宅飲み招かれ、ある日のAV鑑賞②
古宮さんが再生を始めたAVは、家でこっそりおやつを食べている女性のシーンから始まった。
『お兄ちゃん、どうして起きてるの!?』
「妹物?」
俺が尋ねると、古宮さんは「そうだよー」と頷いた。
「現実感のない設定もフィクションの醍醐味でしょ」
「確かにそうですが」
「わたし、この女優さん演技がわざとらしくなくて好きなんだよね」
そんなことを言っているうちに画面の中では妹役の女性が無理矢理に上着を剥ぎ取られていた。兄が楽しみにしていた銘菓を、妹が黙って食べてしまったことに対するお仕置きという流れらしい。男優の姿は基本的には映っておらず、男優主観での映像が続いている。
「この間の先輩くんみたいだね」
「してないでしょ」
この人、あのラブホでの出来事について、隙あらば記憶を捏造しようとする。
「先輩そんなことしたんですか」
「してねえって言ったろうが!」
まだほとんど始まってねえうちから俺を弄るのやめろ。
「わたしは現実でも兄妹だからって理由で遠慮する必要はないと思うけどね」
「それもどうなんですかね」
「古宮先輩、ご兄弟いらっしゃるんでしたっけ?」
「いるよー。お兄ちゃんと妹がいる」
上も下もいる人がそういうことさらっと言うの、あんまり良くないと思う。
「まさか古宮先輩もお兄様と?」
「ないない。あくまで一般論」
「一般論としては兄妹は基本タブーでしょうが」
今この状況が倫理的にどうなのかというと議論の余地もあるが、それはそれ。
「あ、ほら。始まった」
古宮さんが画面を指差す。カメラが少し引いて、男優が妹役の胸に手を当てて揉み始めている。
「この女優さんの出演作、導入が長くないのが多いのも良いんだ」
「他がわからないから比べようがねえ」
「んー、裸になるまでに30分掛かったりとか?」
「そういうのありなんです?」
美咲も気になったことを古宮さんにすぐ聞いているみたいだが、決して目線は画面から外さない。こっちは画面を注視するのも気恥ずかしく、二人がどんな様子なのかチラチラと見てしまうと言うのに。
「シチュエーションが大事みたいなのもあるっぽいしね。わたしはすぐ行った方が好み。駆け引きも大事だけど、二人がその気なのわかってるならさっさとおっ始めろと思う。あ、これは現実でもね」
「なるほどです」
美咲は納得するように頷いた。
画面の中では、カメラが更に引いて男優と妹役が唇を合わせた。男優は胸も変わらずに揉み続けており、その動作の一つ一つで妹役の女性は「あっ……」と嬌声を漏らす。
「こういう声って自然に出るもんですか?」
美咲の質問が止まらない。
「場合によるけど大体演技。気持ちが盛り上がるのがクセになると意識しないでも出るようにはなるよ。君も覚えといてね」
と、古宮さんは俺の方を向いて語りかけた。
俺は急に話を振られてどきりとする。
「え? あ、はい。まあ」
俺はビクビクと古宮さんに応える。
女の子達との撮影や見学店の個室での見学で、多少の耐性がついたつもりではいたものの、こうして明らかに耳に訴えかけてくるのはちょっと無理だ。
茉莉綾さん始め、見学店のキャストも喘ぎ声を出すことはあるけれど、それはオプションがついた時だけであり、今画面から聞こえるような女性の甲高く甘ったるい声が店に充満するわけではない。当然、俺の撮影の時にも聞かない声だ。
古宮さんも美咲もあっけらかんとした態度で画面を観ているからまだ良いものの、流石に完全にエロのために針を振った創作物の力は強いな、と感じる。
「わたしも結構喘ぎ声自信あるよ。やろっか?」
「とりあえず今はやめてください」
俺は古宮さんの提案をすぐに突っぱねた。ただでさえ理性を働かせるのに脳みそ使ってんだからほんと正直やめて。
「AV鑑賞会の醍醐味って、観たのをそのまま実践できるところにもあると思うんだけど」
「その魅力そのものを否定はしませんが、俺は付き合いませんからね」
「ちんちん見せるくらいは?」
「しません」
逆になんですると思ったんだよ。
見れば古宮さんはAVを肴にして、いつの間にか新しい缶チューハイに手をつけていた。
おい、この人にもう酒与えるな。
画面での二人はエスカレートして、キスをしていたところから妹役の女性が今度は男優の足元にしゃがんだ。またカメラは主観になって、妹役の女性を見下ろす構図になった。
この構図自体はキャストの写真にも使えるかもな、などと無理矢理脳みそを仕事モードに切り替えて冷静さを保とうとしてみる。これまであまり自分とキャストが接近しての撮影はしてこなかったが、ガラス越しに客とキャストがこのくらいの距離感になることはあるのだから、一つの魅力としてありだ。
『お兄ちゃん、見せて』
妹役が卑猥な言葉と共にそう主役に声をかけると、立ったままの男優のズボンのチャックを時間をかけてゆっくりおろし、そのままパンツと一緒にズボンをずり下げた。
古宮さんと美咲の二人から「おおー」と感嘆の声があがる。なんなんだお前ら。
妹役の女優はそのまま股間に顔を近づけていく。流石にモザイク付きとは言え性器が画面に映ると体の体温が一気にあがり、喉の乾きも感じた。俺も古宮さんに倣い、近くにあった缶チューハイのタブを開ける。プシュリと二酸化炭素が缶の外に漏れる音を聞いて、少しだけ気持ちを現実に引き戻せた。
俺はゴクゴクと缶チューハイを飲み、古宮さんが冷蔵庫から持ってきてくれた作り置きのサラダを口に運んだ。
すごい美味しい。この人、何作らせても旨いな。
「仁王立ちと仰向け正座とどっちが良いかって議論があるけどさ」
その議論は知らない。
「仁王立ちは今やってるみたいな感じで男の人が立ってやるやつ。後者で言ったのは男の人が仰向けになって、女の子が股間の前で正座するやつね。君はどっちが理想とかある?」
「ノーコメントで」
女性に見下ろされたいか、女性を見上げたいかの差みたいなのはありそう。
「わたしはやるなら仁王立ちなんだけど、これってわたしがもしかしたら潜在的にマゾだからなのかな? とか思うわけなんだけど、どう思う?」
それも知らん。答えようがない。
「やらないとわかりづらいか。実践する?」
「しません」
「実際やるわけじゃないから」
「良いです。やるとするなら仕事の時にします」
「先輩のヘンタイ」
「ああもう、くっそ」
今のは確かに俺が悪い。
画面の中では、男優の目線で妹役を見下ろしている映像が続いている。妹役の女優はにこにこと笑いながら、激しく音を立てて口を動かしていた。
俺は思わず美咲の方を見る。相変わらず美咲の視線は画面に釘付けになっていた。
美咲は結局どんな風に男としたんだろうな、という疑問がまた喉元まで出かかる。どんな表情で、どんな気持ちでいたんだろうか。相手が俺だったらどんな顔を見せるのだろう。
それを考えていると、心臓の鼓動が途端にゆっくりと落ち着いていくのを感じた。
妹役の女優は、股間から顔を離すと立ち上がる。上目遣いで男優の目線であるカメラを見る姿はあまりに情欲的だった。
『ほら、お兄ちゃんも脱いで』
妹役は主役のシャツの裾を掴んで、男優をバンザイさせて服を脱がせた。またカメラが少し引いて、男優と妹役の絡みが見えるようになる。男優は妹役を壁に押し付けると、妹役の胸に舌を這わせた。
男優は胸を口に含んだまま、妹役のスカートを脱がし、その下にある下着の上から妹役の股間を触った。その間もずっと妹役の嬌声が響いている。
『ほら、いくぞ』
男優が震えるような少しだけ高めの声で台詞を言う。妹役の下着をズラすと、そのまま自分の股間を彼女に近付ける。
二人の腰と腰が重なり合う。そして遂に男優が大きく腰を上下に動かし始めた。
「あ、わたしこれはあんま好きじゃないな。女優さんの顔がよく見えない」
古宮さんが画面の中で続く二人の演技を見ながら言う。
「そうなんですね」
「うん。せっかく主観で始めてるんだから、セックス始める時もそれでいけばいいのになーって」
「そういうとこ見てるんですね」
「いや、単純に気が散った。そして多分そういう気の散りみたいなのはレビューとかにも影響すると思う」
「確かに」
評論家じみたことを言う古宮さんの発言が面白くて俺は思わず噴き出した。
画面内では大きな音と激しい喘ぎ声が響く。
「ここまで来るのに結構時間かかりましたけど、これって全部観るもんなんですかね」
美咲が相変わらず画面を凝視したままに尋ねた。
「人によると思う。本番シーンまでは適当に飛ばすこともあるし」
その辺はそうだよな。映像作品ではあるけれど、実用としての価値がある分、AVというジャンルの鑑賞の仕方は他の媒体に比べて大きく異なりそうだと思う。いや、今の時代、必要なところだけ掻い摘んで楽しむというのはAVに限ったことではないのかもしれない。
数十分の後に男優と妹役の絡みが終わり、妹役がまたカメラに向けて笑いかける。男優はそのまま床に倒れ込んで、妹役は男優の脚の間に座った。
「あ、ほら。さっき言ったやつ。一戦終わった後はまた違う視点なのは良いね」
古宮さんがまた流れてくる展開に評価をつけていた。
そんな風に時折り酒をあおったり、映像に突っ込んだりしながら、一本のAVを見終わった。大体一時間強くらいだったろうか。
「疲れた」
俺は思わずポツリとつぶやいた。変な疲労感が溜まっている。
「どうだったよ、初AV」
「古宮さんが途中途中にチャチャ入れてたの込みで楽しみましたよ」
多分無言じゃ色々耐えられなかったと思うし。
「私も勉強になりました。古宮先輩もこういうのから学んだりするんですか?」
「どうかなー。全くないとは言わないけど、基本はファンタジーだしね。よく聞く話だけど、AVでセックス学んだ気になってる男とか最悪だったりするし」
「アクション映画観て、身体鍛えたつもりになっても困りますもんね」
「それだ。それわかりやすいわ。今度アホな奴いたらそれ言おう」
俺は残っていた缶チューハイをぐっと飲み干した。それからテーブルの上のおつまみや、まだまだ中身のあかないウイスキーボトルを見る。
古宮さんの持っていたウイスキーに合わせて、俺と美咲が買ってきたビールなんかもあるから、まだ買い出しには早いが──。
「古宮さん、アイスとかないです?」
「あー、食べたい。君ら買ってきてたっけ?」
「いや、観てたら熱くなったから欲しいなと思って。買ってきますよ」
俺はすくと立ち上がり、鞄の中から財布を取り出した。
「リクエストあります?」
「ハーゲン」
「美咲は?」
「先輩が行くなら私も行きますが」
「いいよ。お酒とかはまだあるし、コンビニまでちょっと歩くし、俺だけで」
「そうですか、わかりました」
俺は美咲と古宮さんに手を振って、外に出た。慣れないものを観ることによる心臓の鼓動の高鳴り自体は、映像が半分くらいを過ぎたところで段々とはおさまっていたものの、やはり聴覚に延々と訴えかけられていたのはキツいものがあったので、正直なところどうしても一人になりたかったのだ。
コンビニに到着するなり、俺はトイレに駆け込んだ。頭の中にあの妹役の女優の艶かしい声が響いている。俺は自分の股間に手を添える。
そうしているうちに俺は、確かにAVを一本しっかり観たのは初めてだけれど、以前にも美咲たちとではない、別の友人と一緒にまさにセックスシーンが始まる、AVのさわりの部分だけを観たのを思い出していた。あの時は最初のかったるいところは飛ばしてしまえ、と男優と女優が重なり合ったところだけを観たのだったっけ。
「ふう」
俺はトイレの水を意味もなく二回流してから店内に戻り、三人分のアイスを買った。
気怠い気分で歩く帰り道の星空は、行きよりも少し明るく感じられた。
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