最後の刻 Record4
鈴ノ木 鈴ノ子
最後の刻 Record4
救急外来を持つ当院は当番制で診療を行なっており、今日は当番の泊まり込みの日だった。
救命救急センターを持つ大病院とは違い、当院は各科から輪番制で当直診察医と各科自宅待機医の持ち回りで対応している。
夕方に誰もが羨む妻のお手製弁当を届けてもらい、それを食べながら、ゆっくり専門誌を読んでいた時のことだ。医療用携帯電話がサウンドを奏でる。外来患者さんか、救急車の収容依頼でも来たのかと思い、電話にでると当直の松橋師長の落ち着いた声が聞こえてきた。
「雪島先生、直接来院なのですが50代女性の発熱で…」
「ああ、良いですよ、診ます、診ます。今から行きますね」
詳しいバイタルなどを説明しようとしてくれた松橋師長の言葉を遮る様にして返事をする。いつもなら最後まで聞くし聞くべきなのだが、声のイントネーションがいつもと違うのを察した。
こう言った場合は駆けつける方が早い。トラブルになりそうな状態、めんどくさいと言ってしまうと失礼だけれど、任せてしまうより矢面に立つ方が話が早い時もある。逆効果の時もあるから気をつけなければいけないが、この時は直感が行けと囁いていた。
救急処置診察室は一階にあり、エレベーターで医局のある8階から降りてゆく。エレベーターのドアが開いたところで、高齢女性の騒がしい声が耳を劈いた。
「こんなとこに連れてきて!あたしを殺す気だね!」
「そうじゃないから、お婆ちゃん。お母さんの診察に来てるだけなの、お婆ちゃんは違うから!」
「そうですよ、お孫さんの言う通りですからね」
「あたしは孫なんていないよ!こいつが勝手に連れてきたんだ!」
当直の看護師さんや、夜間事務の男性職員さん、警備員さんが宥める様に見守り、時より手を上げようとするのを宥めている。その中に幼さを残しながらも化粧をして身を固めた病院近くにある高校の制服を着た女子高生が、祖母と思われる女性から酷い言われ様に耐えながら同じように宥めている。
最初は患者さんかと思ったが、どうやら処置診察室に本物の患者さんはいるようだ。
物陰に隠れるようにして私は白衣から名札と携帯電話、ペンを取り出して白衣の内側に来ていたスクラブのポケットへ入れると、そのまま白衣を脱いだ。くるくるっと丸めると廊下の通りがけに事務室へと投げ込む。
あの状況なら白衣を見ただけで老婆は興奮してしまう。
素知らぬ顔をして騒いでる横を抜けて処置診察室へと入っていく、阿吽の呼吸によって職員の誰も先生とは言わないのがありがたかった。
「お待たせしました。患者さんはそちらの方?」
松橋師長が頷いてこちらへと駆け寄ってきた。
ストレッチャーに横になっていたのは、痩せた、いや、痩せ細った女性だった。詳しい症状などを松橋師長から聞き、患者さんとも話しながらやがて診察に入った。外では相変わらずの騒ぎようで、それが聞こえて来るたびに患者さんが申し訳なさそうに謝罪を口にする。
「入院だけはしたくありません」
1時間以上をかけてレントゲン、血液検査、などなど、夜間緊急で行える検査をしてみた。しかしながら数値は悪く、肺は磨りガラスのように白く肺炎の重症化兆候が見てとれていた。熱の原因精査もしなければならない、きちんと入院するべきだと判断したものの、患者本人である母親はガンとして譲らずに入院拒否をする。
「お母さん、入院して大丈夫、お婆ちゃんは私が面倒を見るからさ」
祖母が落ち着きと眠たさのためか、うつらうつらし始めたのを見計らい件の女子高生、宝田真美さんはストレッチャーに横たわる母親に優しく言い聞かせる。
「あんた、学校あるでしょ、昼間は無理よ、それに夜も毎日見てくれてるのに…」
「大丈夫、大事なお婆ちゃんだから、頑張れる」
カルテを打ちながらそんな話を聞いてしまうと、なんだか居た堪れなくなる。
「介護は長いの?」
思わず2人の元に駆け寄ってそう声をかけた。松橋師長がまたやって、と言うような顰めっ面を瞬間的に見せる。
「うん、長いことしてるから大丈夫」
真美さんが和かに笑う。細いながらも腕をパシンと叩き力強さをアピールしていたが、ふと、その手に目がいってしまった。
若い手とは思えないほどひどい状態だった。
診察を再開すると言って真美さんを待合室に戻してから、母親と話をすることにした。医療的な質問も交えながら時より小出しにするように生活状況や介護状態などなどを聞き取ってゆく。
父親が早くに他界してしまった。借金まであり、祖母も母親も身を粉にして働いてきたそうだ。返済が終わりをを迎える頃、真美さんが小学校の高学年に上がったあたりから、祖母に認知症の症状がで始めたのだそうだ。生活費を切り詰めているから、医療費は必然的に後回しとなる。残酷というべきかどうか、認知症が進んでしまっても自立して動き回ることができる、まぁ、自分で立って二足歩行ができるという極端な言い方をすれば、ケアマネージャーの力量も多少は関わってくるけれども、介護保険の適用も等級は低くて家族が世話をしなければならない。もちろん、介護の施設に入ることもできると言われたそうだが、等級が低ければ支払う金額は高く年金受給者では支払いは厳しい、母親と真美さんがどうにか必死に働いて、真美さんは無理を押してなんとか学校に通学しているらしいが、成績は悪く、素行も悪く捉えられてしまい、あまり気にも止められていないから、いうに言い出せないと涙ながらに話してくれる。
だから自分が頑張るしかないのだと。
だが、このまま入院しなければ、あっという間に共倒れとなり、やがて真美さんが1人で抱え込まなければならなくなってかもしれない、いや、そうなれば面倒を見ると豪語した真美さんのことだから、最後まで頑張ってしまうに違いないと、思い込みは危険なことだが直感してしまった。
「じゃぁ、1日だけ入院として、明日、医療相談室の職員を交えて今後を考えていきましょう。お祖母さんは病気はありますか?」
「高血圧と認知症が酷いですが、あと腰痛があります」
「腰痛ね…」
医療用携帯を取り出して救急事務室のボタンを押してコールする。数秒後に夜間事務員の佐藤さんが少し眠たそうな声で出た。
『はい、事務当直です』
『雪島です、佐藤さん、悪いのだけど、お祖母さんとお孫さんのカルテを作成して持ってきてくれます?問診票はなしでいいです。事務的処理はお任せします』
『承知しました。すぐに用意できますよ、今、カルテ受付しますね』
キーボードを操作する音が受話器から聞こえてきて、あっという間に電子カルテの受付欄に表示された。佐藤さんは何十年も夜間事務を務めているから、それぞれ個々の医師の癖を諳んじられるほどに熟知していて、阿吽の呼吸が通じるのがありがたい。
『あと、白衣持って来てもらえます、事務室に投げ込んであると思いますので…』
『ええ、お持ちしますね』
電話を切り届けて貰った白衣に袖を通して落ち着いた老婆の診察をする。
先ほどとは打って変わってほいほいと検査に同意してくれるのはありがたい。多少の脱水と腰痛くらいであったが、入院経過観察と入力し、各種同意書を母親から得てゆく。今夜の病棟看護師さんは大変な目に遭うだろうから…後日、何か差し入れをしてお詫びをしておこう。
「さて、最後だ」
当直看護師さん全てが病棟支援に向かってしまったため、松橋師長が最後の患者さんを読んで室内へと招き入れた。
「初めまして、医師の雪島です」
「先生、私、悪いところなんてありませんけど…」
「ちょっと血圧とか測るわね」
戸惑った顔の真美さんの手をそっと松橋師長が触れて、血圧計などを巻いていく。
その隙に師長は腕の細さや体格などを目測で見てゆく、診察の段階では服の下に打撲痕のような跡も見受けられた。おそらくは介護中に暴れた祖母からされたのかもしれない、だが、それを聞くのは今ではない。血液検査とレントゲン、夜間検査できる限りの検査を行ってゆく。数値は悪くない、レントゲンでは古い骨折の跡のようなものが見てとれると放射線技師さんからこっそりと伝えられた。こういう時に長い経験を持っている技師さんだとありがたい。
「さて、じゃぁ、手を見せてもらえるかな?」
「は、はい」
処置机の上に差し出された手の面裏を見て、背面のただれがひどい部分に松橋師長が軟膏とガーゼ処置を施してゆく。指先も荒れていて、ささくれができていたり、それを無理やりに剥がしたであろう傷跡も見てとれた。母親の話によれば、幼い頃からずっと片付けなどを頑張っていて、祖母認知症が出てからは、排泄介助から身の回りの世話、そしてお風呂の手伝いまでをこなしていたとのことだ。
ずっと幼い頃からどんどんと手伝えることを手伝って行くから、それが当たり前のようになって許容してしまうのだ。
上手なメイクで隠せても手は口以上にモノを言う。
「ああ、そうだ。今日はお祖母さんに付き添って病院に泊まっていってね。もう夜も遅いし、他に家族はいないようだし。場所が変わるとせん妄という症状もでるから家族が一緒にいてくれるとありがたい。迷惑かけるけどお願いします」
真美さんはしっかりと頷いてくれた。
このまま家に帰してしまっても、入院準備をしたりして休む間もなくきっと動いてしまうだろう。だから、気は休まらないだろうけれど、部屋にいてあれこれみつけてしまうよりは良いだろうと思う。
「で、明日だけど、今後の入院手続きや費用なんかを心配しないでもいいように、医療相談員っていう人がいるから、その人と話しをしてくれる?お母さんの病状から見ても2週間以上は入院になる可能性もあるし、今困ってることでも、今後のことでも、なんでも気になること聞いてみたらいいよ。あと、次回の予約を入れておくね、その手の経過もみたいからね。その際にまた色々と教えてください。」
相談してくださいという言葉をあえて使わずに聞いてみればいいと軽く伝える。この言い方も専門からみれば不適切だろうが、相談や言ってというよりは良いと思う。
相談で全てが丸く収まるとは思えない、きっと、愛美さんの手のように、心もささくれ立つようになってしまうことになる。でも、そのままで良いことはない。何人もの患者を見て、その生活の一端を見てきたからこそ、そう確信できる。
お節介、自己満足、と言われて仕舞えば間違い無い。
だが、どちらのささくれも治療はできる。それは刻をかける必要があるけれど。
その治療から10年後、病院に1人の若い研修医がやってきた。
薄いながらにメイクをしたその女性医師の名前を「宝田 真美」という。
最後の刻 Record4 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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