第11話 月影の民

 フィルが目を覚ましたのは薄暗い病室だった。いくつもの簡素なベッドが並んでいるが、フィル以外に寝ている人はいない。壁に天文騎士団の紋章があるから、みんなが言っていた騎士団の病院だろう。


 窓からは月明かりが差し込んでいた。起き上がってみると、ベッドの横にあるテーブルの花瓶に月見の花がいけてあった。月の光を受けて金色に輝いている。手に取ってみると、かすかに辺りが明るくなった。


 フィルは明かり代わりに月見の花を持ったまま病室を抜け出した。今は気分が悪くないし、怪我も痛くない。あの後、みんながどうしたのかが心配だった。


 もう真夜中なのだろう。とても長い廊下には誰も歩いていない。月明かりに照らされて廊下に大きな窓の陰が落ちている。


 ふと廊下の途中にある大きなバルコニーに誰かが立っているのが見えた。魔王かもしれないと思って近づいてみると、魔術師だと分かった。フィルが近づくと魔術師の方から話しかけてきた。


 「怪我はもう大丈夫?」


 青年を相手どっていた魔術師はフィルたちの方へ行くのが遅くなった。やっとフィルの元へたどり着いた時には既に危険な状態を脱していた。


 「わたし、どうなったんですか」

 「闇の魔物の攻撃で怪我を負ったんだ。怪我自体はかすり傷程度のものだったけど魔力が奪われてしまった。危険な状態だったんだけど、魔王様が君を助けた」


 やっぱりそうだったんだとフィルは思った。あの切羽詰まった声は魔法でフィルの怪我の手当てをしてくれていたのだ。その後は遅れてやって来たフランソワ達によって天文騎士団の病院に担ぎ込まれた。そこからはずっと騎士団の医者たちによる治療を受けていた。その間、魔王たちはフィルに会うことはできず面会謝絶状態だったという。


 「魔王様はずっと君のことを心配していたよ」


 魔王は病室の扉の前でずっとフィルを待っていたらしい。見かねた魔術師が魔王を連れ出したりもしたという。


 「ちょうど良かった。今のうちに君に話しておきたいことがあるんだ」


 魔術師はじっとフィルを見つめた。


 「フィルはなぜ魔王様が魔王になったかとか、魔王様の種族のこととか、何か聞いた?」


 フィルは首を横に振った。そんな話は魔王の口から聞いていない。


 「やっぱりか。隠している気はないと思うよ。それが証拠にオレたちは全員知っているし。だから君にも知っておいてほしいんだ」


 フィルは固唾を呑んだ。きっとこれは大切な話に違いない。


 「魔王様は月影の民っていう滅びゆく種族の最後の一人なんだ」


 月影の民というのはジェイドの薄雪の民よりも精霊に近い、何千年という非常に長い年月を生きる種族である。月の精霊の加護を受けているため夜の闇の魔法と月の光の魔法を生まれついて使うことができる。月の光を浴びると魔力が回復するのも月影の民の特徴だ。


 言われてみれば魔王は裾の長い黒い服を着ているが、端は金色の複雑な模様の刺繍で縁どられている。それも闇夜に浮かぶ月の光に見えなくもない。ただ魔王はその上から旅人がよく着用するフード付きのマントを羽織っているため、旅行者のように見える。それで魔王の格好をした歴史好きの旅行者だと、みんなから思われるのだろう。魔王というには格好が質素すぎる。ただ、本人は魔王を名乗りながら魔物たちの王であるという自覚があまりないのかもしれないが。


 「でも、どうして滅んだんですか? まさか人間と争いがあったとか…」


 「違う違う。人間が生まれるよりもずっと前に栄えた種族さ。まだ人間よりも精霊の方が数が多い古の時代にね。人間との交流なんて、ほぼなかったよ。月影の民は月の光の中から生まれる。生まれる数も元から少なかった。そのうち、だんだんと生まれなくなって、魔王様が最後の一人になった」


 急にそんなことを言われても現実感がない。フィルは黙って話を聞いていた。


 「魔王様は今までずっと一人で生きてきて、この先の未来もずっと一人なんだ。でも、そのことを悲嘆しているわけじゃない。それが彼の良いところでしょ」


 確かに魔王は前向きで明るい。そんな孤独を抱えているとは知らなかった。


 「そして、オレは月の精霊の眷属。月影の民の最後の一人を見守るため、魔王様の元にいるんだ。月の精霊様がオレの上司ってわけ」


 月の精霊の眷属である魔術師も月の光の魔法を使うことが出来る。魔術師は陰になり日向になり魔王を以前から見守り続けてきた。そのことは魔王本人も周りの部下たちも知っている。


 この世界の力の強い精霊には精霊の眷属が付き従っている。精霊の眷属の仕事は本来、この世界の外からやって来る闇の魔物から、この世界の全ての生き物を守ることだ。闇の魔物は不定形な闇の塊のような姿をしていて、生き物にとりつき、生命そのものを喰らう。この世界の全ての生命を等しく守る仕事であるため、それぞれの生命同士の争いには介入をすることができないルールがある。


 「オレは魔王様と勇者の戦いには何も介入できなかった。悪いと思いながら事情を話して、勇者が来る前に旅に出た。逆に闇の魔物そのものが出てきた時には介入できるんだよ。だから、こうして戻って来た」


 「魔術師さんの本当の名前は?」


 「そんなものないよ。その時々で都合のいい名前と素性を使っている。今はミステリアスな魔術師のお兄さんってわけ」


 それなら彼が単に魔術師と名乗るわけも分かる。


 魔術師が言うには魔王はずっと以前から一人で旅を続けて来た。その中で今の部下たちと出会った。彼らも一人ぼっちだったり、行く所がなかったりと様々な理由で困っていた。魔王は見かねて彼らを助けたり、声をかけたりして自然と仲良くなった。そして、いつしか魔物たちの王として魔王を名乗り始めた。


 「じゃあ、魔王になった本当の理由はみんなとずっと一緒にいたかったから?」

 「さあね。それは魔王様に聞いてごらん。きっと話してくれるよ」


 フィルは何と言っていいのか分からなかった。そんな気の遠くなるような歳月を一人で過ごさなければならないというのは想像もつかない。魔王本人がそのことを嘆いていないと聞かされても、胸がふさがる想いがした。


 フィルのベッドの傍の花瓶に月見の花をいけたのは魔王だった。夜風に当たって来ると言って出かけ、月見の花を摘んで帰って来た。その頃にはフィルは眠っていて病室に入れたので月見の花をいけてくれたらしい。


 「月影の民は月見の花に、いろいろなことを願うんだ。君の無事を願ってくれたんだと思うよ」


 月見の花は月の精霊の力が強い場所に咲く。月影の民にとっては月の光に当たり、魔力を回復させやすい場所を知る手がかりにもなる大切な花だ。その大切な花に何かを願う風習もあった。


 フィルはリシャールの村に行った時に月見の花の咲き誇る中、月を見る魔王に会ったことを思い出した。あの日も月見の花を摘んで帰り、リシャールの小屋の花瓶にいけていた。あの時は、まだ見つかっていない部下の無事を願っていたのかもしれない。


 魔王の部下たちは魔王が月影の民であることを知っていた。この話をフィルに誰もしなかったのは機会がなかったからだ。確かに急にする話ではない。


 フィルはひととおり魔術師と話すと病室に戻った。その後はあまり眠れなかった。


 こんな話を聞いたのだから無理もない。明日、魔王に会ったらどんな顔をしたらいいんだろう。でも、魔術師は魔王になった理由は本人に聞いてみるように言っていた。気になることが多いので、話してみようと思った。










 翌朝、病室に医者が来てフィルを診察した。魔力の低下もなく順調に回復しているので、もう大丈夫だろうと言われた。無理はしないようにと念押しされ、フィルは退院した。


 廊下を歩いていると、昨日のバルコニーに魔王がいるのが見えた。近づいて行くと魔王が驚いたようにフィルの傍に駆け寄ってきた。


 「もう大丈夫なのか? どこか痛くないか?」

 「大丈夫だよ。魔王は心配性だなあ」


 なるべく明るい声でそう言ったつもりだったが、魔王はまだ心配そうな顔をしている。


 「まさかあんなことになるなんて。お前はいつも元気だし、勇者の末裔だから大丈夫だと思っていた」

 「でも、わたしは勇者の末裔って感じでもないよ。勇者の生まれ故郷って言われている村に生まれただけで。フランソワさんとか貴族だし剣も強いし、よっぽど勇者の末裔って感じだよ」


 魔王はフィルを勇者の末裔と呼んではくれるが、フィルは自分が勇者の末裔だという実感はなかった。フランソワのように勇者の直系の末裔で貴族だという人や、フィルより強くて勇者の末裔と呼ばれるにふさわしい人はいっぱいいるだろう。


 「だがな、お前が一番よく勇者本人に似ているぞ。魔王の私が言うんだ。間違いない」


 魔王は真剣な表情でそう言う。そういえば、初めて会った時も勇者本人とフィルを間違えていた。


 「そんなに似てる?」

 「まなざしが似ている」


 フィルはただ、うなずいた。魔王がそこまで真剣に言うことは今までなかった。本当に似ているのかもしれない。


 それからフィルは思い切ってあの話をきり出した。


 「魔術師さんから聞いたんだけど、魔王って月影の民の最後の一人なの?」


 何気ないふうに話をふったが、内心は緊張していた。一方、魔王は何とも思っていないようだ。


 「ああ、そうだ。話していなかったか?」

 「そんな大切な話、聞いてないよ」


 やはり隠していたわけではなく、本当に気にしていないようだ。ただ、いくら本人が気にしていなくても滅びゆく種族の最後の一人というのは、やはり心配になる。だが、魔王にどう言っていいのかも分からない。


 「魔王はどうして魔王になったの?」


 フィルはそのことを尋ねてみた。魔術師に聞いてみるよう言われた質問だ。


 「そうだな」


 魔王は懐かしそうに笑った。


 「私はずっと一人で旅をしてきた。一人でいても月が見守っていると思うと心強かった。だが、一人で旅をすることに疲れてきていたのかもしれん」


 魔王が思い出したのは一人で旅をしてきた頃のこと。たった一人で平原を歩いていても、月が昇れば一人ではないと思えた。


 だが、怪我をしても病にかかっても一人というのは心細いものだ。


 いつだったか、ひどい怪我をして森の中をさまよっていたことがあった。なるべく月の光の見える場所で木にもたれかかって怪我の手当てをしていた。そこに旅の途中の行商人の家族が通りかかった。彼らは魔王のことを心配してくれたが、大丈夫だと言ってその場を離れた。彼らの心配そうな顔は今でも覚えている。


 その頃の魔王はあまり人とは関わらないように旅をしていた。人という種族のことをあまり知らず、人に親切にされるのにも慣れていなかった。一人でいる方が余計な迷惑をかけずに済むし、それでいいと思っていた。怪我も病も一人で治せばいいと思っていた。


 それで本当にいいのか。この先もそうやって一人ぼっちで旅をするのか。魔王は悩んだ。


 魔王は旅をしていく中で同じように一人ぼっちでいた魔王の部下たちと出会った。


 エルダーという長命な竜であるが故に仲間がおらず、一人でいた怖がりなドラゴンと出会った。彼は思わず、ドラゴンに声をかけて仲良くなった。


 修行に明け暮れながら氷の剣の暴走を何とか自分の力だけで止めようとしていた氷の騎士や一人きりで獣と戦っていたリシャールを思わず助けた。


 食いしん坊で何か大切なものの守り手になりたいグリフォンと出会い、月の精霊の眷属の魔術師と出会った。 


 いつの間にか魔王は一人ではなくなっていた。みんなとずっと一緒にいるために、彼は魔王を名乗り始めた。そうすれば、いざという時にみんなを守れるかもしれないから。


 「私はもう一人ではない。みんながいるからな」


 そのみんなというのは部下たちのことだろうが、そこにフィルも含まれている気がしないでもない。


 そういえば魔王と自分の関係は一体、何なのだろうとフィルは思った。友達といえなくもないが、魔王と勇者の末裔が友達というのはおかしい気もする。だが、それを言ったところで魔王本人は気にしていないだろうなとフィルは思った。


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