夜明け前

真狩海斗

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 貴方が、になった『最初の日』を、私はよく覚えている。


 百年余り前のことだ。

 その日、国王軍はいつものように遊び半分で、罪なき民衆に銃口を向けていた。彼らの暴虐は日常と化しており、民衆はもはや抵抗を諦めていた。

 

 貴方は立ち上がる。

 武装した国王軍を素手で薙ぎ倒した。

 銃弾を浴びても弾き返す鋼鉄の肉体を持ち、真紅のマントをはためかせて宙を舞う貴方の姿は朝日と重なり、民衆にとって希望そのものに映った。


 喝采をあげる民衆の前で、貴方は自分の拳をしきりに気にしていた。国王軍の兵士の脳髄がベッタリとこべりついていたからだ。貴方は今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 その夜、貴方は何度も何度も手を洗うこととなる。


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 貴方は、心優しい人だった。

 である貴方には超人的な力が備わっていた。見た目は人間同様だったが、その無敵の肉体はどんな武器も通さず、その五感は国すべてを見通すことができた。

 しかし、圧倒的な力を持ちながら、貴方は"暴力"を忌避し、人助けのためだけに力を使ってきた。


 貴方はかつて泣いていた。それは、川で溺れた人を救助した直後だった。助かってよかった。そういって貴方は人目も憚らず涙を流していた。


 そんな心優しい貴方が初めて"暴力"を行使したのが、この『最初の日』だった。


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 圧政を強いる国王への不満が溜まっていたのだろう。

 民衆は、貴方を革命の担い手として崇め、祭り上げた。

 はじめは固辞していた貴方だったが、最後には引き受けることとなる。民衆の期待の眼差しに心を動かされていた。

 それに、革命が落ち着けばもっと適切な誰かに引き継げばよい、と考えてもいた。


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 革命は僅か1日で成った。

 傷ひとつ負わず、単騎で戦車を破壊できる貴方の前に、国王軍はあまりにも無力だった。


 革命後、初の議会は、過去にない盛り上がりだった。しかし、その熱気は国王の処刑方法に向けられていた。国の未来を語る者は誰もいなかった。

 貴方は、失望を禁じ得なかった。


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 その年の夏、国王の処刑が執行された。

 熱狂した民衆によって、哀れな国王がギロチン台に連行される。殺せ!殺せ!という怒号が響く。みな、笑っていた。

 国王の首が切断された。歓声があがる。

 その瞬間、私は見た。貴方の顔が歪んでいくのを。

 貴方には、"暴力"に酔う民衆の姿がさぞ醜く、愚かに映ったのだろう。

 そして、決意した筈だ。自分が民衆を導かねばならない。


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 貴方は、新たな国王となる。

 貴方がずっと人々を助けていたのはよく知られていたから、誰からも不満はなかった。

 貴方は、立法・行政・司法それぞれに改革案を打ち出し、それらはすべて満場一致で可決された。民衆は貴方を心酔していたし、なにより、圧倒的な英雄ヒーローに判断を委ねることが快楽を覚えていた。

 以後、貴方の改革は成功し、国は十数年間の平和を築くこととなる。


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 貴方は愛する伴侶を得た。

 彼女は、優しく、聡明で、海のように豊かな心を持っていた。

 民衆は、貴方たちの結婚を心の底から祝福した。昼夜を問わず花火が上がり、宴会が開かれた。それはひと月以上にわたり続けられた。

 照れくさそうに頭を掻く貴方に、かつての純朴な若者が重なった。貴方は、幸せの絶頂にいた。貴方だけではない。この国も最盛期を迎えていた。


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 国は安定していたが、貴方に反発するものが度々現れた。

 独裁だ!化け物は出ていけ!と主張し、暴動を企てるものもいた。


 しかし、貴方の五感によって、それらの計略は筒抜けとなる。

 貴方は、部下に指示して、彼らを捕縛させた。あとの始末は部下に任せた。自分以上にこの国を愛する良き指導者はいないと確信していた。

 貴方は決して"暴力"に酔うことはなかったが、あの『最初の日』に、"暴力"という手段を用いたことで、貴方の思考の中に"暴力"という選択肢が生まれた。"暴力"の手軽さを実感し、話し合いを億劫に感じるようになっていた。


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 貴方の妻が初めて子を身籠った。貴方は飛び上がって喜び、勢いそのままに空へと駆け出した。

 雲の隙間から見下ろした国の姿は美しく、貴方は、愛する妻と子のため、この国を守り抜くことを改めて強く誓った。


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 またしても暴動が鎮圧された。もう何度目だろう。

 部下からの報告を聞いた貴方は、眉ひとつ動かすことはなかった。

 貴方の国に対する愛は微塵も薄れていなかったが、民衆に向ける感情には変化があった。

 過去に、とある心理実験が行われた。それは、人間が役割に合わせて行動してしまうことを証明しようとしたものであった。看守役と囚人役に分けて行われたその実験では、役割によって人間が思わぬ残虐性を発露してしまうことが明らかとなった。


 国王という役割を得た貴方は、いつしか民衆を愛すべき隣人として見ることができなくなったのかもしれない。


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 貴方の妻が死んだ。

 貴方の子が母体を内部から食い破ったのだ。貴方の子も、外気を浴びて数秒で息絶えた。サソリとムカデを無理やり接合したような醜い怪物の姿をしていた。

 貴方は悲しみに暮れ、涸れ果てるまで泣き続けた。化け物は出ていけ!の言葉が、耳にこだましていた。


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 貴方の妻の葬儀が執り行われた。

 民衆は、雨の中、三日三晩にわたり国歌を斉唱し続けた。倒れるものもいたが、多くの民衆は不眠不休で歌い続けた。

 歌うのをやめれば処刑されるという噂が流れていたそうだ。根も葉もない噂ではあったが、貴方はあえて否定することもしなかった。


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 貴方は、戦争を好むようになった。

 民衆の不満を他国に向けることで解消しようとしたのだ。

 事実、民衆は、貴方が敵兵を一網打尽する姿に湧き上がった。


 それだけではない。貴方のことを内心で恐れながら機嫌を取ろうとする自国の民衆よりも、素直に敵意を向けてくる敵兵の方が、貴方にとっても接していて気楽だった。


 戦争に勝利した貴方は祝杯をあげる。

 拳には、敵兵の臓腑が付いていたが、貴方は洗い落とすこともしなかった。


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 貴方の2番目の妻が死んだ。

 3番目の妻も、4番目の妻も死んだ。

 妻たちの腹を突き破り、絶命する醜い我が子の姿に、貴方は自分の末路を見ていた。


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 併合した国のあちこちで暴動が起きた。

 内戦は常態化し、多くの命が失われ、国の重要施設がいくつも破壊された。


 これらの企てを事前に察知することはできた筈であった。しかし、五感による監視は随分と前にやめていた。民衆の本音を浴び続けることに、貴方は疲れていた。


 部下は治安維持のための征圧を提案した。貴方はそれを承認する。もはや、民衆を数としてしか認識できず、"暴力"への嫌悪感はなくなっていた。


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 貴方は初めて敗戦した。

 敵国のミサイルが、首都に落ち、多くの民衆が死んだ。


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 撤退し、自国に帰還した貴方を待ち受けていたのは、怒りに燃え上がる民衆だった。

 お前のせいだ!民衆が貴方を非難した。非難した民を、貴方の部下は即座に撃ち殺した。


 貴方はその部下を殴り殺した。なぜだろう。部下や民衆だけではない。その行動に、貴方が一番困惑していた。


 貴方は逃げるように空へ飛んだ。


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 貴方は、宇宙からこの星を眺めた。

 貴方は、ミサイルが落ちたときのことを思い出した。見えてはいたのに。なぜ防げなかったのか。

 もしも、川で溺れた人を助けたときのような必死さがあれば。

 それなら、ミサイルを止められたのだろうか。

 いつから、何が、変わってしまったのだろう。


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 貴方は、国に戻ると、退位を宣言した。

 誰からも反対意見は出なかった。


 貴方は故郷に引きこもると、すぐに衰弱していった。

 そして今、貴方は死の淵にある。


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 私たちに気づきましたか。

 ようこそ、こちら側へ。

 ずっと見ていました。


 私たちはこの国で死んだ者の魂です。先代の国王や貴方の妻もいますよ。


 見えますか、あの光が。

 国王でも、異星人の英雄ヒーローでもない。民衆が主体となり、自由に考え、話し合い、立ち上がり、国を担う『最初の日』がきたのです。

 数多の"暴力"を乗り越えて、ようやく。


 さあ、ともに見守りましょう。

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夜明け前 真狩海斗 @nejimaga

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