乙女に囲まれ、ある日の労働⑤

 茉莉綾さんの撮影が終わったことを片桐さんに伝えると、俺は撮影データが入ったスマホを片桐さんに手渡した。


「どれ、拝見しようかね」


 片桐さんはじっくりとスマホの画面を見ながら、時折スクロールしたりズームしたりしながら写真を確認していった。


「良いね、よく撮れてる」

「あ、ありがとうございます!」


 俺は片桐さんに向かって頭を下げた。片桐さんはそんな俺に対して「そういうのはい」と笑いながら言った。


「さっきも言ったが、あたしゃウチのキャストが二人も気になる男がいるって言うから、最初はどんなろくでもないスケコマシかと思ったんだよ」


 俺が頭を上げると、片桐さんは俺の肩に手を回した。強いローズ系の香水が少しだけツンと鼻につく。


「初日だってのに良い働きだ。裏方周りの雑用してくれたのも助かったしね」

「あまりボーッとし過ぎるのも悪いかと」

「それが良い。次も頼むよ」

「はい! よろしくお願いします」

「うむ」


 片桐さんは俺の肩から手を離す。


「先輩さーん、着替え終わりましたー!」


 キャスト用の更衣室から私服に着替えた茉莉綾さんが、廊下で話していた俺と片桐さんに向けて声を掛けてくれていた。


「戸締りはあたしがするからあんたらはもう帰んな」

「わかりました。夜も遅いですし、片桐オーナーもお気をつけて」

「おいおい、あたしを誰だと思ってるんだい? 夜の街はあたしの庭さ」


 片桐さんは大きく胸を張って、大胆に嘯いた。


 俺は改めて片桐さんにお礼を言い、廊下の先にいた茉莉綾さんと合流した。


 今日はカジュアルなワイシャツと膝下まで伸びるタイトスカートという服装で、先日カラオケに行った時よりも多少動きやすそうな格好だ。

 俺が茉莉綾さんに、私物をスタッフルームに置きっぱなしにしていることを伝えると「入り口で待ってます」と言うので、俺は急いで自分の鞄やスマホを取りに行った。


 スマホを確認すると、また美咲から連絡が入っていた。何分か前に着信も入っている。

 俺は美咲からのメッセージを開いた。


『先輩、お疲れ様です』

『お仕事どんな感じですか?』

『今、お店の近所の居酒屋にいます。古宮先輩も一緒です』

『場所送りますね』


 メッセージは一番新しいもので、今から20分くらい前のものだ。メッセージと一緒に、確かに居酒屋のマップデータが送られて来ている。


『今終わった』

『そっち行く』


 俺は美咲への返信を打って、見学店の入り口まで来て茉莉綾さんと合流した。

 茉莉綾さんは俺の姿を確認すると、またひらひらと手を振った。


「お疲れ様でした」

「うん、お疲れ様」


 俺は茉莉綾さんの前でスマホを取り出し、美咲からのメッセージを開く。


「今、美咲から連絡があってさ」

「おや、そうなんですか。もしや私、お邪魔?」

「違うって。なんか、古宮さんと一緒に居酒屋で飲んでるって」

「古宮先輩と?」


 茉莉綾さんが鞄から自分のスマホを取り出した。


「あ、こっちにもありさちゃんから連絡来てました」

「そうなんだ。じゃあ一緒行こっか」

「そうですね!」


 俺と茉莉綾さんは、美咲から送られて来た居酒屋の場所までマップアプリを片手に歩いた。店から歩いて15分程の場所で、多分ここから近場の駅まで歩いても5分くらいだ。

 店の中に入り、連れが来ていることを店員に知らせると、店員は奥の席に案内してくれた。


「お疲れ様ー!」


 古宮さんと美咲が、四人席の端っこで二人向かいあって座っていた。

 というか古宮さんの顔が既に赤い。テーブルには日本酒の酒瓶が2本、空になって置かれていた。


「あ、先輩やっと来た」


 美咲がボーッとした表情で俺を見て、それから隣にいる茉莉綾さんに気付くと、恭しく頭を下げた。


「すずかちゃんもお疲れ様です。あ、茉莉綾ちゃんの方が良さそうですね」

「うん、お疲れー。じゃあ私も美咲ちゃんって呼ぶね」


 そんな風に挨拶をして、俺は美咲の隣に、茉莉綾さんは古宮さんの隣に座る。ついでに店員さんに俺と茉莉綾さんの分のビールを頼んだ。ついでに古宮さんもハイボールを一杯頼む。続いて美咲は烏龍茶を頼んでいた。


「古宮先輩もお疲れ様です」


 茉莉綾さんが隣の古宮さんにそう言うと、古宮さんは茉莉綾さんの肩に手を置いた。


「お疲れー若人達!」


 近くで見ても、やはり古宮さんの顔は結構赤く染まっている。


「古宮さん、結構飲みました?」

「日本酒二合くらいとビール一杯にハイボール二杯」


 まあまあ飲んだな。


 美咲はそんな古宮さんの様子を見ながら、ゆっくりと肩を落とし、小さめに溜息をついた。


「私はお酒あんまり強くないので……薄めのカクテルだけ適当に頼みました。それでも三杯。あ、日本酒も少し飲まされましたが」

「おう、お疲れ。水飲め」


 古宮さん、この間のラブホでも思ったけど割と酔うの早いからな。美咲でも相手をするのに多少骨が折れたと見える。


「駄目ですよ。自分が楽しむ分には良いですけど、あまり他人ひとに無理させたら。お酒が可哀想です」


 茉莉綾さんは茉莉綾さんで、彼女らしい言い方で古宮さんをたしなめた


「でも古宮さん、今日はどうしたんですか?」


 俺がそう尋ねると、古宮さんは俺のことを指差した。人を指すな。


「君のバイト初日って聞いたから、ねぎらいに来たんでしょーが!」

「あ、それはありがとうございます」


 多分それは本当なのだろうし嬉しいけど、酔いが少し回って来ているタイミングで言ってほしくはなかったかな。


「茉莉奈ちゃんもお疲れ様でした。先輩、かなり無茶言ったんじゃないですか?」

「わかる? ホントだよー、美咲ちゃんの先輩さん、すごいはっちゃけてて」

「ヘンタイカメラモンスターですからね、先輩は」

「えー、何それ」


 こっちの二人は二人で、変な風に盛り上がってるし。美咲は変なあだ名を広めるんじゃない。


「そうだよ、君はカメラ持つとなんか変なスイッチ入るよね」


 酔っ払いも会話に加わってきた。


「いくらわたしから頼んだってもさあ。ランジェリーまで剥いじゃうんだから、ケダモノだよねえ」

「え? 先輩さん、どういうことですか? 詳しく」

「あー、もう。古宮さん、そういうことは言わなくて良いでしょ」


 古宮さん、美咲よりは良識があるとは思っているが、酒が入っている今は色々と危うい。


「先輩、古宮先輩とラブホ行ったんです」


 ほら、良識のねえ後輩がよ!


「え? え? つまり、そういうことですか!?」

「そういうことー」

「古宮さん、適当なこと言わない。違います。古宮さんが元カレに付き纏われて困ってるって言うんで、その元カレに俺と付き合ってるフリの写真を撮る為にホテル行ったの」


 いや、これも自分で言葉にすると何言ってんのかわかんねえけど。

 ただ、茉莉綾さんはその説明で納得したようで「あ、ああー。なるほど、そういうことですか」と首を縦に何度も振った。

 ランジェリーを剥いだという件に関してはそれでなあなあに流れたようだ。


 そしてそのタイミングで店員さんが俺と茉莉綾さんのビールを持って来た。


「あ、お酒来た」


 茉莉綾さんが店員さんからビールジョッキを受け取る。同じように、俺の手元にもビールジョッキが置かれた。

 続けて店員さんが古宮さんのハイボールと美咲の烏龍茶を持ってきたので、俺はそれを受け取り、二人の前に置く。


「まあ色々あるけども、初仕事お疲れ様ー! かんぱーい!」


 古宮さんが自分の分のハイボールを手に取り、前に掲げた。

 俺達も古宮さんに倣い、それぞれの飲み物を掲げる。お互いにグラスをぶつけ合って乾杯すると、皆で一口ずつ自分の分を飲んだ。

 古宮さんだけゴクゴクと乾杯の一口だけでハイボールをジョッキ半分くらい一気に飲んだ。


「古宮先輩、ほどほどにしてくださいね。先輩と茉莉綾ちゃんが来るまでも結構飲んでるんですから」

「良いじゃん、みんなで飲むの久しぶりでさー。久しぶり? 初めてか」

「そうですね。私は美咲ちゃんと飲んだことないですし」


 美咲も茉莉綾さんも古宮さんの後輩ではあるけれど、見学店で同僚として知り合うまでは接点がない。だから美咲の方も、まだキャストになる前に、茉莉綾さんを何度も指名して遊んだのだ。というか片桐さんの言う、一度遊んだことのある人間は雇わない、は女の子の場合は適用されないんだな、と今更気づく。


「で、君は職場は馴染めそうなの?」


 古宮さんがハイボールの入ったグラスをテーブルに置く。


「職場って、俺の仕事はそんな長引かないですから。でも、その間は大丈夫そうです。茉莉綾さんのおかげで撮影の感覚もちょっと掴めましたし」

「おお、私? そう言ってもらえると最初に撮ってもらった甲斐もあったかな」


 実際、最初の撮影が茉莉綾さんで本当に助かった。これが知らない女の子相手だったら、こうはいかなかったと思う。


「先輩のヘンタイ」

 茉莉綾さんがはにかむ姿を横目で見て、美咲がボソリとつぶやいた。

「なんでだよ!? 今、そういう要素なかったろ!」

「君がヘンタイなのは間違いないでしょ」

「古宮さんも乗っからないでくださいよ」


 俺達はそんな風に酒を飲んで談笑した後、この後特に用事もないのなら、とそのままカラオケにも行った。古宮さんがカラオケ内でもまた酒を頼もうとしたが、茉莉綾さんのストップがかかり、全員ドリンクバーだけで落ち着くなどの流れを経てきっかり二時間、変わる変わる歌って楽しんだ。

 古宮さんが三次会も所望したが、流石に俺と茉莉綾さん、美咲の三人がかりで止めて、彼女をタクシーに押し込んだ。なんかデジャブだった。この人、俺を押し倒した時は確かに美咲にけしかけられたのもあったんだろうけど、酔っ払って若干タガが外れやすいのは単に素なんだよ。


 古宮さん以外の俺含めた三人もそれぞれ電車に乗って帰宅した。俺が家に帰るまでに一足先に美咲と茉莉綾さん両方から『家に着きました』の報告が入ったので、俺は二人に『おやすみ』のメッセージを返した。


 古宮さんからはメッセージが来なかったので、俺の方から『ちゃんと家着きましたか?』『しっかり寝てくださいね』と送る。

 すぐには既読もつかなかったが、俺が家に帰り、シャワーを浴び終わった頃に返信が来ていた。


『ありがとー』

『お仕事がんばってねー』

『おやすみー』


 と短く連投されている。俺は古宮さんにもお返しの『おやすみ』のメッセージを送って布団の中に入った。

 見学店でのカメラ撮影という最初の一仕事を終えてから皆で飲んだ後の身体は適度に疲れていて、あまり眠る前の考えを巡らせることなく、ぐっすりと寝ることができた。

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