8「前世」
温水は、アルバイトでホテルに来ていた。
ドアマンの熱田に挨拶して、更衣室で制服に着替える。
すると、社長が来た。
アルバイト一人に、社長が迎えるなんてあるのだろうかと、少し警戒した。
「調理室に行ってみない?」
「俺は、料理人ではないのですが。」
「では、入るだけでも。」
調理室に入る。
すると、一気に懐かしさが広がった。
心の中が、とても澄んでくる。
息がしやすい。
「ねえ、天地君。ちょっと、料理していかない?」
「え、でも。」
「なんか、顔が輝いているよ。」
社長は、温水の顔を見ると、ここに来る前よりも輝いていた。
周りが見ても分かる位、顔が緩んでいた。
でも、自分の包丁を持って来ていない。
他の包丁でも、家で母の手伝いをしたように出来るだろうか。
「いや、今日は、ちょっと。」
「なら、明日ならいい?」
「えーと、何か企んでいませんか?そこを説明してくれましたら、料理しますよ。」
社長は、その言葉を待っていたと言わんばかりに、温水をレストランの前に連れて来た。
そして、昨日、見えなかった料理人の写真を見せる。
「このレストランには、かつて、二人の神料理人がいたんだ。一人は、赤野きつめ。」
社長は、女性の写真を手のひらをかざして、記した。
「そして、もう一人が、赤野夏也。」
同じく、手のひらをかざす。
温水は、二人の写真を見ると、一気に涙があふれて来ていた。
『どうしてだろう。俺、この二人知っている。』
拭いても拭いても止まらない涙。
社長は、少し落ち着かせるために、社長室へと向かった。
社長室は、洋風で、入口から見ると、左右に本箱があり、資料がいっぱい入っていた。
正面には、社長が座る椅子と、使用している机がある。
その前に、ソファーとソファーに合う机があった。
そのソファーに温水を座らせて、紅茶を入れて出す。
「さて、ここからは、昔話だと思って聞いて欲しい。」
このホテルは、数十年前までは、そんなに繁盛していなかった。
目玉になる物がなかったからだ。
それを考案したのは、その時、勤めていた赤野きつめ。
目玉になる料理を作って見せて、提案したのである。
その人も辞めてしまい、その後も、レシピを頼りに作ってきた料理人がいたが、寿退社をしてしまい、作ってくれる料理人がいなくなって、困っていた。
その時に来たのは、赤野夏也である。
赤野夏也は、とても料理が上手くて、訊けば、赤野きつめの弟子だとか。
だから、高校卒業したばかりだったが、採用し、目玉料理を作る人に任命した。
とても苦労をしていたが、弟子なだけあって、直ぐにでも自分の物にした。
それから、色々と料理を向上させて、ホテルでも自分の仕事を任せられる人材を育てていた。
ただ、五十歳位になると、急に、身体の不調を訴え、ホテルを辞めてしまい、六十五歳で亡くなった。
そこまで聞くと、温水は、昨日の寒水と話しを合体させて、まさかと考えた。
「もしかして、温水君。」
「な、なんですか?」
温水は、つばを飲む。
「赤野夏也君の弟子だったりしない?」
「は?」
「弟子だったら、昨日の、このホテルの説明といい、お持ち帰りといい、さっきの笑顔といい、納得がいくんだよ。」
「弟子じゃないですよ。それに、今日、初めて、その二人の名前を訊いたばかりです。」
社長は、少し落ち込んだ。
「そうか…でも、明日、料理してくれるんだよね?」
「そういう約束ですから、明日は、家から包丁を持って来ていいですか?」
「やっぱり、料理をやるんだね。」
「やりません。家では、先日から、母の手伝いをしている程度です。」
社長はあきらめなかった。
「でも、料理はしてみたいですね。なんだか、落ち着くんですよ。」
その一言で、社長は笑顔になった。
温水の手を握り、何度もお礼を言った。
「では、今日の仕事に戻ります。昨日と同じく、ホテルの見回りします。」
「明日、楽しみに待っているよ。」
今日は、何もなく終わった。
家に帰ると、寒水が居間にいた。
宿題をしていて、息抜きで飲み物を飲んでいた。
「おかえり、兄貴。」
「明日、料理する事になった。」
「社長に言いくるめられたのか?」
「そうではないけれど……。訊いてくれるか?」
寒水は、温水の部屋に移動した。
温水は、今日の事を話す。
「もしかして、社長は良いやつか?」
寒水は、考えを改めた。
「で、どう思う?あの赤野夏也が、俺の前世だと思うか?」
「だとしたら、全部納得いくよな。兄貴の心は、どうなんだ?」
「どうって、なんだか、晴れた気分だ。」
すると、寒水は、一つの提案をした。
「兄貴が、料理していけば、ドンドンわかっていくんじゃない?ほら、記憶が蘇るとかさ。」
「そうかな?」
「そうだよ。さっ、今日も、夕ご飯期待しているよ。母さん、今日は、カレーにするっていってたよ。材料切ったり、ルー入れたり、大変な工程があるんだろ?」
すると、買い物から帰ってきた母の声が聞こえた。
「ほら、台所に行って行って。」
寒水は、温水の背中を押した。
温水は、キルに包丁を持って来て貰える様に頼み、母に手伝うと言う。
母は、とても喜んで、笑顔になっていた。
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