葉を口にする。

 考えなくても良いことまで考えてしまう自分に嫌気がさした。


「え? 先輩?」


 先ほどまで楽しげだった美咲の声がトーンダウンする。俺が少し顔を上げると、俺の言っていることが理解できないという風に美咲は目を泳がせていた。

 その様子を見て、俺は少しだけ胸がスッとして。

 ──そんな自分を最悪だと思った。


「先輩? 私、先輩に──」

「ごめん、あいつが待ってるから」


 俺は自分の荷物を持って、部室の入り口の扉を開く。後ろで美咲が何か言っていたが、乱暴に扉を閉めた。


 俺は荒く息を吐きながら早足でサークル棟を後にする。近くにあった看板に足をぶつけて蹴飛ばしたくなる衝動にかられたが、すんでのところで我慢した。


 馬鹿野郎馬鹿野郎馬鹿野郎──!


 我ながら、子供みたいだと思う。いや、美咲が絡むといつもこんなもんだ、俺は。

 けれど、そう思っても俺は自分の気持ちをコントロールできなかった。

 俺は多分、俺が他の女とセックスしたことをあいつに話したら、美咲がいつかの俺のように取り乱すんじゃないかと、心のどこかで期待していたし、想像していた。けれど、普段のあいつを見ていたらそうはならないことくらいは俺にはわかっていたはずだ。それなのに、俺は自分勝手にあいつのリアクションを求めて、そうでない反応をされたからってこんなにもムカついている。


「クソがッ」


 大学構内から出た時に口にしたその罵倒が果たして何に向けた物なのか自分でもよくわからず、俺は電車に乗った。

 自分のアパートに向けてではなく、ミサキの元へ。

 俺は自分からまたあの場所に戻ろうとしている。そう思うと、車窓から覗く風景にすら心が掻き乱された。


 駅を降りる。まだ行き帰りに一度ずつしか歩いていない彼女の部屋への道。その覚え切れていない道を、俺は地図アプリを頼りにして歩く。


 到着地点につき、アプリが『お疲れ様でした』の音声を俺の耳に届ける。

 俺は階段をのぼり、奥の角部屋の入り口の前に立つ。インターホンを押すと「はーい」と応答の声が聞こえた後、すぐにガチャリと玄関の扉の鍵が開く音がして、俺は扉を開いた。


「ユウくん!」


 扉が開けて、そこにいたのは、満面の笑みで俺を出迎えるミサキだ。俺は背後の扉を閉める。

 俺が思ったより早く自分のもとを訪れたからだろう。ミサキは俺を見て、驚きを含む表情をしているが、その顔は嬉しさに紅潮している。

 俺は靴を脱いで、ミサキの体をぎゅっと抱きしめた。


「ユウくん?」


 一瞬だけミサキから戸惑いの声が溢れたが、すぐに彼女の顔はまた綻び、俺を抱きしめ返す。


「おかえり、ユウくん」

「ただいま、ミサキ」


 俺はそう口にして、更に強くミサキの背中に腕を回す。俺はミサキが望むよりも先に彼女の頬に手を寄せて、そのまま彼女の唇に吸い付いた。

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