第12話 加奈の不自然なやさしさ

眼を覚ました。ぼんやりと視界を確保する中、加奈が激昂する声が聞こえた。


「なぜ彼を徴収したんですか暁司令官。こうなることなんて容易に分かったでしょう」


「どういう意味かね?」


「とぼけないでください」

どうやらここは病室で、廊下で暁と加奈が言い争っているようだ。


「暁さん、彼と私を英雄に仕立て上げたいんでしょう? 違いますか?」


「……」


「彼みたいなヒーローを使って、国民を扇動する。見た目的には合格でしょう。左足が無くて、それでも果敢に国防を担う少年。プロバガンダには持ってこいですよね」


「肯定も否定もしないよ」


「――もういいです。彼を除隊してもらうように、私が直接東さんに直談判します」

それから、扉が開いた。その方向を見ると、厳しい面持ちの加奈がいた。手には赤の百合の花束があった。


「起きてたんだ。大丈夫?」


俺は包帯の撒かれた手を振った。「もちのロン」

彼女は眼を細めてそれから俺の頭を撫でてきた。


「――あの。これは?」


「いや、可愛いなあと思って」


「立場逆じゃないですか?」

彼女が手を放し、花瓶に花を手向けていた。


「”宗谷君”もうTI除隊したいでしょう」

さらっと俺の名前を初めて呼んだ。それに気恥ずかしさを覚える。


「でも、それだと妹が……」


「それも全て私が後片付けをやっておくから。妹さんには徴兵しないように総司令には伝えておく」

それに、そんな甘えた言葉に俺は笑うしかなかった。彼女は眼を丸くしてこちらを見る。


「そんなの、俺だけ許されるはずがない。やりますよ。やればいいんだから」


「宗谷君……。そんなの、惨めだとは思わないの」


「生憎、非国民にはなりたくないんでね」

 

俺だけ逃げることは許されない。そして、この威圧された社会のなかで、家畜のように生きるしかないんだってことを、もう俺は知ってしまっている。家畜に選択権は無い。生きる選択肢もない。自死する事も出来ない。ならどうするか。飼いなされた家畜は主人に従うしかない。


「分かった。宗谷君の気持ちは十分に理解出来た。でも無理だけはしないで」


「……どうして急にそんなに親身になってくれているんだ。何かしたか? 俺」


「ゴーストの台頭は、”定本”なの。そいつは今も私を狙っている」

俺は起き上がった。背筋の痛みを感じながらも、これを言いたかった。「定本は殺されたんじゃなかったのか」

二〇一三年。ファントムと自衛隊の二年間の内乱によって、定本は殺された。そう伊藤からは聞いている。「それは正史よ。本当は裏で生きている。いや、生かされている」


「生かされている?」


「今、定本は昏睡状態なの。ひたすら延命治療を受けている」

開いた口が塞がらなかった。


「ファントム、――幻視は、ひたすらに私たちを見ている。いや、民衆を見ながら、革命を起こそうとしている。もしかしたらこれは私の予想かもしれないけど、TIそのものが革命の下敷きにされるかもしれない」


「待ってくれ。ということはつまり……」 

加奈が俺にある資料を渡してきた。極秘裏、と記されているA4サイズの二十四枚の紙束。


「これは……」


「この前大宮駐屯地に行ったとき、理工部隊がつくっていたシャーマンドラッグの実験試料よ」


「シャーマンドラッグって、連中が使っていた側坐感を活性化させる散布薬か?」

加奈は頷いた。「そう。不自然だとは思わない? テロ組織が用いている毒薬を、国家を担う組織が研究しているだなんて」


「いや。あり得る話だ。”使用しなければな”」


サリン事件の際、警視庁の科捜研はサリンの構造を念入りに調べた。そうして、事件の解明に貢献したのだ。


「君が言いたいことは分かる。でも世の中は作為に満ち満ちている。それが現実」


「TIが、シャーマンドラッグを使うとでも?」


「その可能性は否めない。いつだって、私たちには最悪の論理が展開されていたのだから。……北隅駐屯地の兵士は、皆殉職したわ。これが今のホットニュースになっている」


「――分かった。俺は明日には退院する」

加奈は僕の肩に触れた。「怪我の状態が酷いわ。手首の骨が粉砕しているのよ。完治するのに半年はかかる」

俺は精一杯の笑顔を彼女に見せた。「銃さえ握れれば大丈夫だ」

彼女は俺を抱きしめた。その唐突さに驚いた。「ど、どうしたんだよ」


「本当にごめんなさい。あなたを、危険な目にさらすことを許して。全ての贖罪は私にある」

俺は、唖然とした。今から死のうとする特攻兵を見送る軍隊長のような、やさしさと強制、それにまみれた安堵感。無作為に搾取する世の中で、彼女の優しさは浮くだろうと思った。



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