第10話 魔王と魔術師 後編

 魔王は自身が疲弊してきているのを感じた。日はとっくに沈んでいるが、まだ月は見えない。


 魔王城で青年が言っていたように闇の魔物は無制限に呼び出されてくる。魔王はなるべく魔法を使わず剣で対応していたが、どうしても闇の魔物に囲まれると魔法を多用することになる。明らかに魔力が低下してきている。魔法を一つ使うのでも息があがる。


 リシャールとジェイドは魔王がこれ以上、疲弊しないようになるべく前に出て戦っていたが、それも限界が近い。リシャールの矢はほとんど尽きかけていた。ジェイドも氷の剣の力を抑えつつ戦うので精いっぱいだ。


 そんな危機的な状況の中、天井のガラス戸の一部が開いて空から何者かが降りてきた。はじめに地面に降りたのはグリフォンで、魔術師、ドラゴンに乗ったフィルが続いた。


 「みんな、大丈夫!?」


 魔術師の提案で空からみんなを探していたら、闇の魔物に囲まれているのが見えて慌てて降りてきたのだ。魔術師は天井のガラス戸の一部が開くことを以前に調べた時に把握していたので、そこから中へ入った。


 闇の魔物が大勢いるのを見たグリフォンは自分の翼で風を巻き起こした。闇の魔物の何体かは風にぶつかって消えたが、まだまだ大勢の魔物が残っている。グリフォンは闇の魔物があまり倒せなかったことに動揺した。そんなグリフォンを魔王が励ました。


 「お前には風の行く先を読み、操る力がある。風の流れを読むんだ」

 「風を読む…」


 魔王にそう言われ、グリフォンは自分の感覚を研ぎ澄ませた。グリフォンは半身が鷲であるため感覚的に風の流れを把握し風を操る魔法の力があった。ドラゴンが生まれつき竜の火の魔法を使えるのと似ている。


 グリフォンの研ぎ澄まされた感覚はこの部屋を流れる無数の風の動きを捉えた。自分の翼がさっき起こした風はほとんど流れていったが、それ以外にも複数の風がこの部屋に流れている。さっき開けたガラス戸から入り込む風、天文台の階段の上から吹き込む風。その風を一つにすることができたら、もっと強力な風を起こせるだろう。


 グリフォンはもう一度、自分の翼で風を起こすと魔法の力で部屋の中を流れる複数の風を一つにまとめた。先ほどとは比較にならないほどの烈風が巻き起こり、周りにいた全ての闇の魔物は消え去った。


 突然、現れた魔王の部下たちに闇の魔物が倒されて青年は困惑した。こんなふうに助けが入るとは思ってもみなかった。


 青年が再び闇の魔物を呼び出そうとした時、魔術師が前へ出た。


 「ここから先はオレが相手をしてやる。聞きたいことが山ほどあるんでね」


 魔術師は魔王を天文台の上までつれて行くよう、みんなに言った。そこからは月がはっきりと見えるという。月がよく見える場所だからこそ魔術師は魔法陣の転送先を天文台にしたのだ。何かあっても魔王の魔力を回復することができるから。


 「魔王様、今宵は満月ですよ」


 満月の晩は魔王の魔力が最も高まる日だ。魔術師は魔王が月の光から力を得ていることを知っているのだ。


 フィルたちが魔王をつれて天文台の階段を登り出すのを見た青年は魔王を攻撃しようとしたが魔術師は魔法の障壁を作り出して防いだ。


 「相手をしてやるって言っただろう」


 魔術師は杖を取り出した。杖は片手で持てるほどの長さのステッキだが、杖の先端についている魔力を媒介する宝石がない。だが、彼が魔力をこめると杖の先端の少し上にまばゆい光の玉が浮かんだ。


 「君が禁忌の小箱を開けたんだろう? 開けちゃいけないから禁忌なんだ。なんで、そんなことをした」


 青年は答えなかった。先ほどと様子が違う。さっき闇の魔物に操られていた騎士たちのように意思のない目をしている。呼び出した素振りもないのに青年の周りに無数の闇の魔物が現れた。


 「なるほどね。厄介なことになっているな」


 魔術師がそう呟いた途端、辺りにさっきの倍の数の闇の魔物が現れて魔術師を取り囲んだ。どうしてもここで魔術師を倒すつもりらしい。


 「君らには、こっちから介入できるからね。もう手加減はしない」


 魔術師が杖を構えて呪文を唱えると足元に金色の魔法陣が現れた。その魔法陣の中には月が描かれていた。


 『月の精霊の光よ。彼方より来たりし闇の者をうがて』


魔術師の詠唱に応えるように無数の光が魔物たちに降り注いだ。その光に撃たれた闇の魔物は一体残らず消え去った。


 青年は一気に大量の闇の魔物を呼び出した反動か、その場に倒れた。魔術師は彼に近づいて体に触れた。


 「ちょっと記憶を見せてもらうよ」


 だが、その直後に青年は深い闇に引きずりこまれて消えた。そして、その闇から数体の闇の魔物が出てきて天文台の上へ飛んで行った。


 「しまった…!」


 一瞬の隙をつかれたため魔術師は闇の魔物を止めることができなかった。









 フィルたちは疲弊した魔王をつれて天文台の階段を登った。かなり長い階段を登っていくと急に視界が開けた。丸いドーム状のガラス戸のすぐ近くまで来ていて、そこには巨大な望遠鏡が夜空に向けて置かれていた。天文台の一番上までたどり着いたのだ。


 天文台には広いバルコニーが備え付けてあって、そこから外へ出ることができた。外へ出てみると夜空に大きな金色の満月が昇っていた。空には雲がほとんどないので、より月の光が明るく見える。


 魔王はその満月に見入った。その時ばかりは疲弊していたことも闇の魔物に襲われていたことも自分の立場も忘れて、ただ月を眺めた。自分の旅路をいつも見守ってくれた月が変わらず夜空に輝いていた。


 気が付くと魔力が元に戻っていた。いや、それだけではない。自分の身の内の魔力が高まっている。


 「魔王、大丈夫?」


 フィルがそう話しかけてきた。さっきまで魔王が疲れきった様子だったので心配になったのだ。もう大丈夫だと答えようとして、背後に闇の魔物の気配を感じた。いつもなら気がつかなかっただろうが、今はたとえ姿をこの目で見なくても闇の魔物の気配を感じとることができる。


 魔王は振り向きざまに月の光の魔法を放った。いつもより強力になったその魔法は辺りを金色の光で満たした。光が消えてなくなると襲ってきた闇の魔物も消え去っていた。


 「びっくりした…」


 闇の魔物が追ってきていたことに気づかなかったので、フィルは驚いた。それと同時に魔王の月の光の魔法で闇の魔物が倒されたことに安堵した。


 そのせいで、まだ足元に闇の魔物の一部が潜んでいることに気づかなかった。闇の魔物は最後の力を振り絞って、足元からとてつもない速さで飛び出して攻撃してきた。


 その攻撃は、すぐ傍にいたフィルに当たった。


 闇の魔物はその一撃を放つと消えていった。倒れそうになったフィルをジェイドが支えた。


 「勇者の末裔ちゃん!」


 ドラゴンが大慌てで叫んだ。みんながフィルの周りに集まってくる。


 「そんな…」


 魔王はフィルが攻撃を受けたことが信じられなかった。そんなことが起こるなんて考えたこともなかった。いつも当たり前に一緒に過ごしてきたから。


 傍にいたリシャールがフィルの怪我を診た。攻撃を受けたところは血がにじんでいたが、大した怪我ではない。だが、フィルの顔色は悪かった。血の気が引いている。


 「魔力が下がってきている」


 リシャールがフィルに触れて、そう言った。それは闇の魔物の攻撃のせいだった。闇の魔物に傷つけられると生命の源である魔力を奪われ生命そのものを蝕まれる。適切な処置をしなければ危険なのだ。


 闇の魔物の力を追い出すことができれば魔力の低下を止めることができる。魔王はそのことを知らなかったが、彼は闇の魔物にとりつかれたドラゴンを助けた時のことを思い出した。月の光の魔法で闇の魔物の力を打ち消せば助かるかもしれないと思った。


 魔王は震える手でフィルの額に触れた。体が冷えてきているのが分かる。もう迷っている時間はない。


 「お前は私が助ける」


 魔王は意を決して、月の光の魔法をフィルの全身にかけた。魔力が高まっている満月の今日なら、きっとフィルを救うことができる。


 一方、フィルは自分が暖かい金色の光に包まれていることに気づいた。さっき何が起こったのか分からなかった。頭に痛みが走って怪我をしたのだと気づいた。


 ひどく気分が悪かったが、この金色の光に包まれていると何故かほっとした。この光は魔王の月の光の魔法だとぼんやりと思った。


 「魔王が助けてくれたの?」


 そう尋ねてみたが返事がない。なんで何も言ってくれないのだろう。フィルには金色の光しか見えない。


 やがて魔王の声が聞こえてきた。


 「じっとしていてくれ、頼む。こういうことに慣れていないんだ。うまくいくか分からない」


 魔王の声が心なしか震えていて切羽詰まっていた。そんな声は初めて聞いた。自分が感じているよりもひどい怪我なのだろうか。フィルはただ、じっとしていた。だんだんと暖かくなって眠くなってきた。


 「魔力が戻ってきたようですぞ…!」


 にわかに辺りが騒がしくなった。


 「よかった」

 「とにかく早く医者を!」


 フィルのことについて、みんなで相談しているようだ。そんなに心配しなくても大丈夫だよと言いたかったが、フィルはとても眠くて何も言えなかった。何人かの足音が近づいてくる音がした。


 「騎士団の医者に診せよう」


 フランソワの声がする。ほどなくしてドラゴンの声がした。


 「今から病院に行くよ、勇者の末裔ちゃん」


 恐らくドラゴンの背に乗せられたのだろう。移動している感覚がした。


 フィルが覚えているのはそこまでだった。フィルはひどい疲れから眠りに落ちた。



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