第8話 窮地


 突如として目の前に現れたそれは、本で読んだことがある――魔族だった。

 魔族、それは出会ったが最期、並みの人間ではなにもできずに殺されてしまう。

 最凶最悪の存在、それが魔族だった。

 

 魔族はその全身から、ただならぬオーラを放っていた。

 近くにいるだけで、窒息してしまいそうなほど、息苦しい。

 この森にほとんど動物がいなかった理由がわかった。

 おそらく、みんなこいつの魔力に怯えて逃げたのだろう。

 それか、こいつに殺され、食われたのだろうか。


 魔族のオーラはそれほど凄まじかった。

 リルムたちスライムの群れは、なにかから逃げるようにして歩いていたけど、こいつが原因だったのか……!?

 そう考えると、これまでモンスターと出会わなかったのにも合点がいく。

 

 だけどどうしてこんなところに魔族が……!?

 そして、なぜ急に僕の目の前に……!?

 僕は身構えた。


「いやぁ、目覚めたばかりでお腹が空いていてねぇ。森にいる生き物を片っ端から食べつくしたと思ったんですけど……。まさか、こんな弱っちい人間とスライムが残っていたなんてねぇ」


 魔族はにやりと笑った。


「ぼ、僕を……殺すのか……!?」

「そうですねぇ……。まあ、見られたからには生きて帰すつもりはありません。だけど、すぐに殺すのもつまりませんねぇ。その微量な魔力じゃあ、ろくに腹の足しにもならないでしょうし……。あなたはあまりにも弱すぎる。ちょっとでも本気を出したら、瞬殺してしまいますから」

「っく……」


 たしかに、今の僕は弱すぎる。

 魔力だって全然ないし、剣もろくに使えない。

 それに比べて、魔族はあらゆるモンスターと比べても最強の存在。

 こっちにはスライムのリルムがいるだけだ。

 

 いったい、どうすればいいんだ……!?

 どうにか逃げられないかな……?

 僕は、ぜったいにこんなところで死ぬわけにはいかないんだ。

 せっかくミネージュ草を手に入れたんだから!


「うおおおおおお!!!!」


 僕はリルムを抱えると、踵を返して逃げ出した。

 無我夢中で森の中を走る。

 だけど、僕の目の前に、魔族は一瞬でワープするように現れた。

 

 見えなかった……。

 どれだけ速いんだ……!?

 くそ……逃げることはできないのか……!?

 魔族は僕のことをにやりと見つめると、こう言った。

 

「まあ、せいぜい私の遊び相手になってもらいましょうか。久しぶりの人間です。ああ、人間はいい……! 人間は壊し甲斐がある。すぐに死なないでくださいよ? 弱いなら弱いなりに、せめて私を楽しませてください」


 すると魔族は身体から触手のようなものを出し、それをムチのように操った。

 来る……!

 魔族のムチが、僕に向かって放たれる。

 そのときだった。


「きゅいきゅいーーーー!!!!」

「リルム……!?」


 僕の目の前に、僕を守るようにして、リルムが躍り出る。

 そして魔族のムチは、僕でなく、リルムに直撃。

 リルムの身体を吹っ飛ばした。


「きゅいー……」

「リルムーーーー!!!!」

 

 ――ズシャアアアア!!!!


 リルムはそのまま、地面に滑り落ちる。

 そんな……!

 リルム、僕を守って魔族にやられるなんて……。

 

「リルム……!」


 僕は倒れたリルムに駆け寄った。

 吹っ飛ばされたリルムは、ぷるぷる震えながらも、なんとか起き上がった。


「よかった……。リルム、生きてた……!」

「きゅいぃ……」


 だけど、かなりのダメージだったのか、リルムは今にもまた倒れそうだ。


「クックック……。面白い。実に健気ですねぇ。スライムごとき、か弱い存在が、これまたか弱い主人を守るために、自ら身を呈するとは……。なぶりがいがあります。さあ、もっと私を楽しませなさい!」


 すると魔族はまたムチを大きく振り上げる。

 今度は二本のムチがこちらへ勢いよく伸びてくる。

 っく…………。

 もしまたリルムが攻撃を喰らったら、どうなるかわからない。

 せっかくリルムと友達になれたのに、その友達を失うなんて、嫌だ……!

 リルムは僕のことを身を呈して守ってくれたんだ。

 今度は、僕がリルムを守るんだ……!


「うおおおおお……!」


 僕はリルムを後ろに下がらせると、自らムチに向かって特攻していった。

 しかし、僕のナイフはムチに何一つ傷をつけれない。

 僕はムチに弾かれて、さっきのリルムのように吹き飛ばされてしまった。


 ――バシ!!!!


「ぐわあああああ……!!!!」


 ――ズザアアアア。


 地面に盛大に擦りむいて、脚と腕に擦り傷ができる。

 ムチは僕の腕を強烈に殴打したらしく、腕が折れている。

 手加減されているとはいえ、魔族の攻撃を受けると、こんなに痛いなんて……。

 全身が強烈な痛みに襲われる。

 僕の行動に、なにがおかしいのか、魔族は大きな笑い声をあげた。


「アッハッハッハ! いい! 実にいい! 君たちは本当に面白いですね。驚きましたよ。まさかスライムごときのために、身体を張る人間がいるなんて……! そんな馬鹿な人間はみたこともきいたこともありません!」

「リルムは……僕の友達だ……! 守るのは当たり前だ……!」

「クックック。友達ですか……。スライムなんかのことを友達などというテイマーは初めて見ます。面白い。ではこうしましょう。そのスライムを私に差し出しなさい。そうすれば、あなたの命だけは助けてあげます」

「そんなの、絶対にお断りだ……!」


 いくら僕が助かったからって、リルムを見殺しにするなんてできるわけない。

 リルムは僕が初めて友達になったモンスターなんだ!

 それに、リルムは僕のことを命がけで守ろうとしてくれた……!

 たしかにリルムを見捨てれば、僕は助かり、お母さんのところへミネージュ草をもっていけるのかもしれない。

 だけどここでリルムを見捨てたら、僕はお母さんに合わせる顔がない!

 

「スライムごときのために、自分の命を捨てますか……。いつまでそんなことを言っていられるか、試してみましょうか」


 すると、立ち上がった僕に、またムチの攻撃が加えられる。

 しかも今度は5つのムチが同時に襲ってくる。


 ――バチン!

 ――バチン!


「うわあああああああああ!!!?」


 僕は全身をムチに打たれて、立っているのもやっとだった。

 だけど、僕は決して逃げない、あきらめない。

 僕がリルムを守るんだから……!


「お友達のために、頑張りますねぇ? まだ耐えますか? さっさと本音を吐いて楽になったらどうですか?」

「僕は……あきらめない……!」


 僕はリルムを守るようにして、何度もムチに立ち向かった。

 身体は痛みに悲鳴を上げている。

 だけど、僕が倒れるわけにはいかない。

 リルムにはこれ以上、指一本触れさせない……!

 

「クックック……。どうやらあなたの決意はなかなかのようだ……。では、これならどうでしょう? 自分の腕を失っても、まだ友達のために戦えますか?」


 すると、魔族の触手の先端が、するどいナイフのように変形した。

 さっきまではバットで殴られる程度の痛さだったが、あれで斬られれば、ひとたまりもないだろう。

 

「次は右腕、その次は左腕、本気で狙います。それでも続けますか?」

「当たり前だ……! リルムは僕が守る……!」

「クックック。あなたは本当に面白い人間です。いいでしょう。では喰らいなさい!」


 魔族のするどい触手が、僕に向かって放たれる。

 今度こそ喰らえば腕を失う。

 だけど、僕は逃げない……!

 

「うおおおおおおおお!!!!」


 来るなら、来い!

 そのときだった――。


 ――シュルルルルル。

 ――ズバ……!!!!


「…………!?」

  

 僕に向かってきていた触手が、すべて切断され、地に落ちた。

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