第9話 魔王と魔術師 中編

 フランソワは自ら図書館の案内をしてくれた。フランソワが歩き出すと、数人の騎士たちが慌ててついて来た。


 図書館の中は全て大理石で造られていた。入ってすぐの場所はエントランスになっていて円形の幾何学模様が床に描かれている。よく見るとどの方角に何の分野の本があるのか指し示してある。ドーム状の高い天井はガラス張りで日の光が差し込んでいる。床からは螺旋階段が二階に続いており、二階にも壁一面に本棚が並んでいる。


 もちろん一階のエントランスからも奥に別の部屋が続いている。分野ごとに各部屋に分かれて本が収められている。図書館のところどころには大理石の立派な彫刻まで置いてある。随分と広くて美しい図書館だ。


 この図書館に闇の魔物が入り込んで潜んでしまったらしい。倒すまでは一般市民の立ち入りを禁じて闇の魔物の捜索をしていたのだ。


 「自由に見てもらって構わないが、おかしな魔物を見かけたら我々に教えてほしい」


 フランソワはそれだけ言い置くと見回りに言ってしまった。図書館を自由に見て回れるようになると、みんなで手分けして魔術師の残した魔法の印を探すことになった。


 そこで魔王は魔術師の言葉をもう一度、思い返した。魔王にしか分からない印を残すと言っていた。それは魔王にしか見えない印ということだろう。もしかすると、月の光の魔法で印を残したのかもしれない。


 魔王は図書館の中に月の光の魔法がかかっていないか意識を集中させた。すると、一階の奥の壁に小さな金色の魔法陣が描かれていることに気づいた。魔王はみんなを呼び寄せて魔法陣を見せたが、誰も見ることができなかった。


 「そうか。これは私以外には見えんのだな」


 魔王が魔法陣に触れると壁の魔法陣が消え、床に大きな金色の魔法陣が現れた。そちらの魔法陣はみんなも見ることができた。


 「これで魔術師さんに会えるんですね」

 「多分な。ここが合流場所なのは間違いない」


 そうやってみんなで話していると、がしゃんと何か金属が石の床とぶつかる音がした。まるで鎧を着た何者かが地面を踏みしめて近づいて来るような不自然に大きな音だ。


 振り向くと図書館を見回っていたはずの騎士たちが剣を抜いてこちらへ迫ってくる。全員、様子がおかしい。まるで自分の意思がなくなったみたいだ。


 「まさか闇の魔物にとりつかれた?」


 以前に闇の魔物がドラゴンにとりついていたことをフィルは思い出した。まさか人にまでとりついて操るなんて。


 フランソワはかなり図書館の奥へ行ってしまったようで、この異変に気づいていないようだ。


 騎士たちはじりじりと円を狭めていく。魔王はさっきの手合わせで借りた剣をまだ持っていたので、すぐに剣を構えることができた。リシャールも弓を構え、ジェイドも氷の剣を鞘にしまったまま取り出す。


 魔王は傍にいたフィルに小声で話しかけた。


 「勇者の末裔よ、お前はすぐに逃げろ。ドラゴンを呼んでおいたから、じきに来るはずだ」


 魔王は図書館に入って自由に歩き回っている時に窓際にいた小鳥にメモを持たせ、ドラゴンとグリフォンを呼び寄せていた。闇の魔物が潜んでいると聞いて、さすがの魔王も用心をしたのだ。


 「でも、みんなは?」

 「わしらは皆、戦うことができる。魔王様もお守りするから案ずるな」

 「今から私が魔法で隙を作る。その機に乗じて逃げてくれ」


 窓が風でガタガタと揺れ、ドラゴンとグリフォンが飛んでくるのが見えた。フィルは魔王のことが心配だった。いくら魔王が剣の達人でも、こんなにたくさんの騎士を相手に戦えるだろうか。だが、ここは魔王の言う通り逃げるしかないことも分かった。


 魔王は闇の魔法で騎士たちを薙ぎ払った。それを合図にフィルは全力で走り出した。ドラゴンが飛んで行った先の部屋を目指す。フィルが逃げたのを見て何人かの騎士たちが追いかけてきた。フィルは振り返らずに走った。もし捕まったら魔王が逃がしてくれたことが無駄になる。


 逃げた先は渡り廊下になっていて柱の隙間から夕日が差し込んでいた。渡り廊下の先は広いバルコニーになっている。行き止まりだ。


 その一見、行き止まりのバルコニーに空からドラゴンとグリフォンがやって来た。


 「勇者の末裔ちゃんにひどいことするなー!」


 ドラゴンがフィルと騎士たちの間に割って入った。突然、大きな白い竜が現れたので、さすがに騎士たちもひるんで立ち止まった。


 「乗って。ここから逃げよう」


 フィルはためらいなくドラゴンの背によじ登った。


 「しっかりつかまっていてね」


 ドラゴンはバルコニーから身を乗り出したかと思うと、そのまま下へ降りて行った。急降下しながらドラゴンは大きな翼を広げて風を受け止め、空へ舞う。フィルは目をつぶって必死にドラゴンの背にしがみついていた。


 ドラゴンの姿勢が上空で安定するとフィルは何とか目を開けた。夕暮れの天文台の街が目の前に広がっていた。フィルは一瞬、闇の魔物から逃げていることを忘れて眼下に広がる景色に見入った。街灯が点々と街の合間を縫うように立っていて、小さな白い光を灯している。天文台も図書館も小さく見えた。


 闇の魔物はドラゴンに逃げられると騎士たちにとりつくのをやめて、不定形な姿のまま追ってきた。


 「追いかけて来ちゃった!」

 「ええっ」


 フィルの言葉に驚いたドラゴンは街の上空を飛んで逃げ始めた。


 その様子を近くの空の上で見ていた人物がいた。それは鳥の仮面をかぶったあの魔術師だった。魔術師は魔法陣が起動したのを察知してここへやって来たのだ。魔術師は数百年前の約束を魔王が覚えていたことが嬉しかった。


 「魔王様、覚えていてくれたんだね」


 魔術師が天文台の街へ着くと、闇の魔物から逃げるドラゴンとグリフォンを見つけた。魔術師は持っていた杖を一振りして月の光の魔法を放ち、闇の魔物を一掃した。闇の魔物が消えたのでドラゴンは逃げるのをやめて空中に浮かぶ魔術師の元へ近寄った。


 「魔術師さんだ」

 「この人が…」


 伝承の本で見たのと同じように鳥の仮面をかぶっているので、フィルも彼が魔術師だと分かった。魔術師にしては派手な、まるで舞台に立つかのような華やかな衣装を身にまとっている。


 「やあ、久しぶり。数百年経ったのに変わらないね」


 何となく不思議な感じのする人だ。それに空の上にさも当たり前のように浮かんでいる。魔法の力を難なく使いこなしているようだ。


 ドラゴンとグリフォンは何とか今までの経緯を魔術師に説明した。もちろんフィルと一緒に行動している事情も。


 「闇の魔物を操っている人が魔王城を乗っ取っちゃった? まずいね、それ」


 魔術師は深刻そうにそう言う。


 「ところで、魔王様は?」

 「はぐれちゃったんです。わたしを逃がそうとしてくれて」


 その時の状況を伝えると魔術師は明るい声で言った。


 「それなら、大丈夫。あの魔法陣は天文台の中に飛ぶように作ってあるんだ。本当はそこで会おうと思っていたから」


 それを聞いてフィルはほっとした。魔法陣の力で騎士たちからは逃げているだろう。


 「だけど、油断はできない。すぐに探しに行こう」


 夕日の最後の光が地平線に沈んで一番星が空に輝き始めた。日暮れだ。魔術師の言う通り、すぐに探しに行ったほうがいい。


 フィルたちが天文台に近づくと、フランソワが数人の騎士をつれて天文台に入ろうとしていた。様子がいつもどおりなので無事だったようだ。フィルたちに気づくとフランソワは心配そうに声をかけた。


 「あれから大丈夫だったか?」


 騎士たちが闇の魔物にとりつかれた時、フランソワも操られそうになった。だが、気合で闇の魔物を追い払うと他の騎士たちを力ずくで正気に戻して回ったらしい。魔王たちも助けようとしてくれたが、駆けつけた時にはフィルも魔王も見当たらなかった。その後、騎士たちの体から抜け出した闇の魔物が天文台に逃げるのを見て、追いかけてきたらしい。


 「ここは彼らに任せて、オレたちは空から探そう」


 天文台の一部の屋根は夜空が見えるようにガラス張りになっている。その真下辺りに転送されているはずだと魔術師は言った。天文台の中はかなり広いので空から探す方が早い。フィルはドラゴンに乗ると再び空へ飛んだ。








 魔王とリシャール、ジェイドの三人は魔法陣の力で天文台の中へ移動した。フィルを逃がした後すぐに魔法陣の力で転送されたのだった。突然のことに三人は驚いてしまった。


 「どこに着いたんだ?」


 天井がガラス張りのホールのような場所に飛ばされたのだ。図書館と似ているが、本も何もないだだっ広い所だ。ホールは巨大な扉で閉ざされていて押しても引いてもびくともしない。扉と反対側の場所にはガラスの天井へと続く階段がある。その先には巨大な望遠鏡が空へ向けて設置してある。それを見て、ここが王立天文台だと分かった。


 いつもなら扉は開いているのだが、今日は天体観測がないので扉が施錠してあったのだ。ひとまず闇の魔物にとりつかれた騎士たちは追ってこなさそうだ。


 一息つこうとしたその時、あの闇の魔物がホールの中に現れた。三人は慌てて応戦する態勢をとった。おびただしい数の闇の魔物が現れ、三人を取り囲む。その闇の魔物の中心に一人の青年が現れた。


 「お前は私の城を乗っ取った…!」

 「では、こやつが」


 青年は相変わらず余裕のある笑みを浮かべている。


 「この子たちに任せていてもよかったんだけど、僕自身が来た方が早そうだったから。封印されている魔王を消そうと思ったんだけど忌々しいことに手が出せなかったんだよね。だからまず、分身の方を消してやろうと思って」

 「黙って聞いておれば、好き勝手なことを抜かしよって」


 リシャールは青年に矢を射かけたが、闇の魔物に防がれてしまった。


 「魔王の今の姿は分身でしょ。魔力が減れば分身の姿は保てなくなる。そうしたらまた、眠っている体に戻るしかない。なーんにもできなくなるね」


 青年の言うことは本当だった。本調子の出ない分身の姿で魔法を使いすぎると、恐らく分身の姿を保てなくなって消えてしまう。そうなるともう分身の姿は出せなくなるだろう。再び深い眠りの中に封印されることになる。


  青年は大量の闇の魔物を呼び出して、こちらの力を尽きさせる気なのだ。


 「今回はどこまでもつかな?」


  青年はさも愉快そうにそう言う。魔王は剣を構えた。この場を何とかしのぐしかない。


  日は既に沈み、夜がやってこようとしていた。



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