ラブホにて、ある日の深夜④

 古宮さんに乗られたまま、俺はちらりとソファの方を見た。

 さっき開けた缶チューハイ以外の缶は一つも空いていないが、日本酒の酒瓶が開いている。

 俺がシャワーしてる間にちょっと飲んだなこの人。


「酔ってます?」

「多少」


 古宮さん、バイトの飲み会の様子なんかを見ていても、酒にそこまで弱いタイプではないが、ラブホという環境の中で酒が入っているせいで若干テンションが上がっているのは確かだと思う。


「そんなすぐ酔いってまわんないよ?」

「だとしても気持ちが上がってるのはそうでしょ」


 そんなことを言いながら、俺は少しずつ自分の心を落ち着ける。落ち着け。密着はしていても、別に情欲を大きく煽られたことをされたわけじゃない。いや、それは嘘だろ。だってこの人も俺も今ほとんど裸だぞ。おっぱいでけえな。こうして近くで見ると、古宮さんの肌はかなり綺麗で手入れされているのがわかる。塾講師のバイトがあるので、普段から化粧が濃い方ではないけれど、シャワー後かつ酒の入った艶のある火照った肌にはかなりの魅力を感じる。

 と、そんな感じで、頭の中ではひっきりなしに理性と別のいらん何かがぶつかり合っている。


「あれ? 君、勃起してる?」

「するなって方が無理でしょ! しますよ!」


 完全に逆ギレだった。我ながら情け無い。後、古宮さんも簡単にそういうこと言わないの。


「ほら! 撮りますよ!」

「お、おう」


 古宮さんは若干ヒいた様子に見えたが、こんなことはさっさと終わらせるに限る。


 俺は古宮さんに渡されたスマホを彼女に向けた。既にカメラアプリが起動している。スマホのカメラ越しに見る下着姿の古宮さんの顔とその奥にうつる天井が、写真の一場面としてえるな、などと考えていると、少しだけ気持ちが落ち着いた。


「待って。もうちょっと下がるから」


 古宮さんが俺を跨いだまま、少しだけお尻を上げて、股間の近くに座り直す。


「わざとやってます?」

「多少」


 さっきから確信犯なんだよこの人。


「後、下にいる男も見えないと意味ないからさ。脚を上げてくれない?」

「こうですか?」


 俺は言われた通りに脚を曲げた。スマホの画面の中に、俺の生脚が映った。


「じゃあもういきます」


 俺は改めてスマホのカメラを古宮さんの顔を中心に据える。


「あ、待って。そっちの手ちょうだい」


 古宮さんが、スマホを構えていない方の俺の手を取った。指と指を一本ずつ、自分の両手を組むような形で絡ませる。


「駄目押しの恋人繋ぎ」


 ほんとにこの人はもう。


「もういいですね? 撮ります」


 俺は今度こそシャッターボタンを押す。


 そしてスマホからのカシャリという音が耳に届いた瞬間、俺は思い出した。あの日、部室で美咲が俺にNTRネトラレ報告をした時のことを。


 そうか、これがハメ撮り写真ってやつだ。こっちは嘘だけど。

 あの日、美咲はハメ撮り写真も撮ったと言っていたけれど、あいつもこんな風に写真を撮られたりしたのだろうか。そうだとすると、今みたいにあいつが上だろうか、それとも下だろうか。何となく、下なんじゃねえかと思う。


 あの時のショックを思い出し、心の中がぐちゃぐちゃになる。

 俺はあいつの先輩でしかなくて。あいつも何なら俺がセックスをすることを唆したりもしたわけで。というか、俺の上に乗っているこの人が、あいつが唆したその人なのだが。あいつはどこでセックスしたのだろう。ラブホとは言ってなかった。あの動画の音声もっと聞いとけば良かった。俺があいつのことを好きだとしても、それで俺があいつに執着することあるか?

 ぐるぐるぐるぐる。シャッター音がトリガーになって、言葉になるものからならないものまで、色々な想いが俺の中を駆け巡る。

 ああクソッ。頭の中のエラーコードが思考の邪魔をする。


 俺は自分の感情を誤魔化すように、もう一度スマホを構え、シャッターボタンを押した。

 古宮さんの顔と身につけたランジェリー、俺と握ったお互いの手に、彼女の後ろに映る俺の脚。全てが一枚の写真の中に収まる。

 それ自体はかなり扇情的な絵面であり、彼女の恋人の存在を証明するものとしては充分な気がしたが、何か不自然なものを感じる。


「古宮さん、下着邪魔じゃないですか?」


 その答えは、考えるより先に俺の口からすぐに出た。

 古宮さんは俺の言葉に一瞬目を丸くしたが、「言うじゃん」と、すぐにまた口元をニヤリと歪ませて、俺から手を離す。そしてランジェリーに手をかけて、一息にそれを脱いだ。

 俺はスマホの画面から目を離さない。画面越しに、下着で圧迫された古宮さんの大きく張りのある胸が解放されるのを見る。

 何も身につけていない古宮さんの上半身が、画面の中に収まる。それはやはり一つの作品のようだと思って、画面の中心に映る彼女に俺の目線が引き寄せられる。

 古宮さんは下着を脱いですぐにまた俺の手を取り、指と指とをゆっくりと絡める。心臓の鼓動の音がどれだけ速まっているのかなんて、もう気にならなくなっていた。きっと、お湯を浴びてすぐのせいだ。自分の顔の火照りが、鏡を見なくたってわかる。


 俺と古宮さんは、絡むお互いの手をわざとらしく持ち上げる。


 俺はシャッターボタンを押した。急いで撮ったせいで、撮影の際に少しだけ写真がブレたが、撮られた後の写真にはすぐブレ補正がかかる。

 リアリティだ。この写真には、リアリティがある。

 最初の写真は状況証拠ではあるけれど、男女ふたりがラブホにいるという事実があるだけ。そしてその後に撮ったハメ撮り風の写真も中々にインパクトがあるだろうけれど、俺の脚の曲がりにしても、ランジェリー姿のままセックスをする古宮さんの姿にしても、少しばかり不自然だ。

 それに比べ、今撮った写真は、手ブレをする目線や裸で男の上に跨る彼女、そして被写体の火照って赤く染まる顔と、実際にセックスをした男女のそれだというリアリティがある。

 けれど、真にリアリティだと言うのなら──。


「ねえ」


 写真を撮り終わり、カメラを下に下げた俺から、古宮さんはスマホを取り上げた。


 先程まで画面越しに見えていた彼女の胸が、俺の目に直接飛び込んでくる。


 古宮さんはそんな俺の顔に、自分の顔を少し近付けた。


「盛り上がってきたんなら、本当にしちゃう?」


 そうだ。真にリアリティというなら、本物の写真に勝るモノはない。あくまで俺が撮った写真はハメ撮り風の写真。本物じゃない。


「わたしはいいよ?」


 古宮さんと俺の顔が、更に近付いていく。彼女は髪をかき分けて、ゆっくりとその唇を開けて、俺の口元まで持っていこうとする。


 このまま俺が彼女を受け入れれば、それはもうそういうこととしての合意になる。


 ──私、先輩の小説好きなんですよ。


 血の巡りと、シャッター音という気持ちのトリガーと、目の前にある古宮さんの性的な魅力とで、頭の中がぐちゃぐちゃに掻き乱されている中、俺の脳内にそんな言葉が再生された。


 あいつはめちゃくちゃなことばかりしてくる。常識も良識も欠けている。けれど、あいつのこの言葉が方便ではないことは、あいつのことを見ていればわかる。いや、実際にどうかはどうでもいい。

 俺は、そう思う他ない。そう思っている。


「すみません、古宮さん。ちょっと調子に乗りました」


 俺は近づいてくる古宮さんから、顔を背け、横を向いた。依然として彼女のお尻の感触と重みだけは感じるが、俺の目に映っていた彼女の暴力的なまでに魅力のある体は、俺の視線から外れ、俺の目にはただ、壁だけが映った。


「終わり。終わりです」

「本当に?」


 古宮さんの声が俺の耳に届く。まだ顔を上げていないのだろう。そう言った彼女の吐息が、そのまま俺の耳と頬にかかった。


「すみません。情けなくて。でも、古宮さん良い顔してました。正直、かなり魅力的でした。でも、終わりです」

「……そっかー」


 古宮さんは溜息をついて、俺を踏んでいたお尻を上げる。そのままポスンという音がなった。俺を圧迫する彼女の重みはなくなった。布団に座り直したのだろう。


 俺もゆっくりと上半身を持ち上げて、乱れたバスローブの下部分を整え直した。


「でもあれよ? キツいんならヌくの手伝うよ?」

「それやったら同じじゃないですか」

「同じじゃないって。ほら、ソープって風俗店じゃないって知ってた?」

「理詰めでエロいことしようとすんのやめてくれません?」


 割と俺にはその手効くっぽいから。

 あれね。風俗店は本番なしで、ソープ嬢はあくまで入浴の補助がサービスってやつ。実際に本番行為をするのは、名目上は許されたことではないが、たまたまそういう関係になり、たまたまやってしまったんだという、そういう立て付けね。知ってる知ってる。


「勝手にこっちはこっちで処理しますんで。すみません。何度も言うようですが、古宮さんは魅力的です。俺が情け無いだけで」

「そういうこと言えるのは君の美徳だとは思うけど、あんますみませんすみません連呼するもんじゃないよ」

「それは、そうですね。ありがとうございます」

「……そういうとこだよねえ。ねえ? やっぱりしない?」

「しません」


 改めてそう口にすると、少しずつ冷静さが戻ってきた。さっきまでは勃起していた股間も、いつの間にか膨張をやめて萎んでいる。


「わかったわかった。美咲ちゃんには君が私の下着剥いたってことは黙っといてあげるから」

「剥いてはないんですよ。後、別にそれは言っていいです」

「そう?」

「写真のリアリティのことを考えたら、下着してるのは不自然だなって、そう思ってのことなので」

「あ、やっぱり? わたしもそう思った。だけど、それ言っても君にはやめてくださいって言われるかと思ったからさあ。君の方から言ってくれて助かった」

「どういたしまして」

「いたしまして?」


 雑な下ネタのフリやめろ。


「でも、言わないでおくって言うなら、別にここで実際にいたしてもさ。言わなかったらしてないのと同じじゃない? シュレディンガーの童貞だよ」

「古宮さん怒ってます?」


 下ネタの雑さが段々エスカレートしている。


「怒ってはいないけど、さっきのあれはまあやめた方が良いと思ったよね。相手焚き付けといていきなり顔を背けるとか、他の子には絶対しちゃ駄目だからね。後、怒ってるかどうかも聞いちゃ駄目」


 怒ってるな、これ。


「すみません。いえ、覚えときます。ありがとうございます」

「こんにゃろ」


 古宮さんは俺のへその辺りをえい、と軽く殴った。痛い。


「まあ最初に焚き付けてんのはわたしの方だし、よしとしよう」

「それ、俺は同意しにくいじゃないですか」

「したらもう一発殴る。それはさておいて、実際そこんとこどうなの?」

「そこんとこ、とは?」

「シュレディンガーの童貞」


 ああ。その言い方はやめた方がいいと思うけど。

 俺は古宮さんの目を見て答えようと彼女の方を向き直し、彼女がまだトップレスで胸を曝け出していることに気付いて、また目を逸らした。


「俺の、気持ちの問題ですから。高校生が今までに恋人がいたことあるかどうかって聞かれて、半数以上がいるって答えるのと同じですよ。それが実際に証明不可能でも、したことは心に残るので」

「そりゃそうだー」


 古宮さんは、バタンと背中から布団に倒れ込んだ。


「そんなに美咲ちゃんのこと好き?」

「……ま、まあ」


 くっそ、答えづらい。


「美咲ちゃんもだいぶおもしれー女だけど、君もとんだおもしれー男だよね。ある意味お似合いだわ。面白いから遊ばせてもらうのはやめないね」

「それで言うなら、古宮さんもだいぶおもしれー女ですからね?」

「ふふん、まあね」


 豪胆な人だよ、本当に。


「とりあえず服着よっか。やらないならしょうがない。あ、それともこのままの方がお好き?」

「いや、着ましょう。俺もこのまま今の理性を保つ自信はないです。抜くの手伝ってくれませんか、くらいは言いそう」

「繰り返すけど、わたしは別にいいよ?」

「繰り返しますが、遠慮します。目的の作品は作れたから達成ってことで」

「作品? ああ、写真のことか。なるほどね。おかげでめちゃくちゃ良い写真は撮れたしね。改めてありがとうね」


 言って、古宮さんは布団の上のランジェリーを掴んで、もう一度身につけた。それから自分の鞄の中にしまっていたワンピースも取り出して、スポンと着る。

 俺も古宮さんに倣い、シャワーの前に脱いだ服やズボンを拾い、その身につけた。

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