【KACささくれ】暗殺者サマンサの優雅な休日

葦空 翼

暗殺者サマンサと小さな憂い



 【死神出没注意

  神と女王があなたを見ています】



 少々治安の悪い裏通り。人気ひとけのない路地の隙間に、ひっそりと立て看板が立っている。

 

 死神、とは都市伝説のようなものだ。この国を治める女王の敵となる人間を秘密裏に殺して回る、暗殺者だという。そしてその伝説は、今や独り歩きして勝手な解釈が様々足されている。ある人はそれを「悪人を殺して静かに去るヒーロー」と語り、また別の人は「国民を監視し、気に食わない奴を殺す極悪殺人鬼」と語る。


 死神とは、一体何者なのか。

 この国の大多数の人間はその正体を知らない。

 見たこともない。


 しかし、その立て看板を見つめるは、非常に希少な「死神の正体を知る」側の人間だった。夜も更けて真っ暗な路地に静かに立ち続ける立て看板を穴が開くほど見つめ、しばらく黙り込み、そして。


不死鳥フェニックス


 ぽつりと呟いた瞬間、ごう!! と眼の前に火柱が上がる。立て看板はみるみる焼け落ち、ものの数秒で灰に変わった。本当はこんな大掛かりな魔法を使わなくても、看板ひとつくらい易々やすやすと燃やせたのだが。

 今日はどうしても虫の居所が悪かった。









「…………ただいま帰りました」

「やぁ、遅かったねサマンサ」


 王都西部。貴族や高給取りややんごとなき身分の人々が住むエリアに、彼女──サマンサの家があった。どでかい邸宅に、たくさんの召使い。本来夜中に帰宅した彼女を迎えるのは、彼女専属の召使いであるはずなのだが、今日出迎えてくれたのは見慣れた下女ではなかった。


「…………ユリシーズ様! まだ寝ていなかったのですか?」

「君が無事帰ってくるまでは、落ち着いて眠れないからね」


 サマンサの眼の前、玄関で柔和に微笑む長身の青年。彼はこの家の主の次男である、ユリシーズという男だった。もうとっくに寝ていると思ったのに、待たせていたなんて。悪いことをした。サマンサは金茶のロングヘアをよいせと肩に払い、荷物を抱え直した。


「申し訳ありません、今日は偉い方々との会合が長引いてしまって」

「そうか、本来ならそういうのは僕が出るべきなんだけど。君に任せる形になってしまい、申し訳ない」

「とんでもない! どうせ、あの人たちは若い女の顔が見たいだけなのです。くだらない年寄りの寄り合いです、貴方が労力を割くまでもない」

「そうかい? でも疲れただろう。その荷物、使用人の代わりに僕が持つよ。無理言って出迎えを代わってしまったから」

「そんな……」


 ユリシーズはゆったりしたローブを着ていて、あとは寝るだけ、という格好だ。それでもウェーブがかった灰茶アッシュゴールドの髪に凛々しい目元、すっと通った高い鼻、しまった頬のライン。眠気も覚めるほどの美男で、到底荷物持ちをさせるような人間には見えない。サマンサは改めて首を振り、荷物を抱きしめた。


「気持ちはありがたいのですが、スターレット家の次男にして私の旦那様である貴方に、そんなことはさせられません。大丈夫です、私が運びます」

「なんてことだ、僕は愛する妻の苦労を労うことも出来ないと?」

「うんんんん、その言い方はずるいですぅ…………」

「ほらほら、貸して貸して」


 結局言い負かされた。彼の美貌と完璧な「しょんぼり顔」に負けたとも言える。サマンサは結局、荷物を明け渡して衣装部屋へ向かった。


「ドレス、僕が脱がそうか」

「手伝って下さると助かります」


 嬉しい申し出があったので、ありがたく受け取る。外套、重たいドレス、ボディス(矯正下着)、ファーシンゲール(パニエ)、長いタイツ。全ての紐を解き、ふう。と息をつくサマンサの傍らで、ユリシーズはそれら全部を抱え、ひとつひとつタンスにしまっていく。


「……サマンサ、何か嫌なことでもあった? 今日はいつにも増してため息が重いけれど」

「……………………いえ………………」


 ユリシーズは優しい人だ。サマンサの一挙一動をよく見ている。だが、なんだろう。権威ある家の息子様がここまでしてくれて、何一つ不足ない毎日を送れて、幸せなはずなのに。


「……………………」


 サマンサの気持ちはよくわからないままなんだかささくれだって、イライラしていた。

 

「……………………あの、」

「なんだい」

タバサは、寝ましたか?」

「ああ。いつも通り、乳母たちが寝かしつけてくれたよ」

「お義父とう様は、今日何をしていましたか」

「いつもと同じだよ。ミサに出て説教をして、今日生まれた子に洗礼を与えて」


「貴方は?」

「僕も同じさ。兄様と父様を手伝って、ミサの進行を手伝ったり物書きをしたり」


「………………」

「どうかした? 大丈夫、特に変哲もない普通の日だったよ」


 ユリシーズがサマンサの隣に腰掛けて、肩からガウンをかけてくれる。だがサマンサは、やはり気が滅入っていて。ふいに、さっき見た物を思い出した。あるいはあれが原因なのか。


「あの、さっき帰ってくる時、路地の隙間に看板が立っていたんです」

「うん」

「それに、『死神出没注意。神と女王があなたを見ています』って書いてあってですね」

「ぶふッ…………」

「わかります!? この気持ち! 私の、このビミョーな気持ち!!」

「くっ、ふふ、そっか……そっかあ…………」


 どうやら、あの看板の絶妙なニュアンスが伝わったらしい。ユリシーズは一瞬で破顔した。それを確認して、サマンサは辺りをキョロキョロと見回した後、さらに言い募った。


「なんですか、死神出没注意って! まるでクマかオオカミか魔物のように! 死神は人間です、私の兄様と弟たちです! なのにっ、そんな風に犯罪防止の警告として雑に使われてっ……なんかモヤモヤします!」

「ふふっ、ふふ…………そうだね、なんかこう…………ふふふ、死神……出没って世間で言われてるんだ…………」


「私達は! 真面目に頑張ってるんです! この国の安寧と、女王陛下の治世のために! 人生丸ごと捧げて、頑張ってるんです!! なのに世間ではそんな扱いなんですか……!」

「うんうん、大丈夫君は頑張ってる。あ、ワインでも飲むかい? 少しは嫌なこと忘れられるかもよ」

「いただきます!」


 サマンサの境遇を知っているユリシーズはひとしきり笑いを噛み殺し、ふるふると震えた。そしてサマンサの返答を聞いて、しばし部屋を退出した。

 帰ってきた彼の手には、小ぶりな瓶とワイングラスが二つ握られている。


「仕方ないね、この国の大半の人間は、君たちがこの国の治安を守るのに頑張っていることを知らないから」

「それにしたって! クマみたいな扱いは嫌です!」

「そうだね、サマンサはクマじゃない。シスターして、暗殺者して、母も妻もして社交界にも出入りして」

「いえ、私は最悪いいんです! でも兄様とリー君とルー君があの扱いなのは、可哀想です!」


「…………本当に?」


 寝台の横、サイドテーブルに並べられたグラスに、とくとくとワインが注がれる。ユリシーズが持ち上げた硝子ガラスの器に、赤い液体が揺れている。


「君はいつも他人のことばかりで、自分は二の次だ。だから、なんだか気持ちがささくれだってしまうんじゃないか?」

「…………だって、そうあれと神も父も世間も言うではありませんか」

「じゃあ、たまには自分のことを大事にしてみたらどうかな。明日、お勤めを全部お休みして好きなことをするとか」

「タバサはどうするのですか?」

「乳母に任せればいいよ」


 ユリシーズは何を聞いても涼しい顔だ。く、とワインを一息で煽る。


「それとも、僕に何か出来る事があるかい? ベッドの中で愛を囁くとか?」

「…………それは、日々していただいているので」

「そうだよね。新鮮味がない」

「それに、それじゃ私より貴方の方が得するではありませんか」

「ふふふ、そうだね!」


 サマンサがじとりと睨むと、ユリシーズは大げさに肩をすくめて見せた。基本実に優しい旦那様だが、こういうところは抜け目がないなと思う。何故って、どさくさに紛れてほぼ「抱きたい」に近い提案をしてくるのだから。

 思わずため息が出る。


「……………………はぁ………………」

「あっごめん……面白い冗談じゃなかったな」

「いえ、私のために何かしたいと思ってくださっている気持ちはありがたく頂戴します。嬉しいです」

「ならもっと笑っておくれよ……」

「今はちょっと…………」

「ええん、ごめんなさい」


 つん、とそっぽを向けば、慌てたユリシーズが袖を引いてくる。こういうところ、決して嫌いじゃないし充分微笑ましいが。


(本当に……この気持ちはどこから来ているのかしら)


 サマンサはなんとなくワイングラスを手に取り、中身を覗き込んだ。硝子ガラスの器にしても、葡萄の酒にしても、庶民はなかなか手に取れない高級品だ。身につけている絹の下着シュミーズだって、毛皮のガウンだって、世の多くの女性が羨む素材だ。

 だから、私は幸せなはずだ。


「……………………」


 赤く透明な液体をしばし見つめて、くん。と口に流し込む。サマンサはふうと一息ついて、先程のユリシーズの言葉を反芻した。


 たまには自分のことを大事にしてみたらどうかな。

 明日、お勤めを全部お休みして好きなことをするとか。


「……あの、ユリシーズ様。明日のお勤めをお休みするなんて、本当に出来るんですか?」

「えっ? ああ、もしそうしたいなら僕が話を通しておくよ。郊外まで出れば早々バレないだろう」

「……じゃあ、明日、お休み。貰っていいですか」

「! いいよ、お安い御用だ」


 サマンサは結局、明日のお勤め──シスターとしての仕事を休むことにした。


 たまには、自分のことを大事にしてみる。


 そう言われて何をしようか、少し興味があったから。


 

 

 



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【KACささくれ】暗殺者サマンサの優雅な休日 葦空 翼 @isora1021

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ