喫茶店より、ある日のデート①

「今日はお誘い、ありがとう」

「いえ、こちらこそお時間取っていただきありがとうございます!」


 午後の講義のない平日のお昼時、俺は茉莉綾さんに呼ばれて、大学最寄りの駅から30分程電車に揺られた先の駅前にある喫茶店に来ていた。

 茉莉綾さんも大学生だそうなので、スケジュールを合わせるのはさほど難しくはなかった。


「ここのクリームソーダが絶品なんですよ。先輩さんもどうぞ」


 と茉莉綾さんは自分で一口飲んだクリームソーダを渡してくれた。

 俺は少しだけ遠慮も感じながら、煌びやかな緑色のクリームソーダにささったストローに口をつけて味をみた。


「ほんとだ、美味しい」


 かなりの絶品だ。わざわざ彼女が指定して来たかっただけはあるということか。単純に、客も多くなく、職場や大学から程よく離れた場所だからというのもあるだろうが、これ目当てに訪れるのも悪くはない。

 俺は普通にブレンドコーヒーを頼んでいた。正直なところ、こちらは普通で、古宮さんの淹れてくれたコーヒーの方がいくらか美味しい。というか、あの人のコーヒーが美味し過ぎるのだが。


「ここはよく来るんだ?」

「よくってほどでもないですが、待ち合わせ場所にはしやすいですね。実際、入ってすぐ私ってわかったでしょ」


 今座っている席には、茉莉綾さんが先に来ていた。お店で着ている制服風の衣装とは違い、首元にリボンをつけた、花柄のガーリーなワンピースだったから一瞬でわかるというわけにも行かなかったが、喫茶店に入って向かいの奥まった席に座る彼女の、で見慣れた顔を見つけるのには、そう時間はかからなかった。


「逆に茉莉綾さんはよく俺ってわかったね」


 俺が茉莉綾さんを見つけて近くに向かうと、近づいて来た俺にすぐに気付き、彼女は立ち上がってお辞儀をしてくれたのだった。

 そうした所作の一つ一つにドキッとするのが、店の中で見る彼女の魅力に繋がっているのだな、と思う。


「先輩さん、迷わず一直線に向かって来てくれたので」

「もし違ったら?」

「それは私がちょっと恥ずかしいだけなので」

「なるほど?」


 俺が初めてお店に行った時におどおどしていた人と同一人物とは思えない胆力だな、と思った。こちらの性格の方が、本来の彼女なのだろう。


「でも、こういう喫茶店好きってのも渋いね」

「そんなこともないですよ。割と今の若い子にはこういうクラシックな喫茶店も人気ですから」

「そうなの?」

「昭和レトロとか純喫茶ってのがトレンドでして。SNSでも戦略的に宣伝をしているお店も多いです。このお店も毎週しっかりSNSにお店の様子をアップしてて、投稿にはかなりの反応がつきます」

「確かに俺らの世代だと物珍しさもあるもんな」


 俺も大学近くにあるちょっと古めのゲームセンターとかCDショップだとかに思わず顔を出したことがあるので気持ちはわかる。

 CDプレイヤーなんて持ってないくせに、量販店やチェーン店とは一味違ったお店の雰囲気に惹かれるところがあるのは確かだ。


「それで俺、CDプレイヤー買っちゃったもんな。そんなにCD買わないくせに」

「わかりますー。なんか惹かれちゃうんですよね。使い捨てカメラがちょっと流行ったことあったじゃないですか。私、あの時も流行に乗っちゃって」

「あー、俺も買ったなー。写真にも興味あったけど高校生の時だったから、高いカメラには手出せないけど、これならいけるなとか思ったりして」

「同じです。いやー、お店にくるお客さんってちょっーと歳上の方が多いから、こうやって話が合うのも新鮮です」

「そもそもお客さんと外で会ったりするの?」


 俺の質問に、茉莉綾さんは確かに、という顔をして答えた。


「あー、そうか。あんまり、というか全然しないですね」

「お店の他のキャストとかは?」

「そこまで仲の良い子もいない、かなあ。あ、ありさちゃん──美咲ちゃんとは仲良くなりましたよ!」


 茉莉綾さんの口から出てきた美咲の名前に、少しだけ冷や汗をかいたような気がした。あいつ、結局俺のことどんな風に言ってたんだろう。


「美咲ちゃん、先輩さんのことは尊敬できる先輩だって言ってましたよ」

「嘘だ」


 あいつが? 俺のことを?


「本当ですよー。お店のキャストとして働いて、その経験を先輩さんと共有できたら嬉しいとも言ってました」


 俄かには信じられない。いや、まああいつがやることは俺の作品の為ではあるようなので、言ってること自体は確かにそうなのかもしれないが。


「茉莉綾さん、あいつの言葉、綺麗に言い換えてるでしょ」

「だからそんなことないんですって」

「まあそれはいいか……あいつどうなの、お店では?」


 俺が指名した時はかなりのはっちゃけ具合だったと見受けたが、あの感じで他の客に対してもやっているのだろうか。


「指名は割と多いです。まだ働いてそう経ってないのに、固定客もついてて。一カ月ちょっとでやめるのはもったいないくらい」

「え? あいつやめるの?」

「聞いてないんですか? あくまで取材の為ってことで、オーナーとも話つけたみたいですよ?」


 そうなのか。茉莉綾さんのリークに、何故だかホッとする自分がいた。

 茉莉綾さんはそんな俺の目を見て、口角をくいっと上げる。


「可愛い後輩が心配って顔ですね?」

「いや、そういうんじゃないけど……」

「あの日も言いましたけど、美咲ちゃん、先輩さんに指名された時、今まで私が見た中では一番楽しそうでしたよ?」

「あいつは俺をからかう時はいつもそうなの」


 結局あの後、あいつが俺に押し付けてきた下着を返す時も「イカ臭くないですよね?」とか「全然、持っていてもらって構わないんですよ? 資料にもおかずにもなりますし」などとふざけ倒していた。

 俺はそんなあいつの言い分全部無視して、あいつの膝に下着を入れた紙袋ごと置いて押し付け返したが。


「私には羨ましい限りですけどね。あ、そういえば……これ言っていいのかな?」

「……何?」


 なんか嫌な予感がする。


「うちの店、実は系列店があるんですよ」

「系列店?」

「はい。いわゆるデリバリー系の」

「あー。あ?」

「お店のキャストと同じ子が在籍したりするんです。さっき、お店のお客さんと外で会うことはないって言いましたけど、それはあくまで私の話で、そこまで手広くやってる子は、うちのお店でお客をつけつつ、その客をヘルスの方にも持っていったりします」


 またすごい話が出てきた。

 つまりあれか。見学店のマジックミラー越しに見ていた女の子を、実際に触って見たいと思えば触ることができるシステムが出来上がっているということだ。


「なんとも豪胆なシステムだな」

「私は実際に男の人と触れるのは抵抗があって。それでそっちの在籍はしてないんですが。だから、ちょっとしたことでトラウマになっちゃったりしたんです」

「それは別に茉莉綾さんが悪いわけじゃないでしょ」


 茉莉綾さんは、見学店に来た客がマナーから逸脱する行為をしたのに困らされただけで、それを諌める理由などどこにもない。


「そう言ってもらえるといくらか救われますね」

「いやでもそうでしょ。やって良いことと悪いことを見誤った方が悪い」


 確かに、性が絡む仕事というのはその線引きが難しいところはあるのだとは思う。美咲もキャストとして暴走していた気がするからその辺ちょっと申し訳なさがあるが。


「で、その系列店がどうしたって話?」

「美咲ちゃんがオーナーに誘われてたんですよ。あの子ならそっちでも人気取れるんじゃないかーって」

「あー……」


 確かに、美咲のあの感じのパフォーマンスであれば、実際に触れたいと思う客は少なくなさそうだ。少なくなさそうではあるが──。


「先輩さん、嫌そうですね?」

「んー? いや? 別に」


 あいつがやることだ。俺がとやかく言うことではない。見学店で働いてるのも勝手だし、そもそもあいつは俺のやる気の為だかなんだか知らんが、俺にNTRを経験させるためとかなんとか言って、俺があいつのことを少なからず想っていることを知りながら、男とセックスしてそれを俺に報告してくるような、そういうふざけた女である。


「嫌なら嫌って言っていいんじゃないですか?」

「言ってもあいつ聞かねえよ」

「そうですかね。美咲ちゃん、即決はしなかったですよ。ちょっと考えてみるって言って、返事は保留してます」

「……ふーん」


 まあ、次あいつと話す時にそれとなく聞いてはみるか。

 そう思案しながらコーヒーを口につける俺を見て、茉莉綾さんはまた屈託のない笑顔を見せた。


「いいなあ、ありさちゃん。こんな風に心配してくれる人がいて」

「心配……ではあるか。一応」


 不本意ではあるが、あいつが危なっかしいのは確かだ。そもそも勝手に色々としてしまう美咲のことを、なんで俺が心配してやらないかんのかとか、俺はなんでこうやってまだあいつのことをすぐ考えてしまうのかとか、色々と言いたいことは山ほどあるが。


「先輩さん、お店にはもう来ないんですか?」

「どうかな。良い経験はさせてもらったし、本人を前にしてこれ言うのも恥ずかしいけど、茉莉綾さんのパフォーマンスもすごい見惚れたし」

「それ言えるのすごいですね」

「だから恥ずかしいって言ったろ」

「いえいえ、嬉しいです」


 言って、茉莉綾さんは本当に嬉しそうに笑った。

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