第九話 そこのお姉さん、結婚しませんか?
俺とヒサメは腹をパンパンに膨らませながらお店を後にした。店を出るときに鍛え上げられた肉体を持つ店員から飴みたいな物を貰ったが、口にする余裕がない。
「ごめんね、二人とも。私基準の適正量で考えちゃったね」
子犬を見るような優しい眼差しを向けながら、アカールが謝罪する。彼にとっての好意が俺たちにとっての爆弾になるとは誰も予想できなかったから仕方ないだろう。
「いや……大丈夫だよ……うぷっ」
「僕も……大丈夫さ……うへっぷ」
俺とヒサメはまん丸に膨れた腹を擦りつつ、吐き気を催さないように最善の注意を払う。もしここで吐いてしまえば、登録初日に嘔吐した最低最悪のゴミ冒険者として扱われかねないだろう。
チートもハーレムもない世界で冒険者になった俺に残されたのは、このプライドだけだ。だからこそ、決してやらかすわけにはいかないのである。前傾姿勢を取りながら体を微振動させていると、右後ろにいるアカールが両手をパチンと鳴らす。
「それならよかった! じゃあ、さっそく依頼を貰いに行こう!」
(何を言ってるんだこいつはぁぁぁ!?)
眉間に深い皺を刻みながら、心の中で怒りの色を滲ませる。
すると、隣にいたヒサメがアカールのほうを振り向いた。
「い、い、行こう! アカール!! 僕も行き、たいんだ!!」
ヒサメはとぎれとぎれになりながら元気よく返答する。こちらをゆっくり向いたヒサメの顔は苦しそうだが、口角は上がっていた。
「ほんとかい!? いやぁ~~嬉しいねぇ! 流石はヒサメさん! 勿論、クロウ君も来てくれるよね!?」
俺は天を仰ぎながら眠りについたような表情を浮かべた。ヒサメが先手を取ったことで、俺に残されたのはこのまま立ち去るか、一緒に嘔吐しないようにするですマーチを開催するかの二択に追い込まれたのである。
そもそも俺はアカールの家を知らないのだ。仮に知っていたとて、道中に危険がないとは言い切れない。例えば、先ほど俺を取った写真家がストーカーをしている可能性だってゼロではないのだ。
つまり俺に残された選択肢は一択なのである。
「…………俺も、いく、よ……」
俺はたどたどしく返事を返した。アカールがおもちゃを貰った赤子の様にはしゃいだのは言うまでもない。幸い、アカールは俺たちの進度に合わせて歩いてくれているが、やはり心配だ。
歩くたびに胃の底から胃液が沸き上がる感覚が訪れる。こんこんと悪魔が社会の扉を開けようとしてくるのだ。ここを超えてしまえば、人間の尊厳を失うだろう。
「ひぃ……ふぅ……みぃ………僕は……負けないっ……!」
ヒサメは何か言葉を発しながら震え声で口にする。どうやらこいつも同じらしい。何故わざわざ追いつめられる行為をしているのか不思議に思っていると、ヒサメが隣に近づいてくる。
「フフッ……僕たち、それぞれに、制約が出来たよねぇ……上がるじゃん……こういうのって……どちらが勝つか……争うって……気持ちいぃ……よねぇ……」
俺は理解した。こいつはギャンブル狂いなのだ。賭けに勝つという行為自体が奴の快楽になりえるのだ。つまり俺は――奴のギャンブル対象になっていたのである。
勝っても利益はないが、負けたら一生の恥になる。
まさにゴミみたいな賭け事だ。
「ふふふ……どちらが……地獄に落ちるか……決めようねぇ……」
「この、悪魔がっ……!」
「神様だよぉ……ふふふふふ……」
目を細めながら薄ら笑いを浮かべるヒサメをキッと睨みつけていると、俺たちはギルドに到着することが出来た。第一関門はクリアしたようだ。俺は少しばかり安堵しながら館内に入る。
相変わらず右側のカウンターは密集しているようだ。ギルドに来る連中なんて基本的に依頼を生業にしている人間ばかりだ。依頼をこなせばこなすほど利益になるのだから来るのは当然と言えるだろう。
俺が吐き気を催さないように思考を巡らせていると、左のカウンターに向かっていたアカールが声をかけてきた。右手に一枚の紙を持っていることから、何かしら依頼を貰ってきたのだろう。
「今回は皆が初めて戦うと思うから、可能な限り簡単なものにしといたよ!」
「あ、あり、が、とう……」
「僕……楽しみだ……なぁ……」
にこやかに微笑んでいるアカールの顔を見つめながら、俺たちは吐かない程度の声量で返事を返す。そんな俺たちを見つめていたアカールははっとした表情を浮かべながら手をたたいた。
俺はなぜか嫌な予感がした。第六感である。
「あっ、言い忘れてた! 今回は受け付けの方が同行してくれることになったよ!」
俺が目を丸くしながら後ろからコツコツと足音を鳴らす女性を見る。ふとましい健脚と張りのある締まった体を持ったグラマラスな胴体を緑色の衣装で包んでいる。そして、特徴的なトレードマークである眼鏡が映った。
そう、そこにいたのは――俺がこの世界で初めて惚れた、既婚者の方だったのだ。
(……最高だなぁ!!)
俺は邪悪な妄想を脳裏に過らせながら、でへへと声を出していたのだった。
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