第3話 青春と称される利権装置・新制高等学校

 さてさて、この「青春」という言葉を銘打ったあかつきには、そうですね、今でいうところの「情報弱者」、すなわち「情弱」どもがゴキブリホイホイのゴキブリなんか比にならんほどの勢いでそこに殺到するわけですよ。

 何だったら、青春なんて言葉を「ジョージャクホイホイ」と入替しても結構な割合で当てはまるものが多そうな気がするのは、わしだけかもしれんけど、そんなこともなさそうな予感。


 その青春とやらを使っていろいろやるのはいいのですが、情弱どもとは言えどそれなりの場所を提供しないことには、ホイホイと都合よく寄りついてくれないときております。

 要は、その年代の男女がゾロ集まれるような場所がないと困るのね。

 それも、戦前の進学率1割あるかないかの帝国大学のようなものでは困るのは言うまでもありません。そんなことをしてしまうと、一部特殊な世界での話ということになって、大半の人々、それこそ、ジョージャクどもをホイホイと拾えんから、パイの小さい中での商売になってしまうわな。まあ確かに文化レベルは高くなろうけど、それではいけない。あとに続かないときておる。


 ともあれ、戦後時代が進むにつれてその青春の舞台に選ばれたのは、学校。

 学校と一口で言っても、大学は私らの昭和末期で3割程度の進学率だったから、これではちょっと、ハードルが高い。それこそ、そっちに行くようなのは馬鹿じゃない率が半端なく高いから、これでもまだ、特殊世界には変わりないでしょうが。


 小学校?

 それはいくらなんでも無理よ。5年か6年くらいにでもなればまだしも、1年生やそこらで青春は、いくらなんでも、ねえよ。みんな行くからと言っても、そこはしかし、子ども相手のビジネスをしないとね。そう、子どもだまし。

 では中学校。

 これなら義務教育だからみんな行くでしょ、ってことになるはずですけど、どっかのテレビ番組で昔やっておった「中学生日記」なんか見ても、なんか青春とは少し違和感を持たざるを得んところ、あるわな。

 よほどの中高一貫校のような場所であれば格別、それ以外の公立中学校なんてどこも同じようなもの。それでは、個々の差があまり出んじゃないか。

 まあ確かに金八先生なんかは中学が舞台ではあったけど、あれを青春ドラマと銘打つとなったら、やっぱり、ちょっと違うような気がするのは、わしだけかな?


 というわけで残ったのは、高校。学校教育法上、正式には高等学校と言います。

 ただし、旧制高等学校などというのはエリートの巣窟で現在の大学に相当するから駄目よ。というわけで、戦後の新制高等学校はまさに青春という記号をもっとも体現し得る場所として、さまざまな人にとっての「青春」を吸収し吐き出す装置となったわけであります。

 時期が来れば進学率はほぼ100%に近くなり、みんな行くも同然。

 しかも、学校での光景はもちろん、習うことも学校ごとに違う。同じような過程の学校でも、そこにはスクールカラーができるから学校ごとにおいても差異が生まれ、自然差別化されてくる。

 そうなれば、学校という組織の個性とそこに来る個々人の個性が集い、ひとつ大きなドラマへとつなげていけるわけじゃよ。


 その結果が、オレは男だ! だの、飛び出せ青春! だのの青春学園ものドラマと相成って、それがそれこそバラエティー番組も顔負けの勢いで全国に電波に乗って放映されて行きましたとさ。

 ただでさえそういう雰囲気の中、あんな調子のドラマが流されれば、そりゃあもう老いも若きも幼きも妙齢も、猫も杓子も見るわい。

 そして、それをまた純真に真に受けた対象年齢の高校生やその予備軍の中学生あたりに浸透し、それがそれより上の世代や下の世代にも広まっていくわけ。


 青春という概念を世に定着させたという点において、テレビの与えた影響はゆめゆめ過小評価なんかできません。

 ああいうテレビドラマがあったからこそ、高等学校進学率は高止まりを維持できたと言っても過言ではないと思うぜ。

 あんなヘッポコ学校なんか行ってへえこらと、ろくすっぽ勉強もしているように思えないわ、スポーツにでも打込むならまだしもそんなこともなくろくなことをしやがらんわ、そんなヘッポコ高校行くくらいならさっさと働くか、それこそ大検でも受けてさっさと大学に行った方がマシとなっては、商売あがったりやないか。

 だからこそ、青春というのは尊いもので二度とない日々であると、情弱どもをだますにはそここそを強調せねばならん。

 その意味で、高校なんてのを無視してテメエの道をひた進むようなことをするのはヒトデナシくらいに思ってちょうどいいのでしょうよ。

 少しくらい無駄な時間があってもいいではないかというつもりか知らんが、テメエにそんなことを強要する権利があるのかと言われたらとたんにシュンとなってしおらしい言葉を述べていた雑魚もおったが、そんな雑魚どもこそが、青春利権に無邪気(=低能)にして踊らされていた典型的な人物ってことや。


 そう、高校という場所は、飛び出せ青春の主題歌の「太陽がくれた季節」の歌詞通りの世界でなくてはいけないのよ。現状がそうであるとはあえて言わんよ。

 それにしても、あの歌を作った人、歌い切った人、そして何より、あの曲を主題歌に抜擢した人の慧眼には恐れ入るのみ。

 その歌はその時代の高校生の日曜の夜の娯楽を提供しただけにとどまらず、後には中学校あたりの音楽の教科書にも収録されたり、学校の行事で歌われるようになりで、そりゃあもう、時代を切り開いただけにとどまらず、後世のそれこそ私らの息子や下手すれば孫の時代の人らにまで、大きな爪痕、もとい影響を与えておるのでありますからね。


 なんかまとまり悪くなってきたから今回はこの辺にしておくけど、要するに、


1.みんなが通う場所で、それなりに差異が出ていること。

2.一部の特殊な人たちの世界にとどまらない要素を持っていること。

3.仲間の同一性がどこかで必ず担保できること。


これらの要件を満たした昭和40年代の高校という場所こそがまさに、それまでの青春像をうまく総括し、その後の青春像を形作るにおいて格好の場所であったということになります。


 これ、文部省にとっても有難かったろうな。大蔵省から予算を取る上でも、高等学校進学率の増加ってのは。学校も新設し、定員も増やし、教職員も増やさないといけないからね。そこに大きな利権が働いたことは、言うまでもないだろう。

 社会の側から見ても、中卒で働かれるよりも高校まで行ってくれた方がいろいろと仕事を覚えてもらう上でも助かる状況になって来たのよ。

 手に職をつけてとか何とか、適当なことをホザいて貧困家庭の中学生を安月給で雇ってみたいなことでは間に合わない時代が来たのよ。

 せめて商業高校で簿記はじめ商業関連の勉強をしてくれて、あるいは工業高校で技術の基礎を学んでから来てくれた方が、ありがたい時代になったわけ。

 では普通科高校はどうかと言うと、卒業後は社会に出て「管理者」となる者を養成する学校であり、女子生徒はその「管理者の細君」となるための準備をする場所だったのだそうです。現在でも進学校で名の通っている県立普通科高校の先生でそんなことを言っている人がいたらしいけど、まさに、そこ。みんながみんな大学まで行けたわけでもない時代でも、そんな調子だったのよ。


 ほらほら、こんな調子で学校ごとに差異があるくらいの世界だから、ちょうど舞台としてはおあつらえになったわけよ。

 この辺でと言ったあと少し長くなったけど、ま、そういうことでとりあえず今回はここまで。

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