夜明けて、あの日の戸惑い

 日曜日の朝は二人で近くのスターバックスに行った。二人分のコーヒーとサンドイッチを頼んで、店内でゆっくりと他愛無い話をして時を過ごす。

 その後はタクシーでカラオケまで行き、歌いまくった。流石にミサキの歌はとても上手くて聞き惚れる。ミサキが好きだと言うアイドルソングを彼女が入れたり、デュエット曲に挑戦してみたりと、楽しい時を過ごした。昼ごはんもそこで適当に唐揚げやらタコ焼きやら色々と注文して食べて、お昼を過ぎた頃には酒も注文した。ミサキも酒にはそれなりに強いのか、何杯か口にしてもあまり顔色は変わらなかったけれど「えへへ」とニヤつくように笑う回数が多くなり、時折俺の近くに来ては耳を食んだり、俺の膝に乗って歌いながら俺にキスをしたりして、かなりご機嫌そうだった。

 六時間半は歌った後、ヘトヘトになった俺たちはタクシーでそのままミサキのアパート前まで送ってもらい、ミサキの部屋に戻った。

 また今日も夜中にASMR配信らしく、それまでに仮眠がしたいとミサキが言うので、昨日と同じようにウーバーで食事を頼んだ。今日はハンバーガーにしたのだが、流石に少し不摂生が気になる旨をミサキに話すと「まあまあいい体してるもんねー」と腹を突つかれた。


「添い寝してほしい」


 夕食を終えてシャワーを済まし、髪の毛を乾かしたところで、ミサキが俺に言う。

 俺は彼女の腕に引っ張られるままに一緒に布団に入る。

 ミサキは俺の胸元に頭を預け、俺に脚を絡ませた。


「時間になったら起こしてね」

「添い寝配信とかするのはミサキの方だろ」

「だからあたしはユウくんと添い寝するんじゃん」


 何がだからなのかわからないが、俺は疲れて横になるミサキの頭を撫でながら、彼女が寝るのを待った。俺がミサキと隣り合い横になってから小一時間ほど経った頃、ミサキの鼻からの規則正しい吐息が聞こえ始めた。

 俺はゆっくりと絡んだ脚を外して布団から抜け出そうとする。そんな俺の腕をミサキが掴んだが、それは強い力ではなく、そのままへなりと腕を布団に落とした。

 口を半開きにして眠るミサキの寝顔をカメラで撮りたいと思ったのは、いつもの俺なのか何なのか。


 布団から出て、トイレで用を足した俺は、少し考えてスマホから美咲にメッセージを送った。


『今、時間あるか?』


 メッセージの返信はすぐ返ってきた。


『大丈夫です』

『そちらこそ大丈夫ですか?』

『まだご自宅かどこかなのでは』


 そういやそういうことになってるんだった。その辺りのことはまた明日部室で話すとして、とりあえず電話だけしておこう。

 ──何のために?


 メッセージを見て、美咲への通話ボタンを押そうとした時、そんな疑問が頭に浮かぶ。俺は、結局どうしたいのか。

 一度の過ちと言うならまだ良い。いや、良くはないんだが、俺は昨日もミサキと普通にセックスをしている。それから今日も心地よい疲労感を覚えるほどにミサキと一緒に遊んだし、ミサキも俺のことを好きだと言う。

 対して、美咲は俺の後輩で、俺が好きな女子だけど、別に付き合ったりはしていなくて、でも毎日のようにいつも一緒にいるのが当たり前で、ふざけあって、文学論を語り合うのも楽しくて。

 ──それで? この期に及んで、俺は何を望んでいる?


 二度と会うこともないと思っていた、遠くに行ってしまったはずのミサキと再会して、嬉しかった。ミサキが俺のことを好きと言ってくれて嬉しかった。俺もそんなミサキと一緒にいたいと思った。

 なら、それ以上はないんじゃないか?


 何よりも、何よりもだ。

 美咲は俺以外の男とセックスをしている。俺もミサキとセックスをした。美咲が好きだったから、俺は他の人とのセックスをしなかったけれど、いざミサキに迫られて俺はそれを断れなかった。意思が弱かったわけじゃなく、美咲のことが好きでも、まだ俺はミサキが好きだったから。仕方なくじゃない、俺からミサキを求めた。


「あー、もう」


 俺は頭を掻きむしる。ごちゃごちゃして考えがまとまらない。

 結局その時、俺は美咲には返信せずに寝室に戻った。ミサキはまだ寝息を吐いて寝ている。

 俺は昨日ミサキに借りたパソコンを開く。

 俺は一昨日にミサキに再会してから、今日までのことをモデルにして物語を書いた。


 美咲をモデルにしたヒロインと主人公は恋人同士、しかしある日海外転勤して別れた元カノに再会する。元カノはまだ主人公のことを好きでデートに誘い、恋人に内緒で食事に行く。

 よりを戻そうと言う元カノに対して主人公は今はもう別の相手がいるからと一度は断るものの、元カノを家に送ったところでキスをされ、そのままなし崩し的にセックスをする。

 朝起きて、後悔に苛まれる主人公だが、元カノのことも放ってはおけず、そのことを元カノには言わずに二股生活をするが、ある日主人公に疑念をもって探偵を雇っていた恋人に二股のことがバレて、元カノとの情事の帰り道、背中から恋人に刺されて死んでしまう──。


「……このくらいわかりやすかったら良かったんだけどな」


 俺死んでるけど。いや、あくまでこれは小説の主人公であって俺ではないが。

 物語とは、現実の切り貼りだ。

 そこにある複雑な想いや紆余曲折をわかりやすく繋ぎ合わせることで、その物語を享受する者に対して共感や面白さを与える。

 だから、その物語の中に生きる登場人物の気持ちを、読者が本当の意味で理解することはできない。そこにはその登場人物の言語化されなかった気持ちが、山ほどある。


「結局どうしたら良いのか、わかんねえ」


 口にしてみると尚情け無い思いだった。

 小説を書き終わり、呆としているとミサキのスマホのアラームが鳴った。時計を見ると、ミサキが配信を始めるという時間まで後30分だった。アラームは配信開始前の合図だろう。


「ミサキ? 起きろ?」


 俺は眠っているミサキの肩を揺らす。


「んー、ユウくん? おはよう」


 ミサキはあくびをして、にっこり両手を広げる。俺はそんなミサキの頭を撫でる。


「配信の時間だろ」

「もうちょっと添い寝しててほしい。まだ時間あるし」

「俺、帰るよ」

「──なんで!?」


 ミサキが布団からガバリと起き上がり、俺を見る。その顔は今にも泣きそうだ。そんな顔を見たくなかったから俺は彼女のことを拒めずにいたのだけれど、俺も多分、自分の時間が必要だ。


「ごめん、明日大学だから」

「明日でしょ?」

「教科書とか色々家に置きっぱだし」

「タクシーで帰ればいいって行ったじゃーん」


 ミサキは既に涙ぐんでいた。困った俺はミサキの頭を抱き抱える。


「ごめん。でもずっといるわけにも行かないし」

「良いんだよ? 今まで一緒にいれなかった分、一緒にいようって昨日言ったじゃん」

「ミサキも仕事があるだろ?」


 一度独りになりたい、とは言えなかった。


「明日は? 明日大学終わったら帰ってきてくれる?」

「……わかった。行くよ。ここでいいの?」

「うん」


 俺の腕の中で、ミサキが頷いた。俺はミサキから離れ、布団から降りる。


「配信始まるまではいるよ」

「……わかった」


 俺の提案に、ミサキも渋々布団から出て、着替えることなく配信準備を始めた。別に声だけの配信だから、身なりまで整える必要はないんだろう。俺はそんなミサキの様子をソファに座りながら見ていた。


「今日はどのくらい配信やるの?」

「いつもは3時間くらい」

「じゃあ今日もそのくらいか」

「終わったら電話して良い?」

「……いいよ。すぐ寝るかもだけど」


 配信開始5分前になって、俺は自分の荷物を持って玄関へ向かった。


「行ってらっしゃい」


 ミサキも玄関まで見送りに来たが、今回はハグを要求することはなく、そう一言口にするだけだった。


「じゃあ、また」


 俺はミサキに手を振って、桔梗エリカの配信ページを開いた。色々と考えて、ユーザー名を俺の本名の「ハルト」に変えてコメント欄に「頑張って」と一言送る。ミサキもそれに気づいたのか『頑張る』とメッセージが彼女から送られてきた。


 俺はスマホにハンズフリーイヤホンを差して、ミサキの配信をバックグラウンド再生しながら、美咲に電話をかけた。


『あ、ユウくんだ』

「お前な」


 早速弄ってきやがったこいつ。


『大丈夫なんですか?』

「今アパート帰るところだよ」

『なるほど』


 美咲の得心する声がよく聞こえる。


『今日は小説、投稿してませんでしたね』

「あー、書いたは書いた。ただ気に入らなかったから」


 正直、あれをそのまま投稿する勇気は俺にはない。


『でも昨日は二作も』

「よく見てるな」

『先輩の小説、好きですから』


 そしてこいつもこいつで、すぐこういうこと言う。

 美咲との通話の背後から、桔梗エリカの配信が始まったのが聞こえた。


『先輩。明日は部室、来られるんですか?』

「行くよ」

『なるほど、ユウくんの話を聞けるというわけですね』

「それやめろ」


 よく考えたら、美咲が聞いたのはミサキが俺をユウくんと読んでキスを迫るところだけなので、マジで詳細は分かっていないのだ。今話してしまっても良いが、外だし気持ちも落ち着かないしで気が引ける。


「課題の方は?」

『まあまあです。流石に形にはなりましたが』

「さすが」

『先輩の方は帰省先でかつての恋人に再会したとかそんなところでしょうか?』

「俺、恋人いたことないんだわ」

『ずいぶん親しげでしたが、ユウくんとは』


 楽しそうだな、こいつ。


「その辺も明日」

『はい。楽しみにしています、ユウくん』

「……やめろ」


 美咲との通話を終えると、後ろで再生していた桔梗エリカの配信の声が一気に大きくなった。俺は少しだけ音量を下げる。

 駅につき、電車の中でミサキの声を聴きながら、俺は帰路についた。

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