学食にて、ある日のランチ

 午前の講義が終わり、大学の食堂で食べようと昼食を買って席を探していると、美咲が一人、窓際の席に座っていた。


「ここ、いい?」


 俺が美咲に話しかけると、美咲は一瞬びくんと肩を震わせたが、俺の顔を見るとホッと一息ついた。


「先輩でしたか。驚かせないでください」

「座るよ」

「駄目です」

「ええ……」

「冗談です。どうぞ」


 返答を聞き、俺は美咲の向かいの席に座った。

 美咲のランチメニューは、ざるうどんとメンチカツだった。うどんの方はもう半分くらい食べ終えている。


「先輩と学食で会うの珍しいですね」

「俺、大体弁当だからな」

「自炊ですか?」

「そう。今日は午前の講義でレポート提出があったのに仕上げてなくて、急いで仕上げてから来たから」

「なるほど」


 美咲は納得したように首を縦に振った。


「先輩、お米食べないんですか?」


 美咲は俺のトレーの上を見て尋ねた。俺のトレーの上に広がる今日の昼食は、揚げ出し豆腐に鶏天にレタスとキュウリのサラダである。


「昼だけ。朝と夜は食べる」

「炭水化物ダイエットとかいうやつですか」

「そうそう。去年の今頃くらいから何となく始めた。プラシーボ効果もあると思うけど、昼に米とかパン抜くと体の調子もいい気がするから続けてる」

「へえ。プロテインとか飲んだりするんですか?」

「一時期買ったこともあるけど、あれたけぇからやめた。別にガチで体作りしてるとかじゃないし」

「先輩、体使う機会ないですもんね」

「うん、ない」

「夜の体力とかもいらないですもんね」

「うるせえな!?」


 あんまそっちの方に舵を切らなかったから、流石に学食みたいな皆の目があるところでは控えてるのかと思ったらふざけやがって。


「それとも、もしかしてヤっちゃったりしました?」

「してない」

「すずかちゃんとは? デートしたんですよね?」

「してない。いや、デートはした。ヤってない」


 最後の方、酒のせいもあって、ちょっとだけ理性が危なかったかなーとは思うが、そこまでこいつに言う必要はない。

 俺は揚げ出し豆腐を箸で切って、ぱくりと一口いただく。


「私というものがありながら。プレイボーイかつヘタレとはおみそれいたしました」

「してねえって言ってんだろが」


 後、それお前が言う権利ねえからな。他の男とセックスして、それを報告してきたクセに。いや、他の男って別に俺はこいつの彼氏とかではないが。


「でも、すずかちゃんを指名した後とか一人でしますよね?」

「するけど、その辺のことあんま掘るな」


 そしてやっぱり一応部室や古宮さんの家の中にいる時よりはちょっと表現を控えめにしている辺り、こいつにもある程度の常識が存在することを改めて感じる。


「それって実質ヤってませんか?」

「お前のその理屈だと、AV観て一人でする奴は皆セクシー女優としてることになるけど?」

「違いますか?」

「違うだろ、全然」

「概念的に絶対違うと言い切れますか。当然、その二つが別物なのは私だってわかっています」


 流石にそりゃそうでないと困る。

 俺は鶏天に醤油をかけて食べ始めた。学食の天ぷらも中々に旨い。少しくらい時間が経っても衣のサクサク感は健在だ。


「ですが、すずかちゃんが自分自身を性的に見ることを望んでいて、その上で先輩も彼女のことを性的な目で見る。これはもう合意と言っていいのでは?」

「その話、本人ともしたんだけどさ」


 俺のその言葉に、美咲が座ったまま椅子の背もたれに両手で寄りかかり、ヒく仕草をした。


「何話してるんですか。先輩に良識というものはないんですか」

「その言葉、そっくりそのまま返すが!?」


 良識がねえのは間違いなくお前の方だよ。


「茉莉綾さんはあくまで仕事だろ。そこに茉莉綾さんは線引きをしてるし、俺だってそうだ。そりゃその線引きは気にしなけりゃ見えない曖昧なものなのかもしれないけど、その辺なあなあにしたくはないだろ」

「先輩のクセに色々考えてるんですね」

「謎の罵倒」

「それと先輩、茉莉綾さんって呼んでるんですね」

「お前らは同僚だから良いかもだけど、俺がすずか呼びのままだとそれこそ客とキャストの距離感の線引きミスってるだろ」


 それで思い出した。茉莉綾さんに聞いたことだ。美咲が見学店で働くことにしたのは期間限定のつもりだということ、それにオーナーから系列店のデリヘル嬢としてスカウトもされているということを。


「なあ、美咲」

「なんですか」

「茉莉綾さんから聞いたんだけど、お前あの店そう長くは続ける気ないんだって?」


 美咲は即答しなかった。美咲は椅子の背もたれに置いていた両手を離して普通に座り直すと、顎に片手をあてて少しだけ考える素振りをした。

 俺はそんな美咲を横目で見ながら、サラダにドレッシングをかけて口に運んだ。


「そうですね。あれは先輩を驚かせるのが主目的だったので」

「そうだとは思ったけど本当にそうなのかよ」

「先輩と二人であの店に行った時、私もああいう店に行ったのは初めてでしたし。その時にキャストとして働いたら面白そうと感じたのもあります。それに」

「それに?」

「先輩は逆立ちしてもキャストとして働くことは出来ないので、先輩が出来ない経験なら私がすれば良いな、と思いまして」

「なるほど」


 そう。こいつはこういうことを言う奴だ。NTR体験に限ったことじゃない。部室での俺との創作談義にしても、こいつは俺の代わりに考えられることを考えているつもりが多々ある。


「後は系列店とかいうのにも誘われてるって聞いた」

「それも聞いたんですね」

「お前のことだから、それも勝手にポンポン決めるかと思ったけど、即決はしなかったって?」


 見学店も風俗営業の一形態と言われればそうだが、茉莉綾さんも言っていたように一つの線引きがそこにあるのも確かだ。


「指名客との行為を、先輩に報告するのは面白そうだとは思いましたが」

「だろうよ」

「先輩、古宮さんを拒絶したじゃないですか」

「拒絶はしてない」


 いや、性行為という意味では確かにノーを言ったんだけど、その言い方には語弊があると思う。


「あの日にも、先輩には手加減するって言いましたけど」

「言ってたな」

「そのことを考えたんですよね。先輩って何がダメなのかと」

「俺、多分そんな特殊なことは言ってないよ?」


 出来ることなら性的なことは好きな子としたいし、その為に他の人とはそういう関係にはなりたくはない。それは別に、そんなに変な価値観だとは思わないが。


「ヤれるなら誰でもいいって人もいますよ」

「俺は嫌だって前も言ったろ」

「ハプニングバーとかも先輩とご一緒するとかも考えたんですが、嫌ですかね」

「それは……程度による」

「私が誰かとヤるのは?」

「それはお前──」


 お前の好きにしろよ、と言いかけて俺は茉莉綾さんとの会話を思い出した。


 ──嫌なら嫌って言っていいんじゃないですか?


 俺は美咲と付き合っているわけじゃない。そういう行為をしたことがあるわけでもない。何なら、本当にしたいのか自分でもよくわからない。


「俺は嫌」


 ──なので、言った。言ってから、やっぱり格好悪い気がして誤魔化そうとするのも我慢した。我ながら情け無い性格だと思う。


「そうですか」


 美咲は俺の言葉を聞いてまたさっきと同じように顎を抑えて数秒考え込む。それから鼻を鳴らして、少しだけ面白そうに笑った。


「まあ、そうじゃないとNTRネトラレ経験になりませんし」

「お前ふざけんなよ」


 お前はこの期に及んでそういうこと言う?


「でも、わかりました。ヘタレの先輩の意見を尊重することとしましょう」

「ヘタレは余計だ」

「全く。先輩のせいで麺がカピカピになっちゃうじゃないですか」

「知らん」

「ガビガビじゃないですよ?」

「どういうことだよ!?」


 美咲は俺の反応を、今度は声に出して笑う。そしてすっかり固まって塊になってしまった麺をゆっくり丁寧に解いていき、一口分をつゆに浸してちゅるちゅると啜った。


 別にハプニングバーに行くようなカップルだって、恋人が風俗で働くようなことだって、全部が全部を否定したいわけじゃないだとか、そういうことを口にしようとしたが、全てロクな言葉の出力にならなさそうで、俺は静かに口を噤む。それから残った昼食を黙々と口に運んでいき、飲み込めなさそうなら水で流し込んだ。


「人がうどん食べる様子見ておかずにするのやめてください」

「そんなことしてないが」

「先輩がお米なしでも大丈夫な理由がわかりました」

「違うが」

「まさか女の子を主食にしているとは」

「語弊しかない」

「じゃあ、私は次の講義もありますから」


 と、美咲は最後に残ったメンチカツの一切れをぱくりと食べて、自分のトレーを持ち上げて椅子から立ち上がった。


「俺も次あるよ。ちょっと待て」


 俺は残りのサラダをかっこんで、美咲に続いて立ち上がる。


「お前次何なの」

「教養科目で、それが終わったら今日終わりですね」

「そっか」

「先輩は?」

「俺はこの後経済系の講義で、その後もある」


 俺と美咲は二人でトレーを返却口まで持っていき、食堂を出た。


「では先輩、また部室で」

「ああ。また」

「今日出勤なのでお店でも良いです」

「うるせえ、早く行け」


 俺と美咲は各々、自分の教室がある棟に行くために別れ、昼食後の眠気を抑えながら講義に向かった。

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