コールドスリープ

ふぃふてぃ

コールドスリープ

 誰もが一つや二つくらいは墓場にまで持って行きたい秘め事を持っているものだ。そして「はなさないで」と口封じに努めても、須く遅かれ早かれ知られてしまうのが世の常というものである。



「ETCカードの期限が切れています」


 それは、告げるには遅すぎるスペースシップからの忠告だった。

 太陽系をちょうど過ぎたあたり。時空間の歪みの手前に、色彩豊かな自家用宇宙船が連なる。そんな、ワープゲートを目の前にしての惨事。


「クソッたれぃ!」


 深い皺を眉間に作る一人の老人が、ついぞ二ヶ月前の己の不覚に気付いた。カードの交換を怠った。明らかに原因は自分だった。

 更に惨事は悪化する。老人は苛立たしげにハンドルを叩いた。それが大惨事への引き金となる。


 老人の乗る朱色の古びたスペースシップから放たれる音玉。その波動は無音の宇宙空間を漂い、周囲に散らばる宇宙船に「ぷぅ」という安っぽい音で警戒を知らせるハメとなる。


 普段なら笑って許される範囲かもしれない。しかし、この日は歴史に残る大渋滞。ドライバーの苛立ちを爆発させるには充分だった。


 本来は忠告を促すハズの音玉が、負の感情となり発射される。その音玉が周囲の宇宙船を数珠繋ぎに反響させては増え、苛立たせては更に新しい音玉を作ってゆく。

 数多くのスペースシップから放たれる無数の音玉は先頭集団にまで連鎖し、最後には天に吐いた唾のように、大量大音量の音玉が老人の宇宙船へと降り注いだ。


「うるさい、五月蝿い!」


 気付いた時には船内では多種多様な音玉と、ETCの期限切れのアナウンスが激しく響き渡る。それは、老人の罵声すらも掻き消した。

 とうとう我慢の限界に達した古びたスペースシップは正規ルートから外れて行った。



「クソッ!また、アイツにドヤされるな」


 そう言うと老人は水彩プラントに手を伸ばした。オレンジ色の植育ライトに当てられた褐色の実を頬張る。


「不味くはない。だが、やはりトマトは土からだな」


 渋い顔をさせながら、水彩プラントの根っこの部分、土の代替として張り付く水苔を指で撫でた。


「これだから無菌ってヤツァ!」


 誰に伝えるわけでもなく、怒声を船内に響かせる。とは言っても二人乗りの小さな船だ。響くと言うよりは跳ね返るという言葉が合っていた。



 老人は手慣れた手つきで重力制御を解除する。そして、無重力になった船内を優雅に泳ぐ。目的地は食糧庫。

 冷たい風が船内に高く積まれた色とりどりの野菜を吹きつける。それは嘗て、人間が遠洋で捕獲した巨大な魚を自国に届けるような技法に似ている。


「うむ。今年の出来栄えも悪か無いな」


 老人は丹精込めた野菜を人撫でし、食糧庫より先、奥のハッチを開ける。


 そこで宇宙服を脱ぎ、簡易ベッドに寝そべる。ベッドこそ安価ではあるが、マットレスは、こだわりに拘ったオーダーメイド。


 手際良く自分に心電図電極を貼っていく。さらに、両四肢には体性感覚誘発電位SEP。ハッチを遠隔で閉めると、サチュレーションモニターを指に装着した。


 「ピッピッ」と脈に合わせて音が鳴り始めると、カウントダウンが入る。モニター類はゆっくりと消灯していき、ハッチの中が冷気で満たされていく。

 老人の薄れていく意識の中で、スペースシップは自動運転へと切り替わっていった。



 目的地は『NEO Tokyo』


 無音の闇の中を走る朱色の古びたスペースシップ。時折り輝く遙か彼方の恒星の灯りが、凍り漬けの宇宙船を照らしていた。



 かつて、ワープゲートが完成する以前の話。人類は遥か遠くの星々へ行く方法を確立した。


 コールドスリープ


 人間を急速冷凍のチルド保存することで細胞死を防ぐ。それは、アポトーシスもネクローシスもない不変的な保存方法かに思われた。


 しかし、完璧に人の時間を止めることは出来ない。それを老人は身をもって知っていた。妻がコールドスリープ中に亡くなったのだ。

 それは事故でもなく故障でもない。ただの寿命。天命がコールドスリープ中に切れた。ただ、それだけのこと。


 完全なる不老不死はない。頭ではわかっていた。


 でも、老人は「サヨナラ」を言えなかったこと、それが後悔だった。最後になら全ての感謝を伝えられる。そう思って毎日を過ごしてきたからだ。


 完全オートパイロットで目的地に着いた時。老人は目覚め、妻は長いコールドスリープから永い眠りへと変わっていた。その記憶は思いのほか新しい。それは、鮮明な夢を見るほどに……



(悪い夢なら冷めてくれ)


 最近は夢をよく見るようになった。


 霧が明ける感覚。俺は何年とコールドスリープを味わってきたが……チキショウ、めぃ!いつも覚醒時は気分が悪りぃ。ジトリと肌につく、ぬるまってぇ空気が俺はでぇ嫌ぇだ。


「目的地周辺です。ナビを終了します」


 感情のない女性の声が告げる。モニターには青い星が見えている。

 完全オートパイロットは性に合わねぇ。俺は急ぎコックピットに泳いだ。


……でぇじょぶ、頭はもう冷め切ってらぁ。


 眼下に煌めく「NEO Tokyo」。人口太陽は沈み、森の木々のように伸びる超高層ビル群の明かりは空の星々をも凌駕している。地面をつたう剥き出しのパイプラインが、合理的な文明社会の象徴かのようだった。


「いつ来ても、あまり好きにはなれんな」


 朱色のスペースシップを離陸体制へ。今では珍しい逆噴射タイプだが昔からの相棒だ。

 主体から伸びる両翼の筒が地面に向かってエネルギーを噴射する。その感覚が手に取るように分かる。


「よぅし。一発駐船だ」


 実時間で言えば2年と3ヶ月ぶりの地面。降り立った場所は高層ビルの屋上の一角、No.136番。指定された駐船場。

 以前来た時。婆さんはここで帰らぬ人となっていた。


 スペースシップの搭乗口を降りると直ぐに若々しい女が駆け寄ってきた。その姿が、亡き婆さんの若かりし頃とリンクする。あれは間違いなく俺の娘だ。




 霧が明けるようだ。いつも覚醒時は良い気分がしない。私は、このジトリと肌につくような空気の感覚が嫌いだ。

 日付を確認する。あれから二年ばかりのコールドスリープ。周りを見渡すと夫も息子も目覚めていた。


 インターホンのベルがなっている。No.136番。もう彼此2年前から空けてある指定の駐船場に、古びたスペースシップをモニター越しで確認した。

 その傷だらけの宇宙船とはギャップを感じる丁寧な着陸を眺めていると、私は沸々と怒りが込み上げてくるのを感じた。


 私が屋上に着く頃には、スペースシップの搭乗口が開いていた。目の前にはシワがれた老人がいる。私の父親で間違いない。


「お父ちゃん、遅すぎ。また、ワープゲート使わずに来たでしょ。あれほどコールドスリープは辞めてって言ってるのに。もぉ〜!」


 私の母はコールドスリープ中に亡くなった。事故でもなければ、機械の故障でもない。ただ寿命が切れただけ。

 未だにはっきりと覚えている。今みたいに着陸したスペースシップの中。私は永遠に起きる事のない母の顔を見た。


 もし、あの時、コールドスリープ中では無かったら。間違いなく緊急凍眠が作動していたハズ。そしたら、何処ぞの宇宙ステーションで、私は母の死に際に立ち会えた。


「サヨナラ」を言えなかったこと、それだけが後悔だ。最後になら全ての感謝を伝えられる。そう思って毎日を過ごしてきたのに……


「はぁ?カードの更新を忘れた。だからせめてETCチップに変えてって、前々から言ってるじゃない。もう金輪際コールドスリープは辞めてよね!」


「新しいものは好かん」

「好きとか嫌いの問題じゃないの!」


 技術の進歩は死の1日前を知ることを可能にした。死兆星と呼ばれるバイタルの揺らぎを暴いた。そこから緊急冬眠に入れば別れ際に「サヨナラ」が言える。


 緊急凍眠からの覚醒した残り1日。それを人は最後の晩餐と言う。


 父には母の二の舞にはなって欲しくない。最後の色がなくなる特別な一日を味わってほしいのに。悪びれる様子もない弱い86歳の親父に怒声を浴び続けた。


「まぁまぁ。無事で良かったじゃないか。ほら、ヒロキ。ジィジが来たぞ。お義父さん、お待ちしてました。どうぞ、ゆっくりして行って下さい」


 はらわたが煮え繰り返っている私を、どうにか宥めようとしてくれる良き夫と、そんなことお構いなしの父に、私は更に怒りは込み上げる。


「気は使わんでえぇ、コレを届けに来ただけだ。ほれ、運ぶの手伝え」

「だから良いって。こっちにだって野菜はあるんだから!」


 散らかった船内からは大量の野菜が運び出されている。


「どうせ無農薬じゃろ。あんなモン、上手くも不味くも無い。ほれ、オマエの好きなミカンもあるぞ」

「ジィジの野菜だ!でっけぇ〜」


 息子の笑顔に、私は戦闘意欲を削がれ大きく溜息を吐いて諦めをつけた。


 もう陽が落ちかけている。高層ビルの端々を真っ赤に染まる人口太陽が乱反射して、古びた宇宙船を、さらに朱へと染め上げていた。



 夕飯は久しぶりの手料理にした。とは言っても、ほとんどは夫が作る。どちらかと言うと盛り付けと味見が私のテリトリー。缶ビール片手に味見と盛り付けを器用に熟せるのは、私の唯一無二のスキルだ。


そんな私を見ても、夫は笑って許してくれる。


「ハハっ。本当に君はミカンが好きだよね」

「コイツはこんな小せい時から蜜柑をバクバク食いよる。手が黄色くなるまで食っとるから、よく婆さんに怒られとった」


「もう、そんな恥ずかしい話、『はなさないで』って」


 しかし、この話には続きがある。ミカンがそんなに好きならと、父は野菜畑の半分を壊し、ミカンの木を大量に植えた。当然の如く母は更にカンカンになった。父の無計画、無頓着には、いつも母は困らされていたんだ。もちろん私も。


 そんな話をすると「そんな昔話は忘れた。それより、ほれヒロキ。ジィジと風呂に入っか?」と話はすり替えられた。


「ヤダッ!ジィジの風呂、熱いもん」

「なんだ。ジィジは嫌か」


 一度、茹ダコになったことを息子は覚えているようだ。それより、この後でフォローに入った夫の失言が問題だった。


「嫌いとかじゃないだろ。ヒロキは、お母さんとじゃないと風呂に入れないもんな」

「それジィジには、『はなさないで』って言ってたのに!」


 私は大泣きして駆けだす息子を缶ビール片手にあやす羽目となった。




 息子の号泣で急遽お開きとなった。

 妻は息子を慰めながら、一緒に風呂場へと向かって行ってしまった。


 流石にバツが悪い。僕は手酌でビールを注ごうとする父に手を伸ばす。


「僕が注ぎますよ。お義父さん」

「おぉ、すまねぇ。やっぱ、ヒロキの泣き虫は変わってねぇーか」

「すいません。『はなさないで』って釘を刺されていたのに、つい」


 不甲斐ない。それにしても、口というものは不思議なものだ。本当に伝えたいことは躊躇する癖に、ダメだと言われた事は、すぐにこぼれ落ちてしまう。


「気にする事はねぇーさ。俺も似たようなもんだ。そのヘンは人間もAIも……」

「お義父さん。それは!」


「すまん、すまん」と愛嬌のある顔を見せられては、これ以上は責められない。

 父にビールを注がれる。半分ほど注がれた所で「これくらいで」と、僕は手で制した。


「おぅ。そうだったな」


 どうもビールは苦手だ。最初の一口は軽やかだが、その後は喉の通りが悪くなる。もともと酒自体が苦手だった。


「すいません。どうも、お酒は……」


「気にするこたぁねぇ。実はな婆さんには内緒っていわれてたがぁ。まぁ、なんだ。オマエを作ったのは婆さんなんだ。俺は酒を交わすのが夢だったんだが…そしたら婆さんは、二人して大酒飲みだと困るだろ、ってな」


 ヒューマン型アンドロイド。その僕の趣味嗜好や外見を決める人工皮膚の外装は、妻のマッチングデータをもとに出来ている。

 そして、今のお義父さんの話から推測するに、細かいオプションはお義母さんで形成されている。


……要するに僕の血液にお義父さんの意思は無い


「でもな、オメェさんには感謝してるんだぜ。俺の娘を30年からのコールドスリープから目覚めさせてくれた。それは、感謝しかねえ」


 三十路手前の女性がコールドスリープによって婚活期間を延ばす。そのことは妻から聞いていた。今や妻の実年齢は六十を超えるのだそうだ。でも、そんなことを気にしたことはない。


それより……


 僕は冷蔵庫からジンジャーエールを取り出し、ビールへと注ぐ。少し前に妻から教わった。これなら僕にでも飲める。


「なるほど。シャンディーガフか。婆さんが良く飲んでたんでな。そのためにジンジャエールを自分で作るぐれぇだ……それなら、飲めるのか?」


 お義父さんには内緒、妻との約束を破ってしまった。でも、悪い気はしなかった。僕はグラスを傾ける。


「お義父さん。乾杯しましょう」

「おう。そうだな」




 陽もまだ上らぬ早朝。老人は古びた朱色のスペースシップに飛び乗った。


「ドル紙幣ならワープゲートを利用できます。コールドスリープは控えて下さい」

「俺は良い息子を持った。今回ばかりは、有り難く戴くとする。いろいろとスマねぇな」


 老人は何かに取り憑かれるかのように、挨拶も早々に出立した。古いスペースシップでも可能なワープゲートは全て使い。行き2年半かけた道のりをわずか2週間で帰った。しかも、月への寄り道つきで、だ。


 その速さに「案外、新しいものも悪くわないな」と、老人は独りごちた。


 急ぎ足での帰宅。やらなきゃいけない事は山程ある。それでも、彼には欠かせないことがある。


「ばあさん。アイツら元気だったぞ。それにな、念願の夢も叶った。まさか酒を酌み交わす日が来るとはなぁ」


 老人の目から一筋の涙。伝い、こぼれ落ち、墓標の石碑を湿らす。この頑固者に(歳をとったな)と思わせるには充分の出来事だった。


 その時、天命が尽きるかのように心臓が大きくこだました。

 それは老人の予想していた、遺伝子分析から割り出された予定死亡時刻からコールドスリープを差し引いた時間、よりも早かった。


「思ってたより早ぇいじゃねぇか。でもな、俺はまだクタバルわけにはいけねぇんだ」


 老人のバイタル通信を読み取った古き相棒、朱色のスペースシップからアラートが飛ばされる。

 その電波と呼ばれる電気エネルギーの震えは、各惑星に配置された衛星および宇宙ステーションを渡り歩き、遥か彼方の新Tokyo都市の一角に届けられたのだった。



 老人は霧が明ける感覚に苦悩の表情を浮かべる。だが、いつになっても霧は晴れない。遠くで娘の声が聞こえた。


(これが最後の晩餐ってやつか)


 最後に何がくいてぇかな。それより


「アイツに美味いジンジャーエールを、飲ませて……やりてぇ…な」


 老人は最後の緊急凍眠に入り一度は起きるも、直ぐに息を引き取った。

 その時間は、たがだか1分程度。最新の円盤型スペースシップで全てのワープゲートを潜り抜けてまでして駆けつけた、残された家族にとっては、予想以上に短い死に際だった。


「お父ちゃんに言いたいこと、いっぱいあったのに……」


 老人の娘は、そう呟くも気持ちは不思議と晴れやかだった。彼が死ね直前までしていた事が、彼女には明らかだったからだ。



 それが表立って現れたのは旧東京にて9月の終わり、暑さもおさまり出した時期の頃。


「あなた、お父ちゃんにジンジャーエールの話したでしょ。あれほど『はなさないで』って言ってたのに」


 彼女は母から聞いていた。ビールの苦手な妻に、どうしても酒を酌み交わしたい父。不器用は男の手作りのジンジャーエールを使ったシャンディーガフというカクテルの贈り物。

 

 諦めかけていた婚活に対し、喝を入れるに充分すぎる程の、母の教え、『はなさないで』な昔話。


「どうして分かったの?」

「そりゃ、わかるわよ」


 夕涼み、蝉の音、土の匂い。なぜ解ったのか不思議に思う男性の目の前で土が掘り起こされる。


「これはシュウガ……」


 その説明で男には充分だった。妻の肩を優しく抱きながら、男は静かに涙を流していた。その涙は土へと循環される。


 男の潤む目の前には野菜畑が広がっている。


 その広大な大地に、丁寧に植えられたの生姜の葉が朱色に照らされ、ゆっくりと風にそよいでいた。

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