第8話 魔王と魔術師 前編

 フィルは宿屋の一角にある部屋の前で耳をそばだてていた。というのも、さっきから魔王がその部屋に蝋燭やら何やら、いろいろな物を持ち込んでいたからだ。怪しい。更にリシャールもジェイドもグリフォンも入っていった。何をしているのか気になったフィルはドアに耳を当てて中の話し声を聞いていた。


 「みんな集まったな。それでは第一回魔王軍会議を始める!」

 「いや、勝手にわたしの家で変な会議を始めないでよ!」


 フィルがドアを開け放つとカーテンを閉め切った暗い部屋の中、蠟燭を丸いテーブルの上に置いているのが見えた。そのテーブルの周りに魔王を中心にしてリシャール、ジェイド、グリフォンが集まっている。


 「変なところで魔王っぽいところを出さないでよ。お客さんが怖がったら、どうするの」

 「あんまりここで会議をしたら、ぼくが中に入れないよ」


 ドラゴンの声が窓の外からする。ドラゴンは身体が大きすぎて宿に入らなかったので、窓の外で話を聞いているようだ。


 「どうして急に魔王軍会議をすることにしたのよ」

 「それはだな。最後の部下である魔術師をどう探すか相談していたのだ」


 魔術師の行方は誰も心当たりがないらしい。魔術師は最後に魔王の部下になったメンバーでいつも飄々とした態度をとって、常に顔を鳥のような仮面で隠し、名前も明かさなかった。ただ、彼の魔法の腕は本物で何度も助けてもらったらしい。おまけに物知りで、大抵のことは聞けば何でも教えてくれた。魔王軍に入る前はずっと気の向くままに世界中を旅していたらしい。そんな魔術師なので今どうしているのか、そもそも本人が生きているのかも分からない。


 「魔王は何か覚えていないの?」

 「そうだな…」


 魔王はじっと考え込んだ。数百年前の記憶を手繰り寄せる。やがて魔術師と約束したことを思い出した。


 「確か天文台のある街で落ち合おうと言っていたな」


 魔術師がもし自分に会いたくなったら、天文台の街にある図書館で合流しようと言ったのだ。


 「魔王様にしか分からない魔法の印を残しておくからさ」


 当時、魔術師とはいつも一緒にいたから、いつそんな時がくるのか皆目見当がつかなかった。大方、魔術師がいつか気ままな旅に出る時のことを想定して言っているのだろうと思っていた。まさか今になって、この合流場所を使うことになるとは。


 「だが、天文台のある街とはどこだ?」

 「それなら、知ってるよ。王立天文台のある街でしょ」


 フィルは自分の部屋から地図を持って来た。城下町の西にある大きな街を指さす。


 「ここは学問の街なの。王立天文台があって星や月の観測をしているって聞いたことがあるわ」


 フィルは宿屋の娘として自然とこの辺りの地理と観光に詳しくなっていた。天文台の街は王立天文台をはじめ、図書館、錬金術などの様々な国の研究機関が集まっている。特に天文学者や錬金術師たちがよくこの街へ行きたがるので、街への行き方を覚えてしまった。


 「そう遠くはないんですね」

 「飛んで行ったらすぐだよ」


 ドラゴンの明るい声が外から聞こえる。どうやら、すぐにでも行きたいようだ。


 こうして、天文台の街へ出かけることが急に決まった。宿がそんなに忙しくない時期なので、フィルもついて行くことにした。だんだんフィルもいろいろな街へ行くのが楽しくなってきた。


 以前にリシャールの村へ行った時のように、フィルは魔王とジェイドと一緒にドラゴンの背に乗った。そのすぐ傍をハヤブサの姿のリシャール、グリフォンがついて来た。


 天文台の街は城下町のすぐ西にある。城下町が見えて西に飛ぶと大きな天文台のある街が見えてきた。


 ドラゴンは三人を降ろすと、グリフォンと街の傍の森で遊んで過ごすことになった。二匹は仲が良いらしく、久しぶりに何をして遊ぶか楽しそうに話しながら森へ去って行った。やはり、人の街には興味がないようだ。


 天文台の街は学問の街だけあって静かな雰囲気を持っていた。錬金術の道具と材料を売る店や、望遠鏡を売る店など城下町ではあまり見かけないような店が軒をつらねる。大量の本や資料を持った人が行きかうのも、この街ならではの風景だ。


 石畳の道のところどころには街灯が立っている。これもこの街らしい風景だ。この街灯の明かりは錬金術によって生み出されたものらしい。ここで開発された技術が使われているので、おのずと他の街では見かけない設備も多い。


 合流場所の図書館は街の中心にあった。白い大理石で造られた壮麗な建物だ。各地にある図書館の一つで一般市民や旅行者にも開放されている。


 その入り口で何やら揉めているのが見えた。一人の旅の男がいらだたしそうに言う。


 「だから、なんで入れないんだよ」

 「さっきも言った通りおかしな魔物が出た。安全になるまで、しばらく入れない」


 全身に鎧をまとった騎士たちが図書館に入ろうとする人を押しとどめているようだ。図書館に魔物が出たとは大変な話だ。この騎士たちは天文騎士団だ。王宮が擁する騎士団の一つで、研究機関の集中するこの街を守護している。


 「なんか大変そうだね」

 「図書館に入れないとは、困りますな」

 「要はいつここに入れるようになるか分かればいいのだろう。私に任せろ」


 魔王がすごく自信満々にそう言う。そういう時はだいたい当てにならない。魔王はあわてたように付け加えた。


 「私は魔王だぞ。相手の考えていることぐらい読める」


 ここにきて急に魔王らしい特技が出てきたなとフィルは思った。


 「じゃあ、ちょっとやってみてよ」

 「いいだろう」


 魔王はじっと騎士たちの様子を見つめる。ところが、だんだんと表情が険しくなっていく。


 「腹が減ってる?」

 「それは違うんじゃない」


 どうも魔王は相手の考えを読めるには読めるようだが、読みとれる内容は正確ではないらしい。その方が魔王らしい気はするが。


 「一人ぐらいそう思っているかもしれないけど、いつ入れるかを読んでよ」

 「うーん、なかなか難しいな」


 テレパシーも使えないと言っていたし、魔王はこういう繊細なことは不得手なのかもしれない。

こちらがバタバタしていると図書館の中からひときわ立派な鎧を身に着けた騎士が現れた。周りの騎士たちが礼をする。どうやら彼らの長らしい。騎士の長は中に入れないと言っていた旅の男に声をかける。


 「腕に覚えがあるなら、入ってもらってもいい。だが、さっき俺に負けただろう」


 騎士の長は男が腰にさした剣を指さしてそう行った。男は言葉に詰まった。それでも、何か言おうとしたところで魔王が会話に割り込んだ。


 「つまり、剣の手合わせで勝てば中に入れてくれるのか?」

 「あんた、何を言っているんだ!? この人はものすごく強かったぞ。おれは町の剣の大会で優勝したこともあるのに、手も足も出なかった」

 「ほう、お前も相当な剣の使い手だな。だが、私もここに用があってな」

 「なめやがって。おれは勇者の生まれ故郷の町の出なんだ。勇者の末裔なんだぞ」


 男は誇らしげにそう言う。恐らくそう言えば魔王は引き下がると思ったのだろう。だが、魔王は嬉しそうに目を輝かせてフィルに耳打ちした。


 「こいつも勇者の末裔なのか?」

 「勇者さんは歴史上の偉人なの。この国中に勇者の生まれ故郷だって町はたくさんあるし、勇者の末裔だって人も大勢いるから、多分そうなんじゃないの」

 「そうか。あまり勇者には似ていないが…」


 魔王は少し首をひねったが、再び男に向き直った。


 「お前は勇者のように強いのか? であれば、この魔王が相手をしてやろう」


 これにはさすがに男の方がぽかんとしてしまった。誰も伝承の魔王本人がここにいるとは思っていない。男の方は呆れているようだが、魔王は全く気にしていない。


 「誰か剣を貸してくれ」


 そういえば魔王は剣を持っていない。周りに借りるつもりで手合わせをしようと言ったようだ。

 周りが誰も剣を持っていない中、魔王に剣を貸したのは騎士の長だった。ことの成り行きを面白がっている。更には手合わせの審判まで申し出た。騎士の長の態度に周りの騎士たちも興味深げに見守り始めた。そのうち、騒ぎに気付いた通行人も立ち止まり始めた。なんだか大ごとになってきてフィルは心配になった。


 フィルは魔王が剣で戦っているところを見たことがない。剣の達人だったという勇者と渡り合ったというから強いのだろう。魔王は騎士の長から剣を受け取った後、剣の刀身を確認して軽く振ってみてから構えた。慣れているようには見えるが、フィルには強いのかそうでないのか分からない。相手の男は剣の大会で優勝したのだから、それなりに手ごわいだろう。


 「魔王、大丈夫かな」

 「魔王様はお強いですよ。時々、剣の稽古をつけていただいていますけど、勝てた試しがなくて」


 ジェイドが横からそう言った。ジェイドが氷の剣を使って闇の魔物と戦っているのは見たし、真面目に剣の修行をしているのも知っている。ジェイドが強いというのなら、大丈夫だろうとは思う。


 騎士の長はお互いに相手の剣を取り上げるまでだと注意し、始めの合図を出した。


 合図と共に男が勢いをつけて斬りかかってきた。魔王はというと、ただ普通に構えてじっとしているだけだ。


 だが次の瞬間、男の剣は弾き飛ばされて地面に転がっていた。魔王の動きがあまりに自然で素早かったので、まるで男が自分で勝手に剣を取り落としたように見えた。フィルは魔王の動きをちゃんと見ていたわけではないが、相手が斬りかかってくる直前に相手の剣の柄を弾いて取り落させたようだ。


 リシャールはハヤブサの眼で全てを見ていたらしく、一人でうなずいている。男はというと何が起こったか分からず混乱していた。


 この場でリシャール以外に剣の動きを捉えていたのは騎士の長だった。彼は大音声で笑うと魔王の勝ちだと言った。


 「素晴らしい剣さばきだ。これほどの使い手は見たことがない。ひとつ、お手合わせ願いたい」


 その言葉を聞いた途端、騎士たちが慌て始めた。


 「フランソワ様の悪いくせが出た」


 フランソワというのはこの騎士の長の名だろう。武骨な雰囲気に反して随分と優雅な名だ。


 「我こそは天文騎士団の長にして勇者の末裔。魔王殿、戦ってくださるかな?」


 勇者の直系の末裔の中には貴族になった家系もある。フランソワの家はそのうちの一つで代々、この天文台の街の守護を任されている。そんなフランソワは飾らない性格で周囲の騎士たちからも慕われている。剣の腕前も申し分ない。その彼の悪いくせというのは。


 「剣の使い手と戦うのがお好きなんです」


 どうも強い相手と見るや手合わせを申し込んでしまう性分らしい。自分に勝ったら図書館に特別に入っていいというのもフランソワが勝手に言い出したことだった。


 騎士たちの長ということは剣の技量は相当なものだろう。更にフランソワは近くで見ると大男であることが分かった。そこから繰り出される攻撃がどれほど凄まじいか想像に難くない。


 フィルは今度こそ心配になってきた。一方の魔王は中肉中背で格別、力が強いわけでもない。フィルより背は高いが成人男性の平均的な体格だ。


 だが、魔王は全く臆する様子はない。特に何も気にしていないようだ。それどころか魔王も面白がっている。


 「ちょっと、魔王。本当に大丈夫? あの人、ものすごく強そうだよ」

 「なに、心配はいらん」


 その言葉が逆に不安になる。だが、ここは見守っていることしかできない。

 魔王とフランソワが剣を構える。お互いに普通に構えているだけのように見えるが、しばらくお互いに何も仕掛けずに構えたまま睨み合った。二人の緊迫した様子にお互いに隙がないのだと分かる。


 おもむろに動いたのはフランソワだった。剣を振り下ろしたのを魔王はとっさに横にかわした。ずしんという重い剣の一撃で石畳が少しへこむ。あんな攻撃を喰らったら、ひとたまりもない。


 フランソワの攻撃は一撃が重いからといって動きが鈍いわけではない。すぐに剣を横に振る二撃目がやってきた。魔王はその攻撃を剣で受け流す。


 そこから弾みがついたのか攻撃の応酬が始まった。見ているうちに分かったのは、魔王は身軽だということだ。相手の攻撃を受け流すか、かわすかを見極めて瞬時に使い分けている。受けられないような重い一撃はかわしている。


 もちろん防戦一方では勝つことはできない。魔王も隙を見て攻撃を繰り出している。フランソワも攻撃をうまく防いでいる。力任せの剣ではない。ただ、鎧を身に着けているせいか多少、攻撃を受けても気にせず攻撃を繰り出すことが多い。


 魔王は戦いながら勇者本人との戦いを思い出していた。勇者はどちらかというと身軽なタイプだった。だが、隙は全くなかった。剣戟の嵐ともいうべき猛攻を繰り出す。かと思えばこちらの攻撃を的確に防ぐ。剣の達人に違いないが、いささか人間離れした強さだ。強すぎるからこそ彼は一人で魔王の元に来たのだろうし、時折、その目の中に孤独が感じられたのだろう。まさに孤高の剣だ。


 もちろん魔王も負けてはいなかった。攻撃の方法は違うが剣戟の嵐を防ぎきり、相手のわずかな隙をつく一撃を繰り出す。


 あの時の戦いを思うとフランソワの剣技は荒削りな部分がある。勇者とは相対的に大きな隙ができることがある。


 お互いに疲労の色が見え始めた。そう長くは戦っていられない。


 フランソワは疲れてきていたが久しぶりの猛者との戦いに高揚していた。更に最近は負け知らずだったことが油断を生んだ。攻撃の後に大きな隙が生まれたのだ。


魔王はその隙をついた。相手の手首に自分の剣の柄を叩きつけた。フランソワはしっかりと剣を握りこんでいなかったので呆気なく剣を取り落とした。


 一瞬、辺りは静寂に包まれた。


 その後、予想外の結末に観客からどよめきが起こった。騎士たちも動揺を隠せない。フランソワはぼんやりとしていたが、剣を拾うと照れたように笑った。


 「いや、参った参った。本当にお強い。約束どおり、図書館の入館を許可しましょう」




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