乙女に囲まれ、ある日の労働④

「い、いきなりですね」


 スマホから響くシャッター音に、茉莉綾さんはびくりと反応した。


「ごめん。流石になんか言ってからの方が良かった?」

「私は別に構いませんけど、他の子には一言あった方が良いと思いますよー」

「そうだね。気をつける」

「ふふ、私が最初で良かったですね、先輩さん」


 茉莉綾さんが嬉しそうに笑う。


「じゃあ、撮るよ」


 俺はそう口に出す。

 カシャリとシャッター音が鳴る。

 笑顔を撮ったところで、それは掲載できないが、その仕草には撮る価値があると思った。また、これは美咲を撮っていても思ったことだけど、本命の写真以外のものも撮影しておくことは、撮られる側の変な緊張をほぐす効果もあると思う。


「不意打ちなんですよねえ」


 茉莉綾さんは困った顔をする。美咲も同じことを言っていた。


「ごめん。撮りたくなって。それにその方が良い写真が撮れる気がする」

「否定はしませんけど、それも一言ことわりがあった方が良いんじゃないですかね」


 それもその通りだ。


「じゃあ、俺は好きなタイミングで撮るから気にしないでね、とかかな」

「いいんじゃないですか?」

「じゃあ俺は好きなタイミングで撮るから気にしないで」

「あ、そのまま言った」


 茉莉綾さんがまた笑う。

 カシャリ。やはりその顔は魅力的で、俺にシャッターボタンを押させていた。


「こういう写真、カメラマンがいいねいいねーみたいなこと言いながら撮るイメージあるじゃん」

「ありますね」


 茉莉綾さんは俺がシャッターボタンを押した後、棒立ちになったままだった。本人は、若い頃の性的価値は有効利用した方が良いとは言っていたけれど、やはり本来的に他人と触れ合うこと自体が得意なわけではないのだろう。

 俺はそのまま話題を続けた。


「あれさ、俺には無理と思ってたんだけどこうしてみるとわかった。あれ安牌なんだ。無言でシャッター切り続けるわけにもいかないけど、被写体ごとに話を変えるのも難しいでしょ。そうなると、とりあえず基本褒めることになる」

「なるほど」


 茉莉綾さんが、納得するように目線を空に飛ばした。


「いいね。その表情いいね」


 俺は早速、俺の脳内イメージにあるカメラマンの真似をしてみた。言いながら、シャッターを押すのも忘れない。

 

「まあ悪い気はしないですよね」


 茉莉綾さんが俺の褒めにはにかみながらそう言った。

 やってみたはいいものの、顔から火が出るくらいに恥ずかしかった。これも慣れかもしれない。


「実際良い感じだよ。俺もここで撮る最初が茉莉綾さんで助かった。色々気づきもあるし」


 褒めながらじゃないと間がもたない、とか。それで間をもたせたとして、撮られる側が緊張してしまっては意味がないとか。


 俺は当初の予定通り、礼儀正しくお辞儀をしたり、正座をする茉莉綾さんの姿を撮った。その間もできるだけ、短く褒めを入れて沈黙の時間がないようにする。茉莉綾さん相手だからやれている実感がある。ここで慣れておくことは良い経験になりそうだ。


「他の衣装でも撮ってみよっか」


 またいつぞやの時のように、俺の口が考えるより先に動いていた。


「他の、ですか?」

「実際パフォーマンスとして着替えするでしょ」

「先輩さんがスクール水着に着替えさせたやつですね」


 覚えてるのか。恥ずかしい。そりゃ覚えてるか。


「スク水好きなんですか?」

「そりゃ、まあ、好きだよ」

「可愛かったですか?」

「そりゃ、うん、良かったよ。あ、そういや聞いたよ? あの時のこと、怒られたんだって?」


 誤魔化すみたいに話題を変えた俺に対して、「聞いたんですか?」と茉莉綾は恥ずかしそうに身を捩る。


 あの時、茉莉綾さんは俺の前、背を向けていたものの、下着も何もつけない素っ裸の状態を披露していた。その時はそういうこともあるのか、と思っただけだったが、それは実のところ美咲と同じ、茉莉綾さんのちょっとした暴走だったらしい。


「先輩さんはずっと、自分は何もしてないって言いますけど、いくら他人からの紹介だからと言っても先輩さんだから私は安心できたんですよ」

「それはありがとう」

「いえ、こちらこそありがとうございます」

「うん。じゃなくて、衣装。よくオプションでつく衣装とか、ない?」


 美咲の時は着替えの様子も撮ったが、俺はキャスト紹介としてはHPに掲載する写真としては別にいらないと自分の中では結論づけた。だから、茉莉綾さんがよく頼まれる衣装とかの方が良い。


「そしたら、メイド服が多いですかね」

「多そう」


 確かにそれは茉莉綾さんのイメージにもあっている。客としても、彼女の様子を見ていてそう思うのだろう。


「じゃあ俺、一旦外出てるから着替え終わったら言って」

「別にいて良いですよ。お着替え見ます?」


 美咲みたいなこと言い出したな。


「良いって。いや、見たくないって意味じゃなくてさ」

「ふふ、わかってます。冗談です」


 なんて言いながら、茉莉綾さんは衣装棚の中からメイド服を取り出した。黒と白を基調とした、胸元に大きなリボンがついているクラシックなタイプだ。肩の部分にはエプロンのようにフリフリのフリルがついて、袖は二の腕くらいまで。


「じゃあ俺は廊下で待ってるから」

「はーい」


 俺は待合室から出ていって、廊下で茉莉綾の着替えが終わるのを待つ。その間、スマホのカメラロールを確認した。

 制服コスチューム姿でこちらに笑いかけてくる茉莉綾さんが写っている。よく見ると手の周りがブレていたり、真ん中に合わせて撮ったつもりなのに上下が見切れていたりと、やはり全体的にはお世辞にも上手い写真とは言えない気がする。けれど、茉莉綾さんの魅力はしっかり撮れているような気がした。あくまで気がするだけだけど。


「終わりました」


 待合室から声がした。俺はカメラロールを閉じて、廊下から待合室に入る。


「じゃん。こんな感じです。どうですか?」


 待合室では、メイド服を着た茉莉綾さんが真っ直ぐに立っていた。衣装を見ただけでは気づかなかったが、胸の谷間がかなり強調されているつくりだ。首元や手首周りにも独立したフリルを付けていて、それがまた非日常的な服装を際立たせている。


「いい。やっぱり似合ってる」

「へへ、ありがとうございます!」


 茉莉綾さんはスカートの端をちょんと摘んで、うやうやしく頭を下げた。その頭にも、服と同じ黒と白でコントラストのついたカチューシャをつけていた。


「うん。早速撮る」


 今のポーズは良い。

 俺はスマホカメラを構えた。メイド服姿で頭を下げる、まさにメイドさんそのものがここに具現化したかのようだ


 カシャリ、カシャリ。俺は何枚か続けて撮る。さっき撮れた写真を見て、遠慮することなく数を撮った方がいいと気づいた。最高の一枚なんて撮れないし、そもそも求められてない。今俺がここで撮るべきは、写真を見て客が彼女を指名したくなるような写真だ。そしてその目線は今、俺に一任されている。


「茉莉綾さん、その服だといつもどんな感じなの?」

「そうですね。せっかく胸元が強調されているので、屈んで服めくって胸をチラッと見せたりとか」


 確かにそれは色々な客が喜びそうだし、この服を着せる意味もある。


「じゃあそれやろう」

「うええ。マジですか」

「嫌なら無理にとは……」

「嫌ではないです。嫌ではないんです。いつもはお客さんはガラスの向こうだから恥ずかしいだけ」


 茉莉綾さんは、ふううと長く息を吐いた。気持ちを落ち着かせているらしい。それから一度目を瞑ると、決心したように膝を屈め、谷間を更に強調するように腕を股の間に挟み、両脇から胸を押し出した。


「うん、いいよ」


 俺は彼女の胸に身惚れそうだった自分を遠くに置いてきて、改めてシャッターボタンを押した。

 俺だってこのタイミングで褒めるのは恥ずかしいが、言っている場合ではない。とにかく、どんどん撮っていこう。


「さっき言ってた、胸をチラッと見せるやつ、それもやろう」


 後は遠慮も厳禁だ。向こうは仕事でやってくれている。客だって己の欲望に任せて、キャストには躊躇なく様々なことをやらせる。ならばこちらもこんなお願いをするのはよくないとか、そういう普段の目線は取っ払え。


「こう、ですね?」


 茉莉綾さんは屈んだまま、胸元に手を伸ばして、谷間を強調する服の端を引っ張った。


「もっと」


 茉莉綾さんの目が泳いだ。若干心苦しいが、恥ずかしいのはお互い様だ。これからこの写真を見て、もっと茉莉綾さんが指名されるようにできる限りのことをする。それが片桐さんにこの場を任された俺の責任だ。


「先輩さんの意地悪……」


 茉莉綾さんは諦めたように、更にぐっと服を引っ張る。おっぱいの丸みが服の外にもう出ている。後少し引っ張れば、乳輪の部分もポロリと出てきそうなくらいだ。


「おっけー。そのまま。可愛いよ」


 可愛いよ、とか俺多分初めて言ったな。服が似合ってるとか魅力的だったとか、そういう言葉は使うけど、ストレートにその良さを伝えるこの単語は、口にすると何故か気持ちを昂らせた。

 俺はそんな妙な高揚感を覚えながら、スマホで彼女の姿を捉える。茉莉綾さんの頬や耳元が紅潮している。この顔は掲載されないのがもったいないな、などと思う。


 シャッターボタンを押した。一度だけでなく二度三度、と何度も。


「他の格好もしてみて」

「は、はい!」


 茉莉綾さんは引っ張った服を元に戻す。今度は膝に手を置いてお尻を突き出して、こちら側を振り向くようなポーズ。スカートのフリフリが止まることなく揺れ続ける。


「それで終わり?」

「もう! 違いますー!」


 茉莉綾さんはスカートの腰の辺りを掴むと、それを上に引き上げた。段々とスカートが捲れていく。

 俺はその様子も写真に納めた。遂にはスカートが完全にたくし上げられ、茉莉綾さんの履いている水色のパンツが顕わになる。そういえばこれは店用だろうか私物だろうかなんて邪念が浮かんだが、俺は小さく首を振ってシャッターボタンを押した。

 俺は元いた場所から歩いたり、しゃがんであおるようにしたり、色々な角度から茉莉綾さんを撮った。どの写真を採用するかとかどう加工するかは後で片桐さんやスタッフが考えることだ。とにかく今は俺が素材を集めれば良い。


「おっけー、撮れた。ありがとう。良かったよ」


 茉莉綾さんは安心したようにまた深く息を吐き、そのままペタンと床に座り込んだ。


「カメラマンさん、ちょっとはっちゃけ過ぎ」


 茉莉綾さんは抗議するように俺のことを物言いたげに見つめた。


「でも客にはもっとやるでしょ」

「それはガラス越しだし、相手も知らない人だし……」


 あ、と茉莉綾さんは思い出したかのように天井をあおいだ。


「あの、最初の来店のことなんですけど」

「最初?」


 あれだ。茉莉綾さんが本調子じゃなかった時。今ほどではないが、かなりおどおどとした様子で、本当にこの調子でお店で働けているんだろうかと、勝手に心配になった時だ。


「あの時、そのう。プレゼントが」


 あったな。あの時はプレゼントというのが何をさしているのかわからず、とりあえず高めのコースを選んだ方が指名としても貢献できるだろうと選択したのだった。

 それで茉莉綾さん──すずかさん──が脱いだばかりの下着が顔の上に降ってきた時は、想定外の出来事に思考停止してしまったのを覚えている。


「あ、ああ。あれ」

 この期に及んで動揺するな、俺。


「あれってまだ持ってたりするんですか? ちょっと気になってて……」


 あれ? 美咲や他のスタッフから聞いてないのだろうか。


「あれね。プレゼントってのが何を指すのかわかんなくて……」


 あの後、美咲を指名した時もあいつは下着を俺の個室に捩じ込んで来やがったが、それで怒られてるからなあいつは。


「あれを喜ぶ男がいるのもわかるんだけど、情け無いことに俺は自分で持っておくのが嫌で、次来た時にスタッフに処分してもらった」


「あ、ああ。そうなんですね?」


 茉莉綾さんはホッとしたように息を吐き、その後困ったように眉を歪めた。


「いや、全然普通のオプションなので良いんですが気になってしまって。そういうことならお忘れください」

「また指名して頼むかも」

「オーナーが怒りますよ?」


 そういや片桐さんが、ウチで働くならお店で遊ぶのは基本厳禁だって言ってたっけ。いや、逆か。ウチで遊んだことある人を雇うことはほぼないって話だ。どちらも同じことではあるが。


「普通のオプションか。普通か?」

「いくらでもありますよ。アイスの棒もそうですけど、夏場だと体を拭いたタオルとか」

「なんでもありだなあ」

「ウチにはないんですけど、唾液とか聖水なんてのがある場合もあります」


 何かはわかるから詳しく突っ込むのはやめとこう。どうしても気になって聞くなら片桐さんに聞くことにする。


「調子はどうだい? そろそろあたしは帰れると嬉しいんだけどねえ!」


 そんなことを考えていたらタイミングよく、廊下の方から、片桐さんの声が聞こえた。


「大丈夫です! もう終わります!」


 俺は改めてカメラロールを確認した。結構良い写真も撮れたと思う。今日のところはこのくらいで良いだろう。


「じゃあ、俺一足先に片桐オーナーに写真見せてくるから、私服に着替えちゃって良いよ」

「わかりました」


 俺はメイド服のまま床に座る茉莉綾さんに手を振る。茉莉綾さんも俺に手を振り返した。

 俺はスマホをポケットに閉まって、廊下で待っているだろう片桐さんのもとへと向かった。

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