第15話 新月

 とうとう広い部屋で魔王たちは闇の魔物に追いついた。その部屋には様々な武器が飾ってある部屋だった。その天井に近い壁に刀身まで真っ黒の剣が飾ってあった。


 「闇の剣だ!」

 「あんな所に」


 やはりこの魔物は闇の剣を追いかけていたのだ。魔物よりも先に闇の剣を取り戻さなければ。


 しかし、闇の魔物の動きが不自然に止まった。


 「なんだ…?」


 闇の魔物は徐々に大きく膨らんでいく。あっという間に天井に届くほど巨大になり、耳をつんざくような叫び声をあげた。その叫び声はすさまじく王宮全体が揺れたと思うほどだ。


 「どうなってるの」


 放心したようにフィルは呟いた。誰がどう見てもまずい状況だ。しかも、闇の魔物はまだ膨らんでいる。このままでは、いずれこの部屋も王宮そのものも吞み込んでしまうだろう。


 闇の塊の中に不気味な赤い眼が二つ光っている。今まで戦ってきたどの闇の魔物よりも力が強いだろうことを魔王は肌で感じていた。力の強さがはっきり感じ取れないフィルも本能的に大変な危険を感じた。こんな相手をどう倒していいか分からない。


 王宮の奥から騒ぎを聞きつけて国王と側近の騎士たちが、フィルたちが来たのと反対の扉から現れた。突如現れた得体の知れない闇の魔物から国王を守ろうと騎士たちは盾を手に前へ出た。国王は状況がよく分からないようで魔王たちと闇の魔物をただ見比べている。


 魔王は時間がないことをさとり、闇の剣の方へ手を伸ばすと叫んだ。


 「闇の剣よ、我がもとへ戻れ!」


 闇の剣は魔法の力で魔王の手の中へ戻って来る。実に数百年ぶりに主のもとに戻った闇の剣は依然と全く変わらない様子だった。刃も欠けておらず力も衰えていない。


 魔王は闇の剣を手に前へ出た。


 「魔王様、何をなさるおつもりですか」


 リシャールは嫌な予感がして魔王に尋ねた。


 「私が奴を倒す。闇の剣に持てる魔法を最大限にこめれば一刀のもとに奴を斬り伏せられるだろう」


 それを聞いたリシャールが慌てて叫んだ。


 「いけません! そのようなことをすれば、そのお姿を保てなくなります」


 フィルはそこで魔王が何をしようとしているのかが分かった。自分の分身の姿が消えるほどの攻撃をしようとしているのだ。


 「ちょっと待って。魔王が消えちゃうってこと? そんなの嫌だよ」

 「他に方法があるはずです」


 ジェイドも懸命に説得するが魔王は首を横に振った。


 「そのような悠長なことをしていれば、奴がこの王宮全てを吞み込む。そうなっては誰も助からん」


 フィルは魔王の傍まで駆け寄った。魔王の目に堅い決意を見た。恐らくどんなことがあってもこの決意を変えることはないだろう。フィルは泣きたくなるのをこらえて魔王を見つめた。魔王はフィルに明るく言った。


 「本当に私が消えるわけではないんだぞ。そんな顔をするな。本来の私は今も魔王城で眠っている。ただ分身が出せなくなるだけだ」


 フィルはそう言われても諦められなかった。


 「月の光を浴びたら? そろそろ夜でしょ。月が出るまで待ったら消えなくてすむよ」

 「今日は新月だ。月は出ない。私の魔力が戻ることはない」


 魔王はすまなさそうに言った。フィルはもう何も言えなかった。ただ魔王が闇の剣を構え、夜の闇の魔法と月の光の魔法を剣にこめるのを見ていた。


 そこへグリフォン、ドラゴン、魔術師が部屋になだれこんできた。魔術師は瞬時に状況を理解したが、手を出すには遅すぎることも分かってしまった。


 「フィル」


 魔王が初めて自分の名前を呼んだのでフィルは驚いて魔王の方を見た。


 「魔王城で待っているぞ」


 ただ、それだけ言うと魔王は闇の剣を振り下ろした。


 「魔王!!」


 光と闇の渦が闇の魔物を吞み込んだ。フィルは目を開けていられなかった。すさまじい衝撃が部屋全体に伝わった。魔王が闇の魔物を一刀両断したに違いない。


 やがて光と闇の渦がおさまった。フィルは恐る恐る目を開けた。


 主を失った闇の剣だけが地面に転がっていた。フィルは震える手で闇の剣を拾いあげた。


 以前、フィルは自分と魔王の関係が何なのか悩んだことがあった。皮肉にも魔王が消えてしまって、はっきりとどんな関係か分かった。フィルにとって魔王はかけがえのない大切な友達だったのだ。


 「魔王城で待っているなんて。なんでそんなこと言うの」


 フィルはただそう呟いた。どうしていいのか分からなかった。一つだけ分かるのは魔王がフィルを信じてそう言ったのだということだ。


 グリフォン、ドラゴン、魔術師は慌ててフィルの元へ走って来た。魔王は魔王軍の面々の心の支えだった。みんな魔王が消えてしまったことに衝撃を受け、茫然としていた。


 そのフィルたちを国王の側近の騎士たちがとり囲んだ。無理もない。目の前で魔王と闇の魔物が戦っているのを見たのだ。闇の魔物が消えても魔王の部下と闇の剣を警戒した。


 そこで素早く動いたのは魔術師だった。今、みんなを守るために動けるのは月の精霊の眷属である自分しかいない。


 魔術師は騎士たちの視線を自分に集めるために、あえて芝居がかった大きな声を出した。


 「さあさあ、みなさん、ご注目!! これから、この魔術師の一世一代のショーをごらんにいれましょう」


 魔術師が指を鳴らすと、どこからともなく大きな舞台の幕が現れてフィルたちを幕の後ろに覆い隠してしまった。何が起こるのかと騎士たちもいぶかしむ。


 「取り出したりますは何の変哲もないただの舞台の幕。この幕に向かって魔法をかけますと、あら不思議。一瞬のうちに別の場所に瞬間移動いたします。タネも仕掛けもございません」


 魔術師は分かりやすいように、指で一、二、三とカウントダウンし、再び指を鳴らした。すると、目の前で幕そのものが消えてしまった。


 「それでは、みなさん。ごきげんよう」


 魔術師がまるでカーテンコールに応える役者のようにお辞儀をする。次の瞬間、魔術師も消えてしまった。騎士たちは魔術師を探し回ったが、ついに見つけることができなかった。






 魔術師は自分の魔法でみんなをフィルの村に瞬時に移動させたのだ。あの状況で逃げるにはそうするしかない。


 フィルは自分がいつの間にか村に戻っていることに気づいた。闇の剣を持ったまま村の東の森の傍に立っていた。周りには誰もいない。それぞれ離れたところに移動したようだ。


 フィルはどうしていいか分からず、とにかく歩き始めた。すると百花草の精霊と出会ったおばあさんが散歩をしていた。月見の花のお茶を飲んで夢の中で百花草の精霊に会って以来、あまり足腰が痛くなくなったので散歩ができるようになっていた。


 「フィル、いつ帰ったの? どうしたんだい、こんな所で」


 優しく声をかけられてフィルはおばあさんのもとへ駆け寄った。


 「魔王がいなくなっちゃったの」


 そう一言、話し始めるとフィルは想いが溢れて止まらなくなった。フィルは魔王がいなくなった経緯を話した。慌てて話したため、半分ぐらいしか事情は伝わっていないだろう。それでもおばあさんはじっと話を聞いてくれた。


 「そうかい。魔王ちゃんは本当に伝承の魔王様だったんだね」

 「驚かないの?」

 「なんとなくそうじゃないかって思っていたよ。不思議な人だったからね」

 「でもね、伝承みたいに悪い人じゃなかったの。だから勇者さんも眠らせただけだった」


 おばあさんは魔王が世界を支配する気などないことも分かっていた。村の子どもたちや自分への接し方を見て、本当はどういう人か分かっていたのだ。


 「フィルの話だと、魔王ちゃんは本当に消えたんじゃなくて魔王城で眠っているんだろう? 目が覚めたらきっと帰ってくるよ」


 フィルはそう言われたが首を横に振った。


 「魔王城はあの変な魔物を操っている人に乗っ取られているの。そんな所で目を覚ましたら魔王が危ない」


 フィルは闇の剣を握りしめた。もし自分が勇者のように強ければ魔王を助けに行けただろう。だが、フィルは剣も魔法も使えない。


 「わたし、勇者さんみたいに強くないから魔王を助けられないよ。どうしたらいいんだろう」


 魔王はどうして、魔王城で待っているなんて言ったんだろう。まるでフィルが助けに行く力を持っているみたいだ。そうではないのに。


 「フィルはどうしたいんだい?」

 「え…」


 フィルは反対に質問されて困ってしまった。


 「こういう時はね、自分がどうしたいかが大切なんだよ。それにフィルは一人じゃない。お友達がたくさんいるじゃないか」


 フィルは目の前が開けたように感じた。魔王の部下たちはみんな無事なのだ。きっとみんなも魔王を助けるためにがんばろうとしているはずだ。


 おばあさんに自分がどうしたいか尋ねられて、フィルは考えてみた。

 

 もしも自分にできるのなら魔王を助けに行きたい。勇者ではない自分にもできることがあるなら。


 「ありがとう。わたし、行ってくるね」


 フィルはそう言うと魔王の部下たちを探しに東の森の入り口に戻った。すると、みんながフィルを呼ぶ声がした。


 「勇者の末裔ちゃん、探したよ!」

 「みんな…」

 「お願いしたいことがあって」


 みんなが神妙な面持ちでフィルを見つめる。


 「一緒に魔王様を助けてほしいんだ」


 ドラゴンがそう言うとリシャールが続けた。


 「勇者の末裔の少女にこんなことを頼むのも申し訳ないが、力を貸してほしい」

 「それにフィルはもう俺たちの仲間ですから」


 ジェイドにもそう言われた。みんな口々に一緒に行こうと言ってくれる。フィルはうなずいた。


 「わたしもみんなに一緒に行こうって言おうしていたところだったの」

 「それじゃあ…」

 「うん! 一緒に魔王を助けに行こう」


 そうフィルが言うとみんなは嬉しそうだった。


 「決まったみたいだね」


 傍で聞いていた魔術師が嬉しそうに言った。


 「君の返事を待ってからと思ったけど、話が早い。実は魔王様を助ける当てが一つだけあるんだ。百花草の精霊様に助力をお願いしよう」


 百花草の精霊は協力を惜しまないとフィルに伝言を頼んだことがあった。そのことを言っているのだ。


 「月が雲に隠れてしまったからね。力を貸してもらおう」


 月が雲に隠れないようにという謎めいた百花草の精霊の伝言は魔王を守るようにということだったのだ。


 フィルたちは百花草の精霊のいる東の森へ入った。今回は月の精霊の眷属である魔術師がいるのでクローバーのブーケがなくても百花草の精霊が気づいてくれるよう頼めるらしい。


 フィルは森を歩きながら、魔王が自分を助けてくれた時のことを思い出した。闇の魔物のせいで魔力が失われた時、魔王は月の光の魔法を使って助けてくれた。


 「今度はわたしが魔王を助けるよ」


 フィルは決意のもと再び歩き始めた。

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