乙女に囲まれ、ある日の労働③

「先輩さん!」


 夜も更け、客が増えて来たので個室を客に明け渡し、スタッフルームで座って休憩していたところに、茉莉綾さんが声を掛けてきた。制服コスチューム姿のままだったので、多分彼女も休憩中にこちらに抜けて来たんだろう。


「茉莉綾さん、お疲れ様」

「お疲れ様です。オーナーから聞いて驚きました。まさか一緒に働くことになるとは」


 一緒に働くと言われると、そのニュアンスもちょっと違う気がするが、同じ職場というならその通りか。

 茉莉綾さんは俺の向かいにある椅子に座ると、ふうと溜息をついた。


「茉莉綾さんの様子見えたよ。茉莉綾さんあれでしょ。お客さんのシルエットが見えるとちょっと笑いかけたりしてる」

「う、うわ。そういうのも見てたんですか?」


 そう言って、茉莉綾さんはお腹の前あたりで手をもぞもぞと動かす。


「制服姿の女の子が待機中は普通にいるってのもコンセプトの一つであるんですけど、それはそれとして笑いかけてもらって悪い気がする方は、そうそういないので」

「そりゃそうだ」


 ただ、それだけガラスの向こう側をよく見ているからこそ、迷惑客に強く驚いてしまったところもあるのだろうな、とも思った。


「茉莉綾さん……いや、ここではすずかさんの方が良いか?」

「どっちでも良いよ。オーナーもお客さんいないところでは本名で呼ぶし」


 言われてみればそうだった。多分、あの人の頭の中にはキャストの本名と源氏名が全部しっかり入っているんだろう。


「じゃあ一応仕事中だし、すずかさんで」

「おっけー」

「片桐オーナーから、今日はすずかさんの撮影ができればって聞いてたんだけど、大丈夫?」

「うん」


 すずかさんは俺の問いに対して、にこやかに頷いた。


「先輩さんなら安心だよ。あ、私もカメラマンさんって呼んだ方が良いかな」

「それこそどっちでも良いな」


 どっちも名前じゃないし。


「私、お店のHPにあげてる写真って、入ったばかりの頃キャストの先輩に撮ってもらった奴なんですよね」

「そうなんだ?」


 以前に茉莉綾さんの写真も確認したが、あまり思い出せないのは彼女のものも目立つものではなかったからだろう。


「だからカメラマンさんに撮ってもらえるの、結構楽しみなんだ」


 片桐さんが言うには、茉莉綾さんは今日閉店までいるそうなので、他のキャストが帰った後に待合室の中に入っての撮影をお願いしたいとのことだった。他のキャストの撮影タイミングについては未だ検討中だそうだが、全員が全員営業時間外に来れるわけではない。だから、場合によってはキャストの勤務時間にスタッフルームで撮影するようなことにもなりそうとのこと。


「どういう写真を撮ってくれるんでしょう、カメラマンさん?」

「そうだな。最初はすずかさんの魅力は丁寧な接客だと思ったから、そういうのが分かる写真が良いな、と思った」

「なるほど。やっぱり面と向かって言われると照れるね。ありがと」

「えと、どういたしまして」


 俺は被写体の話をしているときは脳みそが普段と切り替わっている気がするので、改めて感謝された時の不意打ち食らった感がすごい。これはこれで慣れないといけないと思う。


「ああでも、今日すずかさんの待合室での様子見てて思ったんだけど、もしかしてダンス動画とかよく見てる?」

「え、めっちゃ見てるじゃん」

「う、いや」


 どうしよう。流石に見すぎてたか? 引かれた? でもそれが今回、客の目線で個室から長く彼女らを見ていた理由なわけで……。


「お客さんでも分かってる人いるかな?」

「いなくはないんじゃない?」

「カメラマンさんはどうして気づいたんでしょう?」

「指名入った時に何回か画面が見えちゃったのと、たまにリズムに乗って指弾いたりしてたよ」

「あー、なるほどー。そうかー」


 茉莉綾さんはしまった、と頭を抱えた。


「あんまり知られたくなかった?」

「ううん、大丈夫。別に隠してるとかじゃなくて、単純に恥ずかしかっただけだから」

「そっか。ごめん」


 俺は茉莉綾さんに対して手を合わせて頭を下げた。


「ほ、ホントに大丈夫だって! それもカメラマンさんの仕事のうちなんでしょ?」

「だとしても野暮だったのは事実だから」

「そっか。こっちこそ気使わせてごめん。うん、私ね、子供の頃からダンスは好きだったから」

「そういうのも売りにできないもん?」


 美咲の文学少女路線がウケたみたいに、ある程度のその人らしさは武器になるような気もするんだけど。


「どうなんだろ。ここに来るお客さんはやっぱりエッチなのが見たいわけでしょ?」

「まあ……そりゃそうだね」


 俺は使わなかったけど、個室にもオナホやらゴムやら準備万端だしな。


「先輩さんも私を見て興奮したんでしょ?」

「あー……うん、そうだね」


 答えづらい質問やめて。この間二人で遊んだ時にはパフォーマンスに見惚れたって言ったけど、そういう具体的な聞かれ方をすると流石に返答に困る。


「ダメですよー。こういうのはパッと答えないと」

「善処します」

「お客さんに委縮しちゃった私が言うのもあれですけど、そのつもりでやってるわけですから」

「そりゃそうだけどー」


 実際に口にするのには流石に躊躇するじゃん。


「よく考えてください。カレー屋の店長さんにお店のカレーは美味しかったかって聞かれて、うーんみたいに濁して、店長はいい気分になりますかね?」

「カレーのたとえ、古宮さんもしてたけど何? カレー好きなの?」

「嫌いな人の方が少なくありません?」


 それもそう。だが、言ってることには一理あると思った。当然、外で公然というのは良識がないかもしれないが、こうして面と向かって本人に聞かれているのに返答を避けるというのも不誠実ではある。


「そうだね。すずかさん、エロかったよ」

「どうも! あ、でも改めて先輩さんに言われると、それはそれで恥ずかしいですね」


 じゃあもう俺は四面楚歌だよ。いや、でも実際これから他のキャストの撮影をするにあたって、あまりにへっぴり腰なのも良くない。


「お酒好きなんだからお酒好きアピールとかダメかな、と思ったけど、それは多分ダメだよね」

「一応、制服コスチュームをコンセプトに売ってますからねえ」


 酒煙草好きの非行少女萌えというのもあるかもしれないが、それを売りにするのは流石にリスキーが過ぎる。


「まああれはすずかさんじゃなくて茉莉綾さんだから」

「お、カメラマンさん流石。わかってますねえ」


 自分らしさを多少出した方が良いとは言っても、それは決してパーソナルな部分を全部出せ、という意味ではない。特にこうした仕事では、演じることが最も大事な自己防衛になることもあろう。

 ――というのは、休憩に入る前に片桐さんに聞いたことだった。


 他にも茉莉綾さんについて何か聞き出せないかと思っていると、スタッフルームの扉がコンコン、とノックされた。


「すずかさん、準備大丈夫ですか? 休憩終わりです。ご指名ありました」

「おっと、常連さんかな?」


 茉莉綾さんは椅子から立ち上がり、スカートをぱんぱんとはたく。それから部屋の出口に向かって歩いてドアノブを回しながら、俺にひらひらと手を振った。


「じゃあカメラマンさん、また後で」

「うん、また」


 俺も茉莉綾さんに手を振りかえし、俺もそろそろ何か手伝えることないか他のスタッフに聞きに行くかな。そう思いながら、ふとスマホを開くと美咲からメッセージが届いていた。


『先輩、大丈夫でした?』

『先輩、今どこにいます?』

『私は今待機中です』


 と、そんな風に美咲からのメッセージが連投されている。

 そうか、美咲も出勤してるのか。スタッフルームは主に受付や掃除を受け持つ男性スタッフが使うことになっており、女性キャストは基本的には更衣室でコスチュームに着替えたら、スタッフに挨拶をしてそのまますぐ待機室に行く流れらしいので、気付かなかった。


『オーナーから聞いたと思うけど、即採用だった』

『今はスタッフルームで休んでた』

『個室空いてないみたいだからしばらくは雑用だけど、空いたら個室で見学する』


 俺はそんな風に美咲に返信して、椅子から立ち上がると、受付スタッフのもとで仕事を頼まれることにした。こちらも見学していて分かったが、備品や衣装の管理からオプションの準備、客が帰った後の個室やマジックミラーの清掃など、裏方こそやることは山ほどある。ただ休んでいるよりは自分にできることをした方が良いだろう。


 そうして時折店の雑用も手伝いながら、いよいよ閉店の時間を迎えた。

 美咲は勤務時間を終えた後に俺にメッセージで『先に帰ります』『応援してます』と送ってくれていた。相変わらず、何故だか撮影のこととなると素直だ。


 美咲の勤務時間中、彼女が待機室にいる様子も個室から見学できた。

 片桐さんの言っていた通り、美咲は本を開いて熱心に読書を続けていた。それも割と流行りのライトノベルだし、あれを見て親近感を持つ客もいそうだ。


 実際のところ、待機室で何をやるかはかなり自由だ。ほとんどはスマホを弄っているキャストが多かったが、携帯できるゲーム機を持ち込んで遊んでいるキャストもいたし、俺が遊びに来た時のように他のキャストとお喋りに夢中になっているキャストもいる。何なら船を漕いで今にも寝そうな子すらいた。


 その一つ一つを俺はキャストの名前と一緒にメモしていき、このキャストならどんな写真にするかを考えた。


 そうして写真のことを考えていると気付けば時間が過ぎていたというわけだ。


 営業時間が終わり、キャストが待機室から全員出たところで、他のスタッフと一緒に待機室の清掃をした。基本的には掃除機をかけて、座布団や枕などを換えて、最後にはアルコール消毒をする。

 スタッフ曰く、この辺りはしっかりやらないと片桐さんに激怒されるらしい。印象通り、しっかりしているお人だ。


「それじゃあ、あたしは茉莉綾を呼んでスタッフルームで待ってるからね。終わったら呼んでくれ」


 片桐オーナーは待機室の清掃を見届けるとそう言った。


「片桐オーナーは見ていかないんですか?」

「あたしとあんたの二人に詰められたら茉莉綾も窮屈だろ」


 本当にすっかり信用されたものだ。というより、これも片桐さんの対人術なのかもしれない。


「安心しな。何かあったら容赦なくあんたを警察に突き出すから。ウチはこれでもクリーンでやってるんでね」

「わかりました」


 撮影用のカメラをどうするか、片桐さんと相談した。デジカメは店用の物があったが、そこまで新しい機種でもないし、今ならスマホの方が綺麗に撮れると判断した。


 流石に撮影に使うのは店のスマホを使わせてもらうことにした。片桐さんは、別に俺のスマホで構わないと言ってくれたけれど、俺は未だに美咲の写真を消せていない。厳密には、撮影した日に一度ゴミ箱に捨てたのだが、後で全部復旧した。そんな脆弱な意志で他のキャストの写真を撮るわけにはいかない。


 写真のことも相談し終わって、俺は待機室から出ていく片桐さんを見送った。

 さっきまで女の子達が詰めていた部屋の中に、俺は一人ポツンと残される。

 さて、これからがいよいよ本来の初仕事である。改めて緊張してきた。美咲や古宮さんを相手にしている時とも違う意味でドキドキする。


「失礼します」


 待機室に繋がる廊下から、茉莉綾さんの声がした。


「改めてよろしく、茉莉綾さん」

「あ、あれ? そっちで行くんです?」

「まあ一応キャストの時間は終わりだから」


 撮影するのは、すずかとしての写真ではあるが、キャストの魅力ある写真を撮るには、ここで線を引き過ぎるのも良くない。


「じゃあ、こちらこそ。先輩さん、よろしくお願いします」


 茉莉綾さんはそう言って、待機室の入り口で深々と頭を下げる。


 カシャリ。

 俺はスマホを構えて茉莉綾さんを中心に捉え、シャッターボタンをすかさず押した。

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