目覚めて、あの日の後悔③
ミサキの家を出てすぐに、スマホに着信があった。
『ユウくんいない、寂しい』
「今出たばっかだろ」
ミサキの声が電話口から聞こえてくる。
外の空気を浴びて、少しだけ動揺がおさまってくるとなんだかこれも懐かしいな、と思う。
高校生の頃はよく夜中に通話していた。ミサキの方からかけてくることもあれば、俺からかけることもあって、あの習慣がいつから始まっていたのか記憶は定かではない。そのくらい、俺とミサキにとってはあって当然のものだった。
『一番近くのコンビニだとさ、歩いたら十分くらいかな』
「今、地図アプリ開いた。十二分」
『誤差誤差』
「確かに」
『あたしはねー、おにぎりがいいな。赤飯とー、鮭ハラミ、あとソーセージ挟んでるやつ』
そんな風に適当に話をしながらコンビニまで歩いて、朝ごはんと替えの下着を手に取る。ミサキの言っていたおにぎりは全てあった。俺もおにぎりにすることにして、適当にあるものを買う。
少し考えて、コンドームも一緒に買った。どれがいいものなのかなどよくわからなかったから適当に目についたものにした。
「ミサキって今日予定は?」
『お昼過ぎから三時間くらいゲーム配信の予定あるな』
「そっからすんの?」
『だね、そうする。ユウくんは?』
「俺は今日大学ないから」
『ほんと? じゃあ今日ずっと一緒にいれるじゃん』
ミサキは俺がこのまま部屋にいることを前提に話してくるが、特に帰る理由もない。強いて言うなら、いつも投稿している小説投稿サイトに書く作品の執筆時間が欲しいくらいだが、そんなものはスマホで何とかなるし、なんならミサキから借りたパソコンを使えばそれで問題はない。
今週末はバイトの予定もなかった。片桐さんからの呼び出しがないとは言い切れないが、あの人もあまり急な呼び出しをしてくるタイプではない。
「配信の時に俺、邪魔だろ」
と、さっきコンビニに一緒に行く提案を受けたのを断った時と同じようなことを言う。
『昨日の感じだと大丈夫じゃない? 耳舐め配信の時も静かにしてたし』
「急にくしゃみとかしたらどうすんのよ」
『あー、その時は? 動画編集スタッフが頑張ってるとか言う?』
「苦しい」
『音立てそうだったら昨日みたいにスマホに連絡入れてよ。ミュートにするから』
「まあ、良いけど……」
駄目だ。何一つとして断れない。
そんなことを話しているうちに、アパートに着いた。
「着いた」
『お、お疲れー』
俺はスマホを片手にしたまま、ミサキの部屋の扉を開けた。
「おかえり!」
玄関の前で、さっき家を出た時と同じようにら下に何も履いてないまま桔梗エリカTシャツを着ているミサキが出迎えた。
俺はどうするべきか困惑するまま、両腕を大きく開いているミサキに近づいて彼女の背中に腕を回す。ミサキは嬉しそうな顔をして、俺と唇を重ねる。昨夜から合わせてもう何回キスをしたのだろう。何度も繰り返されているのに、それでも未だミサキの唇が自分のものに触れるだけで心拍数が上がる。
自分の気持ちがはっきりしていないにも関わらず、ミサキの要求を何一つとして拒むことができないでいる自分をまた少しだけ情けなく思う。だが、それを顔に出したらこいつはまたさっきと同じように、ムッとした顔で俺を見るだろう。
「ただいま」
そういうのは見たくなかったから、俺もわざとらしいかもしれないけれど笑顔を作った。
俺が彼女の悲しむのを見たくないという理由じゃない。単に、自分のエゴでしかない。
俺はこいつに、ほとんど何も言えていないのに。
部屋に入り、お風呂場の脱衣所で俺は買ってきたばかりの下着を履いた。コンビニで商品を物色していたら、ボクサーパンツが良いよとミサキが言うのでボクサーパンツを買った。
サイズピッタリの少しパッツリとしたボクサーパンツが下半身にフィットする。
着替えながら、昨日ここでも俺はミサキとキスしていたことを思い出すと、また勃起している自分に気付いてため息をついた。
俺は結局、どうしたいんだよ。
脱衣所から戻ると、ミサキが何やらハサミを手に持って、ダンボールを開封していた。寝室にあったやつのうちの一つだろう。
「何してんの?」
「いや、この部屋ってさ、本当に配信の為だけに借りたからそれ用のもの以外はほとんど何もないなー、と思って」
俺はミサキの開封しているダンボールを見る。組み替え可能な分割式のカウチソファだった。
「それ出すの?」
「うん、一緒に座るとこないと」
「俺、組み立てるよ」
「ほんと!? ありがとー!」
はい、とミサキが俺にハサミを手渡す。俺はそのハサミを受け取って、ダンボールを解体して中身を出す。ミサキは配信用に使っているのだろうゲーミングチェアに座って、俺がソファを組み立てるのを見ていた。
「このソファ可愛いな、と思って買ったは良いんだけど自分で組み立てるの面倒でさ、放置してたんだよね」
「マネージャーかなんかに頼めねえの?」
「ここの住所は教えてるけど、ユウくん以外の人を入れたことはないなあ」
「ふーん」
アットシグマは元々個人勢の配信者が集まったグループだと聞いていたし、その辺りの仕事まわりは自分でやった方が良いとかそういうのがあるのかもしれない。
「できた」
「やったー! ありがとー!」
脚と連結部の部品を付属の六角レンチで取り付けるだけだったから、そう時間もかからずに済んだ。
散乱した発泡スチロールやダンボールの欠片をミサキと一緒に拾ってゴミ袋に捨て、ソファを部屋の端っこに鎮座させる。配信用機材が多くて少しバランスは悪かったが、一応は部屋の中におさまった。
ミサキがソファの上に座る。俺もミサキに手招きされて隣に座ると、ミサキは俺の肩に自身の頭を乗せた。
「ユウくんがいる」
「そうだよ」
「会いたかった」
「……俺も会いたかった」
昨夜、公園でもしたようなやり取りを再度する。これは嘘じゃない。俺もずっと、ミサキに会いたかった。
しばらくの間、静かな時間が流れた。俺の肩にミサキの重みがある。それ自体は、本当に幸せなことだと思える。
「おにぎり食べよ?」
どのくらいそうしていたかわからないが、ミサキの方からそう言って頭をあげた。
俺とミサキはコンビニで買ってきたおにぎりを分け合う。
「あ、飲み物ない」
食べている途中にそう言えば飲み物を書い忘れたことに俺は気づいた。
「コーヒーで良い?」
「おにぎりにコーヒーかあ」
「いや、全然ありでしょ」
ミサキは台所に行って水を汲み、コーヒーメイカーをセットした。台所の方は全然しっかりと片付いていて、コーヒーメイカーや電子レンジ、冷蔵庫など、必要な電化製品は揃っている。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
ミサキが淹れてくれた熱々のコーヒーをゆっくりと飲む。流石にうちのペットボトルのコーヒーとは違って美味しいが、俺はコーヒーを飲みながら、またしても古宮さんのことを思い出していた。あの人もまあまあ俺の生活の思い出に侵食してくる。
「美味しい?」
「うん」
「含みのある言い方だ」
「そんなことない。美味しい」
コーヒーメイカーで淹れたもんなんだから、分量をめちゃくちゃ間違えて淹れるとかしない限り美味しいだろ。
「でもやっぱりなんか考えてる」
「考えてはいるが……」
俺そんなにわかりやすいか? 割と昔からミサキは俺が何か一人で考えている時にはよく気付く方だったけれど、自分では何でそう気取られているのかよくわかっていない。
「いや、職場の同僚が淹れるコーヒーが美味しくてさ。ふと思い出してた」
「女の人?」
「そう」
「どっちの職場?」
「塾の方」
俺が質問に答えると、ミサキは首を傾げた。
「ん? 塾でコーヒー淹れるの?」
「いや、その人んちでご馳走してもらった」
「なにそれ、やーらーしー」
「なんでだよ」
いや、正確に言えば初めて古宮さんの家に行った時は確かにあの人に押し倒されて耳舐められてキスされて股間まで弄られていたから間違っていない。
「女の子の家に入るってことはその先のこと考えないと」
──その話、美咲とも前にしたな。
「それは……人それぞれだろ。そういう考えの人もいるけど、割と古い考え方だと思うし」
「でもそういう考えの人はいるって思わないとダメじゃない?」
「まあ、そうかも」
その辺りは暗黙の了解なんかじゃなく、結局のところ事前に合意をしっかり取るべきなんじゃないかと思う。
その考え方は昨夜、欲望に任せてゴムをつけずにヤった自分に跳ね返ってくるが……。
「ユウくんにも色々あったんだよね」
「ミサキこそな」
いつの間にか配信者になって、地下アイドルまで始めていたんだから。
朝ごはんを食べ終えて、俺とミサキは二人で映画を観た。ミサキが気になっていたという恋愛映画。主演の女優は俺も流石に知っていて、ミサキの反応も込みで割としっかり楽しめた。
昼ごはんは、ミサキがウーバーを頼んだ。いつもは昼ごはんは米を抜いていることを伝えると、ミサキもそれに合わせてファミレスのステーキやハンバーグを頼んでくれた。
ミサキのゲーム配信の時間が来ると、俺はどうするべきか改めて思案したが、さっき出したソファに座っていてくれたら良いと言うので、配信をするミサキの様子を見ながら、パソコンを借りて小説を書いた。
こんな状況で、寧ろこんな状況だからこそなのか、筆が進んだ。
今この状況が小説みたいだな、と俺は思ってしまった。昔から、何か自分で処理しきれない出来事があると、よくそう考えた。高校生の頃もミサキと一緒にいる時はしょっちゅう思っていたことだ。友達以上恋人未満の学園ラブコメに、少し家庭に問題のある女の子。書店に足を運んで適当に小説を選べば、もしくは小説投稿サイトでラブコメや現代ドラマの題材を探せば、きっといくらでも見つかる物語。
今もまた、昔好きだった女の子に再会したと思ったら、そのままその子と体を重ねて煮え切らない態度のまま、一緒にいる。
よく読む、ありふれた話だが、実際にこうしていると、ああいう作品に出てくる男の気持ちが心から分かるような気になる。
「お疲れ様ー。小説書けた?」
配信が終わり、またコーヒーを淹れてくれたミサキがコーヒーカップを俺に手渡しながら聞いた。
「結構書けた」
「集中してたもんね」
配信が終わる頃には五千字の短編小説を二作書いていた。ここ最近でのベストタイムだと思う。
ソファに座り、二人でコーヒーを飲む。ゆったりとした時間が流れる。美咲と一緒に部室にいるのと、同じくらいの心地よさを感じていた。
「明日は?」
ミサキが尋ねる。今日この後のことはやはり一緒にいること前提らしい。
「明日も特に」
「あたしも明日はフリー。どっか出かけちゃう?」
「だからあんま一緒に出歩かない方が……」
「さっきも言ったけど、あんま気にしすぎなくても大丈夫」
そうは言われても心配にはなる。俺が一緒にいることで、ミサキに不利益を与えてしまうのは嫌だ。
「これまで一緒にいられなかったんだから、その分いっぱい一緒の時間作っても良いじゃん」
ミサキはそう言って、朝そうしたようにまた俺の肩に頭を乗せる。そのまま両手を俺の胸に当て、ゆっくりとこちらを向く。
「好き」
ミサキがそう言って、俺の首を抱く。そのまま何度目かわからない口付けを交わす。やはり俺はそれを拒めない。
昨夜のように、俺たち二人、体を絡め合う。さっき組み立てたばかりのソファの上でお互い倒れ込む。
──しっかり、ゴムはつけた。
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