アパート自室、ある日の撮影①

 目が覚めると、布団の上でスマホが震えていた。ラブホからアパートに帰るまでの電車に乗る時にスマホをマナーモードにしたままだったから、着信音もなくバイブで震えている。

 スマホの画面には、美咲の名前が表示されていた。


 俺は通話ボタンを押す。


「もしもし?」

『おはようございます先輩。後、おかえりなさい』

「おう、ただいま」


 俺はあくびをして布団から上半身を起き上がらせた。時刻はもう午後6時。帰って来たのが1時過ぎだったから、かなり爆睡していたらしい。


『ゆうべはお楽しみでしたね』

「うん、まあ」


 と、そこまで答えてから、美咲のその台詞が某有名RPGで勇者が姫と一夜を共にした時に宿屋の主人から発せられた有名な台詞であることに気づく。


「俺はやってない」


 今度は痴漢冤罪を叫ぶフリーターみたいな台詞になった。


『その辺り、先に古宮さんからある程度仔細は聞きました。相変わらずヘタレ童貞ですね先輩は』

「言ってろ」


 俺がどれだけ理性と本能の狭間で戦ったと思ってるんだ。


『違うんです。そんなことが言いたいんじゃなくて』


 じゃあ何を言いたいのか。俺はもう、こいつに色々な角度から嘲笑され罵倒される覚悟はできている。


『お腹すきませんか? 帰ってからご飯食べてないですよね』

「まあ、今起きたばっかだし」

『コンビニでなんか買っていくので、先輩の家行っても良いですか?』


 美咲のその言葉に、少し寝ぼけたままだった俺の頭が一気に覚醒した。


「美咲、俺の家知ってたっけ?」

『知らないので教えてください。一人暮らしですよね?』

「そう。え、マジで言ってる?」


 この時間だと、今日は今から食べるにしても、もう外に出るのもめんどくさいから、カップ麺のストックを食べることになりそうだったし、来てくれるならそれは普通に助かる。


『先輩? 大丈夫ですか?』

「大丈夫。住所送る」


 俺は美咲宛に、自分のアパートの住所をメッセージで送った。


『ありがとうございます。何かリクエストあります?』

「からあげ」


 俺はコンビニ弁当を食べる時は、ほぼ決まってレジ横のフライヤーにある唐揚げを買う。


『了解しました。後は適当になんか買ってきますね』

「おっけー。こっちこそありがとう。助かる。じゃあお前来るまで部屋適当に片付けとくわ」


 言って、買ったばかりの本の山や、ピンチハンガーに吊るしっぱなしの洗濯物が目に入った。


「急だから多少散らかってたらごめん」

『私は先輩の部屋がイカ臭くなければ大丈夫です』


 おう、ふざけんな。


『少し頼みがあるのですが、それはそちらに伺ったら話します』

「頼み?」


 こいつの口から頼みとか聞くと良い予感はしない。


『じゃあ先輩、また後で』

「わかった。待ってる」


 美咲との通話を終え、俺は改めて部屋を見回す。幸い、めちゃくちゃ汚くしているわけではない。この間、部屋に散らばるゴミは掃除したばかりだったし、面倒で片していなかった本やらゲーム機やらを押入れにしまえばある程度綺麗に見える。洗濯物はさっさと畳んで押入れにしまった。


 トイレや洗面台まわりも掃除したいところではあったが、そこまで手を出す前にピンポーンとインターホンが鳴ってしまった。


「お邪魔します」

「おう、いらっしゃい」


 美咲は中にコンビニで買った弁当や惣菜の入っているのが見えるショッピングバッグと、何やら大きめの紙袋を手にしていた。


「何それ」

 俺が紙袋を見て尋ねると、美咲は「これは後で」と、軽く流した。


 美咲を部屋の中に案内し、来客用の座布団に座らせた。100均で買ったものだからそう高いものではないが、割と座り心地がよく気に入っている。


「ソファとかあれば良かったんだけどごめんな」

「いえ。お気遣いありがとうございます」


 美咲は座布団の上に一度正座した後、少し足を崩して横座りになった。


「因みに、先輩は男女がそれぞれの家に行くことはセックスの合意という話をどうと思います?」

「化石」


 正直、さっき美咲から電話をもらった時にそのようなことも頭を過ぎったが、それはかなり古めの考え方だろう。

 普段俺が寝起きしている部屋に美咲がいる妙な落ち着かなさを感じるのもそれはそれで事実だが、それをわざわざこいつに伝えることはない。


「色々要因はあると思うけど、まあバブルとかその辺の価値観が生き残ってるだけじゃねえかな」


「なるほど、つまり先輩は私を部屋に入れたけれどセックスの意思はないと」

「あー……まあ」


 正直、俺は美咲なら良い。というか美咲が良いのだ。とは言うことができず、口ごもる。


「女性とラブホ行ってもヤらなかった人ですからね」

「お前、それ言うために来たの?」

「それもありますが、電話でも言った通り頼みがありまして。とりあえずコンビニ弁当です。ご所望の唐揚げもあります」

「ああ、ありがと」


 美咲が買ってきてくれたのは、カルビ弁当だった。美咲自身はおにぎりを二個と唐揚げだ。


「古宮先輩の写真、良いの撮りましたね」


 おにぎりを食べながら、美咲が言った。


「元カレに送る写真としては上々だろ」

「ええ。でも先輩、よく古宮先輩から服剥ぎ取っておっぱい晒させましたね」

「あん時はそれが良いと思ったんだよ……」


 それと剥ぎ取ったわけじゃねえ。


「わかってます。リアリティ、ですよね」


 美咲はうんうんと納得するように首を縦に振った。


「実際、あの写真のリアリティはすごかったです。本物のハメ撮り写真にしか見えませんでした」

「本物……」


 美咲の言葉が、俺の心にズキリと突き刺さる。

 こいつは本物を知っているのだ。もしかしてこいつがセックスをした時も、今みたいに相手の家に行ったのか? こいつが男の部屋に物怖じしてないのはそのせい? そうしたことについて追求しようと思っても、怖気付いてしまう。これじゃあ確かに、正真正銘のヘタレだな、と俺は小さくため息をついた。


「あそこまでなら、寝取りビデオレターでも撮れば良かったですね」

「あれぐらいでちょうどいいんだよ、多分」


 俺は自分の胸の辺りを自分の手でぐっと抑えて、平常を保とうとなんとか心を落ち着かせた。

 古宮さんの目的は、元カレがバイト先にまで来てヨリを戻したがっていることに対して、無理だと突きつけることである。

 別にいたずらに刺激したいわけじゃない、はずだ。


「先輩、写真は結構撮るんですか?」

「いや全然」


「すずかちゃんからは、先輩は写真にも興味があるみたいと伺いましたが」


 そういやそんな話、茉莉綾さんとしたな。


「そりゃスマホもあるし、人並みくらいには撮ると思うよ。旅先とかで作品の資料とか部誌の表紙や挿絵に使えそうなもんとかを撮るけど、それくらい」

「Web小説の表紙とか、写真で作ったりしてますもんね。あれ先輩自身が撮ってたんですか」

「フリー素材もあるよ。まあでも半分くらいはそう」


 美咲の言う通り、Webに投稿している小説のうち、俺は表紙などを設定できるサイトでは、フォトショップなどのアプリを使って自作の表紙を載せたりしている。

 しかしそういうの、こいつは本当によく見ている。嬉しいやらこそばゆいやら。


「それで先輩、頼みというのがですね」


 俺と美咲、二人とも飯を食べ終わったタイミングで美咲がそう切り出した。

 そういえば電話でもそんなことを言っていた。こいつの頼みというだけでろくなことに思えないのは否めないが、せっかく来てくれたんだ。聞くだけ聞こうと俺は美咲に向き直る。


「私の写真も、撮ってもらえませんか?」

「お前の?」


 俺は何を頼まれても驚かない気でいたせいで、逆に少しだけ拍子抜けする内容のように感じてしまった。


「はい」

「何の?」


 古宮さんみたいな写真を同じように撮ってくれ、と言われたら困る。


「これです」


 美咲は、自分の持ってきた大きめの紙袋の中から何かを取り出した。


「それって、あれじゃん」


 美咲が紙袋の中から出したのは、制服だ。本物の制服ではない。美咲が今キャストとして働いている店で、キャストが待機室でスタンダードに着ている女子高生の制服風コスチュームの一つだ。ブレザータイプの制服で、俺が店で茉莉綾さん──すずかさんを指名した時に彼女が着ていたものに近い。


「はい。お店に頼んで、借りてきました」

「わざわざ?」

「そうです。これを着ている姿を、先輩に撮ってほしいんですが」

「お店でじゃなく?」


 店のスマホを使ってキャストの姿を撮影するコースは、オプションの中にも入っている。後々データを客のスマホに送るようになっているらしい。


「お店のHPに載せるような写真を撮ってほしいんですよね」


 美咲はそう言って、自分のスマホから見学店のHPを見せてくれた。キャストの顔は加工して隠しているが、在籍している女の子達の自撮りやお店での写真が確かに載っている。


「宣材写真ってやつ?」

「正確にはそれとも違うんじゃないですかね。どういう子がいるかの紹介だけです。あそこの店は、指名する前にガラス越しでキャスト本人が見れるし、盛り過ぎても素朴過ぎてもいけないんですよね」

「これって誰が撮ってんの」

「主にお店のスタッフが撮影したものを載せてます。私のはこれです」


 美咲は在籍キャストの中から、自分の写真までページをスクロールした。

 他のキャスト同様、顔はわからないようになっているが、写真の紹介ページには美咲の店での名前である「ありさ」の名前が記されているし、顔が見えなくてもその体は確かに美咲のものだな、というのが彼女を知る俺には何となく見て取れる。


「これじゃ駄目?」


 美咲の写真は何枚かあるが、顔も隠れているし、こういうのはそこまで気合いを入れて撮るものでもないのだろう。


「駄目じゃないですけど、もっと良い写真には全然できるのではないかと」


 それで俺が撮影を?


「お店の中じゃなくていいの?」

「オーナーに話したら、場所が特定されないのであれば使うことも検討してくれるとのことでした。ほら、あそことか良い感じなんじゃないですかね」


 美咲は俺の部屋の角を指差した。俺の部屋は家具も少ないし、目立つものは特に何も置いてないから、アップで撮ってしまえばどこで撮ったのかなんて注視しなくてはわからなそうだ。


 だが、俺はまだやるって言ってないからな。


「古宮先輩だけズルいです。あんな良い作品にしてもらうのは」


 ──そしてこいつは、そういう言い方が本当にズルい。

 食事も買ってきてもらったし。

 俺は座布団の上に座る美咲を見る。

 美咲の写真は俺も撮りたい。それも俺の部屋での撮影など、やりたいに決まっている。


「わかった。やろう」

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